
羊蹄山の西方面の麓は、ニセコ町だ。
前回ニセコを訪れたのは1994年の春。「ニセコアンヌプリ」にスキーをしに来て以来のことでもう30年以上が経つ。
ニセコ町のスキーリフト類のルーツは、1962年(昭和37年)にモイワ山に町費で設置されたロープトウ。
その後1966年(昭和41年)に「モイワスキー場」、1972年(昭和47年)に「ニセコアンヌプリスキー場」、1982年(昭和57年)には「ニセコ東山スキー場」がそれぞれオープンし、現在はそれぞれ「ニセコモイワスキーリゾート」「ニセコアンヌプリ国際スキー場」「ニセコビレッジスキーリゾート」として発展。
上質なパウダースノーが国内のみならず海外にも知られ、インバウンドが急増。オーバーツーリズムが問題になっている観光地となっているが、旺盛な需要があるからといってこれ以上の乱開発はやめていただきたい。

ニセコとニセコアンヌプリ
歴史好きなのでどうしてもこんな話になって恐縮だが、「ニセコ(ニセコアン)」という地名はアイヌ語からつけられたもので「切り立った崖(の下を流れる川)」を意味する。
また「ヌプリ」はアイヌ語で「山」という意味があり、スキー場がある「ニセコアンヌプリ」という山は、アイヌ語で「切り立った崖(とその下に川)がある山」という意味になる。
ということで、「ニセコアンヌプリ」には、一般的な表記にある「山」や「岳」がつかない。
北海道ではアイヌ語を語源とする地名が多く存在するが、その多くは漢字で表記されている。ニセコも明治になってニセコ町への入植者がアイヌ語の地名を文字化したらしいが、「ニセコ」については漢字をあててもそれが定着せず、結局カタカナが定着することになった。
町名の移り変わり
蘊蓄ついでに、町名の歴史も。
ニセコ町は、1964年までは「狩太(かりぶと)町」という名称だった。
「狩太」というまちは、1901年、隣の真狩村(まっかりむら)から分村して誕生したが、分村するとき、新しい村となる地域で最も栄えていた地区が「真狩太(まっかりぶと)」と呼ばれていたので、その地名の一部を利用して「狩太村」とされた。
1963年、ニセコアンヌプリ一帯が「ニセコ・積丹・小樽海岸国定公園」 に指定されたが、このときはまだ、国鉄(現JR)の駅名は「狩太駅」だった。
地元ではニセコの玄関口である狩太駅を「ニセコ駅」へ変更しよう働きかけたが、当時の国鉄は駅名は地名であるという方針を持っており、「ニセコ」に変更することができなかった。それならばと、その活動が発展して町名を変更するまでに至り、1964年に「ニセコ町」が誕生することになったのであった。
ニセコ町のうた
蘊蓄ついでに、これはどうでもいい話?
ニセコ町の歌がある。昭和48年(1972年)11月に制定されたこの歌は、歌詞を公募し、わずか(笑)65点の作品の中から選ばれた歌詞にプロの作曲家が曲を付けたものだ。
「仰ぐはニセコ アンヌプリ イワオヌプリの山峡やまあいに 高山の花 咲きかおる 自然のなかに 父母ちちははが 拓ひらきし町よ ふるさとよ ニセコよ ニセコよ ああニセコ」という歌詞だが、いかにも素人っぽくて、そこに味がある??
そんな(笑)ニセコ町は、東経140度48分、北緯42度52分。道央の西部に波状傾斜の多い丘陵盆地を形成して内陸的な気候である。まちの中央には、かつて2004年に清流日本一に選ばれた尻別川が流れ、これに昆布川、ニセコアンベツ川、真狩川などの中小河川が流入している。平均気温は摂氏6.3度で、冬期の最深積雪は街中でも200cmにも達することがある。
後志管内のほぼ中央に位置し、北に国定公園ニセコアンヌプリ(1,309m)の山岳、東には国立公園羊蹄山(1,898m)を間近に望むことができる。
というわけで、羊蹄山の西側斜面を観察するには絶好の場所。特に午後は順光で鮮やかにその姿を見ることができる。
ニセコの農業

ニセコ町の農家戸数は、約150戸。おおよそ2,000haの田畑で農産物を生産している。
主要作物は、じゃがいも、米、メロン、アスパラ、トマト、ゆり根など。ニセコを含む羊蹄山麓は古くからじゃがいもの産地として知られているが、近年は、品質の高い米やメロン、アスパラ、トマトなども注目されている。
農産物は気候などの自然の恵みと、農家さんが持つ知恵や経験があってはじめて育てられる。
ニセコは内陸気候で昼夜の寒暖差が大きく、作物はほどよい厳しさの中、丈夫に育つことでうま味をたくさん蓄えていくという。農家の皆さんは安心安全な農産物づくりを第一にしておられ、減農薬の取り組みや有機物(堆肥など)の循環システムづくりなど、持続可能な農業を目指している。



