道の駅「日和佐」にもウミガメの「大浜海岸」にも南海トラフ来るな(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

2025年、明けまして、日本に大地震が起こりませんように。

日本周辺で発生する地震は「海溝型地震」と「陸域の浅い地震」に大別され、前者は「プレート境界の地震」と「沈み込むプレート内の地震(スラブ内地震)に、後者は「活断層による地震」と「活断層以外の地震」とに分かれ、これら4種類の地震が繰り返し起こってきました。

1年前の元旦に起こった能登半島地震は、内陸の活断層が上下方向に動いた「逆断層型の内陸地震」でした。私は阪神淡路大震災の被災者の一人ですが、30年前の1月17日の地震は「活断層地震」でしたいよいよ発生が迫っていると言われる南海トラフ地震は、典型的な「プレート境界の地震」です。

地震調査研究推進本部資料より一部修正(気象庁ホームページより)

駿河湾から日向灘にかけて陸側の太平洋プレートと海側のフィリピン海プレートの境界=南海トラフがあり、100~150年周期でM8~9の巨大地震が発生してきました。1946年の最後の南海地震からほぼ80年が経過しようとしていることから、30年以内に南海トラフ巨大地震が発生する確率は70~80%。

同じく30年以内に起こる確率では、東京都、茨城県、千葉県、埼玉県、神奈川県、山梨県を含む南関東地域のどこかを震源として発生するM7クラスの首都直下型大地震も70%。阪神淡路大震災からちょうど30年ですが、活断層に割れ残りが残っていることがわかっていて、これら全ての大地震は30年以内どころか「いつ起こっても不思議ではない」と言われています。

66年生きてきた私も、95年、89年生きてきた父も母も、自分の身の心配はとうに手放しています。また、私などが大地震が起こらないよう祈ったところで、歴史を振り返れば近々起こることは確実です。ただ、大地震は避けられなくても、我が子たちも含め若い人たちや、未来を担う子どもたちの命はせめて助かってほしいと思うのです。

康安大地震、安政大地震、そして直近の昭和南海地震で度重なる被害の爪痕が残る徳島県美波町と、仁和地震の被害が大きく、ウミガメの産卵地としても有名な大浜海岸を訪ね、この地域ならずとも各地で備えるべき地震への備えについて考えました。

20m超の津波が想定されるウミガメで知られる美波町

徳島県南部に位置する美波町は、海・山・川の豊かな自然と黒潮の良好な漁場に恵まれた素晴らしい町。とりわけ日和佐地区の大浜海岸は、ウミガメの産卵地として知られている。

正確には、かつてはウミガメの産卵地ではあったが、最近はウミガメの産卵確認は稀にしかできておらず、いよいよ過去のことになりつつあると言うべき状況で、美波町は危機感を募らせ、町ぐるみでウミガメの保護に取り組んでいる。

八十八ヶ所霊場 第23番札所 薬王寺から望む美波町

町長さん初め美波町職員たちは、ウミガメに SDGsカラーホイールをあしらったピンバッジをつけている。ウミガメの産卵確認の急減少の要因には、(私はきっとそうだと思っているが)「青い光を放つ工場」つまり今や徳島一の企業である日亜化学工業の存在を挙げる人は多い。しかし、ダントツの法人納税を毎年続けてくれる同社に、自治体は北島康介のように「なんも言えねえ」、頭はどうしたって上がらないのだ。

美波町の職員がデザインしたウミガメのSDGsピンバッジ。このバッジはふるさと納税を通して手に入れることができる

ちなみに、このバッジはふるさと納税を通して手に入れることができる。我々もこの町にふるさと納税すれば、ささやかなサポートにはなる。

さて 本題である防災の話に移ろう。太平洋に面する美波町は、歴史を通じて津波の脅威にさらされてきた。南海トラフ巨大地震の被害想定では、美波町は住居の97%、もうほぼ全部が浸水区域に該当するというきわめて厳しい状況にある。しかもハザードマップを見ると、避難所となる学校の体育館のほとんどが浸水区域。つまり『体育館は使えない』のだ。また老朽化した空き家が多く、地震で住宅が倒壊すると避難路が閉ざされる可能性が大きい。最大20m超の津波が襲来する可能性が指摘されてもいるが、その場合の被害想定はここに書くのも悍ましい。それだけに、美波町の災害から「命を守る」ための取り組みは当然並ではない。

美波町では、これまでに避難階段・避難路の整備や、既存の建物の“避難ビル化”を進め、住民が“マイ避難路”を作るために必要な材料の支給も行なってきた。ウミガメが来る大浜海岸は、当然のように避難困難地域だったが、そこに3年がかりで写真のような津波避難タワーを3機設置。

美波町の大浜海岸近くに設置された津波避難タワー

町内における避難困難地域は「理論上」はなくなってはいるという。

徳島県に被害を及ぼした主な地震(気象庁HPより抜粋)

