
『光る君へ』は、2024年1月7日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第63作。平安時代中期の貴族社会を舞台に、世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』を執筆した紫式部の生涯を描きました。主人公の紫式部は、長徳2年(996年)に父・藤原為時が越前武生の国守に赴任することになり父とともに越前に向かいますが、その道のりは「塩津海道」。塩津浜を経由して敦賀を目指しました。
式部は道中のさまざまな情景を歌に残しています。越前までの陸路に乗る前、琵琶湖の西岸をたどって塩津浜へと向かう海道の途中では、白鬚神社付近の三尾崎でいったん上陸して一夜を明かしました。式部はそこで漁をする人々が網を引く見慣れぬ光景を目にして、こんな歌を詠んでいます。
「三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも」。
「心にかけながらやって来た私だが、行き過ぎかねて、水尾が崎から真長の浦(京都の方面を)また振り返ってみたことである」という、式部が都での生活を思い出して恋しがった歌です。白鬚神社の境内には、この歌碑が立てられています。

白髭神社は「近江の厳島」とも呼ばれる近江最古の大社で、社名の通り、延命長寿・長生きの神様として知られています。(琵琶湖の)湖中には、朱塗りの大鳥居。そこから国道161号線をはさんで、白鬚神社の社殿があります。


藤原為時と娘の紫式部は、塩津浜で海道から陸路へ
父娘は、このあと琵琶湖北岸の塩津浜(しおつはま)で舟を降り、陸路にて越前武生へと向かう。
塩津浜は古代から畿内と北陸を結ぶ非常に重要な場所だった。式部の時代からのちには、1,000をゆうに超える丸子舟が行き交って、大津と並ぶ繁栄と賑わいの最盛期を迎える。ちなみに当時の丸子船は、道の駅「塩津海道 あぢかまの里」で見ることができる。

塩津港で船を降りた式部は、まず塩津神社で旅の安全を祈願した。ここでも紫式部は歌を残している。「かきくもり夕立つ波の荒ければ 浮きたる舟ぞ静心なき」と。
ところで「塩津」という地名は、日本海側から塩が運ばれたことにちなむのだろうと私は思っていたが、それは全くの見当違いで、この地に塩が沸いていたのだとか。塩土老翁神(えんどろうおうじん)を祀る塩津神社の縁起によると、上古の時代ここに塩池があって間断なく塩水が湧き、それを製塩していたので他所から塩を求める必要がなかった…故に「塩津」という地名になったとされる。

塩津神社の近くには、繁栄の歴史を刻んだ塩津の町並みが今に残っている。ゆるやかにカーブした旧道に沿って軒を連ねる家々は古格な佇まいだ。もちろん式部の時代からずっとずっと後の街並みだが、広い間口の廻船問屋や造り酒屋、旅籠、物資を貯蔵した蔵などは、物資の集散地であったと同時に、宿場町としても沸いていた町の賑わいを想起させる。
深坂峠の「上から目線」
旅の安全を祈願した父娘は、このあと旅の最初の難所である深坂峠を輿に乗って越えていくわけだが、道中、輿を担ぐ人夫が「いつ通ってもこの道は難儀だ」と言うと、式部はこう詠った。
「知りぬらむ往来にならす塩津山 世に経る道はからきものぞと」。
厳しい峠越えに挑んでいる最中の人夫に対して、式部は「お前たちこれで分かったでしょう。 よく通うこの道もつらいけど、世の中の道はもっと厳しいものですよ」と、言い放ったのである。

この歌碑が、塩津浜に残っている。私などは、「輿を担いでもらって峠を楽チンで越えようとしている人間が、よくもまあ上から目線でこのようなことを偉そうに言えるもんだ。親(藤原為時)の顔が見てみたいわ」と思ってしまうが(笑)。藤原氏が自らつくりたもうた「身分制度」はこの国の部落差別の源泉ともなった。つくった側には都合が宜し過ぎて、式部の人としての感性を相当に歪めたようだ。
「海道繁栄」を極めた塩津浜
塩津浜は、琵琶湖最北の町である。「塩津海道」の拠点であるとともに、陸路は森閑とした杉木立の森の奥へとひと筋の古道が続いている。峠の名をとって「深坂古道」という。

そう、式部が人夫に輿を担いてもらって超えた峠道だ。この古道を含んで、畿内と敦賀や北国とを最短距離で結ぶルートが「塩津海道」である。塩津浜の国道脇に「海道(かいどう)繁栄」と刻まれた古い常夜燈がある。「街道」という感じが当てられなかったのは、塩津の繁栄は、「淡海・琵琶湖」の水運なくしては考えられなかったからだろう。
特に江戸時代の塩津港には、北国から米やにしん、昆布などの海産物、鉄や銅が。京・大坂からは呉服、綿、酒、醤油などの大量の荷が集散した。舟の数、荷の扱い量、廻船問屋の数において塩津の賑わいは、琵琶湖の浦々の中でも抜きんでていたそうだ。物資を満載した舟が琵琶湖南端の大津との間を頻繁に行き交った航路は、まさに「海道繁栄」そのもの。そして、琵琶湖の最北に位置するこの塩津浜は、今なお交通の要衝であることに変わりはない。近江塩津駅は、JR北陸線の主要駅であるとともに、JR湖西線の起点駅でもある。
「上り千頭、下り千頭」と形容された塩津の賑わい
ニシンを貯蔵したという蔵が残っているが、これは1868(慶応4)年の建築で、庇瓦に施した龍の見事な飾り一つにも、往時の繁栄がうかがえる。もっとも町の全盛は寛永年間(1624~1644)だったとされ、その頃には米だけで年間30万石も塩津海道を通過したそうだ。街路には荷を運ぶ馬や大八車など人馬が盛んに往来し、そんな塩津の賑わいは「上り千頭、下り千頭」と形容された。
この最盛期には、物資を運ぶ琵琶湖独特の「丸子船」が大小およそ1,400隻も湖上を行き交っていたという。出船入船で賑わった塩津浜の周辺、北琵琶湖周辺の景観は、細く深く入り組んだ急峻な入り江が特徴で、塩津港も風や波から守られた深い入り江の奥にある。塩津の景観を目の当たりにして、作家の遠藤周作は北欧の「フィヨルドに来たみたいだ」と言った。丸子船は昭和30年頃まで活躍していたが、現存するのは2隻。海道の歴史を伝える貴重な遺産である。
北琵琶湖の景色を眺めて紫式部が詠んだ歌の数々
塩津浜の南に険しく突きだした葛籠尾崎(つづらおざき)からは、神が棲むといわれる竹生島(ちくぶじま)が見え、その先には烏帽子岩・礒崎・礒崎神社がある米原や長浜、彦根などの湖北や湖東の町々を望むことができる。

