
詐欺のニュースを耳にしない日がなくなってきました。
巧妙な手口が紹介され、どれだけ「気をつけましょう」と連呼されていても、また今日もどこかで誰かが誰かを騙し、誰かが誰かに騙されているのです。
お年寄りばかりとは限りません。若い人だってたくさん騙されています。騙す方が悪いのは当然として、一方で「騙される方がばかだ」という言い方があります。
私の2,000人のサンプルの中に、詐欺被害者は、私の両親も含めて16人、詐欺の加害者は8人います。
被害者の一人である女性は、「でも、心の綺麗な人ほど、騙されるのだ」と私に訴えていました。
「今でこそ立派に人を疑う、心の汚い大人になったけれど、若かりし頃は本当に美しい心の持ち主だったので、それはもう、騙されまくっていました。京都で初めての一人暮らしが始まると胸を膨らませ、綺麗な桜を眺めていた時、声をかけられたのが最初です。
やられたのは私だけじゃありません。女子大生も歩けば詐欺に当たるというくらい私も友達も毎日声をかけられ、そのたびに信じ、何かを買わされ、ローンを組まされました。
私は、大人があんなに真剣に「いい」と勧めてくるものが良くないわけがないと、止める父と電話で喧嘩したものです。結局、私ではローンを返しきれず、父に迷惑をかけてしまったのですが(涙)。」
論外②法律は「狂った社会」の勝手。幸運な人間を不幸にして帳尻は合う→Out Work
孫氏の兵法ならぬソンシの商法
上記の女性を騙したのは、ジュエリー訪問販売の札付き業者「ジェムケリー」である。
2012年9月18日、消費者庁はジェムケリー(京都市下京区)の訪販事業に特定商取引法違反による半年の業務停止を命じた。ジェムケリーといえばベッキーや西野カナのCMでおなじみだが、これはもちろん、「知名度」を上げるだけが目的だ。1992年に創業し、CMで「有名会社」と錯覚させて宝石販売で急成長を遂げた。ピーク時には年商100億円に迫ったことがあるが、業務停止を喰らった理由は、「勧誘目的の不明示」「再勧誘」「公衆の出入りしない場所での勧誘」「迷惑勧誘」である。
こうした、違法かつ卑劣なやり方を私は「Out work(アウトワーク)」と呼んでいる。
手口はこうだ。
まず、「お客さん!懸賞のプレゼント当たりましたよ、お渡ししたいのでぜひご来店下さい!」と電話勧誘。そしてお客さんを実店舗へ出向かせ、数時間に及び宝石販売を勧める。勧誘は6時間以上続いたり、夜間になることも。もちろんこれは禁止されている「軟禁販売」にあたる。
ターゲットの多くは、実は20~30歳代の男性。キレイでカワイイ(らしい)女性スタッフに囲まれる、まさに「ハーレム販売」だ。そして、しかなたくハンコ押しちゃう、という流れである。
100万円もする宝石を勧められ「買えない」と断ると上司が現れて値下げや分割払いを示し、なおも断ると別の商品を勧めて長時間食い下がる、などの手口を繰り返し、10年前から年100件以上、1000件を遥かに超えるトラブル相談が全国の消費生活センターに寄せられていた。
ちなみに、ジェムケリーの前のソンシの時代のターゲットは地方から京都に出てきたばかりの若い女性たち。四条河原町あたりで「引っかけ」て何もわからない女の子にデート商法で高額な着物をローンを組ませて売りつけるという手口の、男女入れ替えパターンだ。このジェムケリーの前身の会社「ソンシ」のデート商法の被害者数も限りない。
いずれにしても、「デート商法も、電話で来店を約束させる「アポイントメント商法」も、その手口となるトークマニュアルを作ったのは創業者の中野猛社長(63)である。
私のサンプルの中にいるある元社員は、中野社長をして「天性のペテン師で、セールストークは天才的」と評する。
中野流アポ商法の極意はデート商法だ。創業当初は独身寮に住む看護師の個人情報をあの手この手で集め、また、女の子たちが買い物を楽しむ四条河原町界隈の繁華街に社員を出動させてデートに誘い、着物を売りつけていた。


