道の駅「笠岡ベイファーム」で、郷土の国への貢献と犠牲とを考える(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備△立地✖️)

笠岡の南東に位置する神島(こうのしま)は、笠岡港を台風の暴風から防ぎ、本土との幅100mほどの
神島水道(神島瀬戸)は、船舶の東への近道でした。現在は、笠岡湾の干拓によって陸続きになり、神島瀬戸には橋が架けられて、離島ではなくなっています。

古事記には神武天皇が東征の際、吉備の国の高島宮に8年間滞在したと記述があり、この高島宮が神島の東沖の高島であるとの言い伝えが残っており、神島の西海岸に神武天皇が身を清めたと言われる「御手洗池」は今も残っています。

神島から瀬戸内沖に目を転じれば笠岡諸島、塩飽(しわく)諸島がひしめき、中心にある本島は塩飽水軍の本拠地でした。塩飽水軍は、豊臣秀吉の天下統一に造船、操船で貢献し、その功により朱印状を授かり、塩飽1250石を人名と称する650人の水夫達で共同統治しました。幕末に太平洋を渡った咸臨丸の乗組員の多くは、実は塩飽の人達だったのです。

そして本島の西に位置する広島は、広い島という名の通り、塩飽二十八島中最大の島で、周囲が約19キロもあります。この広島は良質の石材産地として知られ、中でも“青木石”は有名です。島のいたるところで採石丁場を見受けることができ、石を割る槌の響きはこの島の風物詩となりました。

石を切り、海に生きた先人とともに

日本の近代化が進んだ明治後期から昭和初期にかけて日本銀行本店本館や明治生命館など日本を代表する様々な近代洋風建築が相次いで建てられたが、これらの建築物の多くに岡山県と香川県の間に位置する備讃諸島で産出された花崗岩が使われていたということをご存知だろうか。

また、江戸時代に造られた城郭の石垣は日本有数の石造建造物として広く世界に知られている。その技術的頂点とも言われているのが大坂城の石垣だが、この石垣にも備讃諸島から運ばれてきた石材が大量に使われている。このように、日本を代表する歴史的建造物は、備讃諸島の石なくして語ることはできないのである。

石の原産地・備讃諸島の景観

石の原産地は、瀬戸内の備讃諸島。本州と四国の間に広がる瀬戸内海にあって、小豆島、塩飽(しわく)諸島、笠岡諸島など大小無数の島々で構成されている。島には平地が少なく、山肌から海岸まで、至るところで巨石がむき出し。このような島の特性を活かして、江戸時代以降、良質の石が求められるだけまたあるだけ、切り出され、建造物に使われるようになった。

そして明治時代には、採石がこの地域を代表する産業となっていた。笠岡諸島の北木島から切り出された「北木石」と呼ばれる花崗岩は、東京をはじめ、全国各地の近代建築に使われ、この北木石を使った重要文化財建造物は、日本橋、東京駅丸ノ内本屋など数多い。

石工たちは「山を切る」かのように、良質の石を追い求め、下へ下へと深く切り進んで行った結果、石が切り落とされた断崖絶壁のような「丁場」、すなわち切り刻まれた夥しい人工の景観が各所に残されている。

塩飽水軍の活躍

備讃諸島の島々は、海によって本土から隔てられている。にも関わらず大いに採石産業が発展したのは、海が島々をつなぐ「道」として繋がっていたからに他ならない。この地の人々は海運によって、巨大な石を遠隔地まで運んでいたのだ。

江戸時代には、巨石の運搬に塩飽諸島地域の人々が携わったことが知られているが、その海運力と優れた操船技術は中世の塩飽水軍にさかのぼる。塩飽諸島は、中世には塩飽水軍、江戸時代には塩飽廻船の根拠地であり、幕末には幕府の軍艦、咸臨丸の乗組員を多数輩出する船乗りたちの聖地であった。

備讃瀬戸の島は、山や岩場、砂浜など変化に富み、岩が露出した景観を形成している。このような、島の中で山と海が一体となり、尚且つ小さくまとまった地形は、石切りと石の陸運、そして海運に非常に適していたのである。そうした活動を続けた結果、島々が大きく変わったことと言えば、自然に露出した岩ではなく、切り刻まれた岩の露出である。遠くから眺めれば多島美でも、島々に行ってみれば無惨な姿を目にしなければならない。

