人間はなんで働くの?-19 世の中を、日本を、よりよくしたいから②

ファイナルステージのたった二人。

その二人目は、江副浩正(えぞえ・ひろまさ)氏です(私にとっては、私を社会人として育ててくださった恩人でもあるので、以下「江副さん」と表記させていただきます)。

Amazon.comの共同創設者、取締役会長のジェフ・ベゾス氏はAmazonの成功で世界最大級の資産家となった人ですが、かつて彼をも「部下」にもち、アマゾンの「AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)」やグーグルの「マッチング」に先んじた構想を、江副さんは40年以上前に描き、次々と形にしていきました。

歴史に「タラレバ」はありませんが、もし、江副さんがビジネスを続けることができていれば。

世界も日本も、その景色はずいぶん変わっていただろうと思います。

あらためて、謹んでご冥福をお祈りいたします。

仕事に、後世にも資する意味を与え続けた江副さん

リクルートを使って社会を進化させたかった

2025年2月8日は、私がはじめてお世話になった会社の創業者で、私などには当時から雲上人であった「すごい経営者・江副さん」の12回目の命日だ。

ちなみに翌日2月9日は私の誕生日。とても悲しい日と、私的に嬉しい日が並んでいる。

かつて日本には、江副浩正という「起業の天才」がいた。

江副さんが立ち上げたリクルートの時価総額は今や16兆円に迫っている。これは、トヨタ、三菱UFJ、ソニーグループ、日立グループに次いで国内5位、総合情報産業の会社として圧倒的トップだ。

ご本人も悔しかったと思うが、江副さんは、先に紹介した中西宏明氏が、経団連ごと日本企業経営を刷新したかったのと同様、この国の様々なことを刷新したかった。

大志を持って日本の未来を見据え、改革し、歴史を変えようとした人だった。

江副さんは、学生たちに、しばしばこのように語りかけた。

「君たちは22年の人生で先人が創った歴史を学んできた。でも23歳からは自分で歴史を創るんだ。」

「リクルートならそれができる。一緒に歴史を創らないか」。

これは決して見せかけの言葉ではなかった。
江副さんは実際に、たとえ新入社員であろうと「やりたいこと」が事業として面白ければ、そこにちゃんと予算をつけて、本人を責任者として仕事をさせていた。

新卒面接が最優先

江副さんにとっては、他にいかなる重要な仕事があろうとも、どうしても採用したい学生の面接が最優先事項だった。実際、巨額の投資を決定する重要な取締役会と、採用したい学生の面接がダブルブッキングしたとき、「僕は面接に行くから、あとは皆で決めておいて」と会議室を立ち去ったというエピソードがある。

そして、人事部には口癖のように、こう言い聞かせていた。

「君たちは20年後のリクルートの社長を採用しているんだ」。

採用に対しても、こうした江副さんの強烈なリーダーシップによって、リクルート全体で「採用が最も重要である」という共有認識が生まれるようになり、採用に甚大なエネルギーを使うリクルートの、「リクルート」と言う社名そのものの意味にも相応しい企業文化は育まれたのだった。

江副さんは40年以上前に「マスメディアの凋落」を予見した

新聞、雑誌、テレビの凋落。日本のマスメディアがいま、時代の流れに押し流されようとしている。

フジテレビは不祥事に端を発して経営危機、民放各社も多かれ少なかれ厳しい経営の舵取りを迫られ、電通グループは東京五輪での不祥事に端を発して構造改革の真っ只中だ。毎日新聞、朝日新聞など新聞各社の経営も、依然厳しい状況が続く。

コロナ禍による消費冷え込みを受けた広告収入の落ち込みが一段落した後も、新聞、テレビの収益はコロナ以前からの長期低落傾向は変わらない。すでにネットに広告を奪われているから、回復しようもないだろう。