昔の被害記録に京都のことが多いのは、もちろん京都に都があったから。四国における南海地震の被害はその比ではなかったと類推するしかない。

発生年月日
(日本暦)
地域(名称)規模 (M)と特徴被害記録(徳島中心)
684.11.29
(天武13)
東海・南海・西海諸道[白鳳地震]M8 1/4
南海トラフ地震。歴史に記録された最初の南海トラフ系の巨大地震である。巨大津波来襲
「山崩れ河湧き、諸国の百姓倉、寺塔、神社の倒壊多く、人畜の死傷多し。 土佐の田苑約12km2海中に沈む」
887.8.26
(仁和3)
五畿七道
[仁和地震]
M8.0~8.5
南海トラフ地震。
余震多く1ヶ月続いた。 阿波の被害記録なし。
京都で諸司の舎屋及び民家の倒壊多く、圧死者多数。 津波が沿岸を襲い、溺死者多数。
1099.2.22
(康和1)
南海道・畿内
[康和地震]
M8.0~8.3
南海トラフ地震。
阿波の被害記録なし。
「土佐では「田千余町(約1,000ha)みな海に沈む」とある。
1361.8.3
(正平16)
畿内・土佐・阿波
[正平(康安)南海地震]
M8 1/4 ~8.5
南海トラフ地震。

鳴門海峡では、海水がなくなる。 余震多し。
「 津波が沿岸を襲い、摂津・阿波・土佐で被害。 由岐で津波による流出1,700戸、流死60余人」とある。
1498.9.20
(明応7)
東海道全般
[明応地震]
M8.2~8.4

南海トラフ地震。
残っている被害記録は紀伊半島以東のもの。近年遺跡などから津波の痕跡が徳島県内でもみつかっている。
1596.9.5
(慶長1)
畿内[慶長伏見地震]M7 1/2 ±1/4
活断層型地震。
徳島県付近の中央構造線断層帯が動いた可能性があり、鳴門市撫養町付近で土地が隆起。
京都では被害多数、諸寺・民家倒壊も多く、死傷者多数。4日前には慶長伏見地震が、1日前には慶長豊後地震が発生。
1605.2.3
(慶長9)
東海・南海・西海諸道[慶長地震]M7.9
南海トラフ地震。
ほぼ同時に2つの地震が起きたとみられる。
震動による被害は少ない 津波地震。
津波が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸を襲い、各地に大きな被害。 阿波鞆浦で波高10丈(約30m)、死100余人、宍喰で波高2丈(約6m)、死1,500余人。
1707.10.28
(宝永4)
[宝永地震]M8.4

南海トラフ地震。
我が国地震史上最大級の地震の一つ。
震害と津波の被害は東海道から九州に及び、全体で死者4,900人、潰家29,000戸。 徳島では630戸倒壊、県内で津波により全滅した村あり。
1789.5.10
(寛政1)
阿波・土佐・備前などM7.0
地震の発生原因不明。
震源も不明だが、揺れの強さから阿波国近辺と考えられている。
現在の阿南市から美波町、海陽町にかけて地割れ、山崩れ、石垣が崩れるなど、家屋や土蔵などの被害あり。
1854.12.24
(安政1)
畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道[安政南海地震]M8.4

南海トラフ地震。
前日の安政東海地震の32時間後に発生した。
震害は近畿・四国が中心で、津波による被害と合わせて死者2万人、潰家2万戸と推定。 牟岐では波高3丈(9m)、家屋全滅し死者20人。 宍喰では2丈(6m)、檎では波高18尺(5.5m)、流出家屋134戸。
1946.12.21
(昭和21)
[昭和南海地震]M8.0
南海トラフ地震。

昭和東南海地震の2年後に起こった巨大地震。 近畿・四国が被害の中心となった。
特に津波による被害大きく全体で死者1,330人、全壊11,591戸。
徳島県の被害は、死者(不明)202人、負傷者258人、住家流出413戸、全壊602戸、半壊914戸、床上浸水3,440戸、床下浸水1,057戸、 堤防決壊40ヶ所、道路損壊21ヶ所、橋流失11ヶ所、船流出330隻、田畑流出78町、田畑浸水1,734町、その他木材流出。
1955.7.27
(昭和30)
徳島県南部M6.4
陸域の浅い地震。徳島・日和佐で震度4。
那賀川町域にあたる那賀川上流で被害が大きく死者1人、負傷者8人、那賀町域で山(崖)崩れが随所に発生。
1995.1.17
(平成7)
[平成7年兵庫県南部地震]M7.2
活断層型地震。徳島県内は徳島地方気象台と那賀町横石で震度4。
震源の淡路島に近い鳴門市を中心に重傷者負傷者21名、住家全壊4件。

過去の地震・津波碑の位置を確認

次に、徳島県の各地に残る地震・津波碑の位置を見てみると(下地図)、徳島県内ではやはり圧倒的に日和佐あたりの海岸に大きな津波が押し寄せ、大きな被害を被ってきたことがわかる。


