人間はなんで働くの?-22  死ぬまでお金に困らないで長生きしたいから

企業に早期希望退職を募集する動きが広がって久しいですが、東京商工リサーチによると2021年には上場企業80社が計18635人の早期希望退職を募集(この他に募集人数が判明していない企業が13社)。

直近の2024年は57社の上場企業が1万9人を募集し、2021年以来、3年ぶりに1万人を超えました。

2021年はもちろん、新型コロナの影響で業績・財務体質が悪化したことに対応した措置だったわけですが、2024年の1万人超えは違った意味で衝撃的な人数です。

2025年以降も、今ホンダと揉めている日産を筆頭に、またたくさんの募集が行われることでしょう。

もはや当り前のように「経営が厳しい」→「よし、社員を減らそう」という流れになっているわけですが、これだけ大規模な早期希望退職が行われるというのは、経営者・人事部門から見て「会社にいて欲しくない」「いなくなってもまったく困らない」という社員がどれだけいるのかということですよね。

なんだかなあ〜、と思ってしまいます。

目的Ⅺ お金に困ることなく「長生き」し、第二の人生に備えよう(自分軸)→Mamoru Work

「給与の3倍の粗利益」をもたらせないと「赤字社員」

「赤字社員」問題は、労使双方の最大課題

まず最初に、社員の必要不必要の「原理原則」を確認しておこう。

赤字社員とは、会社に赤字をもたらしている社員のことだ。一般的には、「給与の3倍の粗利益」を作っていない社員が赤字社員とされる。給料が月30万円だったら、月90万円の「粗利益」を会社に生んでいないと、その会社にとってはその社員を雇うことがマイナスということになる。私は新入社員時代、ろくに仕事のできない先輩からしばしば「赤字社員」扱いされたものだ。

でも、この考え方はもっともで、経営をする上では、設備投資など「モノ」にも「金」がかかるから、それぐらいの粗利稼ぎは必要なのだ。ちなみにこのことはリクルートより前、大学1年生の時に、京都のガソリンスタンドのバイトで雇い主に教えてもらったことで、こんな当たり前のことすら教えないのが日本の学校教育という問題もある。

ましてや今の時代なら、多くのことが「外注」できるようになっている。発注しただけお金を払えばいいので、経営としては非常に効率がいい。「指示待ち人間」の社員に頼むより外注すればよく、だから「指示待ち人間」だと社員である理由が無い。

そこにきて、AIがすごい。「指示待ち社員」の居場所などもはやどこにもない。自分が会社にいる意味を常に作り続けなくては、自分自身の存在価値がゼロになる、いや「赤字社員」としてお荷物になり続けるという危機感を持って、給料の3倍の粗利を常に会社にもたらそうと奮闘しなければダメなのだ。
しかし現状は、赤字社員が「自分は赤字社員」とは知らずに会社に勤め続け、権利を主張し続け、会社を追い込んでいるということが、日本の多くの会社で起きている。

もはやこの「原理原則」が崩壊していると言えるだろう。

ただ、同じことを味方を変えて言うならば、それも全て社長以下経営陣の責任だ。「人」「モノ」「金」「情報」etc.」を「マネジメント」するのは社長はじめ経営陣なのだから。「人」の採用、育成、そして「赤字社員」続出の問題も、全ての責任は経営陣に帰すこと。これは、もう一つの「原理原則」だ。

「人材が欲しい」が「雇ってしまって大丈夫なのか?」のせめぎ合い

冒頭に触れたように、今いろんな会社が「早期退職」を募っている。会社運営していく上で一番コストがかかるのが「人件費」。会社自体の赤字を解消する一番の早道なので、体の良い「リストラ」をやっているわけだ。

生産力が落ちた社員を雇い続けられるほどの体力が会社にないから「早期退職」という形をとるわけだが、厄介なのが、「早期退職しても問題ないっすよ。俺、他でもやれますから」という社員が早期退職を希望して、「いやいや、今、やめたら食っていけませんから」という社員が会社に残ることである。

経営者(会社)の本音は、前者のような、仕事ができるのに早期退職を希望するような社員には会社に残って欲しくて、後者のような社員にこそ早期退職して欲しいのだが。

それでも「早期退職」という手しかないのは、人件費をカットしなければ会社がもたないのでから、やるしかないのだ。おそらく多くの経営者の心中にあるのは「人材が欲しい」という前向きな気持ちと、「雇ってしまって大丈夫なのか?」という後ろ向きな気持ち(不安)との、シーソーゲームだ。

