人間はなんで働くの?-20  「これ」をするために生きている

Life Work(ライフワーク)という言葉の定義を調べてみると、以下のようなものが見つかります。

「生涯にわたって続ける仕事、一生かけて行う取り組み、人生を捧げる事業」(wblio辞書より)

「ライフワークとは、自分のなかにある《幸せの源泉》から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりと分かち合う生き方」(本田健さんの書籍中の表現※Wikipedia「ライフワーク」より)

他にも色々な言葉で説明がありますが、どこにも「職業のこと」だとは書いていません。

人によって考え方は違うかもしれませんが、Life Work(ライフワーク)というものは、広い意味では「一生をかけて情熱を傾けて幸せを感じられること」ぐらいまで漠然としていて、狭い意味では「その人の強い意志で一生をかけて取り組むこと、仕事、事業」とでも定義されるでしょうか。

もちろん、写真の新津春子さんのように、お金のためにやっている職業や仕事(ライスワーク)がそのままライフワークになっている人もいらっしゃいます。本当に素晴らしいと思います。

目的⑩仕事に我が人生をかけ、殉じて本望。その為に私は生まれた(自他軸)→ Life Work

ライフワークに「収入の有無」は関係ない

職業というのは、生計を維持するために、人が日常従事する仕事。(デジタル大辞泉より)つまり、生活費のためにやる仕事で、Rice workやAisu workが典型例だ。しかし「仕事」という言葉には「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動」(goo国語辞典より)という広い意味があり、Life work(ライフワーク)の定義に使う「仕事」は後者の意味である。

「お金を稼げる」ということをライフワークの条件として説明する人もいるが、これは違うだろう。もしもお金が手に入らなければライフワークじゃないとしたら、人は「お金にならないことをライフワークにできない」ということになり、たとえば人を救うためのボランティアは、たとえ一生を捧げたとしてもライフワークになり得ないということになるし、なんなら非暴力を貫いてインドの独立に貢献したガンジーさんの活動も、黒人差別の撤廃に生涯を捧げたキング牧師がした事もライフワークとは言えなくなるわけで、「収入の有無」の縛りをする必要は全くないと思われる。

わかりやすい芸能界での卑近な事例がある。
生島ヒロシ氏は、自らのコンプライアンス違反によって、レギュラー番組を全て失った。この時、彼は「私のライフワークを失った」と言った。つまり、収入を伴う仕事をライフワークと捉えていたから、そこで終わってしまったに過ぎない。

対照的なのは、ずっと先に島田紳助氏だ。漫才師になった時から10年でやめると決めていて、実際に2年早く8年でやめてから、目標としていた司会者として大ブレーク。引退して「ライフワーク」を失ったかというと全くそんなことはなく、世界、日本各地をキャンピングカーで走り回っている。彼にとっては現在やっていることさえもまだまだLife workでないのかも知れない。

ライフワークとライスワークの一致は理想だが

私はこの研究を始めた頃から、Life work(ライフワーク)とRice work(ライスワーク)が一緒なら、毎日の仕事が楽しくて最高だなあと思ってきた。しかし、私の場合は65歳でRice workを引退するまで実現しなかったのが現実だ。

しかし、2人の子育ても終わった。そして、ずっと働き詰めだったご褒美だろう、いま年金がいただけるようになって、ライフワークに専念することができるようになっている。

私もそうだったが、食べるための仕事は別に確保して、売れない絵や稼げない音楽に生涯を捧げる人はたくさんいる(ちなみに下の写真は私。音楽では稼げない「なんちゃってミュージシャン」の典型だ)。

Life work(ライフワーク)とRice work(ライスワーク)を混同ぜず、Life woekerをサンプル内でしっかり特定し、分析、考察を試みた。

私は「音蔵カンサイ」という、ミュージシャン支援活動のアンバサダーを務めている。音楽の持つパワーや可能性は大きく、収支は厳しくてもやり続ける意味ややりがいは大きい。

Life workのハードルは、実は低い

引用させていただいた上図は、有名な「生きがいの図」である。好きなこと、得意なこと、お金になること、そして世界が求めるものの4つが重なり合う中心に「生き甲斐」が存在するとしているものだ。しかし私は、これはちょっと違うな、言い方を変えれば普通の人間にはハードルが高すぎる、もっと言うと、綺麗事にすぎないとさえ思ってきた。

