
前略 黒田裕子さん。あなたはすごい人でした。
私もその一人ですが、どれだけ多くの被災者が、あなたに助けられたことでしょうか。
あれから今年で30年が経ちました。あなたに学び、あなたの遺志を継いだ人たちは、今日も頑張っていますよ。
2024年のお正月には、能登で大震災が起こってしまいました。その時、あなたの「教え子」たちがたくさん能登に入って、黒田さんから教わった大切な観点から、被災者の皆さんの支援にあたりましたよ。
一つだけ、具体的な支援をご報告しますね。
黒田さんから学んだ人たちが、能登半島地震の時は「足湯」に注目し、足湯を通して心のケアができないかと考えましたよ。足湯で、他者とふれあう機会ができ、会話を通して声が出る、それが肺炎予防にもなるのではないかと。
仲間ができることで、生きる力と何かをしようという意欲が湧いてくる。それが健康維持、食欲増進につながって、コミュニケーションも生まれる。すると、大切なコミュニティ作りにもつながっていくのではないかと…。
彼らは、足湯は災害時だけでなく、日常的なものとして普及して欲しいとも言ってましたよ。
現場から目を離すことなく、長く長く継続していくこと、それが大切にするということ。
黒田さんの災害看護の信念でした。
あなたの遺志を受け継いだ彼らの成長と、さらなる人のつながりに、どうか安心して。
どうか安らかに、眠ってください。
目的⑦人が好きで輪の中にいたい。人と社会に「関わり」「繋がって」いたい→ Link Work
「人と接するのが好きだから」ではとてももたない
いわゆる“人と関わる仕事”に就こうとする人は、志望動機を問われると判で押したように「人と接するのが好きだから」と答える。しかし、自分で社交的だと思っている人は、果たして本当に“人と関わる仕事”に向いているのだろうか?
人が好きで輪の中にいたい、人と社会に「関わり」「繋がりたい」といった仕事の動機・目的意識を私は「Link Work (リンクワーク)」と名付けた。接客業の多くはたしかにLink Work なのだが、心理学的な考察を加えると、接客業は「感情労働」である。感情労働とは、業務をする中で、自分の感情のコントロールが必要な職業のこと。接客業が代表格だが、人と接する仕事の多くは自己の感情コントロールを必須とする。
接客業には、私のサンプルの中にも精神がすり減ってボロボロになって仕事を辞めていくケースが多く見られる。なかなか継続することが難しいと感じる、低賃金で休みが少ない職場も多い。エビデンスを分析していて、結果的に若者の夢を食いつぶしている傾向が見られることには本当に心が痛む。
「その他大勢(客)」に接するのが仕事
下の三重丸の図には、それぞれの輪にA、B、Cと書いてある。真ん中のAは、「自分の大切な人・重要な人」。Bは「自分が接しないといけない人」。いちばん外側のCは、「その他大勢」。もちろんAよりB、BよりCの人数が多い。と言うより、「人と接する仕事」に就いた場合、日々接する人は、Cの「その他大勢(客)」が圧倒的多数である。
人間の精神力のキャパシティーは限られている。精神的に疲弊してしまう人は、BやCの人にまで、Aの精神力を使ってしまいがち。そんなことをしてたら、生身の人間の心身が持つわけないのである。

若いうち、たとえば高校生活の中で感じる「人と接するのが好き」な感覚は、ほぼAの相手だけを相手にした時の感覚に近いのだろう。Bの、親友以外のクラスメートや嫌いな生徒、先生とですら接するのが苦痛なことは多い、それで普通だと思う。しかし、接客業の多くは、Cの大多数の人にまで精神力を使わないといけないのだ。
夢と現実のギャップが起こるメカニズム
この夢と現実のギャップはどうして起きるのか?そのメカニズムを大学生の場合で考える。まず、小中高時代。人と接するのが好きになるのは、その人が、家族や先生、友達といった好きな人だけに囲まれてきたから(嫌いになるのはその反対で、囲まれている環境が嫌だったのだろう)。
高校時代に至って「人と接するのが好き」と言える人は、きっと今まで良好な人間関係に恵まれ、周囲から愛されてきたからだ。下の写真は私の高校時代(卒業の日)の写真(前列左が私)。大好きな友人たちに囲まれ、本当に楽しい日々だった。

高校生時点で「人と接するのが好き」と言う心持ちにある人は、受験という関門があるにはあるが、そこを何とか突破して専門学校や大学に進学した数年間、多くの人はその気持ちは卒業まで変わらない場合が多い。
同じ学校で看護師や保育士などの夢に向かって頑張る仲間たち、支えてくれる先生、同じ大学の同じ学部学科で、同じ夢に向かっているゼミの仲間、応援してくれる教授。実習先で多少は社会の嫌な面も見るだろうが、まだ学生だし、拠り所は家と学校にある。学生生活の全てをかける体育会の連中などはもう、近すぎて強すぎて、暑苦しいぐらいの絆で結ばれる。
そして、卒業。多くの人が4月1日に社会人になる。入社式、新人研修、OJT…。ここでやっと気づくのだ。学校とのあまりに大きな違いに。会社では「嫌な人との交渉」こそが仕事なのだと。「嫌な先輩・上司・社長」「嫌な客」「嫌な患者」「嫌な同僚」「嫌な保護者」、心ない人のいかに多いことか…。
