
和田竜さんの小説「村上海賊の娘」をご存知でしょうか。和田竜さんは、映画化された「のぼうの城」で脚光をあびた人気作家で、「村上海賊の娘」は、2014年に本屋大賞を受賞した作品です。
現在の大阪城がある場所に石山本願寺があった時代に、織田信長が退去を求め、それを拒否する本願寺側との戦(木津川口の戦い)で、本願寺側として戦った村上水軍の娘の活躍と生きざまを描いたもので、芸予諸島をはじめ明石海峡や大阪湾など瀬戸内海を舞台としています。
私は歴史が大好きで、村上水軍についても色々勉強しましたが、伯方島から大島に向かう橋の真下にある見近島もまた村上水軍の重要拠点であったことは、この小説を読んで初めて知りました。
伯方島と大島の間には、桁橋の「伯方橋」と吊橋の「大島大橋」が架けられています。現在は、総称して「伯方大島大橋」と呼ばれることもありますが、構造的には別の橋です。見近島には、「伯方橋」の橋台を兼ねて、「大島大橋」のアンカレイジが築かれています。
見近島への船の定期便はありませんが、島の真上を伯方・大島大橋が通っており、自転車か徒歩であるならば、「しまなみ海道」の自歩道を通って島に降りることができるので、道の駅「伯方S.C.パーク」に車を停めて、行ってみました。
能島村上氏の本拠地である能島城と連携していた?見近城
見近城は、15世紀(室町時代)頃に築かれた能島村上氏の持城の1つである。

見近島は、伯方島と大島の間に位置する小島だが、南方約 1㎞には能島村上氏の本拠地である能島城跡があり、海峡を支配する上で重要な役割を担っていたと考えられる。1980 ~ 81 年に島で発掘調査が行われ、15 世紀~ 16 世紀中頃までの中国産などの陶磁器が大量に出土した。この中国陶磁器の出土状況には 以下3 つの特徴があった。
一つ目は、同じ絵柄、同じ形、同じ大きさのものが数点から数十点、まとめて出土したこと。二つ目は、高級品や珍しい品が戦国大名の城館並みに豊富であったこと。そして三つ目に、流通量が少なく他の遺跡ではあまり出土しないものまで確認できたこと。これらのことから、見近島は物資流通に関する何らかの拠点であったと評価され、すなわち能島村上氏が瀬戸内海の物流にも関与したことを示すことになったのだ。
ただ、能島村上氏が物資を運搬していたのか、運搬する船を警固していたのか、風待ち、潮待ちなどのための寄港地を提供していただけなのか等々、どのように関与していたのかは今もわかっていない。また集落は 16 世紀中頃に火災に遭った際に島での生活の歴史は終わっているが、なぜ火災にあったのか、なぜ再興されなかったのかなど、これまたいまだ謎に包まれている。

さて、「原付・自転車・歩行者道」の橋脚に「見近島」の標識があって、これがキャンプ場への入口(降り口)になる。橋の上からはキャンプ場を見下ろすことができる。
見近城が、この見近島に築かれた城で、規模は東西約460m、南北約370m。保存されていれば、標高約40mの最高所に本丸を置き、 そこから北・東・西に延びる尾根上を削平して階段状に曲輪を配していたはずだ。現在は大島大橋の橋脚が建設されたため、島中心部の遺構は消滅している。遺構の消滅と引き換えにこの島が伯方島と大島を結ぶ「伯方・大島大橋」の巨大な橋脚を支えているわけだが、そもそもこうした開発の仕方はいかがなものか。島に足を踏み入れて、まずそのことを思った。

大島のカレイ山展望公園から見ると、島の位置関係がよくわかる。奥の大きな島が伯方島で、中央の小島が見近島。島のキャンプ場は橋の西側である。行ってみると、2本の尾根に挟まれた西側の低地は砂浜となっていてキャンプ場が設置されていが、かつて山稜上を削平して多数の郭を形成していた海城であった痕跡は、そこにたしかにあった。

車を停めさせていただいた道の駅「伯方S・Cパーク」に感謝
見近島に行くために車を停めさせていただいた道の駅「伯方S・Cパーク」は、しまなみ海道の、伯方島ICから国道317号線を南に300m、 瀬戸内海に浮かぶ伯方島にある町、旧伯方町(現今治市伯方町)にある。