神島霊場八十八カ所がある神島と笠岡の激変

さて 神島には四国八十八箇所霊場を模したミニ巡礼路がある。神島八十八カ所は、1744(延享元)年に今田慧弦が開創したと伝えられている。最愛の一子を失い四国遍路に出た慧弦は、四国巡礼まではできない人を救える方法はないかと思案していた。そんなある日、夢枕にお大師さん(弘法大師)が現れ、四国に似た島(神島)に八十八箇所霊場を作るようにお告げがあった。慧弦は同じような思いを持っていた池田重郎兵衛と知り合い、二人して四国から各札所の土を持ち帰りながら、5年をかけて四国に似た地形の神島の地に札所を作っていったのである。

そんな神島には、備讃諸島のような石の産業はなく、明治の中頃までは「塩飽水軍」の流れを受け継ぐ人は廻船業を、多くの人々は半農・半漁の生活を、それぞれ営んでいた。そんな神島および笠岡に大きな変化が訪れたのは明治44年、神島外浦に亜鉛精錬所が建てられ操業を始めてからであった。外浦と笠岡の港には原料搬入と製品出荷の船で賑わい街はにわかに繁栄したが、亜鉛精錬→硫酸製造→化学肥料製造と変遷する中で、周囲の環境を大きく損なっていく。当時の亜鉛精錬・硫酸製造の際に排出される煙には亜硫酸ガスが多く含まれ、外浦の山は見るも無惨な禿山と化したのだった。山の植物が死に絶えるのだから、当然人体への影響も計り知れない。

干拓地の上でさらに工事が進む道の駅「笠岡ベイファーム」

そんな笠岡の地は、大規模な干拓によって「つくられた」土地だ。道の駅「笠岡ベイファーム」は、山陽自動車道の笠岡ICから県道34号線、さらに一般道を通って南に10km走ってようやく到着する。

道の駅「笠岡ベイファーム」が集客のウリにしているのは、4つの広大な花畑である。 早春は1,000万本の菜の花、晩春は1,000万本のポピー、 夏は100万本のひまわり、秋は3,000万本のコスモスだ。

冬場を除いてほぼ一年中、干拓でつくられた土地の上の花の風景を楽しむことができるのだとか。しかし、所詮もともとどういう植物が繁茂するか未知数の、人が埋め立てた土地である。主な原因は水捌けだというが、最近、めっきり花が育ちにくくなっているという。

駐車場、トイレ、休憩スペースについて

道の駅「笠岡ベイファーム」の施設は、広大な駐車場とトイレ、物産館、農作物直売所、海産物直売所、レストランである。

駐車場は十分すぎるぐらい広い。まだ大規模な拡張工事が続いているが、どこにそんな金が余っているのだろうと疑ってしまう。明らかに無駄な工事だ。

道の駅の直売所では、これは明らかに私が訪れた季節の関係だろう、柑橘類を中心とした果物の比率がとても高かった。

海産物直売所に目を移すと、笠岡沖で水揚げされた魚介類が所狭しと並んでいた。 「エビ」「カニ」「真イカ」「ハモ」「ちりめん」「焼き穴子」等々。 朝獲れの新鮮な魚介類を購入することができるということだが、おそらく地元の人が買いに来ているのだろう。

物産館はさほどの規模ではないが、商品のバリエーションは豊富だ。

レストランとカフェ

物産館の横にはバイキングスタイルのレストラン「四季彩」がある。料理のほとんどは地元、笠岡市産の野菜、牛/豚/鶏/魚肉を使ったもので、もちろん食べ放題。笠岡ラーメンが1杯付いてくるので、それを含めて食べ残しに注意。

臨時駐車場へのスロープ横に「ポピーCafe」という焼きたてパンの店があったが、閉店していた。業態変更して新しい店になるのかどうか?

