
北海道を舞台にした映画やドラマは数多くあるが、そのなかでも、絶大な人気を誇った「北の国から」は、富良野市を全国的に有名にした話題作。現在でも私のような「信者」、そこまでいかなくても熱心なファンがたくさんいる、昭和の終盤に日本が暴走していく方向とその行き着く先に警鐘を鳴らした伝説的なドラマだ。
そのロケ地には、実際に撮影に使われた家が、いまも大切に保存されている。

でっかい北海道のほぼ中央、国道38号線から麓郷街道を南西に向かうと、豊かな自然に囲まれた麓郷の森がある。

ドラマ「北の国から」のロケ地はこの一帯で、いまも熱心なファンが訪れる「聖地」だ。
名優・田中邦衛が演じた黒板五郎が建てた家は「麓郷の森」、「五郎の石の家」、「拾って来た家」の3か所に点在しているが、ドラマが終了したあと一番はじめに公開されたのが「麓郷の森」だ。ここには、連続ドラマ当時に作られた「丸太小屋」と、その家が全焼したあとに住んだ「3番目の家」がある。





テレビドラマの17話で作り始め24話で完成した丸太小屋の家は、正吉と純の火の不始末から燃えてしまったが、燃えるシーンは別のセットを用いており、「実物」は残された。
麓郷の森をはじめとして富良野市内3か所のエリアにわかれたロケ地は、やがて年間約20万人の観光客が訪れる人気のスポットになった。「北の国から」のファンが訪れるのはわかるが、なんとなく見たことのある方やドラマを知らない世代にまで愛されているというのは驚きだ。
最初の家
「最初の家」とは、ドラマ「北の国から」の第一回の放送の舞台で、いしだあゆみ演じる妻と別れて東京からやって来た五郎、純、蛍の三人が住むことになった、最初の家だ。

ここを舞台にドラマは始まった。
純「僕らがこれから暮らすところは、昔、父さんが育った場所で、富良野から20キロも奥へ入った麓郷という過疎の村で・・・。」
81年10月9日(金)の夜10時からオンエアされた、連続ドラマ『北の国から』第1回、冒頭のナレーションだ(純本人の声)。
黒板五郎(田中邦衛)が、息子の純(吉岡秀隆)と娘の蛍(中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道・富良野へと戻ってきた。東京にいる妻・令子(いしだあゆみ)とは距離を置き、子どもたちと過疎の富良野で暮らすためだった。
純「お父さん、『かそ』ってどんな字書くんですか?」
五郎「・・・・・。ほらぁ~見てごらん、紅葉が綺麗だぁ~。」
純「字、知らねぇんだ!」
これから住もうとする「最初の家」は木造の小さな小屋のような建物で、電気も水道も無い隙間だらけの家だった。電気も水道もガスもないことを知って、純は愕然とする。
純「電気がないッ⁉」
トイレの板壁をはり直している五郎に、純が猛然とくい下がる。
純「電気がなかったら暮らせませんよッ」
五郎「そんなことないですよ(作業を続けながら)」
純「夜になったらどうするの!」
五郎「夜になったら眠るンです」
純「眠るったって。だって、ごはんとか勉強とか」
五郎「ランプがありますよ。いいもンですよ」
純「い――。ごはんやなんかはどうやってつくるのッ!?」
五郎「薪で炊くンです」
純「そ。――そ。――テレビはどうするのッ」
五郎「テレビは置きません」
純「アタア! けど――けど――冷蔵庫は」
五郎「そんなもンなまじ冷蔵庫よりおっぽっといたほうがよっぽど冷えますよ。こっちじゃ冷蔵庫の役目っていったら物を凍らさないために使うくらいで」
44年前に示されていた「人間らしい生き方」の座標軸
この時、五郎が言った、「夜になったら眠るンです」の言葉に驚いたのは、純だけではなかったはずだ。
実際、翌年の4月から社会人となる私も驚いた、というか、違和感を感じた。80年代初頭、すでに街は24時間、休みなく稼働していた。不夜城こそ、「豊かな日本」を象徴する風景だったからだ。
一方で、五郎が目指していたのは、一種の原点回帰ともいえる、人間らしい暮らし。何でもお金に頼るのではなく、自分の力の及ぶ範囲で「自足」しようという生活。
両者のあり方、目指すものは真逆である。
数年後からバブル経済が始まり、人々が「欲望の発露」を競い合っていた当時は、それこそ時代錯誤に見えたかもしれない。しかし、44年の歳月を経た今、五郎の「生き方」が示唆していたものが今私の心に染みる。
働くことの意味。→働き方改革
家族や社会のあり方。→少子高齢化
自然や環境の大切さ。→地球温暖化
人間と文明と未来のこと。→自立と共生
このドラマは、我々の生きるべき座標軸を44年前に鮮やかに示していたのだった。
思い詰めていく純
電気も水道も無いところで、冬は-30度にもなる場所で、純や蛍が一生懸命生活していく。
多分、いや間違いなく、普通の人には耐えられない。
ドラマの中で三人は寝袋で寝ていたが、冬は暖房なしでは凍死するだろう。
私は一応「車中泊」の達人だが、冬の車中泊は避ける。高性能の寝袋を駆使しても、呼吸するために口周りは隠せないのだ。そこがマイナス10度以下の寒気だと、間違いなく喉をやられてしまう。
ましてや「最初の家」はごく簡単な造りで、隙間だらけの小屋である。
純は、あまりに過酷な自然の中での生活に、日々思いつめていく。
純「ぼくの体質には、北海道はあわないと思われ、やはり東京があっていると思われ…。」
五郎がまだ住んでいる石の家
この「最初の家」と「五郎の石の家」は、麓郷の森エリアを出て数分のところにある。

