連載第1話 「神戸からイカナゴの釘煮が消えた日」 四葉のクローバーを探して・第一章<ブルシットジョブと引き換えに失ったものと得たもの>

「あんたとこ、何キロ炊いたん?」


私が20年間住んだ神戸の垂水区では、これが3月の挨拶だった。
この挨拶の、何キロというのは、家で炊く「イカナゴのくぎ煮」のキロ数のこと。この辺りでは、3月の初旬になると、各家庭で1年分の「保存食」として、イカナゴを炊くのだ。


「イカナゴのくぎ煮」とは、生のイカナゴの稚魚を醤油、砂糖、ショウガなどで甘辛く煮た佃煮で、瀬戸内海沿岸地域で古くから作られている郷土料理である。

煮上がった姿がさびたくぎが曲がったように見えることから「くぎ煮」と呼ばれている。

神戸が発祥の地とされるが、元々は漁業関係者の家庭で作られていた料理だった。1980年前後から一般の家庭でも炊く家が次第に増え、広く知られるようになっていた。

そのイカナゴが、神戸から完全に姿を消したのは令和2年。

今年でもう5年になる。

イカナゴの少子化

イカナゴの新子(イカナゴの稚魚)漁は、毎年2月末から3月初めに解禁され、漁期は約1ヵ月と短いものだった。漁が解禁されるとキロ単位で新子を買い求め、その日のうちに炊きあげた「くぎ煮」を、知人や離れて住む親族にも贈る。

イカナゴの鮮度が「くぎ煮」の仕上がりを左右するので、地元の直売所やスーパーでは早朝から鮮度の良いイカナゴを求めて長蛇の列となることも多く、中には数10kgもの「くぎ煮」を作る人も珍しくなかった。神戸市垂水区の私の家の周りに「くぎ煮」を炊く、醤油と砂糖の甘辛い良い薫りが漂うと、それは3月がきた知らせでもあった。

漁期操業開始日(解禁日)終漁日
大阪湾播磨灘
令和6年3月11日3月11日
令和5年3月4日3月8日3月17日
令和4年3月1日3月7日3月19日
令和3年3月6日3月11日3月20日
令和2年2月29日3月3日3月6日
平成31年3月5日3月8日3月25日
平成30年2月26日3月17日3月24日
平成29年3月7日3月18日3月22日
平成28年3月7日3月29日4月23日

イカナゴの漁獲量

いかなご

兵庫県におけるイカナゴの漁獲量は、平成14年頃までは1万5千トンから3万トン程度で大きく増減を繰り返していたが、平成15年以降は1万トン程度で推移。それが平成29年以降は急激に減少し、ずっと2千トンを下回ってきた。

令和2年、そして昨年、今年は、ほぼゼロに近い。

関係者は言う。
「イカナゴは兵庫県瀬戸内海で三艘一組の船団(二艘の網船と1艘の運搬船)で漁獲され、常に新鮮な状態で消費者に届けてきた」と。イカナゴは三艘一組の船団のうち、二艘の網船で網を曳きイカナゴを漁獲する船曳網漁という漁法で漁獲される。漁獲されたイカナゴは鮮度を保つため、運搬船が漁獲後すぐに魚を港へ運び、セリにかけられる。運搬船がイカナゴを運んでいる間、網船は次のイカナゴを漁獲し、漁場へ戻ってきた運搬船はその間に漁獲された魚を港へ運ぶというピストン方式で常に新鮮な魚を水揚げする体制をとっていたと。
漁業者は言う。
「大切なイカナゴの資源を守るために解禁日や操業時間の調整を行ってきた」と。

兵庫県では、イカナゴの漁獲量は約1万トンから2万トンと年により差は激しいものの、全国の約2割以上の漁獲量を誇る全国トップクラスのイカナゴ県である。

兵庫県では瀬戸内海沿岸の漁港各所でイカナゴが水揚げされるが、イカナゴは夏に砂地に潜って夏眠し、冬には砂地で産卵するため、海底が砂地の場所を好み、特に播磨灘沖にある「鹿の瀬(しかのせ)」が良い生息場所となっていた。

5年生きるイカナゴの、生まれたばかりの子を食べる

イカナゴは日本では4種が生息している。

くぎ煮やチリメンのイメージからすれば、イカナゴというのはとても小さい魚と思われている方は少なくないだろう。

でも、あれは「子ども」だから小さいだけなのだ。

イカナゴの大部分は2歳で成熟する魚で、寿命は5年以上もある。大きいものは20センチ程度にまで成長する魚である。

しかし私たち人間は、生まれたばかりの数センチの仔魚を狙って獲り、食べてしまうのだ。

イカナゴは大きくなると価値が下がり、つまり不味くなるのだろう、主に食用ではなく餌料用になる魚なのだ。
大きく成長する前に獲ってしまえば、当然、産卵する機会も奪われてしまうわけで。
子どもを片っ端から殺していくわけだから、少子化のスピードはそれこそ猛烈、いなくなるのは当たり前のことだ。