こうして失敗して撤退する店がある状況の中、どんどん駐車場を広げているのは、もう狂気の沙汰にしか見えない。

というのも、笠岡ベイファーム周辺では、現在もなおさらに大規模な工事が行われているのだ。駐車場増設工事では地盤改良の工事も行われ、十分に広い駐車場をさらにさらに拡大。倉敷から笠岡バイパスがつながり交通量が増えることを見込んでの増設だというが、現在の駐車でもガラガラなのだ。もっと状況を見つつ進めるべきではないか。というのも、笠岡市の財政状況はきわめて厳しく、今後10年間でなんと100億円もの赤字が見込まれている、そんな状況だからだ。財源不足を補うために財政調整基金を取り崩すこともできないではないが、令和6年8月現在の残高は約8億4千万円。令和7年度中には底を突くことがわかっている。財政赤字の要因としては、物価や人件費の上昇を見通せなかったなどと当局は弁解しているようだが、まさにここ笠岡ベイファームなどの大型ハード事業を無秩序かつ無責任に進め続けていることが根本原因。今後も年間10億円前後の収支不足は続くことが避けられない状況だ。

土地に手を加え、環境を破壊しつつ「集客」のみを追いかける計画

干拓から始まった工事、工事、工事による笠岡の地の改変について、この財政危機におよんでまだこの地域に手を加えてさらに無茶苦茶にしようとしている計画が存在することをご存知だろうか。歴史に何ら学ぶことなく、先人の遺産を守る心もなく、ただ土地に手を加え、変形させ、環境を破壊しつつ、「集客」のみを指標として故郷を歪めていく、そして行き着く先は財政破綻。そんな計画だ。もはやアホにつける薬はない、この計画の全文、狂気の沙汰としか思えない。以下、ほぼ原文ママ、私のコメントを太字で付記して転載する。皆さんはどう考えるだろうか。

「岡山県笠岡市は、首都圏、近畿圏では認知度が23.0%しかなく,観光地としてのイメージも6.3%と非常に低くなっている。また,人口減少や高齢化の進行,新型コロナウイルス感染症の感染拡大による観光客の減少や観光動態の変化も相まって,観光客の来訪が減少し,それに比例して観光に関わる事業者の収益が悪化し,事業の継続を図る環境が非常に厳しくなっている。」→そもそも観光に適さない街は他の産業を伸ばすべきであろう。

「また,従来あった笠岡市観光連盟は任意団体であり,市内の観光に関わる事業者との連携も一部にとどまるなど,結果として動きが個別にとどまり,全市的に観光事業を推進する基盤となるべき担い手が構築されていなかった。昨年4月に新たに観光推進の担い手として発足した(一社)笠岡市観光協会は発足したばかりで,今後,組織人員体制の強化をはじめとした基盤整備を進めると同時に,観光協会は観光事業を担う事業者との連携や観光に携わる担い手育成に取り組む必要がある。」→事業者への責任なすりつけはあまりに恥ずかしい。依頼した当局に全ての責任は帰することを知れ。

「日本で3番目に大きい干拓地である笠岡湾干拓地内にあり,本市への観光客の約8割,約85万人が訪れる代表的な観光スポットである「道の駅笠岡ベイファーム」周辺には,菜の花,ポピー,ひまわり,コスモスと四季を彩る花々が咲き誇っており,「花資源」として近隣圏の人からは64.8%の認知度を誇っている。観光客はこの四季の花々を目当てにしているが,近年排水の関係から開花の状況が優れず,一部の品種では生育しない状況も見られている。」→自然がなんたるか、生態系改変の恐ろしさを全く知らず。無知無能の人間が埋めた人造の地で植生がうまくいくわけがないのは当然である。

「また,85万人が訪れている道の駅笠岡ベイファームを訪れる観光客は,道の駅以外の市内への周遊が1割以下となっており,観光客にどうやって市内周遊を促すかが大きな課題となっている。」→人を舐めてはいけない。全ての人は、それぞれ自分の中にある目的があって動くのであって、「動かそう」とか「促す」という発想自体が傲慢で不遜である。

「一方,令和元年に日本遺産認定を受けた笠岡諸島は,陸地部以上に高齢化と人口減少が進み,有人7島を結んでいる航路利用者も大きく減少することが予測される。航路を維持するためにも市外からの観光客を取り込み,日本遺産の構成文化財をはじめとした観光資源について情報発信を強化し,多くの観光客を訪れてもらう仕掛け作りが急務である。各島にある多くの宿泊施設は,海鮮料理をはじめ,魅力的な「食」を提供し,コロナ禍で厳しい状況の中でも事業継続を図っていることから,まずは船に乗って安心して島へ渡ってもらうための環境整備と笠岡諸島の積極的な情報発信が必要である。」→見世物小屋の口上よろしく「かわいそうなのはこの姿でござい、親の因果が子に報い、生まれいでたる無惨な姿」とでも広報するのだろうか。見るも無惨な石切場を見たい人がどれほどいるのか、考えたことがあるのだろうか。

