1972年の「ケンメリ」、そして1973年の「愛国から幸福行き」。ミーハー上等、テレビCM黄金期の扉を開けた2つの「象徴」をハシゴ懐古した。

美瑛は、人口1万人に満たない小さな町であるが、北海道らしい雄大な景色が広がる「丘のまち」として、国内外から多くの観光客を集めている。美瑛は昔からテレビCMの撮影地としても多く使われてきた歴史があり、そのことも観光スポットとしての人気に寄与してきた。

そのひとつが「ケンとメリーの木」と呼ばれる、大きなポプラの木だ。

1972年にモデルチェンジした日産自動車「スカイライン」のCMに、「ケン」と「メリー」という名前のカップルとともに登場したが、通算4代目となるこのスカイラインは「ケンメリ」の愛称で親しまれ、スカイライン史上、最高の販売台数をあげたことでも知られる。

その翌年、NHKの『新日本紀行』で幸福駅周辺で暮らす人々のドキュメンタリーが放送されると「幸福駅」とお隣の「愛国駅」の名が日本全国に知れ渡った。その好機を見逃さず、「幸福駅」と「愛国駅」という2つの縁起の良い駅名を全国にPRし、赤字続きの広尾線の乗客数を増やそうと企画されたのが、「愛国から幸福行き」という切符の一般発売だった。

「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで発売された「幸福きっぷ」は大ヒット。

一般発売が開始された年だけで300万枚の売り上げを記録し、一大ブームとなった。

「アラ古希世代」で、そのどちらも知らない人はおそらくいないだろう。
今や斜陽だが、当時テレビとCMは絶対的な影響力を持っていた。

あまりに懐かしい「ケンメリの木」と「幸福駅(愛国駅)」に行ってみた。

まずは美瑛の「ケンとメリーの木」へ

ケンとメリーの木は、樹齢は90年を超える一本のポプラの大きな木。1972年に放送された日産自動車「スカイライン」のCMロケ地として起用され、そのCMに登場するカップルの名前から「ケンとメリーの木」と名付けられた。

広々とした農地にそびえ立つ姿は確かに美しく、夏には菜の花、ルピナス、そばの花などの季節の花々、秋は枯草の黄金色、冬は白い雪に包まれ、その表情を変えると称えられる。

しかし、言ってしまえば「ただのでかいポプラの木」にすぎない。

あれから52年後、また?w

そんなポプラの木で縁ができた日産と美瑛町が、現地の販売会社である旭川日産自動車を交えて、2024年1月11日に包括連携協定を締結した。

美瑛の豊かな自然を守り、美しい未来に向けて電気自動車(EV)を活用していくというのがその内容で、「100年後の美しい美瑛の未来」を描きながら、さまざまなアクションを創出していく「ブルー・プロジェクト」を進めるという。 

笑ったのは、「美瑛×NISSAN ブルー・スイッチの森」の誕生を記念したシンボルツリーの植樹が行われたことだ。

シンボルツリーの周囲に植えられた苗木(筆者撮影)

現在観光客を集めているケンとメリーの木はポプラだが、寿命は木としては短く、100年前後とされている。木のそばの看板にも「老木となり寿命が近付いている」と記されていたし、それより何より「ケンとメリー」を知っている人はどんどん減っていく。

日産がブルー・スイッチの森を、ケンとメリーの木に代わる存在と位置付け、100年先を見据えた活動としているのは、そんな背景もあるだろうが、新しいシンボルツリーに果たして二匹目のドジョウはいるだろうか。

「愛国から幸福へ」

北海道・帯広市は、豊かな自然や田園風景が広がるのどかな場所だ。

そんな牧歌的な雰囲気の中にちょっと異質な〝駅〟が2つある。「幸福駅」と「愛国駅」だ。
「幸福駅」が誕生したのは、今から60年以上前の1956年。帯広駅から80㎞ほど南に位置する広尾駅までを結ぶ、旧国鉄(現在のJRの前身)広尾線の駅として設置された。SLを斜め前から見た様子

広尾線にはかつてSLが走っていた。1987年をもって廃線となった後、駅としての役割は終えたが、観光地として再出発。ディーゼルカーやプラットホーム、駅舎が残る「鉄道公園」として整備され、当時熱狂した人たちが今なお訪れている。

1956年の開業以来、一部の旅行者の間で「縁起の良い駅がある」と密かに話題になっていた幸福駅に転機が訪れたのは1973年だった。
NHKの『新日本紀行』で幸福駅周辺で暮らす人々のドキュメンタリーが放送されると、「幸福駅」と、お隣の「愛国駅」の名が日本全国に知れ渡ったのである。

その後一大ブームを巻き起こした「幸福駅」と「愛国駅」。

残念ながら広尾線の赤字経営は改善されず廃線となってしまったが、半世紀経った今でも、かつて恋人だった老人、そして韓国のおばちゃんたちで賑わっていた。

恋人たちの聖地となった幸福駅

駅名の由来は、駅周辺の地名「幸福町」にある。かつてこの地域は、アイヌ語で「乾いた川」を意味する「幸震(さつない)」と呼ばれていた。その後、福井県より多くの人々が移り住んできたため、「幸震」と「福井」から一字ずつとって「幸福」と名付けられたと伝えられている。

沈静化したブームにまた火をつけようと、2008年には「恋人の聖地」に選定。幸福駅は幸せを願うカップルを呼び寄せようと躍起だ。ちなみに「恋人の聖地」とは、「恋人の聖地プロジェクト」で全国から選ばれた、プロポーズにふさわしいロマンティックなスポットのことで、旅をしているとちょくちょく遭遇する。

旧国鉄・広尾線の面影を残す幸福駅の駅舎。廃線になる以前は、待合室として利用されていた。

2013年には、耐震補強のため「古くて新しい」をコンセプトに改築されたが、昭和のレトロな雰囲気はそのまま。駅舎の壁には、訪れた人の名刺や写真、幸せを願うメッセージがびっしり。

幸福の鐘と駅舎

駅舎とプラットホームの間に設置されている「幸福の鐘」は、鳴らすと幸せが舞い込むと言われるのが韓国の観光戦略で宣伝されているのだろう、韓国のおばちゃんたちが殺到し、何かを叫びながら鳴らし捲っていた。

プラットホームとディーゼルカー

幸福駅には、板張りのプラットホームと、かつて帯広駅から広尾駅の間を走っていたディーゼルカーが保存されている。すでに廃線となっているから、安心して「線路の上を歩く」こともできる。

え?それがどうしたって?

愛国駅

「愛国駅」は、幸福駅から車で15分ほどの場所にある(残っている)。

愛国駅の駅名が書かれた看板

ここも、「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで親しまれ、「幸福駅」とセットで観光客が訪れる。かつての愛国駅の駅舎が「交通記念館」として整備され、切符やパネル、蒸気機関車が展示されていて、愛国駅駅舎前には「幸福行き」切符を型どったモニュメント。

このモニュメントを背景に写真を撮って大はしゃぎというのがお約束だ。愛国駅の切符のモニュメント

幸福ゆきの切符

「ケンとメリー」、そして「愛国から幸福へ」と、50年以上前のCMキャンペーン文化を懐かしんだが、すっかりミーハーな私である。