「ジンザイ」の10分類

私は、会社には下記のような10種類の「ジンザイ」がいると考えている。

1 人財=文字通り会社の財産、宝。自ら進んで何事にも取り組み成果を上げて会社に財をもたらす。

2 人座偉=目覚ましい活躍を過去にしていて偉くなった人。いつも机にいてあまり現場で動かない。

3 人剤=適材適所というか、非常に狭い特定の範囲で薬のような効き目を発揮する人。副作用あり。

4 人材=会社の付加価値の材料となる可能性がある素材。言われたことをこなし、役には立つはず。

5 人挫萎=活躍途上で挫折し、今なお萎縮している人。傷癒えず長く立ち止まってしまっている人。

6 人在=ただ存在しているだけ。いてもいなくてもなんら会社に影響がないまま毎日会社に来る人。

7 人際=概ね会社に貢献していないが時として活躍する人。ムラが激しく見極めがきわきわ(際際)。

8 人座居=会社としては辞めてほしいのだが、会社にしがみついて何がなんでも居座ろうとする人。

9 人戝=会社の仕事は最低限そこそこにして隠れてコソコソと自分のための行動を常に優先する人。 

10 人罪=存在自体が罪。その上経費の無駄遣いやネガティブな発言等で組織に甚大な損害を与える。

この10種類の「ジンザイ」は、1から7まではマネジメントでどうにかできる場合が多い。会社として「早期退職」で辞めてほしいのは、8、9、10の人たちなのだが。

会社が常に素材としての「人材」に目を向けて評価するべきポイント、つまり「人財化」への視点とは、周囲にプラスの影響を与えられる可能性がその人にあるかどうか。逆に、切らざるを得なくなる「人罪化」の見極めは、周囲にどれほどのマイナスの影響を与えていくかなのだが、その人の変わりようのない「心根」を見極めることが最大のポイントだろう。

どうしても会社を辞めたくない一つ目の理由

「老後資金2000万円不足問題」を考えて「守り」に入った社員たち

「老後資金が2000万円足りない」という金融庁の金融審議会による驚きの報告書を世間が知ることになって以来、年金問題への関心は俄かに高まった。それ以来、先の見えてきたサラリーマンたちは、一気に「守り」の姿勢を強めたのだ。

まず、前提として知っておくべきは老後生活における自助と公助の割合だ。公的年金(厚生年金と国民年金の二階建ての場合)は、現役時代の生活水準の7割を国が負担し、3割を国民が賄うことを想定して設計されている。これを所得代替率と言うが、現在それは、6割を国が負担し、4割を国民が賄う状態になっている。

日本政府は、過去の年金の運用益である余剰金を取り崩しながら、年金財政を維持しつつ、徐々に所得代替率を下げることで、長期にわたり安定した年金制度を維持できると公表していた。年金制度の根底にあるのは、集めた保険料を資産運用することで、有利な状態で国民に戻すことが可能であるという前提があり、所得代替率は4割程度に下がるパターンも想定されていた。

サラリーマンたちは年金制度に目を向け、そしてびびった

年金制度を考えるうえで大切な指標が5つある。

1つ目は出生率で、高まれば将来の労働力であり、かつ年金保険料の納付者の母数が増えるので長期的にみてプラスの要因となる。しかし、出生率は危機的だ。都市部ほど低下傾向は顕著で、国の望む高出生率の地域は沖縄県などごく一部の地域のみである。

2つ目は長寿化だ。長寿化が進むほど、年金の支払い対象が増加することから、社会全体が長寿になるほど、当然ながら年金財政にはマイナスの影響がある。平均寿命をはじめとして寿命関連のデータも毎年のように長寿記録を更新しており、年金財政を改善する兆しはない。

3つ目は物価上昇。マクロ経済スライドという言葉をよく耳にするようになった。これは、物価上昇を年金財政に反映させる趣旨だが、実際は物価上昇率に対して年金額の増加額を抑える仕組みである。つまりインフレが継続して発生し続けると年金額の増加を抑えることができるため、生活者の気づかないうちに所得代替率を引き下げる効果があるという、年金財源を守るという意味では非常によくできたものである。残念ながら、失われた30年ではデフレなど運営側の期待したような物価上昇が起こらなかったため、設計倒れに終わってしまっているのだが、政府の主導する緩やかなインフレが実現すると、いつのまにか年金の価値を減らすことができる。マクロ経済スライドは、生活者にとってみれば、将来の年金が減らされるに等しい結果を生むのである。