好きなこと、得意なこと、お金になること。この3つはいい。しかし「世界が求めるもの」とか、それが他と重なるところに生まれるとされる「使命」「天職」と言った類は、一言で言うと「押し付けがましい」「綺麗事を言うな」と感じる。「世界が求めるもの」に縛られると、自由に絵なんか描いていられないじゃないか。ごく一部を除いてほとんどのアートは「世界が求めるもの」なんかではなく、「ゴミ」同然なのだから。
そういう意味で、私は、「世界が求めるもの」を満たしていないと人間の「生きがい」が生じ得ないというのは、決定的に間違っていると思っている。具体的には、この「世界が求めるもの」はなんでもいい。人間誰もが世界に求められて生きているわけではないのだ。だから「世界が求めるもの」でなくても、それは「その人が得たい未来」でいいのだと。例えそれが「夢」と言う大層なものでなくても、なんなら「妄想」でも構わないと、私は思う。

「世界が求めるもの」の差し替えはそれが極悪非道でもない限り、個人の自由だろう。

「世界が求めるもの」と言う「受動」に縛られることなく、「自分が求めたいもの」と言う「能動」で構わないのだ。例えば「世界を見たい」でいいし、「故郷を守りたい」「子どもを守りたい」とは素晴らしことだ。素晴らしさに関係なく、自分なりに「もっといい絵を描く」「もっといい曲をかく」「もっといい小説を書く」「もっといいコメをつくる」「もっといい野菜をつくる」「もっといい茶碗をつくる」「海で死ねれば本望」「山で死ねれば本望」等々、なんでもあり。挙げていくのはキリがない。おそらくそれは、人の数だけあるのだろうから。
何が言いたいかというと、Life workは必ずしも「世界が求めるもの」という縛りを受けることなどないと言うことだ。

私が知っているLife Workerたち

以下、私の研究サンプル2,000人の中のLife Workerを一部紹介しよう。

サンプルには少なくとも私が直接会って面識がある人(私が生まれる前に没しておられた方でどうしてもカウントしたい方は例外として)という縛りを入れているため、知名度の高い人がさほどいないかもしれない。2,000サンプルの中からおひとりお一人をしっかり確認、Life workと言い切れる方々を完璧に特定する作業は怠っていない。それぞれのライフワークに優劣はないので、全員敬称略で以下に実名を列挙させていただこう。

まず、スポーツ界、落語家・芸人、小説家、ジャーナリスト、アナウンサー、コピーライター、カメラマン、映画関連には 村山実、江夏豊、釜本邦茂、イチロー、平田勝男、大杉勝男、金本知憲、野村克也、大場政夫、玉の海、琴奨菊、桂米朝、笑福亭松之助、笑福亭枝雀、明石家さんま、立花隆、田原総一郎、山崎豊子、長薗安浩、浜村淳、楠淳生、上森秀樹、橋本正治、石津勉、小出圭吾、原寛、蔵本三千男、山田洋次、仲畑貴志、中島貞夫がいて30名

上森秀樹氏(上写真右側)は、2022年の1月1日に亡くなられるその日まで現役のコピーライターだった。音楽の趣味も同じで、40年おつきあいいただいた、とても大切な方だった。

次は、アーティスト、工芸家、イラストレーター、漫画家、文化人、学者から。

藤井隆也、近藤豊、貴志カスケ、赤松玉女、安芸早穂子、尼子章男、小田英、梅原猛、余部一郎、猪熊佳子、大崎真理子、大原千尋、尾中哲夫、井上よう子、伊藤文人、江村耕市、手塚治虫、宮武外骨、松岡正剛、三木昭、河﨑ひろみ、藤江まびな、片山みやび、片山雅史、三尾好三、アーネスト・サトウ、田中一光、草間彌生、木村英輝、ここまでで29名

きーやんこと木村 英輝氏は、京都市立芸術大学デザイン科の先輩。かつて日本のロックをプロデュースした人生の前半から、還暦を機に画家に転身。おそらくどちらもが彼にとってのLife workだろう。

