
この人は巨大企業グループの総帥だが、企業経営者、とりわけ中小企業のオーナー社長に多く見られるこの目的意識は、彼らに「金が大好き、手段選ばず富にまっしぐらと」いった表現がピッタリな人物が多いため、私はこれを「Wealth Work=ウェルス(富)ワーク」と呼んでいます。
このWealth Workという働き方、というか仕事の目的には、一つ、際立った特徴があります。それは、その人自身がこの目的で突っ走ると、社会にとっても非常に「危険」であるということです。
もちろん「まとも」なこと=少なくとも反社会的ではない手段で、目的を達しようとするうちは、何らの問題はありません。しかし、「金持ちになりたい」「自分の資産を増やしたい」という執着が強ければ強いほど、「金を得ること」が「目的化」していきます。
すると、途端に、手段を間違える「危険」が現れるのです。そして、何より恐ろしいことは、「危険」に対する認識が当初はあるのだけれども、「我欲」によって、次第に麻痺していくということです。
目的④金が大好き、手段選ばず富が欲しい。「金持ち」になることがゴール→ Wealth Work
売上、利益、経済だけしか見ないで生きる果て
バブル期に、よほど幸せだったのだろうか。以来、経営者も、大手企業で働くサラリーマンも、みんな会社の売り上げ、利益、それに関連する経済だけを見て生きている。みんな、お金が大好きなのだ。
もちろん私も、お金は「生きていくため」にある程度は必要だと思う。しかし、守銭奴のように利益を第一に走り続けている人たちを見ると、「本当にそれでいいのか」と思ってしまう。
例えば、具体的にさまざまな業界の、不正や誤魔化し、消費者への裏切り行為のほとんどが、この「飽くなき利益追求」が源泉となっているからだ。「利益」「蓄財」「富」「金」が目的化し、それが企業努力の範囲で達成できない場合、利益、蓄財のためには不正であろうが偽装であろうが、「手段を選ばない」ということに突っ走る会社があまりに多すぎる。
フジテレビの凋落は日枝久の拝金主義の末路

いま叩かれているフジテレビだってそうである。民放各社は、昔は視聴者に「感動」を提供することをめざしていたが、特にフジテレビは日枝久氏の方針で「快感」を目的に、視聴率を取れればなんでもありの低俗な番組づくりに走った。「視聴率」と言い換えれば体はいいが、要は「CM放映料」、つまり金が目的なのだ。フジテレビは、「面白ければいい」「すぐに忘れられてもいい」「視聴率が取れるならなんでもいい」と「手段を選ばなかった」のだ。
その、手段を選ばずテレビを堕落させたのが、フジテレビと親会社のフジ・メディア・ホールディングスの取締役相談役を兼務し、「フジテレビの首領(ドン)」と呼ばれる日枝久氏だ。 彼は、なんと40年にもわたって独裁を続け、安倍晋三元総理の親族をコネ入社させて権力の座に近づこうとしたり、やりたい放題だった。中居正広氏に性の上納をするような体質は、手段を選ばない彼がフジテレビに根付かせた企業文化であり、今回の中居問題は日枝久路線である限り「必然」だったが、フジテレビ「拝金主義」の終着駅となった。
急増する超大手、名門企業の不祥事

直近事例から遡れば、小林製薬、宝塚歌劇、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)、トヨタおよびグループ(豊田自動織機、ダイハツ等)、ビッグモーター、関西電力、中国電力、中部電力、九州電力、かんぽ生命、ニッサン、リニア中央新幹線建設工事のゼネコン4社談合、旭化成、SUBSRU、スルガ銀行、神戸製鋼、スズキ、三菱自動車(5度)、東芝、東洋ゴム、みずほ銀行、オリンパス、大王製紙、JR東日本、日本ハム、伊藤ハム、雪印、東京佐川、リクルート等々。

まさに、トヨタ、お前もか。ここ35年で、それまでの35年のおよそ10倍以上もの「超大手」「名門」「大手」企業による事件が起こっている。
ただ、こうした会社の不祥事や事件は「企業の利潤追求」「手段を選ばない企業理念の腐敗」を源泉とはするものの、その全てが経営者個人の行きすぎた「Wealth Work=ウェルス(富)ワーク」とするには、その程度に差がありすぎるかもしれない。
また、大きな組織ほど、トカゲの尻尾切りよろしく一般社員がその「不正」の張本人とされることを考えれば、明らかに「Wealth Work=ウェルス(富)ワーク」の弊害と断言できるエビデンスの典型は、やはり中小企業に多く見られる「計画倒産」もしくは、倒産時に銀行等への借金を踏み倒しておいて、社長が莫大な「隠し金」で富を手放さないなどの実例がわかりやすい。
「計画倒産」という金銭欲ゆえの計画的「悪事」
計画倒産とは、倒産することが確定しているにもかかわらず、仕事を受けてお金を支払うタイミングであえて倒産する、または金融機関から融資を受けるなど、経営者が自らの利益だけを追求し、従業員や取引先に多大な迷惑を与える行為を指す。
具体的なエビデンスをいくつか挙げておこう。2023年には「ユニゾホールディングス」が経営破綻した。この際、経営陣は巨額の負債を抱えていながらも、退任後に退職慰労金として1億円以上を受け取った。それだけでなく、退任後の1年間にわたって顧問報酬として8億円が支払われてもいる。