4つ目が労働力だ。政府は目下、あの手この手で働く人を増やしたり、公的年金保険料の納付対象者を拡大しようと躍起になっている。女性活躍推進、高齢者雇用、短時間労働者の社会保険加入など、男女、老若、短時間といったキーワードで年金保険料を払う母数確保に必死である。

そして、5つ目に、運用利回りがある。公的年金は150兆円もの資金を運用しており、運用成果において利益が多くなれば、年金財政は長期安定する。一方、損失が発生すれば逆に不安要素になる。公的年金の運用は、3カ月ごとに成果報告があり、プラスになったりマイナスになったり、一進一退となっている。運用利回りだけは唯一、想定外が続いてはいない。

人生100年時代の老後資金は5000万以上必要か?

上記のように、そもそも年金だけで暮らせる制度設計にはなっていないのだ。しかし、これは以前から厚生労働省の資料に明記されている事であり、この度の騒ぎ方は異常である。従来指摘を怠って、「老後資金2,000万円不足」を騒ぎ立てたマスメディアに踊らされた格好だ。

今回の試算、資料は、年金行政を担当しない金融庁だからこそ、老後資金不足を指摘できた側面はある。厚生労働省の立場では、年金は100年安心ですとしか言えないのだ。また所得代替率という難解な用語を使うことで、理解しにくくしているのだが、これはそれこそ“不都合な真実”をわかりにくくする技術だった。

老後資金の試算は非常に難解である。年金受給額は厚生労働省の資料を使い、生活費の水準は総務省の統計を使う。この2つを使えば、100歳まで生きた場合の生活費の不足額はものの5分で計算することができる。しかし、総務省の統計は日本全国の生活実態を集約したもので、地域性は全く見えてこない。さらに、持家と借家がごちゃ混ぜになっているため住居費の負担が非常に少ないなど、統計数値に違和感を覚えざるを得ない。

60代の年金受給家庭の老後資金を計算すると、年金だけでは15年間で2000万円不足し、100歳まで生きれば4000万円不足する計算もある。したがって、普通に生活するだけでも、手元資金として4000万円必要であるとわかる。ここに介護や医療費、リフォーム費用が重なれば、5000万~6000万円の準備が必要とも考えられるのだ。

では、定年時に5000万円を準備することなど可能なのだろうか?20〜30年ほど前なら、退職金の平均額が3000万円ほどあり、他に2000万円貯めることができたら、老後資金作りは比較的容易であったと想像できる。夫婦共働きの公務員夫婦であれば、お互いの退職金で6000万円相当を受け取っているような家庭もあった。

そう言えば、その味をシメた親、祖父世代、彼らはみな教員共働きの夫婦だったが、早くから子どもにも「教員になれ」と勧め、教員になることしか頭にない友人が何人かいたが。こうした潤沢な老後資金をもつ人は、いま私の2,000人のサンプルを見渡しても少数派である。

金融庁が報告書を出した本当の理由

老後資金不足のような不都合な情報は、早く出すほどよい。いや、ぜひそうするべきだ。なぜなら、長い準備期間が必要だからだ。60歳の人に65歳までに2000万円の準備を求めた場合、年間400万円の積立を行う必要がある。これは日本の平均所得を何も使わず丸々貯めるという事であり、そんなことをしたら死んでしまうので不可能だ。

一方で、25歳の人が65歳までの2000万円を準備する場合、40年の間に、毎年50万円、月額4万円相当の積立をすればいいという計算にはなる。毎月4万円の積立自体簡単ではないし、30代、40代に年齢が上がるほどより大変なので、次回の記事で扱う「Fuyasu work(増やすワーク)」の出番となるのだが。これについては次回の記事で詳しく扱うことにしよう。

「老後資金が2000万円足りない」とした金融庁の報告書では、老後資金準備のためにiDeCoとつみたてNISAの2つのツールが説明されている。金融庁には、iDeCoの加入者が年金加入者の1%でしかない実態を改善し、つみたてNISAの稼働を上げ、そして長期・積立・分散投資を浸透させることで、株式市場への資金流入を安定化させ、資産運用マーケットを整備する思惑があった。

金融庁は公的年金を批判したわけではなく、老後資金が足りないからという理由で国民にiDeCoとつみたてNISAを利用することを促し、銀行や証券会社は金融免許を付与された機関として、資料作りに“協力”させられたのだった。

