
海上支配のため、来島、能島、因島の三家に分立し、長く瀬戸内を支配した村上氏。来島城(くるしまじょう)は、村上義顕(よしあき)の三男吉房(よしふさ)が分家して来島に入って築いたと云われ、 以降6代160年にわたって続く来島村上水軍の拠点であり続けた、最大潮速時速約20kmの来島海峡のまさに喉元に位置する「海賊の城」です。
村上水軍三家のうち最も四国よりに拠点を構えた来島村上氏は、主家河野氏の内紛に乗じて伊予本土にまで次第に勢力を拡大していきます。 四代通康は、河野通直が寵愛し後継者として指名した程でしたが、これに河野家臣団は猛反発。反対派が来島を攻める第一次来島合戦が起こりましたが、来島城は落ちませんでした。永禄12年(1569)に来島氏の臣、池原牛福丸が河野氏を継いで後は、因島村上氏、能島村上氏との紛争が絶えず起こっています。
来島城は、周囲850mの潮流に守られた小さな来島の上に立っていました。

島の中心部には標高47mの南北に細長い山で本丸、二の丸、三の丸、屋敷跡などの削平地と、周囲の岩礁には岩礁ピットと呼ばれる船を駐めていた柱穴が無数に残っています。来島の南側護岸はコンクリートで固められていますが、かろうじて島の北半分は来島城本来の姿をとどめていて、潮位が60cmを切る時を狙って島に渡ると、北側の岩礁をぐるりと歩くことができます。

来島城と来島村上水軍の痕跡

来島城は島全体が要塞化された水軍城である。城の主要部は島の西側に南北に伸びた山で、北に主郭、南に向かって二郭、三郭と連なっている。

二の丸横には村上神社が。


島の東側の岩礁には桟橋が並んでいたが、岩を削って造られ利用されていた戦国時代の階段が残っている。これはすごい。

波に洗われ続けているため、いずれ近いうちに階段は見られなくなるともいわれているのだが。大島から出ている来島海峡急流観潮船が来島の東側を通るため、この階段は海上から観ることもできる。

また、島の北側にある岩礁には桟橋を支えていた柱の穴(ピット)が無数に現存しており、干潮時には島を一周することができるようである。
村上海賊の城の三類系
これまでの研究で、村上海賊の城の立地には、下記の大きく3つのタイプがあることがわかってきた。
一つ目は、鼻や岬、湾に突き出した丘陵の頂部に築かれたもの。船だまり(船かくし)を持つ場合があり、房総半島、伊豆半島、紀伊半島などにも見られるものだ。二つ目は、小島全体に城とするもの、すなわち島の城だ。これは全国的にみても稀有な形態で、芸予諸島に密集している。芸予諸島では岩礁ピット(岩礁に穿たれた柱穴や海蝕テラス=通路)が顕著であり、主要な城は居住性があり、存続期間が長いという特徴もある。三つ目は、直接海と接しないが、海を望む、海から望む山上や丘陵上に築かれたもの。「海城」と呼ぶには議論があるが、少なくとも「海」を強く意識した「山城」ではある。
能島村上氏が本拠とした能島城と、来島村上氏が本拠とした来島城は、いずれも小島全体を城郭として利用した海城で、それぞれ海の難所である宮ノ窪瀬戸と来島海峡を押さえる位置にある。対岸に「水場」という地名があり、城の岩礁部には繋船などに使用された柱穴(岩礁ピット)や武者走り状の通路(海蝕テラス)が顕著に残っていることも共通している。

城の平坦面である「郭」は、自然地形を活かして成形されており、周囲の急峻な崖が「切岸」になる一方、「土塁」や「堀切」などの防御施設はほとんど見られず、海に対して開放的な構造である。
かつての研究では、能島城に居住性はなく、詰めの城や出城的役割に過ぎないと想定されてきたが、発掘調査により多くの建物跡や生活容器が発見されたことにより、海賊たちの生活の場であったことがわかっている。来島城も同様に生活容器などが出土しており、また合戦の舞台にもなっていたことは明らかで、海賊たちの島の城は、戦時への備えはもちろんのこと、平時の海上活動の拠点でもあり、活動に従事する人々の生活の場でもあったと考えられている。
来島城跡と「よしうみいきいき館」は近いが高速乗降口に注意
道の駅「よしうみいきいき館」に四国側から行くなら「しまなみ海道」に乗った直後の大島南ICで降りて国道317号線を西に1km、 本州側から訪れるなら「しまなみ海道」の大島北ICで降りて国道317号線を南西に7km走る。

注意したいのは、大島にある上記2つのインターはいずれも片側のみ乗降可能なハーフインターであること。大島北ICは本州側からアクセス時のみ、大島南ICは四国側からアクセス時のみインターを降りることができる。 降りるインターを間違えたら、次の島まで行ってしまう。 特に本州側からアクセスする場合、地図で見ると大島南ICが近いが、 本州側からは降りることができないから四国まで行ってしまうことになる。

駐車場、トイレ、休憩スペースについて

駐車場はそんなに広くないし、細長いので端っこに停めることになると、トイレや施設がかなり遠くなる。しかし利用客はさほど多くないらしく、私が行ったときも駐車場は空いていた。




トイレは、混雑時以外は何ら問題ないが、バーベキューの団体客などで賑わっている時は、このトイレのキャパはやや問題がありそうだ。純粋な休憩スペース、ベンチの類はそんなに多くないが、浜辺で海を眺めながら休めば疲れも吹っ飛びそう。

農作物直売所、海産物直売所はより充実



みかんは存在感があるが、立地から想像できる通り、海産物のアピールがより目立つ。



「よしうみいきいき館」の特産品は「大島海苔」
物産館でもっとも目立っているのが「大島海苔」。 大島の海で育った天然海苔で、古くからの大島の特産品である。 一般的な海苔と比較して密度が濃いのが特徴。晴れの日が多い大島の海ならではの特徴で、大島の住民は子どもはおやつ代わりに、大人は酒のつまみに海苔を当たり前のように食べているという。
柑橘類を絞ったジュースもこの地の特産品。


海鮮七輪BBQか、それとも海鮮丼か、鯛塩ラーメンか
瀬戸内海に浮かぶ島ならではの楽しみと言えば、海産物を存分に味わう七輪バーベキューは鉄板もの。道の駅一番の人気アトラクションだ。



食材としてはホタテ、牛貝、イカ、フグの身、鯛の切り身、ロブスター等々、旬の海産物はなんでも注文できる。
海鮮バーベキュー以外の選択肢もある。とはいえレストランのほぼ全ては瀬戸内海の幸を使った海鮮メニュー(笑)。 海鮮丼は「特選海鮮丼」「海鮮丼」「朝日丼」「二味丼」が4種類。特選海鮮丼は伊勢海老入り、海鮮丼は車海老入り、朝日丼は鯛入り、二味丼は鯛とカンパチ入り。大阪などの街中で食べるより割高だが、まあそこは旅行気分で気を大きく。お刺身が楽しみたいなら「しまなみ御膳」「来島御膳」「お刺身御膳」。「鯛兜煮定食」「海鮮ミックスフライ定食」「牡蠣フライ定食」もある。



フードコーナーでは「鯛塩ラーメン」が値段も手頃で人気である。 鯛は来島海峡育ちの身の引き締まった鯛、 塩は隣の伯方島の塩、そして大島産の大島海苔と大三島産のレモンがトッピングされた、特産品尽くしの有難いラーメン。 そういう意味では、しまなみソーセージを使った「しまなみドッグ」、来島海峡の鯛をバーガーにした「はみ出し鯛カツバーガー」も魅力的だ。