次に、音楽家(ミュージシャン)、歌手、ダンサー、プロデューサー等の音楽活動では、佐渡裕、美輪明宏、郷ひろみ、井上陽水、玉置浩二、上田正樹、桑名正博、Char、馬場ケンジロー、瀬戸ひろし、森山良子、キダタロー、片山行茂、八代亜紀、木村充揮、つんく、大根雄馬、TARO、ヒビナオヒロ、滝本りおな、伊谷亜子、Martha、愛民、西村加奈、西村リュウ、恒吉実がいて26名。

片山行茂氏は、音蔵オトグラカンサイでお世話になっているミュージシャンであり経営者でもあるが、彼が生むだすミュージカルは今後ブレイクする可能性大。ずっと注目している人だ。

政治家、社会活動家、教育者、医師、看護師、僧侶、俳優、各種芸能、清掃員ほか各種職業には 安克昌、中川一郎、奥平剛士、野中広務、越生政勝、川島実、二宮俊憲、勝眞久美子、太田焼子、中井貞次、鈴木佳子、山本一夫、山本哲夫、原田京子、瀬戸内寂聴、松田優作、花紀京、三國連太郎、高倉健、田中邦衛、藤山寛美、竹本友和嘉、新津春子がいて23名。

黒板五郎さん、もとい、田中邦衛さん。あなたはすごい俳優だった。五郎さんの生き方を探しに、私は何度富良野を訪ねたことか。

経営者・ビジネスマン、商店主には 孫正義、本田宗一郎、江副浩正、中西宏明、山本勝己、孫恵文、中内功、大東隆行、稲盛和夫、高橋紀子、面白顔之助、小林洋二、永井達也、井町岳二、信國幹一郎、宮崎秀敏、青嶋ちかこ、内堀光康、宗和恵介がいて19名。

孫恵文さん(上の写真右)は、京都一条寺の食肉加工業「いちなん」の店主。Rice woekerとしても、Aisu workerとしても素晴らしいが、自分の生き方を貫いて、日夜より新しい加工品を開発し続けているLife workerとしてまぶしく輝いている(頭皮もだが)。

農業、漁業、林業、冒険家、ボランティアなどその他の分野に 水尻宏明、中谷加賀美、越生博次、入角武雄、入角繁樹、廣田徳松、廣田秋江、植村直己、田部井淳子、白石康次郎、藤井裕子、中澤さかな、西谷寛がいて13名だった。

西谷寛さんは中学のクラブの先輩。環境カウンセラー・防災士・潜水士・コミニティスクールプロデューサー、アクティティビストとして活躍されておられるが、とりわけ地元・明石の川、海、自然を守り、子どもたちに気づきを与え、「後世に美田を残す」日々の活動に頭が下がる。

私の手元の2,000人サンプルのうちLife Workerの数は合計140名。該当率は7%である。

たとえば白石康次郎

26歳のとき、ヨットで世界最年少単独無寄港世界一周を達成(当時)。以来、世界を1周するレースに2度挑戦。「5OCEANS」ではトップカテゴリーで準優勝する快挙を達成している。

私が「アスリートの夢」という書籍の監修に携わっていたときに彼に会った時は、新たな挑戦として、「ヴァンデ・グローブ」への挑戦、そして若い世代へのメッセージをしきりに口にしていた。

ヴァンデ・グローブ女子記録を更新したジャスティン・メトラックス

ヴァンデ・グローブへの挑戦

ヴァンデ・グローブとは、単独かつ無寄港という条件下で行われる世界一周レースだ。たった一人で全長60フィートのレース艇で南半球を一周するソロレーサーの頂点と言われている過酷なレースで、フランスのレ・サーブル=ドロンヌの港を出発後、大西洋を南下、喜望峰を抜け、オーストラリア南側を抜け、さらに南米大陸のホーン岬と南極大陸の間にあるドレーク海峡を抜け、再び、レ・サーブル=ドロンヌに戻る。強風と荒波、そして極洋の氷山の中を、およそ100日かけて帆走する。

ただ、ヨットレースには、船がないと出場できない。この、船を作るのに最低3億円。さらに、その船を動かすための人件費や輸送費などで倍以上の費用がかかる。スポンサーをはじめ協力してくださる人々の力が必要が前提となり、志を持ち、腕があっても、社会的な理解や応援を得られないとスタートラインに立てない世界である。白石氏は、これまでに資金が集まらず2度断念している。

