「幸福の黄色いハンカチ」のハッピーエンドを私にも(笑)、道の駅「夕張メロード」から(トイレ✖️仮眠✖️休憩△景観△食事○設備△立地○) 

欽也(武田鉄矢)は、赤い新車で北海道に旅に出ていた。網走の駅前で、一人でふらりと旅に出た朱美(桃井かおり)と知り合う。朱美は列車食堂の売り子で、同僚から誤解を受けて、やけくそになって旅に出たのだった。

朱美は欽也の車に乗せてもらったものの、海岸で不意に欽也からキスを求められて、車から飛び出した。逃げ出した朱美をかばい、鋭い目付で欽也を睨んだ男、それが島勇作(高倉健)であった。欽也は啖呵を切った行きがかり上、勇作に挑むが、軽くあしらわれてしまう。

そんなことがきっかけで、三人の旅は始まった。欽也が勇作に行く先を尋ねると、「夕張」と答えるだけだった。大雪山が見える狩勝峠で、強盗犯人が逃亡したことから一斉検問が行なわれていた。欽也は免許証を見せるだけで済んだが、警官は勇作を不審に思い質問すると、一昨日刑期を終え、網走刑務所を出所したと彼は答えた。朱美と欽也は驚きのあまり、語る言葉もなかった。

三人はパトカーで連行されるが、何もなく富良野署から釈放される。走る車の中で勇作は重い口を開いて、朱美と欽也に過去を語り出した。勇作は6年間、刑務所で過ごしたが、光枝(倍賞千恵子)の面影は、勇作の心から離れなかった。刑期を終える直前、勇作は光枝に手紙を書いた。「俺は、お前が良い男と再婚して、幸せになっていることを望んでいる。この手紙がつく頃、俺は夕張に行くが、もしも、お前が今でも独りで暮しているなら、庭先の鯉のぼりの竿の先に黄色いハンカチをつけておいてくれ。そのハンカチを見たら俺は家に帰る。でもハンカチがなかったら、俺はそのまま夕張を去っていく」と。かくして車は赤平、歌志内、砂川を過ぎて一直線に夕張に向かったが・・・。

幸福の黄色いハンカチ想い出広場

『幸福の黄色いハンカチ』(山田洋次監督)は、模範囚として六年の刑期を終えた男が行きずりの若者二人と共に妻のもとへ向う姿を描き、1977(昭和52)年に公開。第1回日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ数多くの国内映画賞を受賞した名作だ。

「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」は、高倉健演じる主人公の島勇作と妻光枝(倍賞千恵子)が再会を果たした感動のラストシーンを再現した観光施設だ。

風にはためく無数の黄色いハンカチは、芸大受験を目指していた多感な19歳の私の心に刷り込まれた幸福(しあわせ)のシンボル。
映画公開から48年。「オワコン」と言われようが、訪れる人が少なくなろうが、私が憧れる永遠のラストシーン、その場所である。

公園に入ってしばらく歩くと、炭鉱で栄えた夕張に根付く「一山一家」の文化を支えた「五軒長屋」の炭鉱住宅が見えてきた。

長屋の向こうには、黄色いハンカチがたなびいているはずだ!

「おーいよかったなぁ、よかったなぁ!勇さん!勇さん!ほら見てみろ、ほら!!」

映画ではそうだったが、私の目の前にあったのは、まるで元気なく垂れ下がる黄色いハンカチだった(涙)。
「あんたは勇さん(高倉健)とは違う、あんたにはこれが相応しい」ってか!(笑)

「幸せを希うやかた」には、映画で描かれた「幸福(しあわせ)」を写真や実際に使われた小道具などが展示されている。

また、来場者が大切な人へ宛てたメッセージを記した付箋で黄色く染め上げられている空間には「幸福(しあわせ)」への想いが書き散らかされていた。
「幸福(しあわせ)」についてゆっくり考えてみようと思ったが、建物横の「黄色いポスト」になんの意味があるのかばかりが気になって、それどころではなかった(笑)。

24時間トイレがない道の駅「夕張メロード」

この「幸福の黄色いハンカチ思い出広場」は、道の駅「夕張メロード」からすぐの場所にある。

道の駅は国道274号沿いの夕張市の南、夕張ICから約1.5kmに位置し、JR新夕張駅とも隣接している。
農産物直売所が併設され、夕張メロン、長いもなど新鮮な地場産野菜や特産品を販売している。軽食の販売もある。

しかし、道の駅が道の駅たる必須条件である「24時間トイレ」がない。

能登地方の道の駅も、トイレが壊れたところには仮設トイレが置いてあった。おそらくは日本で唯一、道の駅「夕張メロード」は24時間トイレのない道の駅。道の駅としては致命的だと思われる。
というのも、胆振地方中東部を震源とする地震があったのは、2018年(平成30年)9月6日のことである。それから7年間トイレの修復さえできないということが、夕張が今もいかに惨憺たる自治体であるかを物語っていた。

