人間はなんで働くの?-3 メシを食うために働くんや 

私の元にある2,000のサンプルの中で、「貧困」「困窮」の中にあって、メシを食うのが大変という状況にあった経験がある人はおよそ600人もいます。
程度の差はあるでしょうし、過去の体験を含めた数字ではありますすが、なんとサンプル全体の3割を占めています。私も学生時代は貧困の中にありました。本当のピンチの時に助けてくださったのが、写真の井上さんでした。

世界比較に使われる「相対的貧困率は、日本の場合およそ16%程度です。しかし、これは先進国の中では最悪の状態で、国民の貧富の格差はさらに拡大傾向にあります。

深刻なのは、ひとり親世帯の2分の1が「貧困」状態にあって、さらに増加傾向にあることです。

奨学金を返せないで困っている若者層や困窮のあげくの犯罪なども増えています。

若者たちが健全な「Rice Work(ライスワーク)」にありつけなかったり、得たとしても十分に食えない(お金に困る)状況に置かれていて、その状況が日々悪化していることは、本当に由々しき事態です。

目的②飯を食うために働く。生きるために、「メシ」を食って行くために働く→ Rice Work

私の分析サンプルに占める「貧困者数」の割合は3割ということで、統計の数字16%の2倍近い出現率だが、「経験した」という過去の状態も含んでいるので「現状」そうである人は半数程度、つまり国の調査との大きなズレはない。しかしサンプルの中の「経験した」が今は「貧困ではない」という人たちがみんな貧困を脱したのかというと、そうではないことが実は悲しい。

脱した人は半数程度いるが、残り半数のその後は、あまりの借金に論外②に突入したり、もしくは自己破産したり。あるいは自死したり失踪したり(行方不明)した。ただ、貧困を感じるレベルは人さまざまで、事業の失敗やギャンブルなどで大きな借金を抱える人は日々の生活は相当に贅沢だったし、金遣いがとにかく荒かった。借金が許されるのは、大手消費者金融からまでだろう。いわゆる「街金」、なかでも「トイチ」レベルの「闇金」に手を出して貧困から脱出できた人は、サンプル中およそ600人の「貧困経験者」の中に1人もいない。むしろそこに至る前に自己破産してやり直した人は、3人が貧困を脱出している。

もし会社が②だけの目的で仕事をする人ばかりだったら

②のRIce Workは、働く立場からすればごく当たり前にある目的で、非常に一般的でもある。

しかし、立場を変えて経営者の立場から考えるとき、こういう人たちばかりを抱えた会社が伸びるか衰退していくかは、火を見るよりも明らか。社長がスーパーマンでない限り、衰退あるのみである。なぜなら、従業員の皆が「給与をもらうことがゴール」なのである。会社に与えられた仕事以外の、負荷価値や生産性向上につながる何らかのオプション行動を起こす理由、動機、意味がどこにあるのかという話だ。メシを食えない環境にある人の「ハングリーさ」は当初魅力に感じても、メシが食えるようになった時、それで満足する人はそこからなかなか伸びてくれない。

衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、メシを食うために働くというのは、「選択」するものではなく、人が人らしく生きていくための「必要条件」なのだ。メシが食えたら「次どうする?」というところに、はじめてその人の「幸せ観」に根ざす働く目的の「選択」があり、それによって生き方の積極的、能動的な「分岐」が起こるのである。

メシを食うために皿洗いすることを教えてくれた人

自己開示をしておきたい。学生時代に腹が減ってお金もない時、射殺された大東さんが創業され、まだ京都の四条大宮に1号店だけがあった頃の「餃子の王将」に行くと、五人前食べたらタダにしてくださり、本当に助かった。ちょうど大東さんが、店に来てもらうきっかけづくりに、餃子の無料券を配り始めた頃だった。

そして、お金がなくても食べてから「皿洗い」をすればタダで腹一杯食わせてくれたのは、その王将の「出町柳店」だった。

暖簾分け店舗としての特例で独自の経営が許され、一国一城の主人として出発した井上さんは、例えは古いが「タイガーマスク」のような存在となった。たとえば王将の他の全てのチェーン店が、ホウレンソウの価格高騰でメニューから「ポパイ定食」を消しても、井上さんの店には最後までこのメニューがあった。

もちろん、貧乏学生の栄養を考えてのことだ。ご飯大盛り、超大盛りも、満腹になるまで食わせてくれた。しかも、食後に皿洗いという「労働」と引き換えに、金は一円もとらなかった。

井上さんは、私に「メシを食うために働く」ということをリアルに教えてくれた人だった。

この体験を忘れないためにも、私は、井上さんに教えていただいた「メシを食うために働く」という目的意識を「Rice Work(ライスワーク)」と名付けた。

井上さんは、年齢、体力的な理由ですでに引退されたが、40年近くにわたってこの学生支援を貫かれた。当時私は、勝手に大阪の大学をやめてしまって京都の芸大にアパートを借りて行っていたものだから、金に困るときがしばしばあった。

もちろん、アルバイトは可能な限りやっていた。美術研究所の講師とガソリンスタンド店員は長期固定でやっていて、金に困ると土方、佐官見習い、内装工事、夜間警備員、皿洗いなどをやった。

井上さんがこの学生支援を始められた頃、私はまだ大学生で京都にいて、金がすっからかんで困った時に3度ほど、井上さんにお世話になった。

井上さんは、私にとって、恩人を超えて、神である。

(つづく)

この記事は、連載第3回です。続けてお読みいただければ嬉しいです。