「五郎の石の家」は、金策尽きた五郎が、材料費がかからず、タダで積み上げられる石を使って建てたものだ。積み上げられた石の数が、五郎の信念の凄まじさを物語る。







家のなかには、五郎(田中邦衛)と妻・令子(いしだあゆみ)の写真、そしてそのそばにはちゃぶ台と日本酒。

私は心の中でつぶやいた。
「田中さん、いしだあゆみさんがそっちに行きましたよ。もう会えましたか?」
ドラマ終了後に完成した「純と結の家」に込められた五郎の思い
『北の国から 2002 遺言』には、実は未公開の続編がある。
倉本聰さん書き下ろしの短編『北の国から2004 純と結の家』である。
「小さな事件は色々あった。
でもそれは、どこの家庭でも起るような事々でとりたて人に云うような話じゃない。
二○○二年冬。僕は結と結婚した。
その時、それからその後のことを、実は今あんまり思い出したくないんだ。
結婚と同時に僕らは麻町にアパートを借り、麓郷を離れて富良野の町に住んだ。
中畑のおじさんも成田のおじさんもシンジュクさんもクマさんも結婚式にさえ呼ばなかった。
そのことで僕らはまわりの人々から陰で恩知らずと云はれていたらしい。でも。
僕は僕なりに結婚ということを、新しい家庭を創るという夢を、誰の手も借りず、誰に迷惑もかけず二人っきりのこの世で初めて純粋な作業にしたかったんだ。
多分そのことこそ僕らにとっての出航の仕方だと思っていたんだと思う。
だから僕らは結婚式も僕ら二人だけで進めた。
式場は僕らの2DKのアパートで、参加してもらったのは父さんと雪子おばさんと、それに羅臼のトドだけだった。
披露宴も一切しなかった。この三人にだけ来てもらえば充分だと宇頂天の僕らは思いっ切り信じていた。
埼玉の方にいる蛍や正吉には、金がかかるから来ないで良いと云った。
その晩、僕らと別れた父さんとトドが、くまげらで飲んで何故か荒れ狂い、中畑のおじさんやシンジュクさんまで呼び出して大暴れをし、ふすまを何枚も叩きこわしたという話を後できいたときも、全くしょうがねぇ!と思っただけだ。
僕らは麻町の小さなアパートで、まゝごとのような愛の巣にたてこもりヴィデオを見たりテレビゲームをしたり、とにかく倖せの絶頂にいた。
麓郷にはたまにしか僕は行かなかった。むしろ結の方が年中通って父さんに晩めしを作ったりしていた。
二年前おばさんを癌で亡くした中畑のおじさんが新しい奥さんをもらうことになったと聞いたのは、二○○四年の春先のことだ。
そのおじさんの新婚の家を、雪子おばさんの拾ってきた家の隣に、やっぱり捨てられてあるものだけを集めて父さんが作り始めたらしいという話も、その時一緒に風の便りにきいた。
死んだおばさんの遺言の中にあった、拾ってきた町という夢みたいな話を、父さんがマジに追っかけているという話に、いゝかげんにしてよと僕らは笑った。
事実を僕が初めて知ったのは、コンビニで逢った中畑のおじさんの口からだ。
木材屋をやってるおじさんだったら、いつだって新しい材料で新築の家が建てられるのにおやじがわざわざ拾ってきたもので変てこな家を建てたりしちゃって迷惑しているんじゃないですかと笑ったら中畑のおじさんはしばらく黙り、それからいきなり小さな声で怒鳴った。 それはちがう!とおじさんは叫んだ。
五郎の建ててるのは、俺の家なんかじゃない!あれはお前ら二人の為の家だ!
育ててくれたおやじを、麓郷を、簡単に捨てて出て行ったお前らにいつかもう一度戻って来て欲しくて、あいつが黙々と建てている家だ!
あれは、お前ら二人の為の家だ!
その晩、僕らは月明かりの下で、そっとその家を見に行った。
僕らは口がきけなかった。
アパートに帰っても僕らは黙っていた。
テレビもつけずに、結も僕も泣いた。
父さん!
この二年を僕は今。…考えています。
新婚の倖せにどっぷりひたり、家庭は僕ら二人きりのものなのだといつのまにか次第に思い込んでいた自分。
しかしその間父さんは変らず、一方通行の無償の愛情を僕らに対してそそいでくれていた。
それが僕たちの嘲笑していた、あの新しい家だったんですね…。」
「拾って来た家」が私たちに問いかけるもの
富良野市の3か所に分けられたドラマのロケ地で、麓郷の町にあるのが「拾って来た家」のエリアだ。


