
私は、経営コンサルタントの仕事を65歳で「現役引退」しました。元気だし、今も音楽関係とコピーライティングの仕事は少しやっていますが。
経営コンサルタントと言っても中小企業専門。中でも「3代で潰れる」という定説がある「世襲会社」の経営サポートが専門領域でした。世襲会社はだいたい恐ろしくケチ(笑)なので、能書き無用、「結果を出してナンボ」の業務委託契約を結んでの真剣勝負でした。
1つの会社に最低3年間入り込んで、基本3年サイクルで経営課題を解決してきれいに去っていく。かっこよく言えば「ウルトラマン」のような仕事ですが、25年間で8社の経営改善を担当しました。
失われた30年と言われる経済環境下にすっぽり収まる期間でしたし、契約で約束した結果を出すのはもちろん簡単ではありませんでしたが、基礎力としてはリクルートでの9年間、応用力は自ら起業した会社の経営の9年間の実践で土台を築いて臨みました。25年にわたって「約束した成果・結果を必ず出すコンサル」を標榜し、なんとか最後までやり遂げることができたと思っています。
守秘義務があるので仕事内容は言えないが
一口にコンサルと言っても、その会社の喫緊の課題はさまざまだ。資金繰りのことはメインバンクと顧問税理士に任せたが、例えば「営業力や商品力に課題があるのか」「新規事業がなぜぽしゃるのか」「人材が集まらなかったり育たなかったりしているのはなぜか」など課題を明確にしてから、その会社の課題分野の担当役員の名刺を作ってもらって、現場に入り込んだ。肩書は、比較的大きな組織では「部長」とか関連会社の「代表取締役」、小さな会社では「専務」や「執行役員」といった肩書きを持った。
こうして会社の一員として現場に入り込むのだが、いきなり外部から突然やってきた私という異物への拒否反応や抵抗はお約束。現状を変えられまいとする抵抗勢力は手段を選ばず私を陥れようともする。現場に溶け込むまでが大変で、忙殺される日々が続くのだが、兎にも角にもそこが第一歩となる。
嘘のようなホントの話、小説より奇なる話には事欠かないが、コンサルタントには守秘義務があり、自分が担当した会社についてはこうしたところでも会社の実名を出したりコンサル内容を披瀝するわけにはいかない。
ただ「同族経営でも3代で終わらせない方法」が私のコンサルテーマだったため、時間があれば全国の「2代目に受け継がれた同族経営企業」を研究していた。そんな1社に、今日来た道の駅「アグリパーク竜王」の目の前の「岡喜本店」「株式会社岡喜本店」があった。

道の駅の紹介ついでにこの会社に触れることには何の問題もないだろう。

「うまくいかなくて当たり前」と言われる兄弟経営
私がこの会社に興味を持ったのは、だいたい「偉大」な創業者からバトンを受けた2代目が3兄弟で、その3兄弟がうまく役割分担して経営が順調に行っていると聞いたからだ。
兄弟が不仲であることは多い。子供時代から仲が良くない兄弟もいるが、その多くは兄が何かにつけ体力的にも劣る弟を蔑ろにしてきたという場合が多い。あるいは、兄弟ともに大きくなって互いに家族を持ってから疎遠になることもある。会うのは盆正月ぐらいだったのが、父親が亡くなると相続問題が発生。それを期に兄弟が関係が悪化するというのはよくある話だ。
父親が経営者である場合にはそこに事業継承の問題が絡み、兄弟の関係はさらに複雑なものとなる。
帆布かばん製造販売「一澤帆布工業」の事例
兄弟間の相続争いが泥沼化したカバン、もといケースで記憶に新しいのが、帆布かばん製造販売「一澤帆布工業」(京都市東山区)だ。
元取締役の一澤喜久夫氏が、兄弟と同業、帆布カバンの新会社を設立し、これまた同じ東山区東大路通新橋上ルに新店を開設。これで兄弟が経営する店は、休業中の「一澤帆布工業」、三男信三郎氏が設立した「一澤信三郎帆布」に続いて3店目、完全な商売敵同士となった。


喜久夫氏は、一澤帆布工業の元会長・故信夫氏の四男だ。2005年に長男信太郎氏が信夫氏の遺言を理由に当時社長だった三男の信三郎氏を解任した後、同社の取締役に就いた。 社長を追われた信三郎氏は2006年に一澤信三郎帆布を設立し、事業を継続する。訴訟は最高裁まで行き、信太郎氏に社長の地位がないことが2009年6月に最高裁で確定。一澤帆布工業は同7月から休業している。
勉強のために?どんな裁判だったのか
上の、「第一の遺言」側の三男夫婦と、「第二の遺言」側の長男・四男との間で、従業員や地元・顧客も巻き込んで、京都地裁(写真下)→大阪高裁→最高裁に至る長い法廷闘争が始まった。