このようなマスメディアの凋落を、江副さんは40年以上前に予見していた。

予言したことと、寸分違わぬ現在の凋落ぶりを空の上から見て「ほらね、だから言ってたでしょ」と嘆く声が聞こえてきそうだ。

というか、彼らすべてを、もはや江副さんは相手にしていなかった。

江副さんは、商業メディアの収益源である「マス広告」の非効率性を見抜き、情報が欲しい消費者と情報を伝えたい企業をマッチングさせる新しい仕組みを次々に作った。

今はグーグルの独壇場だが、インターネットがない時代にGoogleと同じことをやってのけた江副さんはまさに「起業の天才」だった。

半世紀以上前にGoogleの発想

マス広告とネット広告には決定的な違いがある。

不特定多数の人々に広告を届けるマス広告は、持ち家に住んでいる人にも不動産広告、定職についている人にも求人広告、クルマを持っている人にも新車の広告を届けてしまい、それらはほぼ「無駄撃ち」に終わる。

広告が購入や応募に結びつく可能性がほぼない多くの対象を選ぶことができずに、届いてしまうから、とても効率が悪い。かつてToToがウォシュレットの広告をたくさんの人に見てもらおうとTVCMを流したら、食事してる時にトイレを見せてお尻をこちらに向けるとは何事か、と電話回線がパンクするほどのクレーム電話が殺到したのは、マス広告の宿命だった。

逆に、ネット広告の場合、ネットで家探しをしている人に不動産広告、職探しをしている人に求人広告を届けることができる。利用者は「検索」することで、自分が何を求めているかという欲求をさらけ出し、グーグルのAI(人工知能)は、それぞれの人にマッチした広告を送り出す。

私も、リアルタイムに私のニーズを的確に捉えてくるAI(人工知能)の「力量」には驚くばかり。

ついポチッと購入してしまうわけで、広告効果は必然的に高くなる。

ネットがなくたって、江副さんの発想は実現した

これと同じことを、AIどころかインターネットの影も形もない時代に考えていたのが江副さんだった。その原形は、江副さんがリクルートを創業する前の東大生時代、1960年代にまで遡る。リクルートを創業した江副さんは、就職する会社を探している学生に『リクルートブック』(現在の『リクナビ』)を、進学先を探している高校生にはリクルート進学ブックを、就職希望の高校生にもベストウエイという名の就職情報誌を、それぞれ学生からは一切お金を取らずに無料で届けた。

リクルートブックは文理はもちろん大手志向や中小志向、大学院生ニーズや留学生ニーズなどにも細分化され、進学ブックも大学、専門学校各種学校といった細分化がされていく。

家を探している人には『住宅情報』(現在の『SUUMO』)、転職先を探している人には属性を細分化したいくつもの転職情報誌(B-ing、ベルーフ、とらばーゆ、ガテン等)を、アルバイトを探している人にはフロムAを、広告の無駄撃ちを避けるため地域分けをし、百円かそこらで選んで買えるようにして、利用者ニーズと企業ニーズのマッチングを効率を追求しながら徹底的に推し進めた。

江副さんがつくった「情報誌」は、リクルート急成長へのやっかみもあって、「広告の寄せ集め」と見下された。

しかし、ほとんどの読者、視聴者にとって「ノイズ」であるマス広告に比べれば、情報誌に載る広告は、仕事を探している人、家を探している人にとって貴重な「情報」である「確率」も、広告主が得られる「効果」も、ともに圧倒的に高かった。

だからこそ、リクルートは情報誌の読者にも広告主にも支持され、急成長したのだ。

リクルートの情報誌ビジネスは、中古車(『カーセンサー』)、海外旅行(『エイビーロード』)、国内旅行(『じゃらん』)、女性の転職(『とらばーゆ』)、等々、あっという間に領域を広げていった。

私がいたのは10年ほどだったが、1年に幾つ新規事業が立ち上がっただろう、起業のスピードは異様に早かった。

採用のために70億円のスパコンを購入

昭和60年(1985)当時も、情報媒体としては紙が一般的だった。

しかもリクルートの情報誌事業は急成長を続けていて、収益は年々拡大、まさに絶頂にあった。

しかし、日本でも通信自由化がようやく実現した1980年代の半ば、江副さんは満を持していたかのように、紙の情報誌からコンピューター・ネットワークに飛び移ろうとする。