価格が高騰するコメにスポットが当たって久しいが、ニセコでとれた低タンパクでおいしいお米は、「とっておき舞」というブランドで販売されている。
北海道米はまずいなんて失礼なことが言われたのはもう遠い過去のこと。今はおいしい米として全国から注目されている。
有島地区と有島記念館
羊蹄山の裾野に位置する有島地区は、大正時代の文豪有島武郎が自ら所有する農場を小作人に開放し、共同運営させたことで知られている。作家・有島武郎の父が開いた有島農場の跡地には記念館があって、武郎の作品や生涯をスライドや写真、実物などで紹介している。
ご存知有島武郎は、志賀直哉、武者小路実篤、弟・有島生馬いくま、里見弴とんらと共に明治41年に創刊した「白樺」に加わった作家の一人で、白樺派を代表する人道主義ヒューマニズムの作品群が広く知られている。
ニセコ(旧狩太かりぶと)や岩内といった、北海道を舞台にした作品が多く、代表作には、「カインの末裔(まつえい)」「生まれ出づる悩み」「或る女」、「星座」、童話「一房の葡萄ぶどう」、評論「惜しみなく愛は奪う」などがある。
有島武郎は、父から広大な農場を引き継いだ。父・武は子供たちの将来を思い「国有未開地処分法」に基づく土地貸下により、ニセコに広大な農地を開墾した人だ。
戦前の小作料は収穫高の3~4割をとられ、小作人は地主への隷属と貧しい生活を強いられてきた。武郎は土地の私有を罪悪と考え、1922年(大正11)、弥照神社に小作人を集め、父から引き継いだ広大な農場の無償解放を宣言する。解放された農場は小作人たちが共同で運営し、戦後の農地解放まで続いたが、この出来事は当時の社会にさまざまな反響を与え、武郎の遺訓である「相互扶助」の精神は今もニセコの地で生き続けている。
こうした奇特ながいらっしゃる一方で、私利私欲、投資目的で乱開発する輩もいて。
ほんに人間は「人それぞれ」を痛感しますわ、有島さん。あなたが利他の精神で遺したニセコの農業、しかと我が目で確認させていただきました。
道の駅「ニセコビュープラザ」


国道5号と道道岩内洞爺線が交差するポイントに位置する道の駅「ニセコビュープラザ」。
駐車場からも羊蹄山の姿がよく見える。







休憩環境としては申し分ない。
出店やキッチンカーも楽しく、天気の良い日は駐車場周りで休憩したくなる。








施設としては、「情報プラザ棟」、農産物直売所やテイクアウトショップが立ち並ぶ「フリースペース棟」、「トイレ棟」の3棟からなっている。


情報プラザ棟
明るくて開放的な店内には、チーズにソーセージ、お菓子、地酒などの特産品や地元作家の工芸品がずらり。お客様のお気に入りがきっと見つかります。
また、ニセコの観光案内もこちらにおまかせ!スタッフがおすすめスポットやグルメを紹介したり、道路情報等の案内も行っております。豊富なパンフレットは無料送付も行っております。
情報プラザ棟では、ニセコ産生乳のスイーツやチーズなどの乳製品から焼き立てベーグルや石窯パン、日本酒やワインなどの地酒まで、豊富なバリエーションの商品がラインナップされている。
テイクアウトショップでもニセコ産食材への愛とこだわりが感じられる。




長い廊下には24時間利用可能な自動販売機とトイレ棟があって、ドライブの合間のちょっとした立ち寄りにも便利な施設構成となっている。

通路には地元のイベント情報やアクティビティー、飲食店、宿泊施設のパンフレット等が並び、自由に持ち帰ることができる。

トイレは清掃が行き届いており、気持ちよく使わせていただいた。感謝!



農産物直売所
朝に収穫して来たばかりの新鮮なニセコ産野菜が並び、非常に魅力的な施設となっている。
春は雪の下にんじんや野菜苗、大人気のアスパラ、夏~秋にかけてはスペースいっぱいにさらに様々な野菜が並ぶ。
特にメロンやじゃがいもは旬の時期になると特設テントでの販売も行われる。
また、10月頃にはニセコの新米が登場し、ゆめぴりかやななつぼし、おぼろづきなど北海道を代表する品種が揃う。