【 第一局面「三男側の敗訴」】 まず「第二の遺言書」の真贋を三男の信三郎氏が訴訟を提起したが、2005 年 12 月に最高裁判所から「無効と言える十分な証拠がない」という理由で信三郎氏の訴えは退けられた。
【 第二局面「三男の妻の逆襲」】 最高裁に遺言書の訴えが退けられると、それで確定するものと考えられるが、その後、今度は信三郎さんの妻・恵美氏が原告となって新たに裁判所に提訴したのだ。遺言書無効確認訴訟が相続人が一人でも訴えられる「通常共同訴訟」であり、原告と被告の間でのみ判断に拘束力が生じるため、最初の訴訟では原告になっていなかった恵美氏には最初の敗訴判決の効力が及ばす、再び同様の訴えが可能になったのだ。
【 第三局面「逆転判決」】2009 年6 月、恵美氏が提起していた第二の遺言書の無効確認等の訴訟の控訴審判決において、大阪高等裁判所は第二の遺言書を有効とした原判決を取消し、第二の遺言書を無効とする逆転判決を出した。
【 最終決着「長男の逆提訴」】 一方信太郎氏も諦めず、2009 年 11 月、信三郎・恵美両氏を相手取り、自分に会社の株主権や経営権を認めるよう京都地裁に提訴する。地裁に棄却されたため大阪地裁にも控訴したが、2012 年 11 月、大阪高裁は信太郎氏の提出した第二遺言書は信夫さん本人の遺言書であると認定。信太郎氏に 46,180 株の保有を認める判決を下した。
従業員不在、顧客不在の身内の争いに、消費者は興醒め
十数年にもわたる骨肉の争いの中、それぞれ休業や、従業員全員解雇を発端とする労働争議に揺れ、結果三つにもブランドが分裂するなど、一澤家の家業は混迷を極めている。裁判所の判決が二転三転して経緯が複雑になったが、重要な争点はただ一つ、「第二の遺言書の真贋」だけだった。筆跡鑑定も争点となったが、三文判であろうと、記名が「一沢」と略字だろうと、形式的に遺言の基準を満たしていれば偽物と証明するのは難しい。コンサルとしてはこの手の争いには手を出せず、ちゃんと生前に分割協議を行って公正証書遺言を残すべし、と言う鉄則王道をさせるより他に手はない。
いずれにしても喜久夫氏の新店は一澤信三郎帆布の近隣で、帆布製のかばんや財布など、共に「一澤」ブランドを名乗り、商品ラインナップも同様。顧客不在のガチンコ勝負となる両店だが、双方ともに「一澤ファンに納得いただく帆布かばんはうちだ」と互いに譲らない。骨肉の争いは今も続いているが、どこまでも続くわけではない。遅かれ早かれ顧客が見放すからであり、いずれ3ブランドとも消えゆくだろう。
「骨肉の争い」とはよく言ったもの
私が担当した8社の中では、義理の関係での覇権争いは1社あったが、上記のようなとんでもないケースには幸い遭遇しなかった。ただ、一沢頒布と同じ京都市内で私との契約期間を満了した後、長男に事業譲渡した企業がある。今後四人もいる男兄弟による揉め事が、相続を含めて「骨肉の争い」が発生する可能性大だが、これはもう、私が仕事を離れた後のことであり、勝手にしなはれ、知ったことかである(笑)。
他社の事例をいろいろ研究していても、兄弟が袂を別けるケースには事欠かない。とくに日本では長男が社長を継ぐ場合が多く、気に入らなければ弟を放り出すことは日常茶飯事だ。権力の座は一つだけ。 その座を巡っていったん相続争いが起きれば、それは 必ず親子・兄弟の骨肉の争いになる。 それがそこそこの規模になった会社で起これば、それぞれに従う側近が対立を煽るという展開となって泥沼化するのだ。自分が直接従っている側が社長になれば、自分はその側近として大きな出世のチャンスが巡ってくるし、 逆に別の兄弟が社長になれば傍流になってしまうからである。
「3本の矢」は誤った解釈
「でも毛利元就の三本の矢のように、兄弟仲良く力を合わせれば?」という、眠たいことを言う人がいるが、そんなことはまず無理だ。第一、「三本の矢」はつくり話というか間違った解釈に過ぎないからだ。歴史に詳しい方はご存知だろうが、毛利三兄弟は三人で一つの城を守ったのではなく、毛利家を継いだのは長男1人。二男と三男は養子として別の家に入った。つまり現代に置き換えれば、長男が会社を継ぎ、二男と三男は別の会社で事業をしていたにすぎない。また、毛利元就が息子たちへ宛てた文書で「兄弟仲良く」と解釈されているのは、儒教でいう「悌」のこと。つまり、仲良くするためには、長男は弟たちを親心をもってかわいがり、弟たちは長男の言うことに従いなさい」ということなのだ。今年は、昭和100年、何もかもが平等という意識が普通になった現代、兄弟間でこうした儒教思想が現実的かどうかなど考えるまでもないだろう。
「相続」どころかマイナスからのスタート
さて すっかり前置きが長くなった。現在、長男が社長、次男三男と三兄弟が力を合わせて経営する岡喜商店の歴史は、近江牛の家畜商としては天保10年(1839)まで遡る。136年間続いた家業「家畜商」の範疇から飛び出して1975年に法人化をはかり、食肉販売、レストラン経営などへと事業を拡大したのが、いわゆる先代・岡山健次氏だった。
順調に業績は伸び、一時は現在の倍近い900頭もの近江牛を肥育するまでになった。しかし1998年、健次氏つまり大黒柱だった先代が急死。当時はバブル崩壊の影響でいくつかの金融機関が破綻するというニュースが世間を騒がせていたが、健次氏は万が一の破綻リスクを回避しようと自身の生命保険を解約した、その矢先の急逝だった。
肥育していた900頭もの肉牛はすべて相続財産として扱われ、課税対象となった。3兄弟に残ったのは、借金と牧場だけだった。
「三兄弟の三本の矢」で成り立つ「岡喜ブランド」
「兄弟が力を合わせるようにと、父が残した遺言なのかもしれない」
そう思った三人は、それぞれの持ち味を発揮して危機を乗り越えることにした。力を合わせると言っても、三人が同じことをしても仕方がない。

