「兵庫県立図書館@明石公園」は高1から50年間通う私的聖地。その現在地と未来図は?
兵庫県立図書館は、昭和4(1929)年に設置された「兵庫県巡回文庫」により始まり、県下全域の文化の発展を図るという役割を引き継いで、明石公園内に昭和49(1974)年に開館しました。それは私が16歳、明石高校1年生の時。我が家が引っ越して「通学路」が随分長くなった、なんとそのタイミングでちょうど通学路の中間点に立派な図書館が現れたのです。登校はバス、下校は図書館に寄るために徒歩という新しい通学スタ […]
兵庫県立図書館は、昭和4(1929)年に設置された「兵庫県巡回文庫」により始まり、県下全域の文化の発展を図るという役割を引き継いで、明石公園内に昭和49(1974)年に開館しました。それは私が16歳、明石高校1年生の時。我が家が引っ越して「通学路」が随分長くなった、なんとそのタイミングでちょうど通学路の中間点に立派な図書館が現れたのです。登校はバス、下校は図書館に寄るために徒歩という新しい通学スタ […]
「観音寺城の戦い」は、何度もありました。まずは「応仁の乱」のとき。観音寺城をめぐり3度にわたって攻城戦が展開されました。応仁2年(1468)の2度にわたる「第一次・第二次観音寺城の戦い」は、いずれも六角高頼が居城とした観音寺城は京極氏に攻められて開城または落城。近江守護を解任された六角高頼は、翌年には観音寺城を修築して再防備を行い、「第三次観音寺城の戦い」では今度は京極軍を撃退。リベンジに成功して […]
わが国最初の仮名日記として著名な『土佐日記』。今から1,100年近く前、承平4年(934年)12月21日に紀貫之が土佐から都に戻るため55日間にもおよぶ旅に出流のですが、その旅路を彼が日記にしたためたものです。ちょうど今日12月27日は、貫行らの旅の一行が冬の海に漕ぎ出した、まさにその日です。 「男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとてするなり(男の人が書くという日記というものを、女で […]
『光る君へ』は、2024年1月7日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第63作。平安時代中期の貴族社会を舞台に、世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』を執筆した紫式部の生涯を描きました。主人公の紫式部は、長徳2年(996年)に父・藤原為時が越前武生の国守に赴任することになり父とともに越前に向かいますが、その道のりは「塩津海道」。塩津浜を経由して敦賀を目指しました。 式部は道中のさまざま […]
令和の米騒動とも騒がれた、今年起きた米不足。いまあらゆるモノの価格が上昇していますが、米の値上がりとその根本原因となる米不足は、私にはかなり深刻な事態に思えます。現在の米不足の原因として、海外客による日本食のインバウンド需要の急激な増加といった微少な要因も語られますが、根本原因は「異常気象」です。 米どころの北・東日本では春~秋の季節平均気温が3季連続でかつてなかった高温となり、新潟県や秋田県など […]
夜須町は高知市の西約20kmに位置する人口5,000人弱の小さな町で、高知県のほぼ中央に位置し、三方を山に囲まれて南北に細長い地形を形成し、町の中央を流れる夜須川流域に穀倉地帯が広がります。2006年3月に赤岡町、香我美町、野市町、吉川村と合併して香南市となりました。 尼ヶ森城は、この夜須町の夜須川上流(北北東)に向かって数キロ歩いた山の上に立つかなり規模の大きな山城です。上夜須の集落の東方にそび […]
丹波・山家城は、京都府綾部市広瀬町、標高は236m、比高130mに立つ山城で、甲ヶ峰城とも呼ばれています。築城は1563年、和久義国によるとされます。和久義国は丹波・横山城主だった塩見頼勝の4男で、和久左衛門佐という通称で呼ばれていたため、山家城には左衛門屋敷という別名も存在します。本貫は、福知山の和久城。山家城はその支城です。 その支城にわざわざ行こうと思った理由は3つあります。まず一つ目の理由 […]
高知県南東部に角の様に張り出す室戸岬。 その室戸岬から約10キロ北西に進んだ所に、道の駅「キラメッセ室戸」があります。 道の駅の名前あるキラメッセの「キラ」とは「吉良川」のことで、江戸、明治、大正の街並みを残す吉良川町に由来します。今回の旅の私の目的地も、もちろんそこ。未明に着いてしまいそうだったので、少し仮眠したく、道の駅「キラメッセ室戸」に立ち寄ったのです。 暗いうちに仮眠を始め、目が覚めると […]
リクルートの先輩・杉阪隆司さんや、芸大の後輩・河原有伽ちゃんをはじめ、友人知人の何人もが予選に参加し、史上最多1万330組の漫才コンビがエントリーして競い合った今年のM-1が終わりました。エントリー数だけでいけば、まだ成長を続けているようです。 今年の優勝者は「令和ロマン」。史上初の「連覇」でしたね。私はそれより司会の上戸彩ちゃんに萌えました。なんて可愛いんだろう。今田耕司の生放送をものともしない […]