「令和3年3月に策定した笠岡市観光振興ビジョンに基づき,他地域にはない本市の特徴的なスポットである「笠岡湾干拓地」「笠岡諸島」の連携を進め,それ以外の「周遊エリア」との繋がりも創出しながら,観光客が市内を周遊できる仕組みの構築を図り,市内への経済効果をもたらすことが必要である」→そんなことは全く必要ない。産業のインキュベーションの発想がまるでなく、観光のみに頼るとはあまりに発想が貧困かつ無能すぎる。

「また,同ビジョンにある「花」と「食」の素材の磨き上げを図るため,特に近年,生育が芳しくない道の駅周辺の景観作物畑の抜本的改善策を講じ,播種している「花」も新たな品種を検討することが求められている。」→自然の営み、尊厳、偉大さへの思いがなさすぎ。また生態系に対する知見もゼロ。人本意すぎる発想で、地球環境破壊にまっしぐらな発想は万死に値する。

「さらに,地域の特性を活かした「食」を見つめ直すなどして,新たな観光客を取り込むことが求められている。」→誰もそんなことは求めていないし、日本全国にそれぞれの素晴らしい食がある。食のプロでもない役人ふぜいが見つめ直したところで、どうなるものでもない。

「こうしたことから,本市の観光地としての地位確立のためには,・認知度の向上と観光地としてのイメージの確立・(一社)笠岡市観光協会の組織人員体制の強化をはじめとした基盤整備・道の駅笠岡ベイファームと連動した周遊促進と64.8%の認知度を誇る「花資源」のブラッシュアップをはじめとした施設の魅力アップ・市外からの観光客を取り込むための笠岡諸島の情報発信と航路利用促進が課題であると考えられる。」→まったくの見当違いである。

「平成23年8月,笠岡湾干拓地内に開業した「道の駅笠岡ベイファーム」は,新鮮な地域産品や近隣では珍しい魚介類の直売所を設けたことにより,多くの人の関心を引きつけ,コロナ禍前の令和元年度には85万人の観光客が訪れる笠岡市を代表する観光スポットに成長した。一方,かねてから観光客に根強い人気を博していた大小31の島々からなる笠岡諸島が,令和元年5月に文化庁から「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島~海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」の石の島のストーリーで,香川県丸亀市,土庄町,小豆島町とともに日本遺産に認定された。この認定を契機とし,85万人の観光客が訪れる道の駅笠岡ベイファームを核として,多くの観光客を本市に迎え入れることとしていたが,時を同じくして発生した新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大により,観光客数は大幅に減少した。しかしながら,令和7年度を目途に全線開通する国道2号笠岡バイパス,山陽自動車道(仮称)篠坂PAスマートICが新たに設置されることなど,広域交通幹線網が進んでいることから,本市へアクセスはより容易となり,今まで以上に広範囲からの観光誘客が可能となってくる。また,認定された日本遺産はシリアル型であり,構成市町との連携を深めることで,瀬戸内海をフィールドとして広く観光誘客に取り組み,交流人口の増加を図ることで,経済の活性化を図っていく。」→完全なる妄想だ。ここに及んで、以下に至っては、批判のしようも救いようもない。必ずや多額の税金をドブに捨てることになる。絶対にやめてほしい。もし成功させてやるとばかりこの暴挙を進めるのなら、達成期日を明示し、達成目標を明確にし、達成できなかった際の責任者氏名を明確にした上で、未達成の場合は事業費全てを弁済するなど、失敗した際の血税補填の額、返済方法や期日まで定めてからやるべきは当然でああろう(一部意味不明かつ根拠不明なKPIの数値があったが)。根本的に「費用対効果」「達成するためのPDCA」などは全く計算されておらず、事業計画などというには程遠い、あまりにも稚拙で出来の悪い子供の作文としか評し得ない。歴史に学べば必ずや失敗するこうした出鱈目な計画、これ以上の行政無能による国土改変、税金の無駄遣いは自重するべきである。

