人間はなんで働くの?-26  働けない人と働かない人がいる

こんな私でも、現役時代はおそらく自分のことで精一杯だったのでしょう、あまり世の中について世知辛いとかギスギスしてきたとか感じませんでした。しかし、仕事の量を半分以下に減らしてみると、斜め読みしかしていなかった新聞を隅々まで読んだり、つまらないテレビも観たり。ぼんやりしていると、今まで感じなかったようなことも、感じ出すものです。
まず感じることは、随分、世の中や人間関係がギスギスしていること。とりわけ目につくのは、醜い責任の擦り合いです。秘書のせいにする政治家、部下のせいにする経営者、そんなのは前からずっといるわけですが、「カスハラ」って言うんですか?弱い立場の店員さんをクレームで追い込む場面は、毎日買い物をするようになってからとても気になるようになりました。

なんと言えばいいんでしょうか、世の中に優しさというものがありませんね。何かと言えば自己責任です。「お互い様」とか「お陰様」といった言葉は残っていても、「それらしい行動」や「思いやりの形」を日常生活で目にすることはほぼありません。

こうした「自己責任」で生きることが当たり前のノームの中で、介護、年金、生活保護、労働政策等々もすっかり自己責任で語られるようになりました。

甘えないでください。頼らないでください。皆さん自己責任でお願いします、ということでしょう。

いや、「自立」とか「自律」を促すのはいいんです。でも、「孤立」は辛い。「お互い様」とか「お陰様」という優しい気持ちになる余裕がなくなっているんでしょうか、ふと周りを見渡すと、老若男女関係なしに「孤立」している人がずいぶん増えたような気がします。

論外①仕事は大嫌い、楽して儲けて、一生働かずに「遊んで暮らしたい」→Unko Work/働けない・働かないから社会の仕組みから外されている人→Hazusu work

530万人の、「働けるのに働いていない人」

働けるのに働かないと言う人は、私がこの研究を始めた40年前からどの世代にも一定数いた。

彼らをして怠け者と断ずるのは簡単だが、いや、怠け者は私を含めひょっとすると大半の人間かもしれないので、ここで扱うのは「メシが食えなくても働きたくないほどの究極の怠け者」と、「働けるのになんらかの理由で働いていない人」のことである。彼らのことを私は、社会が彼らをその仕組みから「外している」という意味で「Hazusu Work(外すワーク)と呼んでいる。

この中には「遊んで暮らしたい」と言うかなり情けない人も一定数いて、私はこの類の人の生き方については、申し訳ないが「Unko Work(ウンコワーク)と呼ばせていただいている。

さて そうした特殊な人のことは置いておいて、働くことを希望し、働くことも可能だが「就職活動をしない」人について見てみよう。日本には、働く意思があるにもかかわらず、実際には仕事をしていない人が530万人いるという試算が明らかとなっている。

いま日本社会は空前の人手不足、供給不足となっているのに、530万人もの人間を生かし切れていないのは一体、何がどうなっているのだろうか。

「働かざる者食うべからず」と言うが、やはり働かないことと貧困とは相関関係があると思うので、最初に「貧困」と「働かない、働けないこと」との相関を見てみた。
それにしても、いわゆる「現役世代」の貧困率の高さには正直驚かされる。ちゃんと仕事をしている人の1割が貧困であるなんて本来おかしいが、それぞれの活動事情別の貧困率は、私の予想を遥かに上回っていた。

「年収103万円の壁」の見直しでどれほど解決できるか

次に、これだけ人手不足が深刻化している中で、多くの雇用ミスマッチが発生していることについて見てみよう。内閣府は、雇用ミスマッチに該当する人は、下記のA、B、Cに分類される人数を合計して約530万人いると発表している。
A:就労時間の増加を希望しており、実際に増やすことができる人=265万人

B:失業者として仕事を探している人=184万人

C:働くことを希望しており、実際に働けるものの、あえて就職活動をしていない人=84万人

日本の就業者数は6750万人なので、その約8%に当たる人材が働かずに「眠っている」ことになる。

この中で特に問題なのは、AとCだろう。

Aに該当する労働者のうち半数近くは、女性の短時間労働者、つまりパート労働者である。彼女たちが就労時間の増加をためらっている理由は、年収が一定金額を超えると扶養から外れて手取りが減少するという、いわゆる「年収103万円の壁」だった。