駐車場から間近に見えるのは見近島。そして駅から見る白い砂浜と青い海は南国の浜辺を思わせるが、やはり夏場は穴場の海水浴場として賑わうらしい。

私が訪れた日もそうだったが、多くの日は波も大変穏やかだという。
南国気分の駐車場、トイレ、休憩スペース




お借りした駐車場は、「南国仕立て」だった。

トイレもお借りしました。感謝。



しまなみ海道と言えば「サイクリング」
道の駅でやたらと目に付くのはサイクリストである。顔が写ってはいけないと思い写真は控えたが、たくさんいらっしゃっていた。 「しまなみ海道」は全国的に珍しい自転車の通行が可能な高速道路で、サイクリストにとって「しまなみ海道」は聖地の一つでもあり、人気絶大のサイクリングコースなのだ。

私もかつて(25年前までは)なんちゃってトライアスリートだったので(写真はバカ高いロードバイクを衝動買いしたお店)、1999年にすべての橋が繋がって尾道から今治に至るしまなみ海道が完全開通した際に走ったのだが、海の上の風のせいか、淡路一周(アワイチ)、琵琶湖一周(ビワイチ)よりもきつかったような。道の駅「伯方S.C.パーク」は、その道のりのほぼ中間点。すっかり体力を消耗し、かなりの時間ここで休んだ遠い記憶がある。
伯方島と言えば「伯方の塩」
さて、伯方島と言えば「伯方の塩」である。CMも息が長いし、おそらく日本で最も有名な食卓塩の一つではないだろうか。 島内には「伯方の塩」の製造元の伯方塩業株式会社の工場があり、造船業と並んで島内の主要産業になっている。 本駅でも「伯方の塩」を使った製品がズラリ。 実は「伯方の塩」はブラジル産とオーストラリア産の原塩を使っており、伯方島の海水からつくった塩ではない。これは私の高校時代の同級生に輸入鯛を「明石で焼いたら明石鯛」と強弁して売っている人間がいて、彼と同じ理屈だろうか。 伯方塩業曰く「かつての伯方島の塩田で取れた塩を手本にする」という創業精神に基づいて塩を生産しているそうだ。


「塩分比率?」がずいぶん高い物産館
本駅は物産館、農作物直売所、海産物直売所、レストランから成る施設構成。 施設構成は道の駅としては平均的だが、各々の施設はやや小ぶり。全般的に見れば、やや小規模な道の駅と言えるだろう。
まず物産館だが、販売されている商品はおよそ150種類くらい。 そのうちの30種類くらいが「伯方の塩」を使った商品である。 種類数でみれば1/5程度の「伯方の塩」製品だが、「伯方の塩」関連の商品は大々的に数量が多く並べられているので、 感覚的には半分ぐらいが「伯方の塩」関連の商品に感じる。まず目につく商品は「伯方の塩」そのものの商品。 日本全国のスーパーでよく見る「普通の」伯方の塩を始めとして、粗塩、焼き塩、藻塩、フルールドセル、ハーブソルト、 おにぎり専用の塩など、色々な塩を販売している。 「伯方の塩」は菓子類の甘味を引き立てる隠し味としても優秀。 「伯方の塩」を使った「塩羊羹」「塩チョコレート」「塩キャラメルゴーフレット」「塩黒豆きんつば」等、 甘党の方が喜びそうな商品も揃っている。 調味料で注目の商品は「島の塩だれ」。伯方の塩と瀬戸内レモンをミックスした、伯方島オリジナルの商品。 サラダのドレレッシングの代わりに、また、焼き肉のタレの代わりに、新しい食感を味わうことが出来る。






「伯方の塩」とともに、今治の「タオル」も有名。それにしてもたくさんの種類がある。
直売所では、野菜の直売パワーよりも海産物加工品の方がパワフルだろうか。

タコ釜飯の素」「真鯛茶漬け」「鯛味噌」「真鯛海苔佃煮」等が販売されていた。
お腹が空いたら
物産館の奥に、レストランがある。「ハンバーグ定食」「カツカレー」「焼き豚たまご飯」をはじめとして色々あるが、メニューは比較的シンプル。伯方の塩を使ったものに「伯方の塩チャーシュー麺」と「あさりバター塩ラーメン」があるが、 体力をかなり消耗したサイクリストには塩分補給も必要なので、塩分控えめではなくてもいいかもしれない。

ちょっとした軽食で小腹を満たせるフードコーナーもある。ここでは伯方の塩を使った「塩ソフトクリーム」が圧倒的人気だ。


「伯方の塩ソフト」以外にも「瀬戸内レモン」を配合したちょっぴり酸っぱい「瀬戸内レモンソフト」伯方の塩とチョコレートをミックスした「伯方の塩・チョコレートソフト」がある。軽食としては、「鯛塩ラーメン」「鯛カツカレー」、おやつ的なものとして「じゃこカツ」「若布じゃこてん 「タコの唐揚げ」もあり、これらはとても手軽で利用しやすい。