まず、社長として牧場を担当したのは長男・健喜氏、育てた肉牛を加工して卸すのは三男・和弘氏、極上の一皿を創り出し提供するのは料理人の次男・俊明氏という役割分担を決めた。
それぞれが別法人としてグループ会社を形成し、各社のトップとして責任を果たすことで、近江牛の肥育から、加工卸、そして調理販売外食までを一貫して手がける「岡喜ブランド」が成り立っているのだ。これこそ、本当の「三本の矢」。稀に見る実例だ。
まず、屋台骨の「肥育経営」を守ること
しかし、会社経営はそれだけで順風満帆に進むほど甘くない。
近江牛は「滋賀県内で最も長く飼育された黒毛和種」と定義され、買い付けた仔牛を育てる牧場が一般的で、岡喜商店もそのスタイルで肥育してきた。
しかし、繁殖農家の高齢化やリタイアによって、供給される素牛(もとうし)が減少し、市場価格は高騰し続けている。事業の核となる肥育経営の危機に、三兄弟は繁殖事業への進出を合議で決め、60頭以上の母牛を購入して繁殖を開始。

岡喜は自家繁殖による「生まれも育ちも滋賀県の近江牛」の出荷を軌道に乗せたのだ。
海外へ。そして県内の充実、そして東京へ
また、近江牛の魅力は食肉に限らないと考え、近江牛を余すことなく活用しようという取り組みにも力を入れてきた。食肉加工した後の骨や内臓をドッグフードやラーメンの出汁に提供したり、皮を牛革製品に提供したり。
販売チャネルの拡大も進めている。東南アジアを中心に牛肉の輸出を推進し、世界に向けて「近江牛ブランド」を発信。小売の販路、外食店舗も県内各所に充実をはかるとともに、ついに2020年12月、東京都内の近江商人ゆかりの地・日本橋の「コレド日本橋」に、県外初出店を果たしている。


「岡喜ブランド」の前に「近江牛ブランド」あり
京都では昨年4月、「間人ガニ」の産地偽装事件が発覚し、「間人ブランド」は地に落ちた。間人漁港に所属する5隻の漁船が水揚げしたカニだけが、「間人ガニ」を名乗ることができる。消費者が信じてきたブランドを、一部の水産業者が10年にわたってニセものを「間人ガニ」と偽って販売し、裏切り続けてきたという大事件だ。

間違っても、どんなに苦境に立たされても、この水産業者のようなことをしてはならない。岡喜商店に限って、そんなことは絶対にないと思うが、「産地偽装」は後を絶たないというのが過去の歴史である。いやしくも経営コンサルタントをしていた私から岡喜商店に言えることはただ一つ、「岡喜ブランド」の前に「近江牛ブランドあり」。ほんのわずかでも、消費者を裏切ることだけは絶対にダメだということだけだ。それさえなければ、三兄弟の経営は安泰だろう。
岡喜本店のすぐ近く、道の駅「アグリパーク竜王」へ

「道の駅 アグリパーク竜王」は、名神高速道路の竜王ICから国道477号線を通って南東に7km、滋賀県南部の竜王町にある。 国道477号線というと三重県四日市市から5府県を跨って大阪府池田市に至る複雑な道路で「酷道」としても有名だが、滋賀県内は両側で2車線確保された安全な道なので心配無用だ。
体験型の道の駅として多彩な施設を持つ道の駅なので、駐車場は余裕を持って設計されたらしく、非常に広い。






