Old boys,Be unbalanced。初訪問から50年、「さっぽろ羊ヶ丘展望台」クラーク博士像の前で余生の生き方を改めて誓う。

50年前、ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)の言葉で大学受験に失敗した私を一時的、モルヒネ的に奮い立たせてくれた北海道開拓の父「ウィリアム・スミス・クラーク博士」。

右手を挙げるて「遙か彼方にある永遠の真理」を指すその像は、そこに向かい「大志を抱け」と語りかけてくる。
初めてこの像の前に立った時から50年の歳月が流れた。

すっかり老人の仲間入りをした私だが、「遙か彼方にある永遠の真理」には到底手が届きそうもない。
「クラーク博士、時間がないよ」と訴えたら、「Old boys,Be unbalanced!」(老人よ、アンバランスであれ)と彼は言った(ように聞こえた)。

余生に持つ大志は、世の中に調和しないアンバランスなものかも知れない。いや、生きる時間が限られてくるほど、全方位にバランスをとっている時間など、もはやないのだ。やりたいことがあるなら、そこへの極端なシフトが必要なのだ。

そう、老人こそアンバランス上等。思うがままに。

命尽きるまで、「遙か彼方にある永遠の真理」に向かって暴走することを彼の像の前に誓った。

67にして(笑)。

クラーク博士

クラーク博士は、明治9年7月、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれた。
1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えたが、来道してわずか8カ月余の札幌滞在だった。
しかし翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだという。
その言葉はまさに北海道開拓精神そのものであり、ほんの短い間だが彼の教えを受けた学生たちが後世に伝えていくことになる。
クラーク博士の言葉は確かに名言だが、それを心に深く刻んだ1期生たちの感受性こそすごいと思う。

『丘の上のクラーク』

もともとクラーク博士像は、北海道大学(以下北大)構内にある胸像のみだったが、有名なポプラ並木の景観とこの胸像を目的として北大を訪れる観光客が年々増加し、いわゆる観光公害現象が生じたため、昭和48年に北大当局は、学術研究のさまたげになるとして観光バスの構内乗り入れを制限するに至る。
クラーク博士の像はその時点で既に札幌観光のシンボルとなっており、観光客が像を見学できない事態を憂慮した札幌観光協会は、羊ヶ丘展望台に新しいクラーク博士像を建立する計画を立て、北大の了解を得る。

そして昭和51年4月16日、北大開基100年およびアメリカ合衆国の建国200年祭を記念し、ウィリアム・スミス・クラーク博士像『丘の上のクラーク』の除幕式が執り行われた。

クラーク博士の来道100年、そして100年前に島松で別れの言葉「ボーイズ・ビー・アンビシャス」が叫ばれた日を選んでの除幕式だった。

大学受験に失敗した私は、恥ずかしながらモラトリアム状態のまま半世紀前にここを訪れていた。

さっぽろ羊ヶ丘展望台

「さっぽろ羊ヶ丘展望台」は、シンボルでもあるクラーク博士像だけでなく、かわいい羊たちが迎えてくれる札幌の人気観光スポットだ。

クラーク博士像越しに見える大和ハウス プレミストドームは、札幌らしい景色のひとつだ。

北海道らしい?建物群