だが、不都合な真実を明らかにした今回の報告書に、国民が感謝する日は必ず来るだろう。「将来年金はもらえないかもしれない」という疑心暗鬼が多少リアルになったことで、国民ひとりひとりが自らの将来設計を考える機会にはなった。同時に、何がなんでも会社にしがみつかねば、という人を激増させるきっかけにもなったのだが。

どうしても会社を辞めたくないもうひとの理由

統計的には、転職によって生涯賃金は下がる

70歳まで働くことが当たり前になってきたとき、否応なく考えなければならないのが「転職」だ。

しかし、転職は、現在の収入を確保したり、アップさせたりすることが普通は難しい。それは、下のグラフを見れば明らかだ。

単純に企業からの年収のことだけを言うならば、転職者は生涯年収が下がる傾向にある。生涯年収のことだけを考えるならば、転職しないほうが高くなる傾向にあることは、歴然とした事実だ。しかしこれはあくまで平均値が示す傾向に過ぎず、個別に見ると生涯年収を大きく上げる人はたくさんいる。統計を見て怖気付くのか、突破してやろうと思うかは、その人次第であろう。

いずれにしても生涯年収を振り返るのは現役を終えた後のこと。転職に向かう局面に話を転じよう。

中高年に限らず今の会社を辞めようとして転職活動を始める人の多くは、まず最初に、転職活動前には想定していなかった厳しい現実に直面する。これは「求職時リアリティ・ショック」と呼ばれる。

例えば、ネットで求人情報を探しても応募できそうなものが見当たらなかったり、市場で求められる資格やスキルが自分にはないと気づいたり。選考プロセスに進んでも、必要な書類がうまく書けなかったり、面接で自分の希望をうまく伝えられなかったり。そもそも転職エージェントが相手をしてくれなかったり、相談相手が見つからなかったり。

多くの人の転職活動が、単なる人材の需給マッチングではなく、こうした個別の「うまくいかなさ」との隣り合わせなのだ。特に、中高年に強く見られる求職時リアリティ・ショックでは、「市場で求められる年齢と自身の年齢とのギャップ」を感じやすい。年齢を重ねると転職できなくなる「35歳限界説」は根強いのだ。

しかし、人工知能(AI)をはじめとするテクノロジーの進化、既存業務のデジタルトランスフォーメーション(DX)など、産業の構造や仕事の進め方を根本的に変えてしまう流れは加速する一方だ。構造的な業績不振にあえぐ既存産業界は「人余り」によるリストラが進み、先端ビジネスでも「人不足」や「ミスマッチ」が増える一方だ。

そう考えると、この大きなうねりの中で業種を超えた未経験領域への転職はあって然るべしと考えられる。では実際、35歳以上の社会人ベテラン組にも異業種への転職は可能なのだろうか。かつて日本経済新聞社が「35歳からの異業種転職 本当に「無謀な挑戦」なのか」と題して、友人の黒田真行氏にインタビューしたことがあった。

異業種へのチャレンジは、変革期に生き残る有効な手段

黒田真行氏は、早くから35歳からの転職の困難さに目を向け、その研究および問題解決に長年尽力してきた。(下写真左が黒田真行氏、中央はリクルートのキャリアアドバイザーのカリスマ・柴田教夫氏、右は私)

黒田さんは、ルーセントドアーズ代表取締役だ。日本初の35歳以上専門の転職支援サービス「Career Release40」を運営し、2019年には、中高年のキャリア相談プラットフォーム「Can Will」を開設。著書には『転職に向いている人 転職してはいけない人』などがある。

「Career Release40」 http://lucentdoors.co.jp/cr40/ 

「Can Will」 https://canwill.jp/

さて 35歳あたりでの転職となると、それまでの経験やスキル、キャリアが生きる同業種で転職を考える人も、受け入れる側の企業も多いと言うのがこれまでの常識だ。

しかし黒田さんがキャリア相談で会う人の中には、「35歳以上で未知の業界や仕事に転職し活躍しているケースが増えてきており、徐々にではあるが異業種にチャレンジしようと考える人も増えてきた実感がある」「産業構造が変化し、業界の栄枯盛衰が激しくうごめく中で、そこで働く人々が異業種や異職種にチャレンジし、結果として成功事例が増えているのは歓迎すべきことだ」と、日経のインタビューに答えている。

異業種への転職を決断した人たちの転職理由に共通する考えは2つだったと彼は言う。一つは、「自分が在籍する企業や業界の将来が見えない。異業種への転職は不安で恐怖心を感じるのは事実だが、10年後を考えたら、今のうちに思い切ったキャリアチェンジをするほうが、いい未来があるかもしれない」という考え。そしてもう一つは、「今ここで動かなければ、ゆでガエルのように業界や会社と共にいつの間にか自分も沈没してしまうかもしれない」という恐怖だったと。

