人相学にのめり込んで

実に酷い顔である。

私の人生で出会った人間の中で、つまり私が実在人物として知る限り、もっとも不誠実で、もっとも狡猾で、もっとも非人道的な行為を繰り返した人間の顔が、これである。当時まだ30歳代半ばの彼を、記憶に頼って描いたものだが、四十を過ぎないとなかなか顔に人格は出てこない中で、早くも最悪の人格が顔に出まくっている、非常に珍しい事例となった。

人の笑顔を描くのが仕事、笑顔絵師である私は、このような悪人の顔を描くことはしない。

これは唯一、過去を思い出すたび嘔吐を繰り返しながらもなんとか描いてみた、最初で最後の悪人の肖像であるが、写真よりも本人の本質そのものを描き切っている。彼を少しでも知る人は、瞬時に彼とわかるはずだ。

あ、安心していただきたい。

たとえば「face book」で繋がっていただいている「友達」の中に、そういう人は存在しない。悪人は全て、FB友達からは早々に削除し続けており、すなわち現在友達として名を連ねている1千数百名の方々の中に、そういう悪人には該当する方はゼロなはずである。

悪人が混じってくることも多々あったが、悪人判定した場合、即、露骨に攻撃するとだいたい向こうから縁を切ってくる、そのことを例外なく繰り返してきた。つまりは相当数の悪人とは縁を切ってきたということでもあるのだが(笑)。

人相学とは何か?

人相学(にんそうがく)は、観相術、フィジオグノミーとも呼ばれ、顔の形状・部位の特徴から性格傾向や運勢を読む伝統技法の総称である。

中国では宋代の『神相全編』を集大成とし、日本では江戸後期1812年に水野南北という人が書いた『南北相法』が、最高権威書として現代まで参照されている。

西洋では古代ギリシャから人相についての議論があり、18 世紀にラーバター(J.K. Lavater)によって著された『観相学断片』が近代観相学の起点とされている。

私が人相学にのめり込んだのは、リクルートで毎日たくさんのいろいろな人に会いまくっていた時代に、いい人にも悪い人にも、顔に共通項があることに気づいたことがきっかけだった。

以来、もう40年近くにわたり、人相学の歴史・主要流派・観るポイントの基本構造・現代における科学的位置づけなどは古典に学びつつも、私独自に、「善人と悪人」「誠実と不誠実」「利他の心と狡猾」等々、その人の特性と人相とをいちいち照合し、膨大なエビデンスによって、全く独自の「人相学」として取り組んできた。

今では40歳以上の人であれば、会って顔を見れば、大体のことは大きく外さずわかる、みたいな境地まで辿りつきつつあるもので、これは人生の最後「笑顔絵師」として人の笑顔を描いて差し上げる際に、とても役に立ってもいるものである。

人相学の歴史 ── 中国・日本・西洋の三系統が存在

人相学は、古代から複数の文化圏で独立的に発展してきた。

最も体系化された伝統は中国系のそれであり、唐代の麻衣道者『麻衣相法』、宋代の陳希夷(陳摶)が編纂したとされる『神相全編』が代表的古典とされている。これら中国観相術は陰陽五行説と結びついて、顔を「金・木・水・火・土」の五行に分類する五形人論などへと発展した。

日本では、江戸後期の水野南北(1760-1834)が中国観相術を独自に体系化。『南北相法』全 5 巻(1812)を著した。水野南北は実地観察を重視し「飲食を慎めば運勢が変わる」とする食事節制論(『修身録』1822)を併せて提唱したことで、観相術の実践哲学化に貢献したとも評価されている。日本においてはこの南北流の系譜が、現代まで複数の流派に分岐して存在している。

西洋では古代ギリシャのアリストテレスの著作とされる『観相学』(Physiognomonica)が起点とされる。18 世紀末になると、スイスの神学者ヨハン・カスパー・ラーバター(J.K. Lavater)『観相学断片』(1775-1778)が近代観相学を体系化した。ラーバターの観相学は当時ヨーロッパで大流行したものの、19 世紀以降は科学界から大バッシングを受け、20 世紀には骨相学(phrenology)とともに「疑似科学」に分類されるに至っている。

東洋人相学の基本構造 ── 三停・五官・十二宮

東洋人相学では、顔を 3 つの領域に分ける「三停(さんてい)」が基本構造となっている。

額から眉までを「上停(先祖・少年期の運)」、眉から鼻先までを「中停(自分・中年期の運)」、鼻下から顎までを「下停(子孫・晩年期の運)」と分けてそれぞれの特徴をもってあれこれ論ずるが、南北相法では基本的には三停のバランスが取れているとされる相が好ましいと説明されているが、私の研究ではそういうことは言えない。

