道の駅「津田の松原」のうどんは最高!幸せ気分で松原からの「雨滝城」へ!(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備○立地○) 

道の駅 津田の松原」は、高松自動車道の津田東ICから国道11号線を西に3km、 あるいは高松自動車道の津田寒川ICから県道37号線→国道11号線を通って東に3km。香川県北東部の瀬戸内海に面した旧津田町(現さぬき市津田町)にあります。

この駅は、一つの建物の中に物産館とうどん店が同居しています。 入口は別々で、中央付近に物産館の入り口、右端にうどん店の入り口があります。 かつては物産館が8割、うどん店が2割くらいの場所割りだったそうだが、近年うどん店の人気が急上昇。それに伴ってスペース割合がうどん店がやや広いという割合に逆転したのだとか。

早速うどん県の中でも人気の、このうどん店に入っていただきました。コシがある、旨味がある、甘味がある、そしてつゆも讃岐うどんの名店の味。そして、値段がかけうどんなら240円と、とにかく安いのです。店の名物は「肉ぶっかけ」ですが、残念ながら売り切れていたので、私は「わかめうどんの大」をいただきました(写真)。

安い、美味い、そして速さもちょうどよし。この店では「讃岐うどん」ではなく「松原うどん」と名付けて販売していましたが、この松原うどん、サイコーです。

駐車場、トイレ、休憩環境について

駐車場、トイレ、そして休憩スペースとも、こぢんまりした道の駅のサイズ感にフィットして、とても快適なものだった。

高松、琴平、讃岐の銘菓を販売

そのうどん店に押され気味とはいえ、物産館も品数は50品目位はあって、一般的な道の駅の物産館と比べても遜色なしである。

目に付く商品は近隣の高松市、琴平町、坂出市の銘菓の数々。

高松市の銘菓「くつわ煎餅」「瓦せんべい」、 琴平町の銘菓「灸まん」、坂出市の銘菓「かまど」「かまど羊羹」などまさに定番銘菓が、店の中央に陣取っている。

香川と言えば「讃岐うどん」である。 香川県内の道の駅ならどこでも販売されている商品だが、 本駅は17のメーカーの讃岐うどんが販売されていて、県内の道の駅ではトップレベルの品揃えということだ。

「小豆島のり」や「おじゃこ味噌」などのご飯のお供も魅力的だ。

名勝「琴林公園」の近くに立地

道の駅「津田の松原」は、その名にある名勝「津田の松原」を含む「琴林(きんりん)公園」に隣接している。瀬戸内海に面した琴林公園は「日本の渚百選」にも選ばれている白砂青松の景勝地なので、この景観を見ずして帰る手はない。

夏期には海水浴を楽しむことができる。 松林は流石に綺麗。 道の駅から琴林公園まで遊歩道が伸びていて、うどんをいただいた後の腹ごなしにちょうどいい。

海のあとは山。雨滝城跡へ

雨滝城跡がある雨滝山へは、車を南東中腹の雨滝自然科学館にある駐車場に停めさせていただく。その先に林道が伸びていて、南北2ヶ所の登城口に接している。ちなみにこの登城口脇にも駐車できるスペースはあるが、空いているかは時の運(たぶん空いている)。

科学館の館長さんの言っていた鉄の階段の登山口がありました。

雨滝城は、讃岐・安富氏の居城だった。下総国に出自をもつ安富氏は足利尊氏に従って播磨国三日月郷を拝領し、応永年間(1394~1427)までには細川氏に臣従して讃岐守護代となった。応仁の乱に際して細川四天王の1人にまで数えられた安富盛長は、長禄年間(1457~61)に近隣の土豪寒川氏から寒川郡内の鶴羽・鴨部・志度の3郷を割譲させ、雨滝城を築いて移ったのが雨滝城の始まりだ。

雨滝城

その後も安富氏は細川京兆家の重臣として活躍したが、永正4年(1504)の永正の錯乱で細川政元が暗殺されたころを境に、勢力を失っていった。天正11年(1583)、阿波を平定した長宗我部元親が讃岐へ侵攻すると、三好方は羽柴(豊臣)秀吉に救援を依頼。盛定は小豆島で援軍の大将・仙石秀久を出迎えた。しかし秀久は引田の戦いで長宗我部勢に敗れて撤退。雨滝城は敵中に孤立し、宗湛はやむなく元親に降伏した。

城は山頂の本丸を中心に、北西・北東・南東の三方に伸びる尾根筋に曲輪を連ねる構造をしていたようだ。発掘調査の結果曲輪の多くに建物があったと推定されていることから、山そのものを要害として立て籠もる防衛思想の城だったと考えられている。

この眺め👍🎶瀬戸内海

そんなに高くない山だが、見下ろす瀬戸内の景色は素晴らしい。