
祖谷(いや)。そこは、岐阜県白川郷、宮崎県椎葉村と並んで、日本三大秘境の一つとされる地域です。四国のほぼ真ん中、徳島県三好市奥地の秘境・祖谷は、三大秘境の中でも「秘境」と言う呼称がもっともピッタリくるのではないかと思える、秘境の中の秘境です。
日本は国土の70%以上が山地ですが、祖谷のある徳島県三好市は森林率がなんと86%。地域のほとんどが山、市全体がほぼ山。祖谷は特に平野というものが皆無。急峻な山々がどこまでも連なっていて、その傾斜地に張り付くように各集落が点在。山々から続く大きく傾斜した土地が、川までつながっているのみです。
そんな過酷な傾斜地で、祖谷の人々は独自の暮らしと農業を営み、今でもその暮らしは昔のままをとどめているようです。そんなことから、すっかり近代化した日本の他の地域と比べ、祖谷は「日本の原風景」と呼ばれているのです。
その祖谷の集落の代表格が、写真の落合集落。東祖谷のほぼ中央、祖谷川と落合川の合流点より山の斜面にそって畑、石垣、里道、茅葺き屋根の古民家が広がる大規模な集落です。江戸中期から昭和初期に建てられた建物も多く、2005年、国の重要伝統的建築物群保存地区に選定されています。
源氏の追っ手がたどり着けなかった真の隠れ家
落合集落内の高低差はおよそ390m。東京スカイツリーには及ばなくても、333mの東京タワーよりもはるかに高い。そんな高低差を、一体どうやって集落内の人は行き来しているのだろうか?そんな興味を持ってこの落合集落に迫ろうとしたところで、谷底の川沿いを走る国道からは、落合集落の姿を見ることはできない。そもそもどこから落合集落に入ればいいのかもわからない。これこそが真の隠れ家。かつて源氏の追っ手が迫ろうとしてとうとう叶わなかった、あらかじめその場所をよく知っていなければ、つまり身内でなければ「たどり着くことは不可能」な棲家。それでこそ「真の隠れ家」だと言えるのだろう。
対岸からしか確認できない全景
もし我々が興味本位で落合集落の中に入って行ったところで、高低差が390mも急傾斜地に迷い込むだけで、この落合集落の全容を把握することはできないと思われる。現代人ごときに全容を把握されるぐらいなら、源氏の追ってから逃れ切ることなどできなかっただろうし。
そんな落合集落の全景を展望したければ、川の対岸から遠望するよりない。
祖谷川の反対側、中上の「落合展望所」には集落の地図や案内、駐車場やベンチ、お手洗い等も完備されていて、落合集落の全景(遠景)を眺めることができる。