五郎が雪子たちのために造った家は、列車の貨物コンテナやバス、スキー場のゴンドラなどの廃材を使って建てられている。
そして「純と結の家」には、バスのボディーや窓枠がさりげなく使われている。中に入るとカウンターがあって、喫茶店のような雰囲気。ちょっと不思議なところに吊り革も。
「純と結の家」には、新婚の二人が楽しく暮らせるよう、五郎の愛情と遊び心がたっぷりと散りばめられている。
「拾ってきた家」に込められたメッセージは、一つは闇雲に新しいものに飛びつき古いものを平気で捨てていくライフスタイルに対する問題提起。そして、もう一つは、無償の愛のプライスレスな価値だ。
「拾ってきた家」は、五郎なりに我が子の「幸せ」と「遊び心」を形にしたものなのだ。







道の駅「南ふらの」
「麓郷の森」へのアクセスは、最寄りの道の駅「南ふらの」からの北上ルートをとった。

麓郷に向かう道中の景色はこんな感じ。

前回富良野を訪れた時、南富良野町にも鉄道の駅が確かあったはずだが見当たらない。聞けば2024年3月にあったJR根室線の一部区間の廃線に伴って、鉄道の駅はなくなったそうだ。

そのため道の駅が担う交通の中心地としての役割がいっそう大きくなったため、旭川と帯広を結ぶ都市間バスなどが停車する南富良野町の道の駅は2024年10月から改修工事が行われて、2025年4月26日にリニューアルオープンしていた。

町内のかなやま湖や空知川ではカヌー遊びが盛んなことから、道の駅「南ふらの」の外観はカヌーの軸先をイメージしたユニークな形の建物となっている。

道の駅のリニューアルに伴ってキッズコーナーや授乳室などが新たに整備されたほか、地元の土産物の品添えの充実が図られている。
まずエントランスロビーの正面には、空知川やかなやま湖に生息するイトウ、アメマス、ウグイなどの淡水魚が悠々と泳ぐ大型水槽があり、訪れる人々の目を引く。

1階の南富良野の数々の特産品販売コーナーには、ドライフラワー、陶芸品、木工品などのほか、バタじゃが、くまささ茶、メロンゼリーなどなど、贈り物にも喜ばれる特産物が豊富に並んでいる。
2階には南富良野の山林に自生するトドマツ、エゾマツ、ミズナラなどの樹木の見本が展示されていた。