トイレも、いくつかに分かれた施設のそばにはそれぞれちゃんと見つけやすい場所に野外トイレが設置されていて困らない。








休憩環境は申し分ない。ちょっとした休憩目的に訪れても、満足できると思う。





道の駅「アグリパーク竜王」は、多彩な施設構成が特徴の、体験型の道の駅だ。ここで1日遊ぼうという目的を持って来ても、十分楽しめる。

体験の目玉は、「いちご狩り(1~5月)」「さくらんぼ狩り(6月)」 「桃狩り(7月中旬~8月中旬)」「ブルーベリー狩り(7月~8月)」「ぶどう狩り(8月~9月)」「梨狩り(8月中旬~10月上旬)」 「柿狩り(11月)」「さつまいも掘り(9月~10月上旬)」ということで、12月以外は1年を通して楽しむことができる。おそらく12月も、クリスマスイベントで楽しめると思う。
この他に「グランドゴルフ」「サイクルボート」「バーベキュー」を楽しむ施設もあるし、 菜の花、桜、チューリップなど、花を見るだけでも楽しい。 お子さん連れなら、動物ふれあい公園で羊、ポニー、うさぎ、ヤギに餌やりなどができ、動物と触れ合うこともできる。 おっさんが一人で訪れても十分楽しいし、家族や知人と訪れればなおのこと楽しい時間が過ごせる道の駅だ。
道の駅エリア
大きくは、3つのエリアに分かれている。 まず、直売所とレストランなどがあるいわゆる「道の駅エリア」があり、 その奥に、果樹狩り受付などを行う「総合インフォメーション」がある。そして、 さらにその奥に、動物ふれあい公園などがある「田園資料館」が位置している。
まず「道の駅エリア」だが、ここには物産館、レストラン、パン工房がある。 物産館は竜王町地産の農産物および滋賀県全般の特産品を販売している。










「竜王梨ピクルス」「竜王白桃プリン」「竜王そば」「近江牛ビーフカレー」等の商品が販売されている。







近江牛はやっぱり高いが、一見して肉質の良さがわかるのは流石だ。


物産館の横には道の駅レストラン「アグリちゃん」がある。

ここではやはり「近江牛」を使った料理がオススメ。 プチ贅沢をしたければ「近江牛すき焼き定食」、安く抑えたければ「近江牛コロッケ定食」「近江牛牛丼」「近江牛ざるそば」だろう。
事前予約が必要だが「近江牛バーベキュー」も楽しめる。 1人3800円~4800円、もちろん部位によって料金は変わるが、私はリーズナブルな価格設定だと思う。


パンなら、さらに安く済む。


物産館の奥にはパン工房「ドラゴンママ」がある。 定番としてのチーズ食パンも人気だが、休日限定販売の「近江牛ハンバーガー」にも注目したい。竜王黒豆を使った「黒豆きな粉揚げパン」「竜王フルーツジャムブレッド」も人気商品だ。イートインスペースが併設されており、買ってその場で味わうことができるので、手軽なランチ、おやつタイムに好適だ。


総合インフォメーション
道の駅エリアの奥にある施設に行ってみよう。

まずは「総合インフォメーション」。ここで「果樹狩り」の受付が行われている。果樹園は道の駅から離れているので、果樹園までは自分の車で移動する必要がある。 総合インフォメーションの施設内には喫茶店「ベリーベリーカフェ」がある。 ここでは「竜王やまのうえジェラード」が大人気だ。





道の駅構内の一番奥に「田園資料館」




「田園資料館」では昭和初期の古民家、使われていた農具などが展示されていて、興味深い。無料なのに本格的な展示なので、これを見るだけでも価値がある。





昔懐かしい「駄菓子屋」。泣きそうになった。
離れている施設には、隣接して、こうしてちゃんとトイレがある。

また、田園資料館の裏庭はヤギ、ヒツジ、うさぎ、ポニーがいる「動物ふれあい公園」になっている。

ここの動物たちはとても人慣れをしていて、人が近づくと動物たちが一斉に集まってくる。 もちろん動物たちの目的は餌だ。餌を持っていないことが分かると、サッと元の定位置に戻っていくのが賢くて、またそれが可愛らしい。 園内で餌を購入してから、餌を隠して動物たちに近寄ると、「騙されるものか、どうせお前、餌なんか持ってないだろ」と見向きもしない。 その後、餌をチラ見せすると傑作だ。目の色を変えて動物たちが集まってくる。あまりこれをやりすぎると罪の意識も湧いてくるが、ちょっとだけなら、動物との無言のコミュニケーションを楽しめている感じがして、心が癒される。

こうして離れたところでも、ちょっと一杯、お蕎麦なんていただけたりもする。
