
受験シーズンということで、少子化と大学の在り方について思うところを書きました。最初に結論を申し上げておくと、国力低下と少子化の中、大学は「質的向上」こそ必要であり、立命館大学に代表される時代錯誤の「量的拡大主義」は補助金(税金)の無駄遣いであるとの問題提起です。
立命館大学の2023年度一般選抜の受験者数は88,849名、合格者数は33,404名、競争率は2.7倍でした。2024年度の一般選抜の志願者数は前年度比約4.8%増加しました。立命館大学は、少子化の中、なんと今なお「拡大主義」を続け、国から50億円以上という関西私立大学ダントツの私立大学補助金(助成金)を毎年得ていて、その突出した拡大によって累計では数千億円もの税金がこの大学に流れてきました。
私個人は、全共闘に失望して自殺した高野悦子さんの立命館大学生時代の日記「20歳の原点」を読んで以来、京都で仕事をする期間も長かったため、立命館大学のここ半世紀の歴史には詳しい方だと自負しています。
そんな私から言わせていただくと、現在の立命館大学は私学の原点である設立理念や質的追求を忘れ、拡大主義・金もうけ主義一辺倒で品格が無く、すっかり好感が持てなくなったと言うのが正直なところです。
キャンパスを大きく動かし始めた立命館大学
最新の動向から話そう。立命館大学が草津市の誘致を受けて、巨大な「びわこ・くさつキャンパス」(BKC)に1万5,000人もの学生を送り込んでから早いもので35年になる。
地方経済・地方行政の歴史の中で、各地方が街の活性化の起爆剤としてこぞって誘致合戦を繰り広げてきたのは、国内外の製造業だけではない。大学の誘致は外から若い人が集まり、地元の商店街も不動産も潤うことから、地方にとって有力な選択肢となってきた。
琵琶湖南側に位置する滋賀県草津市もその一つだ。しかし草津市は今、35年前に誘致した立命館大学に徐々に手のひらを返され、かつての目論みが大きく狂っている。立命館大学がキャンパスの再編を行い、草津市の「びわこ・くさつキャンパス」に設けた情報理工学部の2000人以上の学生が2024年、草津のキャンパス(写真上)を離れ、大阪府茨木市のキャンパス(写真下)へ動いたのだ。


恩を仇で返される草津市
草津市は、1970年代からの長期的総合開発計画において「大学は必要な都市機能」であると謳い、県立大学、私立大学の誘致・建設を進めてきた。1989年に立命館大学の誘致が決まったとき、関係者は皆、立命館大学草津キャンパスを「BKC」と呼んで喜び、街の未来に期待した。バブル絶頂期のことだった。当時の資料をひもとけばわかるが、滋賀県と草津市は土地造成のための費用として計135億円もの税金を拠出し、水道や道路の整備は市が支援している。
そんな草津市からすると、街から学生を流出させる立命館大学のやり方は、「恩を仇で返される」ように感じるだろう。今回は2000人以上の学生が一気に流出したが、10年前の2015年にも、草津キャンパスにあった経営学部が今回と同じ大阪・茨木へ移ったことで痛い目に遭っていた。

立命館大学大阪いばらきキャンパスは、大阪府茨木市のサッポロビール工場跡地に2015年にできた。この時くさつキャンパスからいばらきキャンパスへ移転したのが経営学部とその研究科だ。当時、同学部には3600人が所属。草津市内では、一人暮らし用のマンションの空室急増を招いたのだった。
今回の「2000人の流出」で、地元不動産事業者は空室率の再上昇、地元の飲食店関係者は将来顧客の消失に再び直面する。下表は、立命館大学の学部と所在地の一覧だ。四角で囲われている学部・研究科が2024年に大阪いばらきキャンパスへ移転した学部である。