日本では「成長乱獲」といって、科学的根拠に基づかずに小さな魚をどんどん獲っている。

消えていく魚種は何もイカナゴに限ったことではない。

北欧などmp漁業を成長産業にしている国々ではおよそ考えられないやり方=「成長乱獲」で漁業をしているので、資源激減は、偶然ではない、必然なのである。

アホみたいに大漁祈願をしたところで後の祭り、資源は戻るわけがないのだ。

乱獲したわけではないのにいなくなったという大ウソ

例年、イカナゴは2月末頃の解禁から4月上旬までの漁期中にしか獲ることができなかった。

これは、漁業者が大切なイカナゴの資源を守るために、毎年イカナゴの漁期を協議して決めてきたからだ。

イカナゴの漁期を決める基準は行政機関や研究機関の情報をもとに漁業者自ら協議して例年2月中旬頃に試験操業を行い、その試験操業のイカナゴのサイズが資源保護の観点から漁獲に適正なサイズ(イカナゴの全長3cm前後)かを見極めて、解禁日を決定した。

あわせて、1日の操業時間も資源の状況を考慮して開始時間と終了時間を決めてきたし、試験操業の結果、イカナゴ資源が少ないと考えられる際には獲りすぎないように操業時間を短縮するなどの調整も行ってきたのだと。

こうした兵庫県での イカナゴ漁解禁日 の取組みは平成5年頃から始まっており、それでもイカナゴの資源量の減少が続いたため、翌年に向けて少しでも多くのイカナゴ資源を残そうと平成29年(2017年)からは終漁日も早めに設定し、翌年の親魚資源の確保に取組んできたという。
それもこれも、全ては、言い訳である。
子どもを狙って乱獲した、当然の結果でしかない。

子どものうちに拐われて食われるのだから枯渇は当然

なぜこれほどの不漁になったのかについては、「海水温上昇によりイカナゴが夏に夏眠できない」とか、「水がきれいになりすぎてエサになるプラントンが不足したから」などと、嘘八百ばかりが報道されている。

そして、「原因の確定には至っていない」「原因はよくわからない」という定番の逃げ口上。

根本原因ははっきりしているのに、それがうやむやにされ続けて、現在に至っている……。

昨年、大阪湾では、今年初めてイカナゴ漁の自主休漁を決定した。
播磨灘では2024年3月11日に解禁したが、わずか1日で休漁となってしまった。

大阪府は「1月上旬以降、西風が弱く、イカナゴの仔魚に適した環境ではなく、大阪湾の流入が少なかった」と説明した。実際には「もともとのイカナゴの資源量という分母自体が、生まれたばかりの仔魚狙いで長年漁獲を続けてしまったため枯渇寸前である」と言う本当の原因には決して触れないのだ。

先に獲れなくなった伊勢湾や三河湾のイカナゴは9年連続の禁漁になっているが、時折調査しても、仔魚(孵化直後の魚の幼生)が全く見つからない状態である。

つまり、完全に枯渇、絶滅しているのだ。
それでも。

イカナゴがいなくなった理由について「当事者」はこう言う。
「夏眠する親魚の生き残りが悪く、食害や海の栄養不足が原因」だと。
全ては環境要因であると、環境への責任転嫁に終始する人間ばかりなのだ。
彼らは、「獲りすぎによる影響が大きい」といった本当の原因には、決して触れない。
そしてメディアも。イカナゴが減った理由は、海がきれいになり過ぎた、海水温の上昇、砂利の採取など、さまざまなフェイクニュースがネットでも拡散されて真実を遠ざけている。根絶やしに近い状態にまで獲ってしまった資源を回復させるのは極めて困難である。

今後、長い年月と厳しい漁獲制限が不可欠となるのは当然だ。
楽あれば苦あり。
関係者は、見境なくイカナゴを乱獲して儲けてきたのだから、獲れなくなったのは自業自得。

泣き言なしだ。

人間の少子化も根本原因を履き違えている

魚の話はこれぐらいにして、人間の少子化の話を。
2024年1年間にこの国に生まれた子どもの数は、速報値で72万988人と前の年より3万7643人、率にして5%減少したことが、厚生労働省のまとめでわかった。
出生数が減少するのは9年連続で、1899年に統計を取り始めて以降、最も少なくなった。出生数は日本のすべての都道府県で減少している。
国立社会保障・人口問題研究所がおととし公表した将来予測では、外国人などを含めた出生数が73万人を下回るのは2039年と推計していたので、想定より15年も早く少子化が進行している。
日本人だけの確定値はまだ公表されていないが、初めて70万人を下回ることはほぼ確実だろう。