落合集落の起源は明らかになっていない。だからこそ秘境なのだが、祖谷地方には平家の落人伝説や開拓伝承などは残っている。源氏の追討軍が攻め寄せてきた場合に切り落として侵入を防げるよう、野生のシラクチカズラという植物の蔓を編んで架けたと伝えられている日本三奇橋の一つ「かずら橋」や、日本最古の軍旗といわれている「平家の赤旗」、源氏の追及を避けるために墓碑が建てられていない「平家の墓」など、平家落人伝説にまつわる伝説・伝承や史跡が数多く残されている。
平家物語では、平家は1184年壇之浦(現山口県下関市)の戦いに敗れ、幼い安徳天皇は入水して没したとされ、その際には平清盛の甥である平教経も源氏の武者2人を道連れに海に飛び込んだとされている。しかし、祖谷に伝わる落人伝説ではこれとは違うことになっていて、非常に興味深い。
祖谷に伝わる落人伝説
祖谷に伝わる落人伝説では、壇ノ浦で入水したとされる安徳天皇は、実は影武者だったというのだ。
海に飛び込んだ平教経は本物の安徳天皇を連れて阿讃山脈を越え、山深い祖谷へとたどり着き、この地でじっと身を伏せたのだと。しかし、安徳天皇は高熱が原因でわずか8歳で亡くなってしまう。教経は悲しみ、平家再興も断念して、そのまま祖谷で暮らし、生涯を終えたという。祖谷で今でも生活をしている阿佐家は、彼の子孫である。
これが、その昔幼い安徳天皇と平家の一行が落ち延びできたという祖谷の平家伝説だ。この伝説にまさにリアリティを感じざるを得ないのが、山々に囲まれ、急峻な傾斜地に隠れ、ついに源氏の追討軍が追いきれなかったであろう秘境・祖谷である。
まず、道の駅「大歩危」へ
私は、この落合集落に行く前に祖谷峡谷の醍醐味も満喫したいと思い、明け方まで道の駅「大歩危(おおぼけ)」で仮眠をとることにした。夜が明けたらそこからまず北へ走って早朝の大歩危峡、小歩危峡を堪能し、JRいやぐちが目印になる祖谷峡大橋を渡って今度は南下。午前中たっぷりと祖谷峡谷を縦断したのち、午後から東祖谷方面にある落合集落に向かうというスケジュールを立てた。
高知県安芸市営球場で行われ土讃線ていた阪神タイガースの秋季キャンプが終わったので、そこから北上して、道の駅「大歩危」に向かう。大歩危までは、JR土讃線、そして吉野川に沿って走る徳島北街道(県道32号線)を走っていくのだが、道の駅「大歩危」に到着する手前3〜4km ほど手前に、ぽつんと一軒の蕎麦屋さんがあったので、寄ってみた。



お店を一人で切り盛りさせているのは、97歳の向井芳香さん。人生100年時代、あと3年でその100歳を迎えるとは思えないほどお元気。「祖谷そば」はこの辺りの名物だが、向井さんご自身が打つそばは、いわゆる「つなぎ」を使っておられない。つなぎとは小麦粉のことで、小麦粉に含まれているグルテンがつなぎの役目をするのだが、「基本的に蕎麦は十割で、つながらないんだよ」と向井さん。
ふとくて短く、コシが無くて素朴な味。たいへん美味しゅうございました。
また、来ます。向井さんお元気で!

道の駅「大歩危」は「児泣き爺」の生誕地
道の駅「大歩危」は、徳島県西部の旧山城町(現三好市山城町)にある。吉野川が創り出したV字峡、通称「大歩危峡」の中心部にある道の駅である。 おおぼけと読むが、ボケているのではない。漢字で「歩くのも危険」と書く通り、このあたりは断崖絶壁の連続。川沿いを走る徳島北街道に沿って細く長い敷地をなんとか確保し、道の駅の各施設がまさに傾斜に「張り付くように」細長く並んでいる。


さて、道の駅「大歩危」が位置する旧山城町だが、ゲゲゲの鬼太郎にも登場する「児泣き爺(こなきじじい)」はここで生まれたらしい。

このことからこのあたりは「妖怪の町」として町興しが進められてきた。 町内のあちこちに妖怪のモニュメントが設置されていて、時間があれば妖怪の町巡りをするのも面白いかもしれない。 なんで道の駅が「妖怪屋敷」なのか謎が解けたところで、仮眠するためのチェックを開始した。

駐車場の右側、つまり方角としては南側になるが、大歩危峡を満喫できる展望台が設置されていて、24時間利用できる。写真の手前に手すりが写っているが、ここから展望台に上がる。実際に眺めてみたが、川下、川上ともにとても美しい景色だ。




川の水の色がすごい。この色はまさにエメラルドグリーン。水そのものがこの色なのかというとそうではなく、美しい色の正体は川底に沈む緑色の石なのである。
四国を横断する三波川帯という地質帯には2割程度、緑質片岩という緑色の片岩が含まれている。太陽の光が海底の緑質片岩に反射し、水を通してその美しいエメラルドグリーンを浮かび上がらせているのだという。
まあ、仮眠する真夜中には真っ黒にしか見えないがw
駐車場とトイレの位置関係
まず、仮眠利用の最も重要なこととして、駐車場側のトイレが24時間利用できるかどうかを念のために確認。私には関係ないがオストメイト、オムツ交換ベッド完備である。