このヴァンデ・グローブを、ついに白石康次郎氏は今年で二度目となる完走で終えた。もちろん命懸け、そして、まさに人生の全てを賭けたLife workである。

そんな白石のインタビューの録音が手元に残っていた。そこで彼が言っていたことを紹介しよう。

仕事とは「自分の生き方」だ

知識やデータを重要視しすぎる今の社会に危機を感じている。例えば、クロールの泳ぎ方はインターネットでいくらでも検索できるし、動画でも詳しく教えてくれる。しかしそれでプールに飛び込んだとしても、25メートルも泳げない。あるいは、英語を10年以上学んでいるのに、ネイティブと会話できず、意思疎通できない。知識に血を通わせるには、体験するしかない。

仕事とは「自分の生き方」だと思う。耳に入ってくる情報や給料、周囲の意見を元にして選ぶものではない。もっと、自分の人生をどんなことに活かしていきたいか、何をして熱くなりたいか、と思いや考えに自分の照準を合わせてほしい。個人が様々な仕事をできる時代、人の話をうのみにせず、自分の心で判断したいものだ。

私は、地球というものを相手にしたいと強く思って生きてきて、海洋冒険家という仕事を手に入れた。これは、人に「冒険」という夢を与えて初めて成立する仕事だと自覚している。

くじけそうになることが何度もあるのが人生だろう。僕も、何億円という資金を集めることや準備に苦慮し、航海を諦めたことが何度もある。その度に頭をよぎるのは、ドイツの詩人ゲーテの言葉だった。

「大切なことは、大志を抱き、それを成し遂げる技能と忍耐を持つことである。その他はいずれも重要ではない」。

映画でも描かれる、さまざまなライフワーク

Life work(ライフワーク)に対する憧れのようなものを大なり小なり持っている人は多いようだ。「映画」にも、Life workをテーマにした作品が一定数あり、またその中には名作も多い。多くの人の共感や感動を呼ぶからこそ映画のテーマにもなり、その中から名作も生まれるのだろう。

Life workという漠然としがちで曖昧な存在をできるだけ共有したいとも思うので、ライフワークの魅力がスクリーンから溢れ出る不朽の名作映画の洋邦名作を、それぞれ私の独断と偏見で挙げてみた。

洋画では「ニューシネマパラダイス」が最高だ。

ダイナマイトで破壊されるニューシネマパラダイス。「俺の広場だ」と叫ぶ人。テレビやビデオに押されて、朽ち果てたニューシネマパラダイス。投影の光を放っていたライオンの口は取れ、床に転がっている。「トトはジャンカルドに帰ってきてはならん!」の名セリフは、アルフレドの葬儀の日だったか。映画、自由な表現、そして人々の娯楽のために生涯を捧げた人がそこにいた。

以下、「陽のあたる教室」、「戦場のピアニスト」、「ゴッドファーザー」三部作、「心の旅」、「ポセイドンアドベンチャー」、「スティーブ・ジョブズ」、「いまを生きる」、「バーレスク」、「フォレスト・ガンプ一期一会」「マイレージ、マイライフ」「フィールドオブドリームス」あたりは順不同。

邦画では「生きる」が最高。定年間際まで役所勤めで、書類にハンコを押すだけの毎日を過ごしていた主人公が、なんのために生きているのかを自分に問い、Life workに目覚め、それからのわずかな時間を懸命に生きて死んでいく姿は私の胸を打った。

「心の傷を癒すということ」、「沈まぬ太陽」、「たそがれ清兵衛」、「息子」、「駅」、「フラガール」、「舟を編む」、「学校」三部作、「Always三丁目の夕日」三部作、「男はつらいよ」シリーズ…。

白石康次郎氏は、仕事とは「自分の生き方」だと言った。次の記事では、私の人生のバイブルでもある「男はつらいよ」シリーズを拠り所に、Life workについて持論を余すところなく述べ、そして「仕事とは生き方」という白石氏の持論についても掘り下げてみたい。

(つづく)
この記事で、「仕事の目的は何か」シリーズの連載が第20回となりました。これまでの記事も、そしてこれからの記事も引き続きお読みいただければ嬉しいです。