人間はなんで働くの?-11   子どものためならエンヤコラ

美輪明宏さんが「ヨイトマケの唄」をつくったのは、高速道路が地方に造られ始めた1966年のことです。ヨシオの家は貧しかったし、国民の多くがまだまだ貧しさから脱したわけではなかったですが、日本経済は敗戦からにわかに復興、「高度成長」の只中にありました。

その時代からおよそ60年。

今の日本は、「相対的貧困率」が米国や韓国にも抜かれ、先進国で最悪の数値となっています。

相対的貧困率とは、等価可処分所得の中央値未満の国民の割合を指します。等価可処分所得とは、子どもなど収入がない人も含め世帯を構成する1人ひとりが使えるお金をリアルに表現するための考え方で、ものすごくざっくり言えば、収入がない子どもなども全て含めた「全国民」の平均収入より下の人を「貧困」とする考え方です。

たとえば、それぞれ年収200万円ずつで世帯収入が400万円の夫婦と、単身で年収200万円の人とでは一人頭の収入は同じですが、二人のほうが節約の効果が得やすく、大きい買い物もしやすいですよね。そのため、単純に可処分所得の合計を世帯員の数で割るのではなく、世帯全体の可処分所得を「世帯員数の平方根(四人世帯だと2)」で割ったものが等価可処分所得です。

先進国中最下位に転落した日本の貧困率(相対貧困率)

相対的貧困の基準は世帯年収127万円

この「相対的貧困率」は数字が低いほど貧富の格差が小さく、高いほど貧富格差が大きいことを比較的正確に示すが、前回調査では米国や韓国よりまだマシだったのが、最新調査では両国に抜かれ、先進国で最悪の数値となっている。

こうした概念論ではなかなか「貧困」の状態を掴みにくいのでより具体的に示すが、厚生労働省の「国民生活基礎調査」による相対的貧困の基準は、直近で世帯年収が127万円とされている(誤差あり)。

これを下回る世帯が「相対的貧困」に定義される。四人世帯の場合、一人当たりの年収を63万5,000円と捉えることになる。そのレベル以下の率が15.7%に達していると言うことで、これには子どもも含まれるから、つまり日本人口の6人に1人、約2,000万人が貧困ライン以下での生活を余儀なくされているということになる。

ちなみに「絶対的貧困率」は、最低限度の衣食住、医療などを得られない世帯割合を示す割合だが、それが具体的にどれくらいの収入以下なのかなど、国などで基準がまちまちなので国際比較ができない。

実は日本の可処分所得の平均は細かく見ればわずかずつ上下しているものの、2018年までの20年間大きく変わっておらず、ずっと「横ばい」で、2018年以降に少し改善されつつあるが、今後は物価上昇による生活苦も現れ始めており、まだまだまだ不透明だ。悲しいことだが、直近2024年の子供の自殺数は過去最悪となった。小中高合計500人以上うち中高生の女子の増加ぶりが著しい。

すべての子どものために「Aisu Work(愛すワーク)」は完遂されるべき

子どもたちの自殺の理由は様々だ。経済的理由だけではもちろんない。しかし、相関性はある。日本の子どもの貧困率は11.5%に達している。「子どもの貧困率」とは、先ほど「相対的貧困」の基準額算定方法で述べた等価可処分所得が子どもについても求められるわけであるが、それが真ん中の所得(平均)よりも少ない子の割合を言う。

ひとり親世帯の貧困率は44.5%(母子家庭58%、父子家庭20%)。なんと半数にも達しようとしている。ここでいう「ひとり親世帯の貧困率」というのは、正確には「世帯主が18歳以上65歳未満で子どもがいる世帯のうち、大人が1人の世帯」の貧困率で、親ではなく兄弟の年長者が世帯主のケースや、1人で孫を養っているケースなども含まれる。ひとり親の中でも、「ヨイトマケ」のお母さんとヨシオもそうだったが「母子家庭」の貧困率はおよそ6割。極めて大変な状態に置かれているのである。

「Aisu Work(愛すワーク)」は尊く、特にこの国のすべての子どもの未来にとって継続されるべきものであるが、当事者である親としてそれを貫いていくには、かなり大変な環境にあると言えるだろう。

日本の社会構造の改革スピードは遅い

日本の男女間での賃金格差はなかなか縮まらない。まだ、正規職で約23%もあり、この格差幅は、G7の中で最大だ。

出所:OECD Database、厚生労働省「賃金構造基本統計調査(令和元年)」(備考) 1.フルタイム雇用者の所得中位数における男女賃金格差。男女賃金格差は、男女間の月給の中位数の差を男性の月給の中位数で除した数値。2. フランス, ドイツは2018年の値。各国データが出揃うタイミングで比較できるためこれは4〜5年前の状況である。