年収の壁を取り払うことで短期間で就業者を増やすことが期待でき、今まさにその「壁」の改造工事が始まっているが、さて、どの程度引き上げられるだろうか。

雇用のミスマッチと男女間の格差の根っこは同じ

Cについては、「勤務時間・賃金が希望に合わない」「自分の知識・能力に合う仕事がない」という理由が多い。雇用のミスマッチとも言えなくはないが、Cも女性が多いという点ではAと同じであることから、日本の場合、雇用のミスマッチと男女間の格差の問題は同根であると推察できる。

逆に、Bの仕事を探している人(失業者)については男性のほうが多い。仕事に就けない理由で最も多いのは「希望する仕事がない」という項目だ。失業者については、本人が思っているスキルと、実際に持っている(企業から求められる)スキルに乖離が生じている可能性が高い。

国として積極的に学び直しの機会を提供し、労働者のスキルを高めようとする動き(リスキリング関連の施策)があるが、ミスマッチの解消に向かう可能性をどれほど拡大できるだろうか。

日本の「若年無業者」の実態

内閣府が令和3年6月に発表した『子供・若者白書』では、「若年無業者」、「若年引きこもり」の実態も調べている。若年無業者とは、いわゆる「ニート」と呼ばれる存在だ。釈迦に説法だろうが、あらためてニート= NEET( Not in Education, Employment or Training の略)とは、15歳から39歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者のことである。私などは、39歳と言う「中年」まで「若年無業者」に括っているとは思っていなかった。

同発表によると、ニートは全国で「87万人」。当該人口に占める割合は2.7%にのぼる。前回の調査時(平成27年)は75万人だから、5年で12万人ほど増加している。内訳は、男性「53万人」、女性「34万人」。年齢別には、15~19歳「19万人」、20~24歳「18万人」、25~29歳「14万人」、30~34歳「18万人」、35~39歳「18万人」。男性の無業者が多い傾向はあるが、年齢間での大きな差は見られない。

働かない理由、働けない理由

若年無業者のなかには、働きたい気持ちはあるものの、求職活動をしていない人々が一定数存在する。彼らに「なぜ働かないのか?」を聞いて、全年齢で最も多かったのが「病気・けがのため」で、33.5%を占めた。

次いで「知識・能力に自信がない」が11.8%だった。自信がないから働かないとした人の年齢分布は、15~19歳が7.9%、20~24歳が12.0%、25~29歳が13.4%、30~34歳が15.8%、35~39歳が12.2%。まだまだこれから人生が長い世代が自分自身への信頼を失っているのは深刻だ。

次いで「急いで仕事につく必要がない」が7.3%、「探したが見つからなかった」が6.3%、「学校以外で進学や資格取得などの勉強をしている」が6.3%、「希望する仕事がありそうにない」が4.9%だった。

いったいどこまでが自己責任なのか

同世代の中にも根強い「自己責任論」

ニートだけでなく、より広く捉えた若年無業者の数は200万人を超え、15歳から39歳までの若者のうち16人に1人となっているそうだ。実情を踏まえた上で、働いていない若者をどう捉えるかだ。

「いい若い者が働いていないとは!」と眉を顰めるのは大人ばかりではない。当の若年世代からも「私たちの世代が怠惰だと思われるのは彼らのせいだ。彼らが無業になったのは、私たちとは関係ない話だ」という言説が多く発せられているらしい。

自己責任論か、そうでなければ「若いんだからなんとかなるでしょ」という無関心であろう。

だが本当にそうなのか。

彼らが「ちょっと心を入れ替えさえすれば」片付く話なのか。そもそも、「我々」と「彼ら」は、どれほど「違う」のだろうか。若年無業者に対する様々な誤解、構造的問題の見落としはないと言えるのだろうか。

90年代後半の就職氷河期の影響が続く

これらの議論もさることながら、現実にはこうした若者たちに対する支援はきわめて少ない。

社会のセーフティーネットは高度経済成長時代のままで、支援はむしろ高齢者に振り向けられている。右肩上がりで成長することが見込まれている時代においては、若いうちの貧困も「明日はおのずと解決するもの」であり、ならば若いうちに苦労しておくのはよい経験とも言え、美徳ですらあると思われていた。