江副さんは、何らの躊躇なく、コンピュータネットワークを用いたオンラインサービスに切り替える方針を全社員に向かって打ち出した。

私たち並みの人間、少なくとも私には、江副さんの頭の中が全く理解できなかった。

そして、このときに江副さんが人事部に出した指令はあまりにも有名だ。

「東大クラスの理工学部を1,000人採用しろ」

つまり、何もしなければトヨタ自動車や日立製作所やソニーに勤めるはずの工学部のエリート学生を、リクルートで、しかも1,000人採用しろと言ったのだ。

当時、出版・広告業だったリクルートに、超優秀な工学部の学生が就職しようとはしない。

そこで江副さんは、その採用を実現するためにスーパーコンピュータを2台も購入したのだった。

スパコンは「採用ツール」だった

江副さんが購入したのは、アメリカで最先端のスーパーコンピュータ2台と、富士通のスーパーコンピュータだった。合計70億円も使った。しかも、その70億円を「採用費」として計上している。

当時はスーパーコンピュータを複数台持っている企業などなかったため、工学部のエリート学生たちは「リクルートに行けばスーパーコンピュータが利用できる」と、こぞってリクルートに集まった。

そして、江副リクルートは、実際に超優秀な理系学生たちを1,000人近く採用することに成功するのだが、ただでさえ一人当たりの採用費を厭わないリクルートは、理系学生の採用のために、さらに1人あたり700万円をプラスして使ったことになる。

ところで、経済産業省による調査では、大学発ベンチャーは今ようやく3,000社を超えているようだ。

江副さんの母校・東京大学でも、いま学生ベンチャーの後押しに力を入れている。

このように、今でこそ増えてきた大学発ベンチャーだが、リクルートが創業された1960年代はまだまだ大学発ベンチャーなどほとんど存在していなかった。

そのようななかで創業されたリクルートは、大学発ベンチャーの走りであり、昭和最大のベンチャーに成長した、最初の成功例だった。

江副さんの最大の功績は、大学発ベンチャーの元祖として、時価総額16兆円もの巨大な企業に成長させたこともあるだろうが、何よりもっとも大きな功績は、日本の学生たちにベンチャースピリッツを根付かせたことではないかと思う。

ジェフ・ベゾスと同じことを考えていた江副さん

実は江副さんには、あのAmazon.comの創業者であるジェフ・ベゾス氏の上司だった期間がある。

ジェフ・ベゾス氏はもともとファイテルというベンチャー起業の平社員として働いており、江副さんはそのファイテルを買収した企業のトップ。と言うことで、ジェフ・ベゾス氏は江副さんの部下になったのだった。

当然、ファイテルの買収は、単なる思いつきではなかった。

昭和59年(1984年)に日本で通信の自由化が決まったことを受けて、日本の通信を独占していた日本電信電話公社が民営化されると同時に、民間企業が通信事業に参入できるようになったから、江副さんは1987年にファイテルを買収を決断したのだった。

AmazonのAWSを30年前に構想

江副さんは、日本の川崎とロンドン、ニューヨークに通信機能を備えた巨大コンピュータ基地を作り、これらを結んで金融機関などにサービスを提供しようと考えた。

コンピューターの処理能力を顧客企業に貸し出し、1日24時間のグローバル・サービスを提供しようとしたのだ。

あれ?これって、どこかで聞いたことがあるけど。

そうだ、今ではそれを「クラウド・コンピューティング」と呼んでいるではないか。

江副さんが始めようとしたサービスは、アマゾン・ドット・コムの「AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)」にも非常に近かったのだ。

リクルート事件によってその夢は頓挫してしまったわけだが、江副さんの構想よりずいぶん後になって、これと同じようなビジネスをしている企業が存在する。

それは、Amazon.comだ。

Amazon.comはAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)というサービスを展開しており、現在Amazon.comの収益の柱となっている。

江副さんの先見性やビジネスの手腕は天才的というより「天才」に間違いなく、リクルート事件を起こしてさえいなければ今頃はAmazon.comのAWSを凌ぐクラウド・コンピューティング・サービスを運営していた可能性は非常に高いだろう。