もちろんこれに対し、報酬の返還を求める訴訟が裁判所の監督委員主導で起こっているが、この事例は、悪質極まりなく、計画倒産によって関係者が不当な利益を得ようとする行為の典型例だ。
倒産後も自己破産した社長が直後から祇園で遊び回る摩訶不思議
銀行をはじめ、大半の借金を踏み倒して自己破産した社長が、「祇園」という京都のお金持ち旦那衆の夜の社交場に毎夜現れ、社交そっちのけで性行、もとい成功者であるかのように堂々と超高級クラブで豪遊する不思議なことがある。

大証2部上場のアパレルメーカー、イタリヤードは、ある日突然京都地裁に自己破産を申請し、同日同地裁から破産宣告を受けた。1976年(昭和51)7月に設立された婦人向けカジュアルウェアを中心としたアパレル業者。「アンドレルチアーノ」、「フロリダキーズ」、「ホワイトイタリヤード」、「ブランヌーボー」など自社企画によるオリジナルブランドを主体として、百貨店、専門店のほか小売部門の関係会社を販路に業容を拡大し、95年6月に大証2部へ株式を上場し、ピーク時の96年7月期には年売上高約175億3400万円、経常利益約22億1600万円をあげていた。
しかし、バブル崩壊後は個人消費の低迷から年々売り上げが減少。2001年同期の年売上高はピーク時の半減以下の約70億3300万円にとどまり、損益も2期連続で営業赤字となり、同期の最終赤字は約29億5200万円となっていた。月末の決済で大口仕入先へ支払猶予を要請したことから信用不安が増幅する中、あっという間に自己破産に至った。負債は約58億円もあった。上場していたので株券が紙切れになって大損した人たちを泣かし、銀行はもとより多くの取引先には「ババをかけた=支払いを踏み倒した」わけである。
なのに、北村陽次郎氏の足が祇園から遠のくことはなかった。彼は自己破産しておいて、どこかに祇園で飲み歩く金はちゃんと隠し持っていたのだ。

「あいつ、そのうち刺されるで」。
彼を見かけた多くの人は、彼を祇園の高級クラブで見かけるたびにそう言った。
おそらくは家庭教育、とりわけ父親の問題か
どうしてそんなことができるのだろう?
一体、どういうメンタルなんだろう?
彼もそうだが、同じような自己破産社長は何人もいて、私は、彼らが堂々と豪遊している姿を見て不思議で仕方がなかった。エビデンスを分析していて一つだけはっきりしているのは、理解不能な人間性の背景には育った家庭の、常任の理解を遥かに超える家庭環境が人間形成にとんでもない影響を与えるということだ。一例をあげよう。

あまりにも有名な豊田商事とベルギーダイヤモンドのペーパー商法詐欺で大儲けしたのちに企業経営者なり、自分の会社を二度倒産させた伊藤直樹氏は、私にこんなことを「自慢」していた。
「若い頃、暴走遊びをしていて前の車に猛スピードで追突して大破させたんだけど、私の車がなんとか動いたので、そのまま慌てて現場から逃げ帰ったら、親父が握り潰してくれた。助かったわ〜。相手?どうなったか知らん」と。
彼は、表向きに綺麗事を並べつつ、裏では悪徳税理士を巻き込んで「計画倒産」、そして「有印私文書偽造」といった「悪事」を働いた。そして、逮捕されて実刑を受けた。
社長だから偉いというのは大間違い
人は一般に、「社長さんになって、あの人は偉いわね」なんて言うが、エビデンスを分析していると、そんなことは全くない。役職、職種、年齢、性別など全く問わず、地位が高いことと人間的に偉いこととは全く相関しない。
私は40年間ビジネスをする人たちの中にいたが、その間には、「与えよ、見返りを求めず与えよ」と教えてくれた社長もいれば、「ビジネスは金の奪い合い、騙し合いだ」と教えてくれた社長もいる。これは真逆のことである。
また、「ビジネスは弱者を何とかするために考えよ」という経営者もいれば、「ビジネスは強者を顧客にせよ、さもないと儲からない」との鉄則を語る経営者もいた。これもまた、真逆である。そして、どちらも正しくない。
また、どんな講釈を聞かされたところで、一つとして私の腹に落ちたことはなかった。なぜなら、ふんぞり返ってそう私に語りかける本人が、言葉とは正反対のことばかりしているのだ。
エビデンス中、言行一致の立派な経営者は、たった2割しかいない。
(つづく)
この記事は、連載第6回です。いよいよ人間の本性、本質領域に踏み入ります。ご期待ください。