
ふくちゃんという愛称で誰からも愛された福田あつみさんが逝った。
68歳の誕生日を迎えた、その翌日に天に召されたので、享年68。月並みな言い方だが、若すぎる。残念で仕方がない。
ふくちゃんと私は、高校時代のクラスメートで、その高校は、兵庫県立明石高等学校。2年前に創立100周年を迎えた伝統校。私たちの学年はその歴史のちょうど中間にあって、卒業して今年で50年経った。
全国的には古い話で恐縮だが、おそらく高校野球全国大会、甲子園での延長25回の死闘、野球の古豪としておそらくはもっとも知られる。

そんな高校で、ふくちゃんと私は、全部で10クラスある中で普通科文系7クラスのうちの一つ、3年6組で、1976年度の1年間仲良く楽しく高校生活を送り、一緒に卒業した。
ふくちゃんとの思い出を探して
卒業して50年も経てば、昔のままの「景色」はほとんどない。
でも、敷地はずっと同じところで少しずつ変化してきているので、見覚えのある場所はちゃんとある。ふくちゃんと過ごしたそんな場所を、彼女のことを思い出したくて、今日9月20日、訪ねてみた。
まずは、母校へ。




ふくちゃんがボールを追いかけた、テニスコート、ふくちゃんが連発するギャグに大笑いした中庭や図書館や体育館前のスペースは、昔の面影を残しつつ、でも、やはり相当に変わっている。3年6組があった3階の窓からは明石海峡が望めたが、校舎の中に入ることは遠慮した。
しかし本当にすばらしい環境に、私たちは恵まれていたんだなと。
そして、仲良く楽しくいられた3年6組の真ん中には、みんなを明るくする太陽のように、ふくちゃんがいつもいてくれた。
いいクラスだったな。
つくづく、改めて、思う。
紅洋軒店員のモノマネ
ふくちゃんは、みんなをいつも笑わせた。
鉄板ギャグの一つは、紅洋軒。
母校を出て、その紅洋軒に向かう。
ここは50年前からほとんど変わっていなくて、だから私は、3年前に明石に戻ってきてからは月に一度は通っている、そんな店だ。
ふくちゃんとも何度もこの店の名物「焼きそば」を一緒に食べたが、彼女は、その当時いた店員さんの声真似と形態模写でみんなの笑いをとっていた。
その店員さは、ちょっと舌足らずで、「いらっしゃいませ」が「いざっさいませ」に聞こえる、その声を絶妙に真似るのだ。
そしてその店員さんにはもう一つ、「焼きそば」の皿に親指を深く突っ込んで持ってくるので、親指に焼きそばのソースがついてしまう、その親指をしゃぶるクセがあった。

ふくちゃんはきっと「指を焼きそばに突っ込んでほしくないなあ」と。そしてその後「しゃぶってほしくないなあ」と思うが故に、店員さんが運んでくる指と、ソースがその指につくかどうか、そして、ソースがついた指をしゃぶる一連の動作をじっと見つめていた。
そして、店を出ると決まってそのモノマネをした。
「今日もやってくれたわ〜」と。
そのモノマネは、もちろんそっくりであったが、モノマネをするときの彼女の目はちょっとだけイタズラっぽくもあり、そのチャーミングな目と、まさに涼やかなあの声は忘れがたく、紅洋軒に行くたびに懐かしく思い出すのだ。
大人になって日野姓になったふくちゃんと
同窓会で会えた機会だけでなく、
彼女に会う機会は、ここ20年でも積極的につくった。
だって、すごく好きな人だったから。
ゆりちゃんの家でのバーベキューは楽しかったなあ。
仕事で出張した際の、「福岡恥部」での集まり、何度やったかなあ。すごく懐かしいなあ。

実は昨年末から今年にかけて、九州各地を1周、私は1か月間かけて車でくまなく旅した。
ふくちゃんが暮らす宗像にももちろん行って、宗像大社で手を合わせたが。

まさにそのとき、1月上旬には彼女は本当に苦しく痛かっただろう、緩和ケアの病棟で最後のときに向かっていたのだ。
クラスメートの誰もの心が痛い、1月9日午前9時25分。
明石高校28回生3年6組のLINEグループに「10時半」たった三文字の書き込みを残した彼女。
その、彼女の言葉にならなかった気持ちを思うと、胸が締め付けられる。
クラスメートの黒っキャンが逝ってから11年、
ふくちゃんのことが大好きだった、てか、彼女に惚れていたへーたが逝って3年。
たっちゃまはもう見つけたかい?
今頃、仲の良かった4人でどんな話をしてるだろうか?
ふくちゃん、しばし、サヨナラだ。
紅洋軒の、指しゃぶりの店員さんはとっくの昔にいないけど、あの頃若々しかった店主は80歳をとうに超え、当時からの相棒を怒鳴り散らしながら今も焼きそばを焼いてるよ。
みやげ話をたくさん持ってそっちにいくから、
ちゃんと見つけてくれよ。
ふくちゃんのギャグで大笑いしたいから。