まあ、私などはそうした江副さんの発想にも、具体的なIT技術にも全くついていけないわけで。

かろうじてついていけてたのは、215人の1982年同期入社の中では、高橋理人ぐらいだったか。

とにかく私などは1991年にとっとと辞めて、正解だった(笑)。

紙からオンラインに飛び移ろうとした矢先、江副さんは1989年のリクルート事件で逮捕され、突然、会社を去る。

しかし江副さんが採用した理工系の学生たちは、就職情報サイトの「リクナビ」など、江副さんの描いたビジョンに必須だったリクルートならではの「オンライン・サービス」を立ち上げた。

もしリクルート事件がなかったら日本は

江副さんは、彼が描いた壮大な未来予想図を理解し得ない、はっきり言って申し訳ないが、凡人のほとんどに「戦後最大の経済事件の主犯」として記憶されている。

しかし、もし事件がなければ、少なくとも日本経済の風景は、間違いなく、今とはまったく違うものになっていただろう。

リクルート事件によって、江副さんはビジネスができなくなった。

天才は、長い裁判に殺されてしまった。

結果起こったことは、40年以上前に江副さんが予言していた、旧態依然としたマスメディアからネットメディアへの移行というものがずいぶん遅れたことだった。

ナベツネなど巨大な新聞権力や、日枝久などオワコンバラエティ発想によるテレビの下世話極まりない支配を許してしまった。

メディアの、その加齢臭漂うほぼ腐敗したような古墳的構造が温存され、ネットフリックスやフールーのような新たなメディアの登場をも著しく遅らせたと思われる。

人々の手にスマートフォンが行き渡り、ネットが社会インフラとなった今、いよいよマスメディアの時代は終わる。江副さんがいなくなったおかげで?電通や新聞大手やマスメディア各社は少しは延命したが、今の姿は40年前に江副さんが予言していたその通りになっている。

かたや江副さんが作ったリクルートの株式時価総額は約16兆円。

かつてのガリバー・電通をあっという間に抜き去って、今やその電通のほぼ16倍である。

まだオリンピック?まだ万博?

江副さんは天国で笑っているだろう。

「相変わらずだね」と。

江副さんの申し子たちが江副さんの遺志を継いで世界へ

「もしですね、20年後または50年後も人々が仕事を見つけるのにまだまだ苦労しているという状態になってるんだとしたらですね、これはもう私達の失敗であって、当社の責任だという風に我々は考えています。」

そう豪語したのは、リクルートホールディングスの代表取締役社長兼CEO、出木場久征氏だ。

2024年5月15日に開かれたリクルートの通期決算記者会見でのことである。

ここで出木場氏が「人々」と言ったのは、もはや日本の人々のことではない。

世界の人々のことだ。

江副さんの爪の垢を煎じた、ほんの一滴に過ぎないかもしれないが、それを飲んだ江副さんの申し子は、こう続けた。

「現在Indeed(インディード=求人検索エンジンを手掛けるリクルートの米子会社)の月間のユニークビジターは、世界でまだたったの3.5億人という状態ですので、今後もまだまだ世界で多くの方々の仕事探しの手伝いができるはずだという風に思っています」。

Indeedは日本を含む世界60カ国以上、28言語で提供されており、その求人情報を求めて月間に3億5000万人が訪れる。今や世界で最も利用されている求人検索エンジンであり、わかりやすく言えば「求人版のグーグル」だ。

世界の人々は、知りたいことがある時、まずグーグルのサイトを訪れるが、仕事を探すときにはIndeedを訪れる。Indeedはすでに求人情報のグローバル・プラットフォームなのである。

江副さんが起業したもっとも最初の事業は、「日本株式会社人事部」の異名をとった。

江副さんの申し子たちによるIndeedの事業は、「世界株式会社人事部」へと育っている。

でも、江副さんは天国で優しく微笑みながら、きっとこう言っていると私は思うな。
「もっと早く、もっとダイナミックに、歴史をつくらないと。リクルートならできるんだから!」

画像

(つづく)

この記事は、連載第19回です。いよいよ佳境に入ってきました。引き続きお読みいただければ嬉しいです。このテーマに興味がない方は、旅行記などもどうぞ。