日本人の出生数は、戦後の第1次ベビーブーム期(1947年~49年)に大きく増え、1949年に最多の269万人余りに上った。
また、第2次ベビーブーム期(1971年~74年)の1973年にも209万人余りの子どもが生まれている。
しかし、その後は減少に転じ、2016年には97万人余りと初めて100万人を下回り、その後も出生数は減り続けている。
一方、去年1年間に死亡した人は速報値で161万8684人と前の年より2万8181人増え、過去最多となっている。この結果、亡くなった人の数が生まれた子どもの数を上回る「自然減」は、89万7696人と過去最大となっている。
厚生労働省は「出生数が過去最少となったのは、若い世代の減少や晩婚化、それにコロナ禍で一時、結婚の数が減ったことなどが影響したと考えられる。若い世代の所得の向上や、子育てと仕事を両立しやすい環境作りなどに取り組んでいきたい」としている。
これも、イカナゴの少子化と同様、問題の本質から目を逸らした嘘である。

NHKは、“住宅の狭さ”も大きな要因かと報道

毎年、出生数が過去最少となり、急速な少子化に歯止めが掛からない日本。経済的な不安や若い世代の意識の変化など複合的な理由があるとされているが、子育て世帯の住宅の狭さも大きな要因の1つと指摘されている。
確かにそれもあるだろう。

しかし、子育て世帯の住宅の狭さも大きな要因の1つなのなら、戦後焼け野原でまともに住む場所も無くなったのに、戦後の第1次ベビーブーム期(1947年~49年)があり、1949年には過去最多の269万人余りが生まれたことの説明はつかない。
何もかもを失い、飯を食うことさえままならなかった敗戦直後にも関わらず、子どもと共になんとか未来を築こうとした人間の気概があったからではなかったか。
「国立社会保障・人口問題研究所」が2021年に行った出生動向基本調査では、妻の年齢が35歳未満の若い世代で理想の子どもの数を持たない人にその理由を複数回答でたずねたところ、下記のような回答が返っている。
「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」が最も多く77.8%、「これ以上、育児の心理的・肉体的負担に耐えられないから」が23.1%、3番目に多かったのが「家が狭いから」「自分の仕事に差し支える」でともに21.4%と、およそ5人に1人が要因に挙げた。その前の2015年の調査で「家が狭いから」と答えた人は18%なので、6年間で3.4ポイント増加している。

出生率世界最低水準の韓国の取り組み

お隣の韓国では、住宅や育児のコストが高騰したため、女性が結婚や子育てよりもキャリアの向上を重視するようになり、過去10年のあいだに出生率が世界最低の水準まで急落した。

このままでは日本の半分である5100万人の総人口が今世紀末には半減することになり、アジア第4位の規模を誇る経済の成長と社会保障制度の維持にとって、人口危機は韓国最大のリスクとなっている。

出生率は依然として世界でも過去に類を見ない低さではあるが、2023年の0.72に比べ0.75へと上昇した。出生率低下に歯止めをかけるべく、韓国は少子化対策に何十億ドルも投じてきたが、それでも出生率は2015年の1.24から8年連続で低下していたが、過去9年間で初めてのことである。

回復の大部分は、コロナ禍に延期されていた結婚が増加したことを反映しているが、それ以外のデータからは、単にコロナ禍からの一時的な反動だけでなく、政府の対策が奏功している兆しも見られる。四半期データによれば、2024年後半に第1子の出生数が11%増加したのに対し、第2子の出生数は12%増加しているのだ。

コロナ禍で先送りしていた結婚に踏み切るカップルが増加し、企業と国民に子育て支援を促す政策努力が成果を生みつつあると言う。

二人目の子を授かった夫婦は、こう言った。

「最初の子が生まれた5年前に比べて、社会全体が出産を奨励するようになった」。

「さらに重要な点として、企業文化が出産を奨励するようになっているのがとても助かる」と。

夫の勤務先である建設会社のブヨングループは、昨年から、従業員に対して1億ウォン(約1000万円)の出産祝い金の支給を始めている。

また、昨年実施された韓国の政策転換の1つは、父母双方が育児休暇を取得する場合に給与が全額支給される期間を、それまでの最長3カ月から6カ月に延長したことだ。さらに、父母双方が取得する場合、育児休暇の最長期間が1年から1年半へと延長された。