地域再生を図るために行う事業
【認知度向上と観光地としてのイメージ確立事業】
 ①観光情報発信事業
 ②観光案内・マップ等製作事業
 ③(仮称)笠岡フェア実施事業
 ④かさおか地域郷土料理レシピ作成事業
【(一社)笠岡市観光協会の組織人員体制の強化をはじめとした基盤整備促進事業】
 ①観光案内所設置事業
 ②観光案内専門員配置事業
 ③観光コーディネーター配置事業
 ④観光団体連携推進事業
【道の駅笠岡ベイファームと連動した周遊促進と「花資源」ブラッシュアップ事業】
 ①景観作物畑排水対策工事推進事業
 ②景観作物栽培管理事業
 ③道の駅観光客動態調査研究事業
 ④Fly Over KASAOKA実施事業
 ⑤いいとこめぐりバス運行事業
【笠岡諸島の情報発信と航路利用促進事業】
 ①アウトドアスポーツ啓発推進事業
 ②日本遺産啓発推進事業
 ③笠岡諸島スタンプラリー事業
 ④笠岡諸島魅力再発見ツアー実施事業
 ⑤観光駐車場整備事業
 ⑥日本遺産活性化応援事業
(一社)笠岡市観光協会が,エンジンの役割を果たし,観光推進を図る核として基盤整備を進めることにより,多種多様な事業者をはじめとした会員数が増加する。会員数が増加することで,積極的な情報発信等への投資も可能となり,多くの観光客に対して笠岡市の認知度が向上する。認知度が向上することにより,多くの観光客が訪れてくれ,その際に整備された観光駐車場を利用いただくことで,観光協会の事業収入が増加し,会員数の増加と併せて,さらなる自主財源の確保に繋がる。観光協会の収益構造が強化されることで,観光へのさらなる再投資が進み,地域経済への正のスパイラルが回り始める。

観光地としての笠岡の地位確立推進事業
【デジタル社会の形成への寄与】
新たな観光の担い手である(一社)笠岡市観光協会は,観光案内所を設置するとともに臨時職員を採用し,観光客の市内周遊を促進するため,市内周遊マップ等を作成して観光客の目線に立った観光案内を実施する。さらに,専門的な知識を有した観光コーディーネーターと連携して観光協会の支援を行う。また,圧倒的な認知度を得ている道の駅笠岡ベイファームの「花」資源をさらにブラッシュアップさせ,広範囲からの観光誘客,交流人口の増加を図り,地域産品等の売り上げ増加などにより地域経済の活性化を実現する。本市が加盟する備後圏域連携中枢都市圏,高梁川流域連携中枢都市圏が実施している観光誘客の取り組み今まで以上に連携するほか,旧来からの繋がりが深い井笠広域観光協会(井原市,浅口市,矢掛町,里庄町)が実施するスタンプラリー等の地域周遊イベントを実施する。また,近隣の矢掛DMOと(一社)笠岡市観光協会を主体としたマイクロツーリズムツアー(山から海へ,海から山へ)を実施して,観光客の地域内周遊を図る。さらには,せとうち備讃諸島日本遺産推進協議会(香川県丸亀市,土庄町,小豆島町,岡山県笠岡市で構成)で開発した旅行商品を売り出し,広域からの観光誘客を図る。離島航路は島しょ部人口の減少に伴い利用者の減少が著しく進行する。利用者が減少すれば減便等が発生し,島しょ部の生活交通利用者の利便性は低下する一方である。観光客増加により,離島航路の利用者が増加すれば,航路事業者の収益維持と航路確保の促進が図られる。また,観光客増加に伴い,本市の認知度が向上すれば,今以上に本市に興味を持っていただける人が増加する。興味を持っていただく人が増えれば,地域産品を購入する機会が増え,地域産品を多く取り扱っているふるさと納税の推進が図られる。さらには,地域を周遊する観光客が増加し,観光客を案内する機会が増え観光ガイドの需要が増してくる。観光ガイドは地域をよく知っていなければならない。地域をよく知っているのは,その地域に住む人であるので,そうした人たちが,観光ガイドとして観光客と関わりを持つことで,地域の再発見が図られるとともに,地域の人が活躍する場の確保ができ,地域活動の活性化や担い手育成が促進される

計画期間
地域再生計画の認定の日から 2025 年 3 月 31 日 まで

→誰がこれを起案したかも知りたいが、こんなものを承認して公表している時点で、関係各位全員に責任があることを承知しておいていただきたい。