全国初・唯一の財政再生団体である夕張市

私が小学校の頃、社会の勉強で習った夕張市は「炭鉱で栄える」北海道を代表する都市のひとつだった。炭鉱と関連産業の街として名を馳せた夕張市の歴史は、1888年、道庁の技師が志幌加別(しほろかべつ)川の上流で石炭の大露頭を発見したのをきっかけに始まった。1950年代後半から1960年代には最盛期を迎え、この頃の人口はなんと12万人を超えていた。

しかし、国内のエネルギー需要が石炭から石油へシフトした1970年前後から風向きが変わり始める。炭鉱の閉鎖が相次ぎ、1990年に最後の炭鉱が閉山してからは過疎化が問題視され、観光による街おこしなどが模索されたが成果は上がらなかった。

そして今では、炭鉱の閉山後には投資の失敗などにより財政が悪化し、2007年には全国初の財政再生団体となった自治体として有名だ。
破綻から18年。2025年の地価公示においても商業地価格は下げ止まっておらず、下落率は全国8位。人口減少も続いていて、2025年3月末日現在の人口は6061人。最盛期のなんと20分の1である。直近3年間でも13%ほど減少していて、総人口における65歳以上人口の割合は54.4%。道内で2番目だ。

住宅地・商業地ともに堅調な札幌市、インバウンドに人気のスキーリゾートとして知られるニセコ町や富良野市、半導体企業ラピダスの工場稼働で注目される千歳市など、道内には好調な地域も見られる中、夕張市は沈んだまま。山や丘陵に囲まれた地形的特徴から、夕張は大規模な稲作などには不向きな地域だが、寒暖差の大きい気候を生かした「夕張メロン」の栽培は盛んで、ふるさと納税の返礼品としても活用されているのだが。
ちなみに夕張メロンの初競りが今年(2025)も5月26日に札幌市中央卸売市場で行われ、落札額の最高値は2玉100万円で、昨年より200万円低かった。

道の駅トイレすら維持できないように、交通インフラの維持が困難

夕張市は新千歳空港から約1時間、札幌市内からは1時間半ほどの距離にあるものの、公共交通機関による夕張市へのアクセスは最悪だ。人口が減り続け、訪れる観光客も少ないので、交通インフラの維持が難しいのだ。

2019年3月末に廃線となったJR夕張支線には、駅舎や線路の大半がそのまま残っていて、撤去予定や跡地の活用法の目途は立っていない。現在稼働している市内唯一の鉄道駅は新夕張駅。ここは札幌と帯広を結ぶJR石勝線の駅で、上り・下りともに1日10~11本ほどが運行している。しかし、この新夕張駅の立地が良くない。市の南端エリアで、市役所などがある中心地からは車で20分もかかるのだ。

札幌と夕張を結んでいた中央バスの「高速ゆうばり号」も、2024年秋をもって廃止された。夕張市に本社を置く夕鉄バスが2023年に札幌・夕張路線を廃止していたため、これで直行便が一つもなくなり、バスによる移動では、2つの街をつなぐ道の途中にある栗山町で乗り継ぎをしなくてはならなくなった。

市の財政は厳しく、地価もインバウンドも低迷

2007年に財政再生団体となった直後には、夕張を応援しようと全国から多くの人が訪れたこともあったそうだが、最近は観光客の姿もまばら。実際、私もほとんど人に会わなかった。

夕張市の財政は、現在も厳しい状態だ。2024年度の予算額を見ると、歳入合計102億円のうち税収はたった8億円。歳入の約50%を地方交付税に頼っている。

2025年の地価公示では、夕張市内の3つの基準点は1平米あたり2500~3080円。ちなみにバブル時代の1991年は6000~12800円だった。

北海道内では、ニセコや富良野といったスキーリゾートがインバウンド客を中心に人気を集めている。

しかし夕張は、積雪量が多い地域であるにもかかわらず、スキーなどの観光業がふるわず、大型ホテルもほとんどない。夕張市にあるスキー場は規模が小さく、近くにホテルや飲食店も少ないため長期滞在が難しい。新たに大型リゾート施設ができれば状況も変わりそうだが、現時点で進出する企業の話は聞こえてこない。2020年に運営会社の倒産で廃業した、旧夕張駅前にある「ホテルマウントレースイ」の建物はそのまま放置されていて、24時間トイレすら再開できない夕張市の現状を象徴している。

現在の夕張市には、観光で訪れたとしてもお金を使う場所がほとんどない。高級リゾートや外国人向けの飲食店、絶景スポット、大自然にふれるアクティビティなどが豊富なニセコや富良野とは対照的だ。

廃線となった鉄道施設や夕張メロンなど、活用できる資源がないわけではない。

再生は簡単ではないだろうが、昭和の雰囲気をとどめる街として、また、おいしい夕張メロンのある街として、夕張がもっと注目されてほしいと強く思った。