自分を愛してくれる「いい人の世界」から、利害がぶつかる「社会人の世界」へ。そのとき、「人と接するのが好き」という気持ちが持てなくなっていても、決して不自然ではない。これが、Link Workの目的意識を大きく毀損する「夢と現実のギャップ」のメカニズムである。
人と接する仕事の代表格「接客業」の仕事とは
接客業とは、お店や施設に来たお客様を応対し、商品やサービスの案内や提供などをする仕事である。
私は、経営コンサルタントだったが、接客業を本業とする業界としては「教育サービス」「ストレッチサービス」「スイミング指導」「スポーツトレーナー(ジム)」「健康食品販売」「ホテル」「ゲストハウス」の課題解決や教育に携わった。
結果(業績向上)は比較的出しやすい反面、マネジメントは、現場に自分自身も入らないと話にならないので、本当に大変だった。
接客業と言っても漠然としているので、補足的に言えば、接客業の中には、物品を売る「販売業」と物品以外を提供する「サービス業」の仕事があって、それぞれに求められるスキルは異なる。
両者の現場に共通するのは大きく2つ。顧客のために積極的な行動を求められる点、リピートにつながる対応を意識しなければならない点だ。これらはサービス業にも販売業にも、どちらにも共通して大切になる。一方で、接客業と販売業は、販売に対する姿勢においてかなりの違いがある。
販売業は積極的に顧客に商品やサービスの販促を行う必要があるが、サービス業には、販売に対する積極性は基本的に求められていない。
サービス業で最も重要なのは、対応する顧客の満足度を最大限に向上させることだ。コミュニケーションやおもてなしを通して、顧客に楽しいひと時を提供することが最も求められるが、このスキルを現場全体で向上させるのはなかなか大変なことだった。サービス業の職種はそれこそたくさんあるが、私の手元のサンプルには、飲食店のホールスタッフ、キャビンアテンダント、ホテルなどのフロント、トレーナーやストレッチサービス、施設や会社の受付などの仕事に従事しておられる方が含まれ、看護師は医療分野の専門性からも接客業ではないのだろうが、患者対応力のウエートが高いため、「人と接する仕事」の中に含めた。
逆に販売業は、顧客をもてなすことよりも、いかに多くの商品やサービスを販売するかというところに力を入れる必要がある。なので、スキルアップと販売成績が結びつくことで目標設定もしやすく、個々人の課題も明確化しやすかった。販売業の職種で私のサンプルにあるのは、スーパー、コンビニ、ドラッグストア、百貨店、アパレル店、中古車販売、顧客に物を販売する、いわゆる現場スタッフの人たちが一定数入っている。新車ディーラーや保険の外交員などさまざまな業界の営業職と販売職には大きな違いもあるが、大きく「人と接する仕事」として括っている。
人と接する仕事(営業販売・接客サービス等)のスキルとやりがい
常にお客様の対応をする接客業の経験を積むと、お客様が求めるものを上手に聞き出す力や、察する能力が磨かれていく。また、気持ちよいお客様応対をするための丁寧な言葉遣いや振る舞い、販売職は自分流の販売トークや販売スキルも身についていくはずだ。
大きい会社では、接客マニュアルや販売基本トークなどが用意され、基本的なスキルを習得しやすい環境になっている。
さらに、お客様が求めるものは一人ひとり異なるので、マニュアルにない、臨機応変に適切な対応をする力、突発的なことが起こっても落ち着いて対処する力、接遇力も身についていくだろう。接遇とは「客をもてなす」という意味だが、いかに心地よく、いかに満足してもらえるかを追求していく中で、お客様をもてなすホスピタリティが自分の中に定着していくだろう。
特にリピーターよりも不特定多数の人と接する仕事の方が多い職場では、一期一会で最適なコミュニケーションをすることが求められるので、その場での観察力、質問の投げかけ方、会話の引き出し方、とりわけ営業職には提案力、行動力などが磨かれていく。
人と接する仕事(営業販売・接客サービス等)のきついところ
サービス業は人と接するがゆえにメンタルがきつい、販売業では販売成績、営業職はノルマがきつい、などと感じる時もあるだろう。
まず、人と接する仕事には、基本的に就業中は立ちっぱなしという仕事も多い。職種によっては、立っているだけでなく、荷物の搬入や搬出、陳列などをすることもある。営業職は行動量が生命線で、短期間で靴を履き潰すほど歩く。肉体的な負荷は予想以上にかかるかもしれない。
また、サービス業も販売業は、夜間や土日祝日が忙しいことが多く、休日が不定期になりがちだ。職場によっては2日続けて休むことが難しいこともあるし、働く日と休日が一定の間隔にならないことも珍しくない。
最近は「カスハラ=カスタマーハラスメント」への対処を企業ぐるみで考えるので、とんでもないクレーマーは少しは減る傾向にはあるものの、お客様と直接接するため、クレームを受け止めるのも大変だ。クレームの中には、人前で叱責されたり、大声をあげられることもあり、よほどメンタルが強い人以外は、精神的につらいと感じる人も多くいる。
「接客業」ありきの企業や事業は前途多難か?
