
「網走」と言えば、かつてこの映画を観たあと表に出れば肩で風を切っていた単細胞な私などは「網走番外地」そして「健さん」ということになってしまうわけだが。
血気も衰えて然るべき「大人の旅人」であることを自覚して(笑)、まずは古くから景勝地として知られている網走湖を訪ねた。
網走湖は、網走市街の南西に位置する周囲43kmの海跡湖である。
東湖畔の中央部から突き出す呼人半島には全長7kmの遊歩道があり、バードウォッチングや散策に最適な湖となっている。周辺にはミズバショウの群生地があり、4月下旬から5月上旬にかけて美しく咲き誇る白い花々を見ることができる。
網走湖は道内一の水揚げを誇るワカサギの産地でもあり、凍った湖に穴を開け、あらかじめ氷の下に這わせてあったロープに網を結んで投入し、その網をひいて漁獲する氷下ひき網漁業は網走湖なしには語れない。網走湖産のワカサギ卵は、全国各地に出荷されている。






あの網走刑務所(網走監獄)へ
網走監獄の歴史は、1890(明治23)年に設置された「釧路監獄署 網走囚徒外役所」に始まる。
その当時は明治維新の動乱が起こっており、全国の収容所が政治犯などで溢れかえっていた。そこで明治政府は、彼らを広大な土地を持つ北海道に送ろうと考えた。
網走の村に奇妙な赤い着物に身を包み、手足を鉄の鎖で繋がれた屈強な男達が50人現れた。男達は監視する役人の指示のもと、川に面した森の大きな木を次々と切り倒すと、それを材料に自分達が寝泊りする小屋を建てはじめた。次の月には、また50人の鎖で繋がれた男達が現れ黙々と仕事を手伝い始める。そしてその次の月にもまた、鎖で繋がれた男達が現れ・・・ 。
やがてそこには千人以上の囚人が生活ができる大きな刑務所ができあがっていた。


このようにして始まった網走監獄だが、「日本一脱獄が難しい刑務所」としても知られることになった。
一度入ったら二度と出られない網走監獄
網走監獄の建築の一番のテーマは、いかに囚人たちが逃げられないような空間にするかということであり、それは監獄の形に如実に現れていた。
網走監獄は50m以上ある5棟の舎房でできていた。この5棟は1点でつながっており、そこにある中央見張という小部屋で囚人を監視していた。


この「五翼放射状平屋舎房」はベルキーのルーヴアン監獄を参考にしており、大勢の囚人を少ない看守で見張ることができるという点で優れている。この形を採用したことで、監視カメラのない時代にも関わらず多い時には最大で1000名を超える囚人を監視できていたという。
もう一つ囚人たちの脱獄を阻んだのは、網走という土地の厳しい気候と地理的な条件だった。北海道の冬の寒さは言うまでもなく厳しいものだが、それに加えて北海道が広大だが孤立していること。
この二つが、囚人たちを精神的に追い詰めていた。
こうした厳しい環境で、囚人たちは北海道開拓のための労働力として日々勤めていた。囚人たちの労働によって道路やインフラが整備され北海道開拓は進んだが、あまりに過酷な労働条件のために命を落とす囚人も後を絶たなかった。
脱獄を試みた囚人たち
網走監獄はその厳しい環境から脱獄を試みる囚人も多くいたが、皆ことごとく失敗していく。
そんな中、脱獄を達成した猛者がいた。名を「白鳥由栄(しらとり よしえ)」と言い、他の刑務所も含めて計26年の服役中に4回も脱獄事件を起こしており「昭和の脱獄王」と呼ばれた脱獄のプロである。
その脱獄方法は想像を絶する。白鳥は網走に収容される前にも脱獄をくり返していたから、刑務所側も彼に対して特別な措置をとった。

彼の独房には5本の鉄枠が縦に溶接されていたが、その奥にさらに特別な視察口を設置。この視察口は縦が約20cm、横が約40cmの大きさで、常識で考えればこの視察口から人間が出ることは不可能だ。しかし白鳥は、鉄枠さえ外せば出られると思ったというから並ではない。
白鳥は鉄枠を外すために鉄枠をとめる竹製のボルトに注目し、このボルトに朝と晩の1日2回支給された味噌汁をかけて、その塩分でボルトを腐らせるという策を考え、実行に移した。味噌汁をかけ続けること3ヶ月、ついにボルトが緩み鉄枠に隙間を作ることに成功。鉄枠の外へ出た白鳥は、問題の視察口を突破するために、自分の体の関節を脱臼させることで肩幅を狭めて潜り抜けたのだ。
こうして監視の目を潜り抜けて脱獄に成功した白鳥の身体能力と味噌汁を使おうという発想は、名作映画「ショーシャンクの空に」の主人公に勝るとも劣らない!そして、白鳥は当時私と同じ67歳だったというから凄すぎる。この男、使いようによっては世の中のとんでもない役に立ったろう。
白鳥由栄は漫画「ゴールデンカムイ」の白石由竹のモデルとなっており、その舞台として網走監獄も描かれている。
昭和48年から10年計画で進められた新築工事に伴ってこの旧網走刑務所は姿を消し、現在の網走刑務所が建設された。旧網走刑務所の建物は天都山の麓に移築保存され、「博物館 網走監獄」として公開されている。
現在の網走刑務所
現在の網走刑務所は、総面積1640ヘクタールの日本一広大な敷地を有し、耕種農業のほか、日本唯一の畜産及び林業を営む刑務所である。




