人間はなんで働くの?-13 人を助けたい、心に希望の光を灯したい

Lite WorkをAIに聞けば、何かに光(light)を持たせる力を持つ仕事、またはその仕事に従事する人という答えが返ってくるが、私は少し具体的に、「弱っている人や絶望している人の心に光を灯す目的、あるいは社会の一隅を照らすという目的を持って取り組む仕事」と定義しています。

ネットで「ライトワーカー」検索すれば、「光の仕事をする人」という直訳の答えも存在します。

光の仕事って何さ?照明屋か?との勘違いも起こってしまうような直訳なのですが、「光」になるという意味ではあながち直訳も間違いではありません。Lite Workとは、人の心の傷を癒やし、心の中に希望の「光」を灯す、そんな仕事です。

そういう意味で、写真の安克昌医師は、真のLight workerとして最期まで生きた人でした。

⑧絶望している人の心に「光を」。社会の一隅を「照らす」仕事をしたい」→Lite Work  

心の傷を癒すということ

平成7年(1995)の阪神大震災の際、被災者たちの精神的な問題に向き合い続け、若くして世を去った精神科医をモデルにしたNHKドラマ『心の傷を癒すということ』を観て安克昌(あん・かつまさ)医師をご存知の方も多いのではないだろうか。

柄本佑氏の好演も光ったドラマが、大震災から30年を機に再放送され、日本の「心のケア」の先駆けをなした精神科医の業績と生き方に再び注目が集まった。

安さんは、当時神戸大学医学部精神神経科助手で、自らも被災しながら、被災直後に見られた高揚感とその後の疲労感、生き残った者の罪悪感など、大規模災害下のさまざまな精神状態を報告した。「心のケア」や「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」が日本で認知される中心的な役割を担った人だ。

精神的な問題だけでなく、安さんや彼の仲間が被災地で模索した手法は、その後の災害の場で生かされている。医師らが現場に出かけていくこと(「アウトリーチ」)、被災者の話を同じ立場で共感して聞くこと(「傾聴」)などもその例である。

安医師が「最期」に頼みたかったことは何だったか

震災からわずか5年。肝細胞がんのため安さん39歳という短い生涯を終える。

病が末期で見つかったとき、妻は3人目の子供を身ごもっていた。安医師は入院を極力避け、家族とともに過ごした。産気づいた妻を産院に送り出した後、自らも病院に赴き、赤ちゃんが生まれた2日後に亡くなった。

「頼む」

安克昌医師が最期に残した言葉だった。

息を引き取る直前、声にならない声でその言葉は何度も繰り返されたという。赤ちゃんのこと、残された妻のこと、なお苦しむ多くの被災者のこと。彼が頼みたかったことを想像すると涙が止まらない。

安さんは精神医学の分野で早くから心的外傷に由来するいわゆる多重人格の臨床と理論に取り組んでいた。阪神大震災に遭遇し、被災者が負った心の傷にわがこととして向き合っていったのは、必然的なことでもあったが、安医師も被災者だった。

初めてのことに戸惑い、ときに涙を流しながら、彼は全力で被災地の心の傷に向き合っていった。一方で「心のケア」がただブームのように語られたり、ケアが専門家や専門機関にのみ押し込められたりすることに、安さんは批判的だった。傷ついた人に優しい社会を思い続けていた。

そうした社会の未来こそ、安さんは最期に頼みたかったのかもしれない。

人を思い遣って生きるということ

自らの死期を悟った時、安医師が最後に選んだ生き方は、身ごもった妻とお腹の中の我が子をいたわって、そして積極的に生きることだった。ふらふらになりながらも彼は普通の日々を送ろうとし、家族と外出もした。

それは何故だったか。

心の傷に本当に優しい社会、あるべき社会とそこに生きる人の姿、つまり人を思い遣って生きるということを、彼は最後の力を振り絞って、自らの生き様で示したのではなかったか。
阪神大震災後に、心的ケアの技術や制度はずいぶん充実した。安さんの知見が伝えられ、心的外傷への理解も進んだ。

しかし、災害に関連した自殺や孤独死は後をたたない。心の傷に優しい社会の実現と言うは簡単だが、心に傷を負った人々が暗闇からそちらを向いて歩こうとするだけの「光」さえ、未だ十分ではない。

ライトワーカーは、玉石混交

私は、安さんのような医師や、同様の目的意識で働くあらゆる職種の方々をLight workerとして捉えているが、ライトワーカーは「ヒーラー」「メッセンジャー」「トランスミュター」の3つに分けられるという解釈も世の中には存在する。