人と接する仕事全般に、「他人」との人間関係が楽しめる境地に達するには相応の時間がかかる。数々の試練を乗り越えてこそ、楽しいと感じることも次第に増えていくのだろう。しかし、キャリアを積んで職域のリーダーになっていくと、やりがいに比例して責任も重くなる。プレッシャーが大きなものになっていくことも現実だ。
だからだろう、看護・福祉・保育、そして接客系の仕事を一括りに「人と接する仕事がしたくて道を選んだ」という人は、私のサンプルの中では際立って離職率が高い。
ところが、夢をもった若者は、そんな過酷さを想像できずに「人と接する仕事がしたい」とさまざまな企業や福祉、保育、病院現場の門を叩いて、やってくる。
「代わりならいくらでもいる」し、「若いうちに数年で辞めてくれたほうが人件費がかからない」と言う非人道的な理由で、なんとか生き残ってきた企業や事業は少なくない。これが現実だが、それはただし、今までのこと。間違いなく過去の話になる。
少子高齢化、人手不足が深刻な日本社会、すでに激しい淘汰が起こり始めているが、これからますます経営環境は悪化していくだろう。
逆に、少子高齢化によって人手不足が加速する中、今後ますますAIが人手不足を補っていくはずだ。そして、人間しかできない仕事が残るが、その意味において、AIにはできない「人との接し方」と「AIに対応できない仕事力」を身につけた人と、その人材を「人財化」できる企業のみが、令和の時代を生き残っていくのだと思う。
AIには絶対できない「人との接し方」を極めた人がいた
そうした意味で、究極のレベルに達していた方がいらっしゃった。
黒田裕子さんは、阪神・淡路大震災のあと、看護師として勤めていた病院をやめて、仮設住宅の高齢者などの孤独死を防ぐためのボランティア活動に力を尽くし、肝臓がんのために11年前(2014年)に73歳で亡くなった。

災害の現場にいち早く飛び込み、身を挺して被災者支援や被災地の復興のために献身的に働き続け、自らの命を燃やし切った「人と接し」「人を助け続けた」カリスマだ。



その後、遺志を引き継ぐ人たちを表彰する「黒田裕子賞」が設けられ、毎年、黒田さんの遺志を継ぐ活動を継続している人たちが表彰されている。
私が初めて黒田さんにお会いしたのは、阪神・淡路大震災から2年後、私も被災者の一人であったことから東京のエンゼル保育園主催の震災報告会の取材に行った時だった。それ以降、とにかくパワフルで止まることを知らない黒田さんの活動ぶりには感嘆するばかりだった、本当に最後の最後まで。
「この人を突き動かし、疲れを知らない激務に駆り立てているものは一体何なのだろう」と。
黒田さんが亡くなっても、彼女が人生を賭けて残したものは被災者や各種支援専門職、看護師、ボランティア、行政職員ほか、彼女の活動に関わった人たち全員に、今もしっかり引き継がれている。
たとえば黒田さんは被災者を支援するときに大切なことを、自分でやってみせつつ、いくつものことを具体的に伝えていた。そのどれもがAIには到底できない、一人ひとりの生身の人間と「真に接する」ということだった。
「寄り添うということはこちらが話すよりも、被災者の話をしっかり聞くことです。人間には口が一つですが、耳が(倍の)二つあるのはそのためだと思いませんか?」
「人の話を聞くときはその人と45度の角度で横に向き合って座ります。」
「10本、あるいは5本の手の指で相手の背中をさする、抱きかかえる、握手をするなどのタッチングは相手をホッとさせます。」
「タッチングには3つの目的があります。一つは緊張の緩和、二つ目はコミュケーション、三つ目は不安の除去です。」
「仮設住宅へいったらまずゴミ箱を見て下さい。そこから被災者の暮らしが見えてきます。ゴミ箱を見ることによってケアの方法がわかってきます。」
上記は黒田さんの言葉の、ほんの一部だが、一つ一つが重い。
黒田さんが阪神淡路大震災の6年後に書いたレポートが手元に残っていたので、それを以下そのまま転載させていただく。