だが、こうした前提はとっくに崩れている。若年世代の失業率は、全世代の失業率より高い水準にあり、90年代後半の就職氷河期以降、正規雇用の就労率は悪化の一途だ。

しかも日本社会は人材育成の機会を学校と企業が独占してきたので、一度そのルートを外れると再び労働市場に戻ることがとても困難なのだ。

たまたま運が良かった世代が、悪かった世代に何が言えるか

「どんな仕事でもいいではないか、文句を言わずに働け」というが、言うは易し行うは難しであろう。キャリアを積んでいく機会を、例えば「就職氷河期」といった時代の巡り合わせ奪われた若者たちが、意欲を維持するのは口で言うほど簡単ではない。それでも頑張って、奨学金を返さねばと無理を重ね、ついに心や体を壊してしまう若者も多い。

そして、いったん無業状態になると、人間関係や社会関係やわずかな蓄えもすべて途切れてしまい、一気に「孤立」してしまうのだ。こうして否応なしに履歴書に「空白」ができてしまうと、さらに厳しい状態に陥るという負のスパイラルに陥っていく。

これを「自己責任」で片付けても、現実には自助努力のみで抜け出すことはなかなかできないと思われる。ちなみにやってみろと言われても、私にそれをする自信はない。

若者の雇用を取り巻くシステムの問題と、経済成長が以前のようには見込めないという社会背景は、個人のみの力ではね返せるものではない。ただでさえ年々減少している若者たちの数である。その貴重な若者たちから、かくも多くの無業者が続出する状況である。彼ら自身の自己責任だけではなく、社会がそう仕向けている責任を否定することがどうしてできようか。

「人生のボタンの掛け違い」は誰の身にも起こりうる

彼らが無業状態に陥るまでのプロセスは、実にさまざまである。

私の手元の2,000サンプルの中にも、資格試験に挑戦して勉強していた期間が履歴書の空白期間となってしまい、資格を諦めた後の就職活動が暗礁に乗り上げたと言うのが3例。大学在学中からアルバイトをしていた会社に認められて正規雇用になったものの、会社の経営が悪化してリストラされた例が10例。大学卒業後新卒で就職したが労働条件が事前に聞いていたものと全く違ったり、上司との軋轢が限界に達して退職に追い込まれた類は15例もある。

これらをどう捉えるかである。「もう一踏ん張りできないか」と叱咤したり励ましたり。確かに世の多くの人々はみんな「頑張っている」だろう。自分は頑張っている自負があると、「あなたももっと頑張りなさいよ」と言いたくなるのだろう。

「親が甘すぎたんだよ」と言う人もいるだろう。あとで「パラサイト」の問題にも触れるが、親に甘やかされようが厳しく育てられようが、生身の人間は体や心が弱くなるときもあれば、家庭環境に関係なく、運や縁に恵まれないときもあるし、判断を誤るときだってある。それが人間ではないか。

そして、そういう「人生のボタンの掛け違い」は誰の身にだって起こりうるし、一度もボタンの掛け違えなく生きてきた人間がいるなら会ってみたいものだ。

問題は、「彼らがやり直すチャンスのあまりの少なさに尽きる」。

そうは言えまいか。

第一次安倍内閣のもとでは「再チャレンジ」をキーワードとして「内閣府特命担当大臣(再チャレンジ担当)」というポストが設置されていたが、その後なぜか廃止されてしまった。状況はますます悪化しているにもかかわらず、政治も世論も、若年無業者の問題に関心を失ったかに見える。

いま、とてつもない闇の世界へと向かっているような気がしているのは、私だけだろうか。

若年層の引きこもり54.1万人、その高齢化の恐怖

若年無業者と共に語られるのは、「引きこもり」だ。同調査によると、15~39歳の引きこもり推定数は「54.1万人」。「自室からほとんど出ない」「自室からは出るが、家からは出ない」「ふだんは家にいるが、近所のコンビニなどには出かける」、「ふだんは家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する」それぞれの該当者の総数だ。

ひきこもりの高齢化、地方への拡大も怖い。調査対象の年齢を39歳で切っているが、40代以降も引き続き引きこもりは続く割合は高く、引きこもりは長期化し、高齢化している。