父親の育児休暇も、最長10日から20日に延長された。中小企業の従業員については、政府が休暇期間中の給与を肩代わりする。

政府は今年から、上場企業に対し、法令で定められた提出文書に育児関連の統計を記載することを義務付けるとともに、政府の少子化対策プロジェクトに対するインセンティブ、中小企業を対象とする助成金を提供するようになった。

政府と企業の策で少子化の流れを止められるか

2023年の婚姻件数はコロナ禍後の反動で12年ぶりに増加に転じ、さらに2024年には、過去最高のペースで急増した。昨年の政府の調査では韓国民の52.5%が結婚に対して肯定的な見方を示しており、2014年以降で最高の数値となっている。

韓国政府は、制度面で打てる限りの手を打っているように見える。さらに求められるのは、より多くの企業が継続的に少子化対策に取り組むことだ。

先ほど紹介したブヨングループが、出産祝い金制度を発表したところ、同社従業員のあいだで出産が急増した。人事部長はこう言う。

「結局のところ、企業としてもこれが生き残るための手段だ。我が社はアパートを建てるが、そこで生活する人たちが十分にいなければ、アパートだって売れない」と。

現在大統領代行を務める崔相穆(チェ・サンモク)経済副首相兼企画財政相は、「この勢いを生み出すのは難しかったが、しっかりと維持していかなければならない。そのためには、フリーランスや自営業といった、少子化対策の空白地帯になっている部分を急いで埋めていく必要がある」と語っている。

韓国における最後のベビーブームは1991年から1996年にかけてのことだった。政府は2030年までに出生率を1まで上げたいとしているが、それでも人口の安定維持に必要な出生率である2.1には遠く及ばない。

見事にイカナゴを絶滅させた日本は少子化の流れを止められるのか

お隣の韓国のこうした政策が実を結び始めているとしたら、日本も大いに学ぶべきだろう。

しかし、私は、人間の在り方が変わってしまったことに少子化の本質はあると考えており、なんとか神がつくりたもうた本来の人間の、幸せ感とか後世に対する責任感とかを取り戻せないとしたら、もはやなにをやろうがダメだと思っている。

「子供を育てる」ことより「お金の心配」、もっと言えば「自分ご自身の快適なご生活?」を後世よりも優先する人間に変わってしまった以上、「得(インセンティブ)」を与えなければ人口維持ができないわけで。そんなことをしなければならない人間社会など、本来の姿から程遠すぎはしないか。

友人の柄澤 博人さんは希望を捨てていない。
「韓国は…基本的に一部の 極一部のエリート集団に入れなかった時点で 夢も希望も消えてなくなるので、大学受験失敗したら国外に出ていく人がめちゃ多い。日本…こんだけ色々あっても、まだ内需が極めてでかい。治安がいい。多分世界で一番。これだけでも、日本の若者に子供を作るインセンティブを与えればまだ変われるはずだと思うのですが」と。

「インセンティブ」で動くのなら、熱い「愛」とリアルな「本能」にもっと頑張ってほしいと思うのは私だけだろうか。

イカナゴのくぎ煮

確かに、子育ては大変だ。
私たち夫婦は3人のうち1人目の子を流産で失い、2人目、3人目の子どもを必死になって育てた。

家族全員が路頭に迷うことなく毎日メシを食い、それぞれが健康を維持し、学校に通い、成長して、社会に出る、そのことを完了するまでの20数年間は、決して平坦な道ではなかったし、あまり口にしなかった血を吐くような苦労もあった。
たとえば。

私は、子育て完了までの20数年間は、子育てのための金を優先して私の大事な価値観ややりがいは二の次、三の次にすることを決めた。家族のためには己の仕事のこだわりを犠牲にして、それがブルシットジョブであろうと「毎月必要な金を稼ぐ」ことを20年以上優先して私は働き続けてきた。

ブルシット・ジョブとは、無意味で不必要、有害な有償の雇用の形態を指し、「クソどうでもいい仕事」と訳される。
この期間は、イカナゴの釘煮のまち「神戸」に家を建てて住んだ時代、そして失われた30年とガッツリ重なっており、子育てに必要な金を求めれば、震災ダメージの残る神戸ではなかなかありつけず、京都と東京に単身赴任して仕事にありついたが、それらが私が理想とする仕事でもあることはほぼなかった。

そんな20数年間は、子育て最優先の割り切りでやり遂げたとはいえ、私個人として本音を言えば、地獄の苦しみの一つだった。

所詮私の体験など、誰の何に参考になるかわからないが、せっかくしてきた体験だ。
元々何も着せてなどいないが、歯に絹を100%着せず、全部書いてやろうと思う。

(つづく)
この連載は、昭和を30年、平成を30年、そして令和をまだ生きている「神生 六(本名:越生康之)」の人生の記録であり、遺言として残すものでもある。