中野社長は、『お客と寝てこい』と、販売員にハッパをかけていたという。宝石に乗り換えた理由は簡単、「着物は親にばれるから」だ。必ず異性の販売員をつけるスタイルは今も同じである。
天性のペテン師の、甘く危険な香り
私は、この「悪の親玉」中野猛社長(63)と、二度会ったことがある。
最初は、1996年。私の会社の新入社員の熊谷くんが、悪徳商法と知らず中野社長にアポを取り、会社案内制作の注文を取ってしまったのだ。私もまた彼がそんな悪徳商法をしているとは知らず社長取材に乗り込んだ。当時私が37歳、中野社長は33歳。とても小柄で、多少ヤンチャそうな顔をしていたが、笑顔が圧倒的にチャーミングで、男の私でも彼の笑顔にたちまちフラフラと好感を持った。あとで、このなんとも可愛い笑顔に女の子たちもやられるのだと確信するのだが。
そんなわけで、満面の笑顔で彼が言う綺麗事を、私はホイホイとそのままパンフレットに落とし込んでしまったのだが、年々耳に飛び込んでくる悪評で、流石に翌年以降、取引停止相手としたのだった。
あと一回は不可抗力だった。私が京都の大手塾のコンサルをしていた時代、あろうことかその馬鹿社長がどう言うわけか彼と仲が良く、その塾の50周年記念パーティーに招かれた彼のテーブルに「同席」という最悪の巡り合わせとなったのだ。
「ソンシ」は、私が最初に中野社長と会った15坪の事務所から、デート商法で業績を伸ばし、2003年には自社ビルを竣工。急成長の原動力になったのは、売れっ子を使ったCMだった。
98年以降、米倉涼子、長谷川京子、押切もえ、倖田來未、河村隆一、益若つばさ、陣内智則などが広告塔を務め、全従業員の給与を上回るほどの広告宣伝費を投じた。しかしビル竣工の翌04年から店舗展開を加速するが売上は低迷。14あった店舗は次々に閉鎖され現在は4店舗。08年3月期以降赤字続きで2011年度の年商は28億円と05年度の半分に落ちこんでいた。
デート商法→訪販→不動産へ
訪販が年商の8割を占めるジェムケリーにとって、2012年の処分は「死刑宣告」に等しく、中野社長は「処分を真摯に受け止めて反省する」と、訪販からの撤退を表明した。
しかし、中野社長はそんな殊勝なタマではない。まるで反省の色もなく、ブログで「テレアポセールスから完全撤退します」と宣言した翌週には「訪販とは全く関係の無い新規事業が既に始まっております」「好調な滑り出しを始めており、今期は久しぶりに、ここ5年間で最高の決算を迎えることが出来そうです。まさに怪我の功名とは、このことかも知れません」と、誇大妄想的な発言を繰り返した。
その新事業とは不動産だった。消費者庁の内部調査が入った夏以降、これまで個人情報を収集してきた子会社「Gスタイル」の事業目的に不動産を加え、従来の顧客に片っ端から営業攻勢をかけたのだ。だがデート商法しか知らない社員に宅地建物取引主任者の法定数を満たせるはずもなく、8月に京都や東京、名古屋、福岡で一斉にスタッフ募集を開始。にわか仕立てのホームページには京都府知事免許の記載はあるが、2以上の都道府県で営業する際に必要な国土交通大臣の免許はない。
それでも、中野社長は「大きく飛躍してビックリしていただけるビックイヤーに出来ることを誓います」とブログで嘯いた。
「ガクトコイン」をめぐる疑惑
2018年には、当時総務大臣という要職にあった自民党・野田聖子氏の夫である木村文信氏が、タレント・GACKTが関与する仮想通貨「SPINDLE」で大損をこき、妻である野田聖子に泣きついた結果、野田氏が金融庁当局に野田氏秘書同席のもと圧力をかけていたのではという疑惑が出た。
大損を被ったこの木村文信氏とジェムケリー(元社名ソンシ)の中野猛社長、そしてGACKTは旧知の中で、その繋がりでガクトコインを大量に購入した木村氏が大幅なマイナスをくらったことがことの発端だった。