京都西北に位置する立命館大学京都(衣笠)キャンパス
もう大学の誘致を「街づくり」に組み込む時代は終わっている
恥ずかしながら私が卒業した「京都市立芸術大学」も、同じ2024年、京都市内の中心部に移転してきた。現在の赤松学長とは同期の縁で、移転前には苦労話も聞いたが、移転には想像以上のロスがあるし、芸大で言えば楽器類とか設備など、行政に頼れるのは「箱」だけで中身の充実は行政に頼れず新たな財源も相当必要になるとのだとか。
4万人近い立命館大学の学生数に比べればその40分の1にも満たない学生数の、小さな大学である。それでも移転前に40年間お世話になった京都市西区大江沓掛の皆さんのロスは痛いほどリアルに感じるわけで、立命館大学の経営学部と情報理工学部の草津市からの流出規模は「京都市立芸術大学」の6個分に当たると思えば、これはもう大変なことである。
幸いなことに草津市は、交通の便の良さや京都市の失政(マンション価格高騰)などからファミリー層を取り込んで、居住人口は平成の30年だけで4万人増えた珍しい自治体。しかし、これからはどうなっていくかは未知数だ。
万博後に大阪は未来都市になり草津は取り残される?
ここで指摘しておきたいのは、今回、立命館大学が情報理工学部を草津キャンパスからわざわざ大阪に移したその必然性は乏しく、相当に身勝手な行いだったということだ。移転理由として大学当局は「移転先の大阪は万博をきっかけにスピード感をもって未来都市に向かっている」とした。そして「今もこれからも、どうしても草津という場所にとどまらなければならない明確な理由、利点は存在しない」とも。つまり、「草津市は未来都市ではない」「いい場所があれば出ていくのは当然」と言い放ったに等しい。
それより何より、2025年1月17・18日に行われた大学入試共通テストの受験者は49万人だった。ここ20年で10万人以上減っているのだ(当時はセンター試験)。少子化はさらに進み、大学にとって時代に合致しない学部の整理やキャンパスの集約は必須である。また、コロナを境に、今後キャンパスという存在にどれほどの意味があるのかの議論もある。極端な話、「学生が大学に毎日通う」という行動さえ時代遅れになる未来だって予測可能なのだ。せっかくキャンパスがあっても、バイトなどに明け暮れ、キャンパスに行くことは稀な学生は昔から少なくない。それでも卒業できてしまうのが今の日本の大多数の大学の実情でもある。それなのに、なぜ大阪いばらきキャンパスに拡大したのか。時代の先を読む経営能力そのものが問われる。
そもそも立命館大学はむやみに拡大する必要があったのか
ここからは、視点を「歴史」に変える。戦前の「京大事件」で京大から左翼系の教授をたくさん受け入れて以来、立命館大学は共産党との結びつきを強め、さらに中国共産党のプロパガンダやスパイとも言われている孔子学院を設立したことなどから、共産党・民青同盟の一大拠点となった。そして、そのことで民間就職が良くなかったという歴史がある。
看板だった経済学部を京都市内から「びわこくさつキャンパス」に移転させたまま動かさないのは、「マルクス経済学の巣窟」であった経済学部を田舎に置いておくことで、都会の資本家に染みついた「共産主義の大学」というイメージを消していきたいという思いがあるのだろう。
しかし、「立命館=共産主義」という偏見を持つ受験生の祖父母世代の思い込みに加え、立命館大学(京都市)の現役学生や卒業生8人が昭和から平成にかけて次々と謎の失踪を遂げたことに関して、立命館大学が共産党とのつながりのみならず北朝鮮工作員と内部的な関係があるため彼らが拉致しやすかったという都市伝説も流布。受験生の親御さん世代にも影響を及ぼし、立命館への進学を勧めなかったり一部受験生自身も敬遠したりするため、昔から「本命率」が低い状態が続き、合格者を多く出さないと定員が埋まらなかった。
ちなみに最近の関関同立の現役本命率(受験生の志望度の高さ)は、関西学院大学 40,6%、同志社大学34,4%、関西大学20,7%、立命館大学16,5%の順で、依然、関西学院大学の半分にすら届かず、40年にもおよぶ「大学拡大主義」の成果は全く現れていない。(大学合格者ランキング2021・現役「進学率」編/朝日新聞EduAより)
いち学校法人の拡大が社会にもたらす負の遺産
しかし、私に言わせれば。共産党であれ民青であれ、この国にはそれに対して一定数支持層がいるわけである。共産党色が強かったのは事実であり、共産党の党勢拡大が目的での拡大主義ならわからなくもない。しかし立命館大学は、共産党色を懸命に消そうとし、建学の精神すらも棚上げしながら、全体のパイが大きく縮小する大学受験マーケットを相手に必死になって学生の奪い合いに参戦した。いや、参戦どころか、日本で少子化に逆行し、これほど受験者数獲得と大学の量的拡大に血道を上げてきたのは立命館大学をおいて他に見当たらない。
ご存知の方も多いと思うが、「びわこくさつキャンパス」の開発を含め、立命館大学の量的拡大主義は、川本八郎氏の長年にわたる独裁体制のもとに強力に進められてきた。川本氏個人が己の剛腕に有頂天になり、見境のない拡大主義をやめなかったことによってたまりに溜まったツケはあまりにも大きい。
これから立命館大学は、さらに巨大化した遺産がキャンパスの空洞化などで間も無く「負の遺産」に変わり、その処理を負わされていくことになるが、莫大な補助を続けている国の損失こそより大きいのだということを私は川本氏に強く言っておきたい。
2つの施設がコラボしている道の駅「草津」
名神高速道路の栗東ICから国道8号線→県道145号線→一般道を通って北西に9km、 滋賀県南部の草津市に「道の駅 草津」はある。