徳島大学環境防災研究センター資料より

徳島大学環境防災研究センター資料より

上のイラストに示されている数字は、次の南海トラフ地震が想定されている標準的な規模で起きたときの最大津波高の予測だ。もし最大規模の場合に海陽町~美波町では20mという最悪の場合の想定もあるが、その場合でなくとも5~9m、阿南~鳴門市でも3~5mの津波が来襲する可能性は非常に高いという。相当の高台への速やかな避難が必須だが、ちなみに避難ビルに逃げ込む場合、3mの浸水が予測される場合には最低4階建て以上、2mの浸水では最低3階以上の鉄筋コンクリート造りの避難ビルへの避難が必要とされている。

元旦早々、怖い新聞記事

今朝きた新聞の一面にはこうあった。

「戦後の80年間に日本で起きた震度6弱以上の地震は71回あり、うち約9割が阪神・淡路大震災の発生した1995年以降に集中していたことが、気象庁の観測データで分かった。阪神・淡路以降、列島は地震の活動期に入ったとする見方がある」

「懸念は、発生確率が高まる南海トラフ巨大地震への影響だ。同地震は100〜150年周期で発生を繰り返しているが、昭和東南海地震(1944年)、昭和南海地震(1946年)は長前に一千人以上が犠牲になる鳥取地震(1943年)に発生。その前にも北丹大震災(1925年)や北丹後地震(1927年)が起こるなど、列島で地震活動が活発になっていた」

この、神戸新聞1面の記事の通りになるとすれば、危険は差し迫っているように思う。

大浜海岸と至近の道の駅「日和佐」

大浜海岸から、道の駅「日和佐」は目と鼻の先である。徳島自動車道の徳島ICから国道55号線沿いに南に55キロ、連続する5つのトンネルを抜けて、私は先に大浜海岸に行ったが、道の駅「日和佐」も同様のルートで、大浜海岸よりも手前にある。駅から山側に四国88箇所霊場23番札所の薬王寺が見える。もともと目立つ建物だが、ライトアップされるとインパクトはさらに大きい。

駐車場は、来場者数に比して十分な広さがある。

ちなみに、この道の駅は、JR日和佐駅に隣接している。電車の到着時間の前後は、駅に迎えに来る車で一時的に車が増える。

トイレがやけに暗く写っているが、撮影した時間が日没時だったことによる。ちゃんとしたトイレである。

休憩する場所も多いし、さすが林業の盛んな町らしい、大変立派な木のベンチが並ぶ。なかなかこういう「木」のベンチには座れない。とても落ち着くし、座り心地もとてもいい。

物産館でインパクトがあったのは「巨木」。

これは日和佐町青年林業者会議(上原豊七会長)による展示で、徳島県日和佐町北河内の山林で伐採したヒノキの巨木である。道の駅「日和佐」に展示したのは観光客らに地場産業を広く知ってもらうためで、希望者がいれば価格を交渉して販売するという。巨木は幹回り3メートル、高さ約20メートル、樹齢200~300年ほどという。もちろん20メートルは建物内に入らないので、家具用材として4メートルずつに切断したものが展示されていた。

ウミガメぬいぐるみ

物産館にはウミガメにちなんだ商品が多いが、道の駅近くにある四国八十八カ所巡礼23番札所の薬王寺そばに店を構える十一屋菓子店の「薬師羊羹」、 天皇陛下献上品の「野根まんぢう」などのお菓子、定番の「徳島ラーメン」や「そば米ぞうすい」、陶器やカバンなどのさまざまな特産品が売られている。

さすが徳島、水産加工品がとてもパワフル

農作物直売所。近所の方の需要もあって、夕方に訪れた時には人気の野菜はかなり売れてしまっていた。

特産品の阿波番茶。

わかめ、ひじき、ふのり、天草などの海産物はどれも美味しそうだ。

この道の駅には、レストランはないが、駅横にチャレンジショップと呼ばれる出店があって、小腹を満たすことはできる。 「ラーメン店」「果物屋」「たこ焼き屋」「南阿波丼」「コーヒーショップ」がある。

私が道を訪れた時間が遅かったので、すべての店が営業しているかどうかは定かではない。

どうか大きな災害のない平和な一年でありますよう

昨年は徳島県だけでなく、高知県の海岸沿いの街もたくさん訪ねたが、住民の命を守ることへの自治体の意識は非常に高く、考えられる対策の限りは尽くしておられるようだった。歴史から学べば、南海トラフ巨大地震は避けられないようだし、首都直下地震の危機もあり、日本国民である以上どこに住もうが地震に対する備えは万全でありたい。列島のどこかは揺れているような、そんな国土に私たちは生きているのだから。

改めて。

「明けまして、今年こそ甚大災害がありませんように」「次に来る大地震の規模が最少で、被害もまた最少となりますように」そして「1年前に壊された能登半島の人たちの生活が、少しても早く元通りに取り戻せますように」。

新年に際し、微力な私はただ祈ることしかできない。