一方、異業種・異職種出身のミドル世代人材を採用したことがある会社側は、今後採用をしていく際に重視したい項目として「専門性以外のベーシックな職務遂行能力」を挙げていたという。人材採用の際に専門知識やスキルなどへのこだわりを横に置いて採用し、それが成功した体験を味わうと、中高年世代の人材であっても、未経験者の中にあるポテンシャルを活用したいという考え方になるようだ、と黒田さんは企業側の意識改革の必要性を指摘していた。

異業種転職は難しいけれども成功させられる

異業種・異職種への転職は、たとえ35歳を過ぎていても遅すぎることはない。

かといって、それを実現するのが簡単だというわけでもない。というのは、異業種への転職の難しさはまず、業界によって風土や価値観、仕事の常識がまったく異なるという第一のハードがあるからだ。専門用語も違えば、仕事の進め方やスピード感、コミュニケーションをとる方法などすべてが変わるため、適応していくためには、過去の成功経験をすべて捨てて、ゼロから学んでいくという相当な覚悟が必要なことは間違いない。黒田さんは、「その緊張感さえ持っておけば、慣れたつもりで同業界に転職するより、入社後に成功する確率は上がるかもしれない」とエールを送る。

その上で、「なんといっても第1関門は面接にたどり着けるか」であると言う。一般的には「同業界・同職種の人材のほうが即戦力になるはず」と考えている人事が圧倒的多数なのだ。そう考えている相手の書類選考を突破するには、それ相応の志望動機と自己PRが必要となるだろう。

黒田さんは、「まったく違う畑出身の自分がなぜこの業界、この企業を選んだのか。そして、この職種でどんなことがやりたいのか。これらを論理的に明示する必要がある」と指摘。面接においても、「自分が積み上げてきた経験やスキルには、どういう汎用性や共通点があって、転職希望先の会社でそれが生かせるのか。」「その結果、業績にどんな貢献ができるのか。」こういった事柄を明確に説明できるように準備する必要があると言う。

それにしても黒田さんのこうした指摘は、いちいち私の腑に落ちる。日本人は平均して生涯で2回程度しか転職しないそうだが、私の場合は大きくはサラリーマン→経営者→経営コンサルタントと三度の転身があり、経営コンサルの時代には、「所属先」を10社以上変えて(すべて異業種への転職)きた。

そのたびに、風土や価値観、仕事の常識がまったく異なり、専門用語も違えば、仕事の進め方やスピード感、コミュニケーションをとる方法などすべてが変わるその会社に適応していくために、過去の成功経験をすべて捨てて、ゼロから学んでいくというリセットは確かに必要だった。

しかし、経営者としての経験を初め、さまざまな業種において自分が積み上げてきた経験やスキルの汎用性や共通点を見出し、新しい会社でそれを即刻生かして業績に貢献ができたこともまた事実だ。
私は1つの会社に3年、「ホップ1年」「ステップ1年」「ジャンプ1年」の三段跳び方式で関わったが、失敗即クビの契約で、年毎に息の抜けない目標設定をせざるを得なかったことは、生来怠け者の私にとって良かったことだったと、今になってつくづく思う。

早期退職募集に手を挙げる場合だが、ほとんどの人はそのまま引退するのではなく、他の企業に転職してキャリアを築いていくだろう。「再スタート」を恐れない、早期退職社のチャレンジを応援したい。

中高年になってからの転職の現状

たとえば65歳以上の高齢者が多い職業を国勢調査から抽出してみれば、農業従事者、居住施設・ビル等管理人、法人・団体役員、販売類似職業従事者(不動産仲介、保険代理人など)などが挙がるが、これはシニアの職業の一般的なイメージと大体一致する結果だろう。定年後や中高年になってからは、こうした職業に移る人も多くなる。ビルメンテナンスの職場などは60代でもまだ若いほうかもしれない。

高齢者が多いようで少ない職業を見てみると、工事現場や輸送・検査の現場系職業などで、これらは夜勤や交替制の職業だ。体力や身体能力の面から業務遂行が難しく、定年後はこうした職業では働かないことが多いようだ。また、事務系の職種も高齢者比率は低く、若い人で占められている。

職種の現状はともかく、中高年になってからの転職では、やはり生活維持に直結する転職後の「お金」のことが最優先だろう。

「キャリア自律」って何?