「脇城」は、徳島県美馬市にあった城郭です。地形が虎が伏せているように見えることから虎伏城とも呼ばれます。『異本阿波志』によると、戦国時代初期に、脇権守という人物が居館を構えたのが脇城の始まりであるとのことです。 その後、三好長慶は父・元長が堺の顕本寺で一向一揆に攻め殺されて、領国阿波に雌伏していましたが、天文二年(1533)に脇城を築城し、三河守兼則に守らせました。『脇町誌』によれば、この三河守兼 […]
浅井・朝倉氏や伊勢長島の一向一揆などを相次いで滅ぼした織田信長は、1581(天正9)年、伊賀国(現在の三重県伊賀市と名張市)に侵攻します。 伊賀は山に囲まれた小さな国で、束ねる大名もおらず、隣国からの支配もされず、小さな土豪が割拠していました。「伊賀中世城館調査会」によると、600以上の城館があったとされますが、情報収集能力を買われて他国の雇い兵となる者が多く、彼らは伊賀者(忍者)と呼ばれました。 […]
園部城は、園部公園内の案内図にある「こむぎ山」と書かれた所にあった山城でした。室町時代から戦国末期、ここ園部は、織田信長に抵抗して最後は磔にされる丹波八上城主・波多野氏の勢力圏であり、家臣の荒木山城守氏綱が居城とした園部城があったのです(冒頭の画像は荒木氏の「抱き牡丹」紋)。ちなみにこの場所は現在は山頂の本丸跡に戦関連の碑があるものの植物園になっていて、これといった遺構はありません。 天正6年(1 […]
今年も、偉大な先人が何人もこの世を去りました。あくまで「私的には」断りが必要ですが、「編集工学」を提唱して編集者、著述家として多方面で活躍し、独自の視点で日本文化を論じた松岡正剛さんのご逝去がもっとも残念で、今年もっとも衝撃を受けたことでした。正剛さんについては今さら紹介する必要もないでしょうからごく手短に。 「早稲田大文学部中退。1971年に科学と芸術を融合する雑誌『遊』を創刊、1981年に編集 […]
周山(しゅうざん)城は、明智光秀が築いた城として最大規模のものです。石づくりの「東の城」、土づくりの「西の城」で構成される巨大な山城です。明智光秀は、織田信長の命を受けて丹波を平定。信長の天下統一事業にとって最重要な京の都に近い丹波平定を果たした光秀は高く評価され、信長は引き続き光秀に丹波地方を任せたのでした。 任された光秀は、丹波地方安定のために広い丹波の要所に城を持ちましたが、周山城は八上城と […]
今は、特殊詐欺の悪党が蔓延る世の中ですが、鎌倉時代末期の日本は、モンゴル帝国から侵攻を受けて鎌倉幕府が弱体化。幕府の衰えにつけこんで「悪党」と呼ばれる武士たちが台頭し始めていました。そんな1318年(文保2年)、後醍醐天皇が即位。幕府と自分の境遇に不満を募らせていた後醍醐天皇は、鎌倉幕府から政治の実権を奪おうと倒幕計画を画策。「無礼講」という飲み会を開き、裏金づくりならぬ「仲間づくり」を進めます。 […]
牛岐城は、徳島県阿南市富岡町殿町にあった平山城。築城年代は定かではありませんが、至徳年間に阿波国守護の細川氏に従属していた「新開実重」が築城したと考えられています。中世からの歴史のある城郭が蜂須賀氏入国後も改修されて、阿波9城の1つに数えられています。 私も「阿波9城」の一角をなすということで、牛岐城址を訪ねました。城址公園の東側には古墳のような規模の高台が1つあり、それが城の中心部であったらしい […]
今年も、聞こえ始めましたよ。毎年年末になると聞こえてくる、あの「第九」が(笑)。 ベートーヴェンの交響曲第9番「第九」は、日本でも国民的楽曲と言えるほど親しまれており、特に年末になると商店街にも楽曲が流れ、全国各地で演奏されています。 ドイツの作曲家、ベートーベンが作曲した交響曲第9番の第4楽章にあるドイツ語の合唱部分は、おそらく誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。私も中学の音楽の時間に何故か […]
富田茶臼山古墳は、香川県の東部、長尾平野の東端に位置する四国地方最大の前方後円墳。南方の讃岐山脈(阿讃山脈)から派生した低丘陵の縁辺部に立地し、丘陵の稜線に直交するように前方部を西方に向けて築造されています。後円部に立つと長尾平野が一望でき、弘法大師ゆかりの五剣山や、高松平野との結節点に聳える白山を遠望することができます。 古墳の北側には津田川が流れ、蛇行しつつ東流して播磨灘に開く津田湾に流入して […]
道の駅 津田の松原」は、高松自動車道の津田東ICから国道11号線を西に3km、 あるいは高松自動車道の津田寒川ICから県道37号線→国道11号線を通って東に3km。香川県北東部の瀬戸内海に面した旧津田町(現さぬき市津田町)にあります。 この駅は、一つの建物の中に物産館とうどん店が同居しています。 入口は別々で、中央付近に物産館の入り口、右端にうどん店の入り口があります。 かつては物産館が8割、うど […]
源平合戦の古戦場として知られる「屋島」は、高松市街から東に進んだところにあります。遠くからみると、島にそびえ立つ山がまっ平らな屋根みたいになっていることから、「屋島」という名前がついたそうです。ここは溶岩台地で、山上からは波穏やかな瀬戸の海と一体となった高松市街や瀬戸内の多島美が一望できます。山上には四国霊場第84番札所の「屋島寺」や世界的にも珍しい山頂の水族館「新屋島水族館」などがあり、屋島スカ […]