ということで、それらの説明もしておく必要があるだろう。しかしこの3つの職種には、どうしてもやや胡散臭いイメージがつきまとう。私の偏見というより、事実、胡散臭い人もいっぱいいる職域だ。

一つ目のヒーラーとは、ライトワーカーの中でも最も多く、よく知られてもいる、人を癒やす仕事である。その解釈はさまざまで、日本では特にヒーラーというと、エネルギー療法、手当て療法、心霊治療等の代替医療を行う者を指すことが多い。

2つ目のメッセンジャーとは、天からのメッセージをインスピレーションとして受け取って、芸術などに置き換えて人々に伝えていく仕事だ。アーティスト・写真家・歌手・作家などの中に一部、メッセンジャーの役割を意識して創作活動をしている人がたしかに一定数存在する。自身の芸術によって、周りの人々をネガティブな感情から解放しようというわけだ。

日本バイオセラピー協会会長・息吹友也氏(東洋医学名誉博士、画家、作家)が主宰する絵画の手法「パワーアート」はこれに該当すると思われる。自分の言葉で説明しにくいが、「喜怒哀楽にとどまらず人間の持つあらゆる感情を絵画にぶつけ、最後に辿り着く、心の静寂を中心にまとめたアート」という説明と作品群がネットで見つかった。それによると、ヒーリングアーティストやパワーアーティストは、見る人の心に癒しや幸福感を与えられるよう、作者の強い想いや人生を込めて描くのだという。

最後3つ目のトランスミューターは、ネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーに変換する仕事とされるが、これを名乗る人はたいてい眉唾物で、胡散臭いのがもっとも多くいる。私の知る限り、自他ともにトランスミューターと認められるような人は、表博耀(おもて ひろあき)氏ただ一人だったが。

ただ、私が会った時の彼とは彼は、肩書きも顔つきも随分変わっている。現在は、「創生神楽宗家」「日本国エンターテイメント観光大使」を名乗っている。心身ともに鍛えておられるので、とても私の4歳下つまり63歳とは思えない。

彼は、3歳より山伏の修行を開始し、以来修験道の道へ。経済産業省内で発足された「新日本様式(ネオジャパネスク)推進懇談会」の発起人で、「ネオ・ジャパネスク(温故創新)」と題した独自の日本的世界観を表現する神楽や芸術作品展などの事業を各国で展開し始めた頃に、私はご縁をいただいた。2019年にはローマ教皇庁立聖音楽院劇場にて「創生神楽」を公演し、ローマ法王にも謁見。現在は、世界に日本的な世界観や生活様式を普及し、弥勒の世を築くことに心血を注いでおられる。

お笑い芸人はトランスミューターではない

芸人もトランスミューターだという解釈があるようだが、私は「お笑い芸人」とトランスミューターの仕事に対する目的意識はまったく違うと捉えている。結果的に人を笑わせてはいるが、ネガティブな感情(不安・嫉妬・恐れなど)にある人を、一歩間違えるとさらに追い込むようなネタも多いわけで。仕事の目的が全く異なるのだ。

ちなみに「お笑い芸人」は Like worker が圧倒的に多く、Life workerがその次に多い。売れるまでは食えないのでRice workerという人はほんの一握り。あとのお笑い芸人の仕事の目的はさまざまである。

NHK『チコちゃんに叱られる!』のチコちゃんの声を担当している「キム兄」こと木村祐一氏などは、興味のあることを仕事にしているからLike workerだと思うのだが、本人的にはそうでもないらしい。

彼が芸人になる前のホテルマンと染め物職人はまともな仕事だったが、高利貸し、そして「エウリアン」とも言われた悪徳商法「絵画商法の販売人」に至っては、やってはいけない仕事をやっていた。これらは Rice work だったのだろう。

ただ「エウリアン」は値打ちのない絵を、騙してというよりその気にさせて高額で購入させるわけで、そんな芸当ができたのはひょっとするとトランスミューターとしての素養ゆえかもしれない。

お笑いタレントとして成功しつつ、次第に色々な才能が開花し始めて、今や彼の仕事は「俳優」、チコちゃんは「声優?」、「放送作家」「コラムニスト」と幅広いが、その彼の仕事に対する目的意識は私が示した14種のどれにも当てはまらない「成り行き」に近いものがあり、誰もが持つであろう目的意識 Well work すらもどうやら疑わしいのである(笑)。

(つづく)

この記事は、連載13回です。次回は強烈なLite workerが登場します。お楽しみに!