中高年の雇用について、企業の人事・経営の中では「キャリア自律」という言葉が流行している。中高年ターゲットの希望退職募集の波に加えて、副業やテレワークなどの自律的な働き方、「個」を認める人材マネジメントの流れ、ダイバーシティといった潮流とも相性がよい言葉である。

30年以上遡るが、バブル崩壊後、山一證券倒産に端を発する金融破綻によりリストラが横行したとき、財界が推したのが「エンプロイアビリティ」(雇用される力)だった。

不況下で雇用が不安定化する状況に対して、サバイバルするための個人特性がことさら強調されたが、90年代の「生きる力」(文科省)も、2006年の「社会人基礎力」(経産省)も、2003年のOECD(経済協力開発機構)の「DeSeCo(Definition and Selection of Competencies」も発想は同根。いま流行っている「キャリア自律」もまた、「変化」に対して「個人」のサバイバルを促すものだ。

キャリア自律度と転職意向の相関

長期的な視点で見れば、就業年数が長期化し、環境変化のスピードが上がっていけば、個人にとってキャリアの主体的な構築が必要になるとすることに間違いはない。キャリア自律の度合いを高めるのことは悪いことではないだろう。しかし、こうしたキャリア自律を、会社側から自社の従業員に対して推進しようとするには矛盾がある。

なぜならキャリア自律とは、「組織からの自律」をもまた意味し、組織から退出する「遠心力」のスイッチを押しかねないのだ。市場価値の高い人材(自分の人材価値が高いことを認識している人)は、キャリア自律すると転職しようとするのが自然なのである。

一方で、自分の市場価値が低いと感じている人にとっては、「今の組織に滞留する」=「しがみつこう」という「求心力」が発生する。特に40~50代の中高年層においては、キャリア自律度が高いと転職意向が低いという傾向があるという。

つまり、会社の外に出ても自分の価値が低いとわかっている中高年に、自分のキャリアについて考えて行動するように促せば、ある意味で合理的に、できるだけ企業にしがみつこうとするという皮肉な結果につながるのだ。

リストラという目先の目標ゆえ「自分のキャリアを自律的に選んでほしい」と社員に対して言いながら、人事制度や人材マネジメントの改革といった構造的なアプローチに踏み込むことができていない会社がほとんどだ。「予算がない」「経営者の理解が得られない」などと言い訳をしながら、「手を打っているふり」をしているにすぎない。

社内公募制、キャリア研修、キャリア・カウンセリングなどの個別の施策の「切り貼り」はあっても、その全体像をデザインする発想には著しく欠けている。

従業員に「経営者視点」を求めるのはお門違い

日本の中高年に対する「キャリア自律」アプローチの最大の問題点は、実行的な制度上の工夫もこらさず、きちんとした予算もつけない、ただの「呼びかけ」が多いということに尽きる。

私や黒田さんや柴田さんがいたリクルートは創業以来「社員皆経営者主義」を標榜し、実際にそれをやり続けていた。「社員皆経営者主義」を噛み砕き、「指示待ち人間」であることがあり得ないとした下のプレートは、全社員の机の上にあった。

しかし、そうした実践も試みも過去一度としてやろうとさえしなかった旧態依然としたヒエラルキーが当たり前の会社が、今さら経営者でもない従業員に「経営者視点」を求めるのは、ガキレベルの「ない物ねだり」と断ずるしかない。

かつて戦後から1960年代までは職務別に外部労働市場を強化しようとする政策(いわば「ジョブ型雇用」を目指す流れ)が施行され、そうした足場を作ろうとする動きが見られた。職務分類などが整備され、横断賃率も一部の組合によって試みられていた。

しかし、内部労働市場志向が強まった70年代以降、そうした流れが完全に止まってしまった。こうした歴史から「足場」というものが未だ全くない日本において、組織的な手立てのないまま、経済学者や経営者、評論家らが口にする「キャリア自律への呼びかけ」は、あまりにも空虚だし、無責任すぎる。

「今や、会社にしがみつくような会社員は生き残れない」「これからの時代、キャリアは自分で切り開くしかない」……。どこか上から目線のこうした言葉は、中高年「個人」へと責任転嫁しているだけで、それを取り巻く制度や環境を正当化しないまでも温存するだけ、屁の突っ張りにもならない。

企業が従業員に「主体的なキャリア構築」を望むのであれば、「それが可能な環境」を創る責任が、企業にはともなう。

(つづく)
この記事は、連載22回目です。これまでの記事、今後の記事もお読みいただければ嬉しいです。