木工作業は、小物民芸品、金属作業は、焼肉コンロや燻製器製品、洋裁作業は、阿寒アイヌコンサルンの協力を得たアイヌ文様シリーズの製品、窯業作業は、オリジナルの氷彩貫入シリーズの三眺焼製品などを中心に生産しており、網走市民、観光客等から好評を得ている。
また、二見ケ岡農場では泊込作業として、自給用の馬鈴薯等の野菜類や黒毛和牛を生産。近年は再犯防止施策を推進するため、地域貢献となる援農、出所後の就農等に結びつけることを目的とする北海道東部所在刑事施設による農業モデルを。実施網走刑務所、旭川刑務所、帯広刑務所、釧路刑務支所が連携し、社会に近い環境で就農に必要な資格を取得させるなどしている。
道の駅「流氷網走街道」
道の駅「流氷街道網走」は、カモメが飛びかい漁船が行きかう網走川河口に位置し、オホーツク海や知床半島を一望できる場所にある。

観光情報を始めとした地域の多様な情報発信や地元の農水産加工品の販売などを行っているが、冬期間は網走流氷観光砕氷船「おーろら」の発着場として、流氷観光の拠点にもなる。

駐車場、トイレ、休憩環境は?
駐車場は、とても停めやすい。傾斜もさほどなく平坦なので、体を横たえての仮眠も大丈夫だ。もちろん、極寒の時期は仮眠といえどやめた方がいいが。


トイレはとても綺麗。ありがたい。


港のそばなので、ただ海を眺めているだけではなく、行き交う船がいろいろあって楽しい。







映画「北の桜守」の撮影セットの中に、吉永小百合さんがいる!と思ったら、等身大パネルだった(笑)。



道の駅「流氷街道網走」での買い物は?

1階には地元特産品紹介・販売コーナーがあり、「網走プリン」や銘菓、農水産加工品、道の駅オリジナルグッズ、「おーろら」グッズなど、個性豊かなオホーツクの特産品を選ぶのが楽しい。



お土産ランキング第1位は、北海道民にもよく知られている地元の網走ビールの看板商品「流氷ドラフト」。海をイメージした青色のビールは、仕込み水に流氷を使ったものだ。
他にも農産加工品や銘菓、網走刑務所で製作された「三眺焼」の花瓶やペア湯飲み、道の駅グッズ・おーろらグッズなど珍しい品が手に入る。
旬の海の幸も
直売コーナーには、水産加工品のほかに活ホタテや毛ガニ、タラバなど、ここならではの旬の海の幸がずらりと並ぶ。


オホーツク海と4つの湖沼がある漁業基地網走だからこそ、新鮮で多種多様の美味しい水産物が手に入るのだろう。
「冷凍すり身発祥の地」とも呼ばれている網走ならではの、水産加工品の数々にも注目だ。
ここでしか味わえないグルメをテイクアウトで
1階のテイクアウトコーナーには、パチパチとはじけるキャンディーがトッピングされた「流氷ソフトクリーム」や、道の駅オリジナルの「網走バーガー」などがある。

「網走バーガー」は、網走産長芋とカラフトマスのフライ、金印わさびなど地元の食材がサンドされている。長芋のサクサク食感と山わさびマヨネーズのピリッとした辛さが、カラフトマスのフライと相性バツグンだ。
フードコートで堪能するグルメの数々

2階には映画の舞台となった網走を再現した休憩コーナーと飲食ブース。フードコート「キネマ館」では、カラフトマスの唐揚げを中華風にアレンジした「網走ザンギ丼」や「オホーツク千貝柱塩ラーメン」、「ホタテの釜飯」などここでしか味わうことのできない網走のご当地グルメの数々を味わえる。
青と白のルーで流氷を表現した「オホーツク流氷カリー」は、テレビでも取り上げられたことのある珍メニュー。ルーが食欲をそそる色ではなく、見た目的には到底美味しいとは思えないがw