駐車場は横に長いが、トイレにほど近い場所に停めれば楽かなと駐車スペースの目付けをした。



ただ、一つだけ覚悟しないといけないことは車の走行音。夜中の交通量はたかが知れていると思われるが、何せ道のすぐそばが駐車場なので、車がくればヘッドライトと走行音で起こされるかも知れない。
仮眠場所のチェックができたので、館内へ。ちなみに館内のトイレはより綺麗なのだが、9時~17時のみの利用となっている。

館内入り口右手の「エンコ」、「一ツ目入道」、気持ち悪いw


「祖谷そば」と「歩危銘茶」が人気
道の駅「大歩危」は、「妖怪屋敷と、併設されている石の博物館」以外には、物産館とカフェレストランがある。

道の駅の物産館では、まず「祖谷そば」が目に入る。「祖谷そば」の特徴は「そばなのに麺が太い」、そして「麺が短い」ことだ。 これは先ほどいただいた向井お婆さんのお蕎麦もそうだったが、麺がそば粉100%で作られており「細く長く出来ない」ためである。 だから、年越しそばのような縁起物に使用するのには向いてないかもしれないが、純粋な蕎麦の味を満喫するにはうってつけ。もう一つは「歩危銘茶」。 大歩危の大自然の中で育てられた、この地域の昔からの特産品である。その 種類はノーマルな「大歩危茶」、そして「炙り歩危番茶」「天空の山茶」の計3種類。

祖谷そば、山城の銘茶、山菜や味噌などの地場産の逸品以外に、お菓子やお酒などお土産品も充実している。


ここならではのものとしては、天然石を使ったアクセサリー。一品物がたくさん売られていて、その他鉱物や妖怪グッズも売られている。


その他には近隣の観光地の「かずら橋」を冠した「かずら橋そばつつみ餅」「かずら橋栗まんじゅう」が人気の商品。 徳島県全般の特産品である「徳島ラーメン」や「鳴門金時サブレ」も販売されている。

もう一つの施設、カフェレストラン「Cafe&ジビエ」は主にドリンクとジビエバーガーを提供する店舗だ。



以前に本駅に存在した軽食堂に変わり、2021年4月にオープンした新しい「食」の施設である。

撤退した軽食堂は「祖谷そば」を安価で味わうことが出来た希少な店だったらしい。道の駅に着く前に向かいおばあさんの店で祖谷そばをいただいていてよかった。「Cafe&ジビエ」の名物メニューは「鹿メンチバーガー」と「ジビエタコライス」。 バーガー類はテイクアウトが可能なので、 テイクアウトにして、本駅の展望テラスから大歩危峡を眺めつついただくというのもオススメだ。


妖怪屋敷と石の博物館


旧山城町に伝わる妖怪伝説を後世に遺すため?かどうか、とにかく町興しをしたい地元の方たちが知恵を絞ってつくりあげた妖怪屋敷は、どこか素朴で滑稽で、懐かしい雰囲気だ。
山城町に伝わる妖怪伝説の説明や、実物大?の妖怪展示、 妖怪が潜むお化け屋敷のような「山城坑道」などが楽しい。 妖怪クイズに正解すると妖怪屋敷博士認定書を入手できるそうだ。
妖怪屋敷の入場料は、「石の博物館」とセットになっていて600円(子ども250円)だ。

大歩危・小歩危は、地質学的に大変価値のある地域である。
この博物館で実物の岩石を見て、その成り立ちに触れてから大歩危峡を散策すると、また違った見方ができるかもしれない。なぜか火星の石や化石、恐竜の骨の展示もある。