「五官(ごかん)」とは、顔の主要部位 5 つを指す言である。葉流派により定義が異なるが、一般的には「眉・目・耳・鼻・口」または「目・鼻・口・耳・額」を五官とし、それぞれの形状から運勢を読もうとするものだ。ちなみに私は、人相と運勢と結びつけることにはまるで興味はない。人相は歳を重ねるごとに人間性が如実に現れるものであるという立場である。

ちなみに「バーナム効果」(フォアラー効果)として知られる心理現象により、誰にでも当てはまる一般的記述を「自分専用の的中」と感じる認知バイアスがあることも知られており、占いが「当たる」と感じる心理的メカニズムの多くは、この効果で説明可能とされている。(だから私は占いなどはまるで信じない)

その立場からは、「十二宮」の見方がとても興味深い。これは顔を 12 の領域に区分して人相を観る技法で、命宮(眉間)・財帛宮(鼻)・兄弟宮(眉)・夫妻宮(目尻)・子女宮(目の下)・疾厄宮(鼻筋)・遷移宮(額角)・奴僕宮(顎左右)・官禄宮(額中央)・田宅宮(眉と目の間)・福徳宮(眉上)・父母宮(額上)に分けて、私の場合はそれぞれの形状から関連する人生の歩み、何に悩んできたかなどを推察する。

各部位の伝統的解釈(要点)

額(ひたい)は、上停の中心である。広く高い額は「思考力・先祖の徳」を象徴するとされ、平坦で広い額は穏やかな運勢の象徴とされる。形状そのものに優劣というものはない。一般的には、その人の個性の表現として、中立に観るというのが現代的な捉え方となっている。

眉(まゆ)は、兄弟・対人関係を司るとされてきた。濃く整った眉は「決断力」、薄い眉は「柔軟性」と解釈されることが多いとされるが、流派により正反対の解釈もあり、眉で何かを判断するのは文字通り「眉唾物」と言わざるを得ない。ただ、眉周りの年輪には、ストレス蓄積の多少が如実に現れる。

目(め)は、人相学で最も重要視される部位の一つであるが、これには私も完全同意。「目は心の窓」とされ、生気・意志・知性を読むとされてきた。形状そのものより「光(生気)の有無」が重要とされる流派が多いが、私自身も、実際にその人に合わなければ確信が持てないのは、その人の目が実に多くのことを語ってくれるからである。

鼻(はな)は中停の中心である。財帛宮ともされ、財運・自我の強さを象徴するとされます。鼻筋の通り方、鼻翼(小鼻)の張り、鼻の高さなどから読む人が多いが、私には特に男性の場合、鼻の大小で局部の大小を当てる程度の、ふざけた見方にとどまる。

口(くち)は下停の中心で、表現力・愛情・晩年運を象徴するとされるが、私は口周りからさまざまな情報を得ている。口角の上がり下がり、唇の厚薄、形状は基本中の基本で、その動き方、口周りの皮膚の様子などをより重視している。

耳(みみ)は先天的な運・寿命・財運を象徴するとされ、東洋人相学では特に重視される。耳の大きさ、耳たぶの厚さ、付き方などから金運などを語る人が多い。私は耳が小さく、幼い頃から母に「金が貯まらない」と言い続けられてきた。確かに金は貯まっていないが、かといって金にさほど苦労してきた人生でもない。また、私の研究では、耳とその人の人間的特性とは無関係である。

現代における科学的位置づけ

人相学の科学的妥当性については、現代の心理学・認知科学では概ね否定的な評価が主流である。Wikipedia 日本語版「人相学」項目でも「現代科学の見地からは疑似科学の代表例」と明記されていて、この評価は、人相学を語るときに最も重要なことであろう。

ただし、興味深い研究もある。「顔から第一印象が形成される」という心理学研究(Todorov ら, 2008, Science)は、人間が顔から無意識に性格を推測する傾向を実証しており、人相学的観察が「第一印象という心理現象」の延長線上にあることを示唆している。これは「人相と性格に因果関係がある」ことを意味しないものの、「人間は顔から何かを読み取ろうとする生き物である」という点では、人相学の文化的起源を理解する助けとなるものであろう。

私の研究も、上記の心理学研究の延長線上にある。「人間は顔から何かを読み取ろうとする生き物である」というのはおそらく間違いないところである。実際、40歳を過ぎた頃から顔からの情報は飛躍的に増大する。私は今、40歳以上の人なら、お会いして顔を丁寧に見ていけば、その方の人生の歩みや人格について、実に多くの情報が顔から得られるものであるとの確信を得ている。