
車中泊で全国各地を旅していると、あたり前だが、各地で人との出会いがあり、縁をいただき、お付き合いが始まって、私としては再訪する大きな動機となる。
昨年も訪れた熊本県の各地でも、能登の各地でも、そういうご縁があるわけだが、今回の熊本地震から1週間、今日などはなんと40度越えで日本で最も暑くなってしまった。私一人の身なら、飛んでいってなんでも手伝うのだが、老老介護の身、このところ両親からあまり離れられないので焦ったい。
それにしても現地はあまりに危険な状況だ。今日も朝から車中泊を余儀なくされ熱中症で亡くなるなどの災害関連死が相次いで報告されるニュースは見ているだけで辛いが、自分では何もできずテレビの前で立ち尽くすしかない。
能登でも大地震の後、記録的豪雨が追い打ちをかけ、より多くの方が命を落とした。今回の熊本の1週間後の40度越えも、泣きっ面にハチなどの形容とは程遠いあまりの理不尽というしかない。
大好きな馬刺し御用達の「肉のみやべ」に電話して


熊本を旅する際には必ず寄って馬刺しを買い込む店がある。昭和元年創業、100年の歴史を誇る熊本県上益城郡山都町にある「肉のみやべ」さんだ。被害の大きい場所から山間部に入るが距離的にはそんなに離れていないので、ご主人はじめスタッフのみなさんのことをずっと心配していた。
震災直後のバタバタの最中に遠く離れたよそ者からの電話は迷惑かと遠慮していたが、1週間経って大丈夫なら電話にも出ていただけるだろうと思い、電話をかけた。
「おかげさまで、水の具合は悪いものの、みんな大丈夫です。ご心配いただき、ありがとうございます!」
元気な声を聞いて、安心したら馬刺しの口になってしまったので、馬刺しと馬ひも、ホルモン、究極のタレを注文してしまった。

肉はもちろん、ここの「自家製究極のタレ」は絶品なのだ。

「両親の介護の関係で今ただちにはちょっとそちらに伺えませんが、そのうちボランティア募集も始まるでしょうから、今年中には必ず被災地のお手伝いに出向き、そちらにもお伺いします!」
と言って電話を切った。
こうして無事が確認できる人もいれば、旅先でお世話になった氷川町の居酒屋さんとはまだ連絡がつかない。
これまた大好きな「熊本城」も、三歩進んで二歩下がって
私は歴史好きで、城巡りは旅のメインディッシュの一つだが、熊本城はその中でも大好きな城である。
2026年7月28日に発生した熊本県を震源とする地震で、熊本市が7月30日までに把握した熊本城の被害箇所の「拡大」は次のようなものだ。

2026年7月29日に空撮した熊本市中央区の熊本城の中心部。写真左下が「飯田丸」というエリア(写真:国際航業・パスコ)
熊本市は城内南側の「飯田丸」と呼ぶエリアに位置する飯田丸五階櫓を、16年の地震での被災を経ていったん解体・撤去しており、今回の地震発生時点では、櫓が立っていた石垣の積み直しを終え、下写真のように、再建のための素屋根を整備している段階だった。


2016年4月16日に空撮した被災直後の飯田丸五階櫓(やぐら)(写真:国際航業・パスコ)
16年の地震では、同櫓の石垣で石材の多数が崩落して大きな空隙が生じ、南東の隅角部では1列の隅石だけが残存して櫓を支える極めて不安定な状態になったが、この状態は「奇跡の1本石垣」などと呼ばれ広く注目を集めていた。

2026年7月28日の地震で崩落した加藤神社付近の熊本城の石垣。同神社は初代城主の加藤清正を祭神とする(写真:加藤神社)
熊本出身の歌手、水前寺清子の代表曲に「三百六十五歩のマーチ」があるが、その歌詞には「三歩進んで二歩下がる」というくだりがある。

10年前から復興が三歩進んでいたとしたら、今回の追い打ちで、二歩下がるってか。
東北でも、能登でも、こんなひどい追い打ちがなぜ起こるのだろう。
面白半分で「フェイク情報」を流すアホ、被災住宅をねらって泥棒に入る人でなしもいて。人間なんてそういうものだとすれば、あまりに情けない気持ちにもなってしまう。
まあ、長い人生を振り返れば、私自身も、31年前は阪神淡路大震災で実家が全壊した被災者で、創業したばかりの会社もめちゃくちゃになって挫けそうになったが、時がなんとか傷を少しずつ癒してはくれた…。
一昨年も昨年も、能登と熊本には出かけ、ただの自己満足と言われようが、自分にできるほんのささやかなことをした。何もしないよりマシだろう。今は、私自身の事情(両親の介護)で、すぐには動けない。動けたとて、まだ現地では足手纏いになるだけなので、今できることは募金ぐらいか。
でも、せめて募金はできる。