生活者を支えるための看護をめざして 黒田裕子(三重県立看護大学)
ボランティアの立場で地域に密着して
あの日,あの時,あの瞬間からもう6年になろうとしている。振り返ってみれば,阪神淡路大震災は私にとっての最大の転機であった。病院から離れ,ボランティアという立場で地域に密着し,単なる患者ではなく「生活者」としての「患者」,「その人」を看ることができた。そのことで,私は多くの気づきを得,そして多角的な視点と広い視野で物事を見つめることができ,私の「人生観」「看護観」に深みを加えることができた。震災直後,悲惨な人たちの姿を見,追われるような気持ちでボランティアとして被災地に飛び込み,被災者を支えることに専心してきたのだが,実は多くの部分で,私は被災者に支えられ,また多くのものを与えていただいたのだと思う。
現在,被災地は急激に復興が進み,町並みを見る限りでは震災は終わったかのように見える。仮設住宅も解体され,ほとんどの被災者は復興住宅へ移った。行き交う人々の表情も一見穏やかに見えるのだが,この6年近くの間に,3回から4回の引っ越しを余儀なくされ,被災者の多くは新たな人間関係の構築のために神経をすり減らしてきた。そして,最も苦労しているのが現在であると感じる。コンクリートの堅牢な壁がコミュニケーションを阻害し,むしろ孤独感を深めることになっている。まだまだ多くの支援が必要なのである。
その一環として,民間レベルのグループホーム,デイサービスという新たな活動も開始している。
退院指導の重要性
被災地での活動を通して,看護の再構築を強く思うことが多い。被災地では,仮設住宅・復興住宅を通して,日本の社会を一歩先取りした超高齢化社会となった。そこでの現状を見る限り,現在の看護のありようでは,これからの超高齢化社会にはとうてい対応できないと思うのである。専門職として会得してきたはずの知識・技術は,病院の中では活用されても,これから最も重要になってくる社会や地域の中ではまったく活かされていないと感じている。それが最も顕著に現れているのが,「退院指導」である。施設から在宅での療養生活に向けての退院指導が十分に行なわれていない原因は,その人の「生活」に対する視点の欠如が最も大きいからではないだろうか。在宅に向けて,その人の「生活」「暮らし」を基にしたアセスメントや,家族へのアセスメント,そしてその人を取り巻く地域に対するアセスメントを行ない,その結果に基づいた対策を立てなければ,退院指導のほとんどが無効となってしまう。
現在,復興住宅に住み,周りの人との関係を築けず孤独の中にいる人,手に障害があり自分で調理できない状況にある人,お金がなくほとんどコンビニのおにぎりだけで過ごさざるを得ない人,そのようにさまざまな背景を抱えた人々に,一律に「もっと栄養のあるものを……」と指導したところで,どうして効果が期待できようか。とすれば,その人を支えるための資源が,どの程度あり,どうすれば活用できるのかといった知識が必要となろう。加えて地域や行政との連携,訪問看護ステーション,ボランティア団体,福祉施設といったさまざまな機関・団体との幅広い連携も必要となってくる。そして,「その人らしい生活」を送ってもらいたいと,強い願いを持って退院指導に当たるという,私たち医療者側の意識も必要である。
この経験からのシステム構築を
先日,阪神淡路大震災に匹敵する揺れを観測した鳥取県西部地震が発生し,大きな被害を受けた。こうした災害を目の当たりにすると,私は強い焦りのようなものを感じる。
阪神淡路大震災の私たちの経験を,どれだけ活かすことができるのか。私たちの経験を単に語り継ぐのではなく,次に起こった災害に確実に活かせるようなケアのシステムを早急に作らなければならないと強く思う。そしてそれが,21世紀の看護の土台になると確信している。

(つづく)
この記事は、連載第12回です。次回も、人を助けたい思いで仕事をしている人について触れます。引き続きお読みいただき、共に考えられたら嬉しいです。