館内の随所に、座って休めるスペースがたくさんあるのも年寄りにはありがたい。もちろん「よっこいしょういち!」の掛け声はお約束。
四国三郎って、誰やそれ?
さて、道の駅を出て、大歩危峡、小歩危峡へ。徳島北街道(県道32号線)を北に登っていくが、常に右手(東側)には、「四国三郎」が流れている。
というと、誰やそれ?とわけわからん人も多いだろう。
だいたい、「三郎」と言えば北島三郎なんだが、四国にはもう一人の三郎が有名だ。これが誰かと言うことになるのだが、人ではない、吉野川のことなのだ。高知県から徳島へ流れるこの一級河川は昔から日本三大暴れ川の一つと数えられていて、それらは坂東太郎(利根川)、筑紫二郎(筑後川)そして四国三郎(吉野川)。吉野川は、「暴れ川三兄弟」の三男なのだ。
そんな暴れん坊・四国三郎こと吉野川が深くえぐり続けてきた大歩危峡・小歩危峡は、結晶片岩が水蝕されてできた溪谷であり、巨大な大理石の彫刻がそそりたっているかのような場所も多い。
右手に川の向こう岸の紅葉を楽しみながら北上を続けていく。


早朝の大歩危峡、小歩危峡をしばし堪能し、JRいやぐちが目印になる祖谷峡大橋を右折して渡り、南方面へ。右手(今度は西側)にやはり川が流れているが、これが祖谷川。川に沿って断崖絶壁がおよぞ15キロも続き、祖谷渓谷を縦断していく。縦断と言っても、九十九折で道も狭く、景色に目を奪われていると脱輪したり対向車と衝突の危険があるような狭い道が続くのだが。


ひの字渓谷と、祖谷川に200m小便を落下させる小僧
この間、ぜひ車を止めて観たいものが2つ。一つは小便小僧、そしてもう一つが「ひの字渓谷」だ。
祖谷川を南下していてまず現れるのは小便小僧。街道中一番の難所といわれる七曲(ななまがり)に突然現れる。谷底まで200mの高さがあり、川に向けて標高差200メートルの大小便を飛ばすのかと思うと、実に頼もしい!?像は1968年、徳島県の彫刻家、河崎良行氏が制作だ。

なぜこんなところに小便小僧? その昔、子どもや祖谷街道工事の作業員、旅人たちが、像のある岩のあたりで小便をして度胸だめしをしていたのが由来らしい。う〜ん、いずれにしても奇妙すぎる光景だ。
小便小僧からさらに道を行くと、ひのひらがなの「ひ」の字状にぐにゃりと曲がった箇所が現れる。ここが『ひの字渓谷』である。

冬の祖谷も格別だと言うが、秋に来ても、いや、春や夏に来ても、いつも素晴らしい景観だ。それは、大きく切り込まれた渓谷の下に流れる、エメラルドグリーンの水流が印象的な祖谷川と、それぞれの季節が織りなす景色との組み合わせの面白さに他ならない。

『祖谷』の吊り橋
32号線を南下してきて、45号線に右折する場所まで来たら、右折せずにそのまま32号線を直進すると、有名な吊り橋と滝があるのでそこにも行ってみよう。
橋の名前は『かずら橋』。全長45m、幅2m、祖谷川の水面から14mの高さに架かる橋で、国の重要有形民俗文化財に指定されている。


シラクチカズラという植物で作られたこの吊り橋は、日中であれば実際に渡ることができる。

滝は「びわの滝」。

昔、平家落人が京の都をしのび、この滝で琵琶をかなで、つれづれを慰めあっていたことから名付けられたと言い伝えられている高さ約40mの滝である。気象条件によって、滝の飛沫でできる虹を見ることができることもあるそうだ。
ここから奥に少し進むと遊歩道があり、そこから石階段で川辺に下りて川遊びができる。

祖谷温泉の贅沢
秘境祖谷にも温泉はある。
お金の余裕がある方は、展望風呂と露天風呂が楽しめる秘湯『ホテル祖谷温泉』に宿泊するといいかもしれない。椎葉村も白川郷もそうだが、オーバーツーリズムの波はここ祖谷にも押し寄せつつあると感じていて、その結果として、温泉の利用にもお金がかかるようになってきているのが残念だ。