また、ひきこもりの増加は地方で着実に深刻化しているという指摘がある。私は地方を旅しているが、その実感は確かにあるのだ。ただでさえ高齢化が著しく、過疎化も進む中で、住民の中に「ひきこもり」が多い地域社会というのはいったいどうなっていくのだろう。

パラサイトシングルの高齢化

未婚のまま親と同居を続ける40代、50代が急増している。いよいよ還暦世代と90代の高齢者のパラサイト世帯も増え始めた。60歳になっても年金加入をしていなければ自分の年金はない。1990年代に「パラサイト(寄生)シングル」と呼ばれた独身者が、30年経っても親の年金に依存しているのだ。

親が亡くなった後、「働かない」ではなく「働けなく」もなっていく彼らの生活をどうするのか。もはや日本社会のリスクファクターの大きな一つである。

パラサイトシングルとは、学卒後も親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者のことを1990年代後半にそう呼んだ。

当時は、親に家事を任せ、家賃も払わず、給料を自分のためだけに使う気ままな独身貴族という意味合いだった。しかし、非正規で収入の低い男性は結婚できない。女性は結婚して生活水準が落ちるのがいやだから親と同居のままでいいと思う。

ということで、当時親と同居していた独身25歳の、その4分の1もの人たちが、未婚のまま50歳を迎えようとしているのだ。

生活保護システムはもたない

1990年代に非正規社員が急増していったことが背景にはあって、リーマンショックや社会構造の変化の中で、年金加入をせめて今日まで継続できた人はどれほどいるのだろうか。

生活の保障をしてくれた親が亡くなった時、彼らの生活はおそらく破たんする。親の資産や貯金があったとしてもそれを食いつぶしたあとには、もう生活保護しかない。

そういう人たちが増えるということは、社会保障、財政問題だけではない。公営住宅などがスラム化し、さまざまな形で社会不安を起こしていくだろう。

すでに、埼玉県ふじみ野市の66歳の高齢パラサイトが、前日に死亡した母親(92歳)の担当医だった鈴木純一さん(44歳)を人質に立てこもり、散弾銃で撃って殺害したという事件が起こっている。

自らは働かず、寝たきりの親の年金収入を生活の糧とする家族の中には親に対して際限なく延命治療をリクエストするケースが少なくない。明らかに“金目当て”と感じる医療者も多いという。

総務省の統計によると、45歳〜54歳で親と同居している未婚者の数は、1980年には18万人だったのが2016年には158万人、ほぼ9倍に激増している。このうち基礎的生活条件を親に依存している可能性があるの人が31万人と推計されていたが、いよいよ団塊ジュニアと呼ばれる世代がこの年代に入っている。すると今から10年後には、今50代の人たちに親が亡くなった後の問題が大きな規模で起こってくるだろう。その時、現在の生活保護のシステムではおそらく対応しきれない。

社内失業者は500万人の現実

視点は変わるが、企業内に雇用されているものの、事実上、仕事がないという社内失業者が500万人いるという驚愕のデータがある。これらの人は企業ごとにツケを払っているが、日本企業の国際競争力低下や日本経済の停滞には、しっかり関与しているのだ(足を引っ張っている)。

こうした人数までを足し込んでいくと、実質働いていないとされる人は、日本の就業人数のひょっとすると2割にも達してしまうような現状が見えて、ゾッとしてしまう。

しかし、私の2,000人のサンプル内での出現率はずっとずっと少なくて、何度見直してもその10分の1、つまり2%ほどしかいない。ニートの定義も39歳までだし、年齢的にはサンプル数が少ないことは決してないが。

引きこもっているとか、パラサイトだとか、「話」にはよく聞くのだ。でも、親が囲い込んでしまい、状況把握ができるケースは限られる。私が知りうるのは、氷山の一角でしかないのは、親が世間から隠そうとするのだから、ある意味当然のことだと思う。

もちろん、私がこれまでの人生の中で、そうした人たちに目を向けてこなかったから、無意識に見過ごしてきたということもあるのだろう。深く反省しなければならない。

(つづく)

この記事は、連載第26回です。次回からいよいよ最終テーマ(3回連続)。これまでの記事も併せ読んでいただくと嬉しいです。