SPINDLE運営関係者と金融庁担当者との面談に総務大臣の野田聖子氏が秘書を同席させた理由だが、この仮想通貨交換業者としての登録が運営元の「B社」または「B社の指定する日本およびマレーシア法人」に対して認められるよう、登録において便宜を求めるため。また、国内の仮想通貨市場を運営する法人複数に対して「SPINDLEが国内仮想通貨市場での売買が可能になるよう金融庁にも働きかけを求めるためだったとされている。
要するに、総務大臣という重量級閣僚立場を利用して野田氏が(夫のために)圧力をかけたのではないかというのが問題となったのだ。
「ガクトコイン」を扱う「SPINDLE」は、2018年5月19日に海外取引所のYobit、HitBTC、Livecoin、BTC-Alphaにそれぞれ一般の仮想通貨取引の対象となる”上場”を果たした(日本人および日本居住者による取引は法的には不可)が、「SPINDLE」の販売においては仮想通貨の取引規制にあたる国内でのSPINDLE販売および募集にあたるため、違法である可能性が高いことが指摘されていた。
「仮想通貨交換業」は、内閣総理大臣の登録を受けた者(仮想通貨交換業者)でなければ、行うことは許されまない(改正資金決済法63条の2)。問題のSPINDLEを運営している「BLACK STAR & Co.,社」(東京都千代田区、以下「B社」)は金融庁が資金決済法で定める仮想通貨交換業者の認可を得ていなかった。
株式会社ジェムケリーグループホールディングスへと社名を変更
2021年4月には、株式会社ジェムケリーグループホールディングスへと社名を変更。宝飾品の製造販売、卸売りのほか、買取り、結婚相談所、リノベーションプランニングなど、事業の幅を広げる。
2024年の暮れ、彼のブログにはこうあった。
「皆様、お元気でしょうか?
2024年も後、半月程度で終わります。もう、報道発表もありご存知の方も多いと思いますが、17年ぶりに倖田來未ちゃんとのコラボがスタートしました。
当時を振り返ると、私も45歳で若手社長の部類でした。ジェムケリーブランドは15周年を迎えたところで勢いはマックスでした..。 倖田來未ちゃんはブレイク寸前でCMで組むこととなったわけです。
お互いに取って最強の組み合わせとなりました。

<<矢野経済研究所の調査>>
そして、CMが放映されて、倖田來未ちゃんは時代を代表するBIGアーティストになりジェムケリーは、消費者認知度ランキングで11位にランクして、購買欲求度ランキングでも17位にランキング入りするまでになりました。

<<矢野経済研究所の調査>>
そして、17年の時を経て、倖田來未ちゃんはデビュー25周年を迎えられて、ジェムケリーは32周年を迎えました。互いに、まだ第一線で頑張れてることを”誇り”に思います。

<<CM撮影後の記念写真(左が中野猛社長)>>
<<GEMCEREY×KODA KUMI 2024>>
今回のCM完成にはmisonoが関西に帰ってきて、色々と頑張ってくれたことに感謝しています。
さて、還暦を回ってビジネスマンとして、最後の直線となった自分ですが、10年後の自分は、どんな自分なのだろう。」
彼はどうやら、自分のことを「ビジネスマン」と思っているようだ。
冒頭、ソンシのデート商法にやられた彼女は、あれから30年、50歳を過ぎた。あの時の不覚を泣きじゃくりながら振り返り、そして私にこう訴えた。
「騙される方が悪い、なんて言い方が当たり前の社会でいいはずがない。私は、騙されても、いつ、どこで、どんな手口で騙される人がいても、どうしようもなく騙される人間の方がずっと好きです!」
数え切れないほどの人を奈落の底に突き落としてきたこの男が、地獄に堕ちる日はいつになるのだろう。必ず見届けてやる。
(つづく)
この記事は、連載第27回目です。最終回のつもりでしたが、Out workをする奴が多いので、あと2回ほど連載は続いてしまいます(笑)