
創建年代は不詳だが、古来いろいろな社号で呼ばれていた「大粟神社」。
現存しているものだけで、なんと14枚もの棟札があるという。
祭神「大宜都比売命(おおげつひめのみこと)」は昔伊勢国丹生の郷より阿波国に来られ、国土を経営し、この地一帯に粟を蒔き広めた「五穀を司る神」、つまり「食の神様」。大粟神社には、食物の神さまが祀られているのである。
粟(あわ)は五穀のひとつで、日本では米よりも古い最古の穀物とされ、古代から近代までは主食として重宝されてきた栄養価の高い作物だ。古くから先人たちはこの地で粟などの穀物を生産し、阿波の語源とされる「粟生の里」として栄えていた。徳島県の旧国名:阿波は、奈良時代に「粟国」から改名されたが、粟は徳島自体を指していた言葉だったのだ。
ゆえに「大粟神社」の神紋は「粟」。

そして『延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つとなり、徳島県の上一宮、つまりもっとも位の高い神社とされてきた。
また、大宜都比売が降臨したとされる大粟山天辺丸(てんぺんまる=頂上)はパワースポットとしても有名で、道中には神山アーティストインレジデンスの作品が多数ある。





祭神「大宜都比売命(おおげつひめのみこと)」
大宜都比売の名は、『古事記』にある以下の神話に初見される。
「高天原から追われたスサノオがオオゲツヒメの元に訪れ、何か食べさせて欲しいと乞いました。するとヒメは鼻と口と尻からさまざまな美味な食材を出し、それを調理して奉りました。その様をのぞき見ていたスサノオは、『私に汚物を差し出すつもりか』と怒って、この女神を殺してしまいました。するとオオゲツヒメの死体の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が育ち、大地に五穀豊穣をもたらしたと云うことです。」
この大宜都比売とよく似た話が『日本書紀』にもある。
「アマテラスは弟のツクヨミに、葦原中国にいる保食神(うけもちのかみ)という神を見てくるよう命じました。ツクヨミが保食神の所を訪ねると、保食神は陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで調理した食事でツクヨミをもてなしました。それを見たツクヨミは「吐き出したものを食べさせるとは穢らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまいました。死んだ保食神の頭からは牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。このことを聞いたアマテラスは怒り、ツクヨミと決別し、それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったと云うことです。」
穀物神を殺した神を、柿本人麿は「スサノオ」と、太安万侶は「ツクヨミ」としたが、記紀による上記2つの話ともオオゲツヒメと保食神が同一神であることは一致している。



道の駅「温泉の里 神山」
道の駅「温泉の里 神山」は、徳島県中央部の神山町にある。
徳島県の中心地の徳島市からは車で1時間近く離れていて、 町内には鉄道、空港もなく、最寄りの高速道路のインターまで厳しい峠道が続く。
普通に考えれば「限界集落」とか「消滅可能性都市」などのレッテルが貼られそうな立地であるが、実は神山町はサテライトオフィスとして注目を集めている。 若手起業家を中心に移住希望者が多くて住宅供給が間に合わず、町側は移住許可者を厳選する状態なのだという。
ただ、道の駅はきわめて地味で、小さな物産館、軽食堂があるだけ。
駅名に「温泉の里」とあるので温泉施設があると期待するが道の駅構内には温泉施設もなく、神山温泉まで足を伸ばす必要がある。

駐車場は施設規模なりの大きさだ。



トイレは綺麗に清掃していただいていて、ありがたく使わせていただいた。






スダチ生産量は日本一
そんな神山町の特産品は「スダチ」。
徳島県はスダチの生産量の全国シェアは98%以上を占めているが、 神山町はそんな徳島県の中で25%のシェアを占めており、スダチ生産日本一の町なのである。

物産館ではスダチそのものも年間を通して販売されているが、特に8月~10月の旬の時期はスダチだらけになるという。
昼下がりに道の駅に着いた時には、いいものからすっかり売れてしまっていた。


加工品では「すだち酢」「すだちドレッシング」の調味料が一番人気だ。
神山町伝統の漬物「はりはり漬け」は寒干し大根をスダチ酢で漬けたもので、スダチの酸味を強く感じる漬物。
菓子類もスダチ入りチョコレートの「すだちの輝き」「すだち入りクッキー」などすだち関連ばかり。「神山すだちダックワース」は、外側に砂糖とスダチの皮を配した生地、内側はスダチ果汁入りのクリームの2層構造。 甘いクリームと酸味の強いスダチの味が口の中で混ぜ合わさる。