本駅は琵琶湖南東部の湖岸を走る県道559号線にも接続。 この県道559号線経由だと、雄大な琵琶湖の景色を見ながらのアクセスとなる。

この道の駅には「グリーンプラザからすま」と「ロックベイ・ガーデン」という2つの施設があって、昔は共に物産品販売・農作物販売・食事の提供を行って、サービスが被っていた。 それが「非効率」であることは子どもでもわかるのに草津市がそのまま突っ走ったのは、立命館大学の「裏切り的行為」の可能性、さらに言えば少子化による大学衰退を見通せなかったことともダブる。あまりに非効率的だとわかって、ロックベイ・ガーデンを大幅にリニューアルしたのは2020年。ここがアクティビティー施設を中心とした施設に生まれ変わって、ようやく 2つの施設の意味のない競争関係が共存関係に変わった。
ただ車のナンバーを見たらわかるが、駐車場の車は、道の駅本来の目的に反して、ほぼ地元の人の車が大半だ。


トイレは駐車場からわかりやすく、古いがしっかり清掃していただいている。


休憩環境は、スペースは十分だが、ベンチや椅子が同じようなものが多く、よっこいしょと座るだけ。テーブル付きの休憩スペースなどがもっとあっていいと思った。



「グリーンプラザ」は高齢者ターゲット
「グリーンプラザからすま」の施設前では「健康長寿」をテーマにした野外販売が行われていて、「高齢者のみ」で賑わっていた。



施設の中は、農作物直売所を兼ねた物産館と、レストランだ。 一見して、客の平均年齢は相当高い。

物産館の商品を見ていて笑ったのは、「びわ湖を食べるグミ」と「びわ湖の水止めたろかグミ」が並んでいたこと。「びわ湖を食べるグミ」は青い色とサイダーの清涼感が琵琶湖を彷彿とさせ、「滋賀作」と言って滋賀をバカにする京都人に「こんな素晴らしいもの京都におまへんやろ」と反撃しているかのよう。「びわ湖の水止めたろか」は、同じく滋賀をバカにする大阪人に対して滋賀県民が使う鉄板のセリフで、これは間違いなく大阪からの客を意識した商品だ。
他にも、「びわコーラ」とか、「比叡湯葉」を使った「湯葉のお吸い物」「湯葉カレー」等々、ストレートに地域色を打ち出した商品が結構たくさんある。


農作物直売コーナーは野菜、お米、近江牛の順にインパクトがある。









「グリーンプラザからすま」のレストラン。

「近江米おにぎりセット」「唐揚げ定食」「きつねうどん」、テイクアウト可能な「近江牛コロッケバーガー」など、どれもリーズナブルな価格設定だ。

若者、子育て世代ターゲットの「ロックベイ」は大丈夫か

「ロックベイ・ガーデン」だが2020年にリニューアルを行い、いちご農園、レストラン、アクティビティショップ、釣具店、BBQビアガーデン、喫茶店の6店舗が入る施設となった。こちらは、ファミリー層や若者たちを相当取り込めなければやっていけないだろう。

いちご農園ではいちご収穫体験ができ、ナイター営業もある。 アクティビティショップではキャンプ、BBQ、サイクリングの用具を販売。 釣具店は初級者から上級者まで幅広い品揃えだ。 BBQビアガーデンは18時から23時まで営業で飲み放題のサービスがあるが、運転者には関係ない。
レストラン「びわ湖ベジレストランMITASU」は、グリーンプラザの低価格路線とは異なり、A5ランクの近江牛を使った「近江牛ステーキ定食」「びわ湖和風ハンバーグ定食」「ジューシー唐揚げ定食」など、ちょっと高級路線を行っている。喫茶店「カフェロブ」は人気のパンケーキ専門店だ。
冬とはいえ、客を見かけない。老婆(爺)心ながら、先行きが心配だ。