越前から京に戻る際も再び琵琶湖と鶴を見た式部は、その心境を歌に残している。「磯がくれ同じ心に田鶴ぞ鳴く 汝が思ひ出づる人や誰ぞも」
他にも、北琵琶湖を代表する景色を見ながら、紫式部は多くの歌を詠んだ。
あやめ浜(現在の野洲市)には、遠くの沖島を望んで紫式部が詠んだ歌碑がある。「おいつ島しまもる神やいさむらん 浪もさわがぬわらわべの浦」

さらに、鈴鹿の山々やひときわ雄大な姿を見せる伊吹山、比良山系も遠望できるが、伊吹山を眺めて式部はこう詠んだ。「名に高き越の白山ゆき慣れて 伊吹の嶽をなにとこそ見ね」

「水の駅」が、道の駅「塩津海道 あぢかまの里」に
道の駅「塩津海道 あぢかまの里」は、紫式部ゆかりの塩津浜にある。


道の駅「塩津海道 あぢかまの里」の前身は、2006年にオープンした「奥びわ湖水の駅」。 3年後の2009年に道の駅に登録され、現在の駅名へと変わった。滋賀県内の年間利用客数でも上位に位置し、湖北地方においては最大規模の道の駅である。
駐車場は十分な広さがあり、動線もわかりやすく安全だ。



トイレの位置も分かりやすく、ごく普通で、利用しやすい。



休憩スペースは、情報館の内にも外にも、ゆったり。






駐車場と、施設を挟んで反対側はコスモス畑。「おはなばたけだいさくせん」とあるので、季節ごとに花は変わるのだろうか。

農作物直売所を兼ねた物産館、フードコート、パン屋がある。 「湖北地方では最大規模の道の駅」と紹介したが、小ぶりな道の駅が多い湖北地方の中では最大ではあるが、ちょうど日本全国平均並みの規模だと思う。



道の駅「塩津海道 あぢかまの里」の代表的な商品は「鮒寿し」だ。

湖北の地で70年の歴史を誇る「魚助」の鮒寿しが看板商品になっている。通常サイズの鮒寿しはちょっと高価だし、鮒寿しから放たれる匂いも強烈と言われているし、と言うことで購入を躊躇う人のために、3切れのお試しサイズが用意されている。私的にだが、鮒寿司は非常に美味い。最初の一口は鼻をつくほどの辛さがあるが、その後次第に酸味を感じる。匂わないではないが、この匂いがほどよい「生臭さ」。味もニオイも、はまればクセになる。東北のホヤみたいなものだ。それでも苦手だと言う人のためには、鮒寿しの体に良い成分を練り込んで焼いた「ふなずしクッキー」なども販売されている。まあ、そこまでしてフナを食べなくてもいいかもしれない(笑)


湖魚コーナーには、「琵琶湖八珍」と言われる湖の幸を使った「近江鮎一夜干し」や「小鮎の天日干し」をはじめとする湖魚の加工品。どれも酒の肴に最高だろう。淡水魚ならではのクセにとても合う酒はたくさんあるのだ。湖北地方で栽培が盛んなイチジクを使った「いちじくジャム」「いちじく葛餅」、ブランド牛を使った「近江牛カレー」、特産の「近江生そば」「丁稚羊羹」等々、滋賀県らしさ満載でしっかり取り揃えられている。
農作物直売コーナーでは、地産の新鮮野菜・果物がたくさん販売されている。

湖北名物の「いちじく」「ポポー」「虎まくわ」といった特産品から、キャベツ、ネギ、白菜など一般的な野菜に至るまで、農産物の種類も豊富だ。
フードコートでは、鮒寿し2切れとうどん(そば)がセットになった「鮒寿し定食」がオススメだ。 お手頃価格で鮒寿しの味を体験できるチャンスなので。「鮒寿し茶漬けセット」 「鮒寿し一皿」という攻めたメニューも提供されている。




フードコート内には「鴨そば」の店もある。 「鴨そば」だけでなく、「にしんそば」「山菜そば」そしてシンプルな「かけそば」もあるので、好みと予算に応じて。

物産館から少し離れた場所にはパン屋がある。 このパン屋の名物は米粉で作ったパン、通称「ごパン」だ。 「ごパン食パン」のほかに「フランスごパン」「マーブルごパン」などが販売されている。