この4〜5年で多少の改善はあるのだろうが、正社員で働いて、結婚や出産を機に退職せずに、産休後に復帰して「Aisu Work(愛すワーク)」を続ける女性がどんどん増えているのにもかかわらず、まだまだ配置や育成方法などの男女差、昇給・昇格の男女差は根強くある。男女の賃金格差は、日本の社会構造の改革スピードがいかにも遅いことの現れだ。

また、非正規職の女性の月収はなんと14万円程度。なるほど母子家庭の貧困率が過半数を超えるはずであり、これは単身女性の貧困の直接要因ともなっている。

コロナ禍で「実質的な失業状態」に置かれた、非正規職の女性たち

2020年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、特に非正規職で働く女性の雇用を直撃した。2020年4月~11月に解雇や雇い止めとなった非正規雇用の女性の割合は男性の1.8倍に上り、休業を余儀なくされた人は21%と、5人に1人に上った。一方で正規職の女性については男性と大きな差はなく、雇用形態による困窮リスクの差が際立った。

コロナ禍で「実質的な失業状態」に置かれた、非正規職の女性たち
出典: 『新型コロナウイルスと雇用・暮らしに関するNHK・JILPT共同調査』

失業や雇止めにより、不安定な状況に置かれた女性の多くは、次の4つの心理状態に陥りがちとされる。

①お金がない(経済リソースの欠乏)=日々の支出で精一杯で、預貯金や自己投資に回す余裕がない。
②時間がない(時間リソースの欠乏)=仕事や育児に追われ、自己研鑽や求職活動に使う時間がない。
③孤独だ(コミュニティからの孤立)=困窮状態を周囲に共有しづらく社会との繫がりを持ちにくい。
④つらい/苦しい(メンタル/身体の不調)=不安定かつ孤独な環境下で、心身に不調を来しやすい

これらはどれも、自立やスキルアップに目を向けることも、苦しい状態から抜け出すことも、非常に困難な心理状態と言える。

第一子誕生後、仕事と家庭の両立ストレスは12~13ポイント上昇

下の図1は、第一子誕生前後において「仕事と家庭の両立ストレス」を感じていた人の割合を男女別に示したものである。

図1:第一子誕生前後において「仕事と家庭の両立ストレス」を感じていた人の割合 

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出典:「全国就業実態パネル調査(JPSED)」(2017〜2021)
注:あなたは、昨年1年間、ご自分の仕事と家庭生活の両立についてストレスを感じましたか」という質問に対し、「強く感じていた」「感じていた」人の割合。誕生前後ともに調査に回答し、かつ就業中(育休取得中除く)の人、誕生前後ともに3年以内を対象としている。サンプル数はカテゴリごとに異なり、約900〜7500。
図から、誕生前に比べると、誕生後に「仕事と家庭の両立ストレス」を感じていた人が男女ともに12〜13%ポイント程度増えていたことがわかる。また、女性のほうが男性より9ポイント程度、結婚生活自体に両立ストレスを感じている人が多い。第一子誕生後に家事・育児にかける時間は女性のほうが男性よりも4〜5時間半程度多いと言われており、仕事と家庭の両立ストレスを抱える女性の数は半数を突破する。

男女で異なる、「仕事と家庭の両立ストレス」の原因

具体的には、どのような理由で両立ストレスを感じているのだろうか。男性と女性では、仕事と家庭の両立ストレスを感じる原因には大きな違いがあると言われている。

あるアンケート調査によれば、男性の場合には、第一子誕生後に両立ストレスを感じていた原因トップ3は「職場の人間関係」「仕事内容・責任の重さ」「労働時間・通勤時間の長さ/不規則さ」と、仕事関係のことばかり。第一子誕生後には「子どもの世話」や「子どもと過ごす時間の不足」といった家庭要因が初めて現れるが、原因のトップ3に並ぶ仕事要因の顔ぶれに変化がないということに驚く、というか全く共感できない。愛しい我が子が生まれてなお、「Aisu Work(愛すワーク)」へのトランスフォームができていなさすぎると言いたい。

恥ずかしながら私の場合は、第一子誕生後のストレストップ3の1位は「子どもの健康状態」だったし、2位が「子どもと過ごす時間の不足」、3位が「自分の時間の不足」で、仕事関係のストレスなどはほぼ感じていなかった。

一方、女性の場合には「子どもの世話」「食事の支度」「自分の時間の不足」という家庭内の事柄が、第一子誕生後のストレス原因のトップ3らしい。このうち「食事の支度」は第一子誕生前においてもストレス原因のトップ3の一角だ。「子どもの世話」と「自分の時間の不足」については誕生前と比較して大きく増加。しかも男性よりも増加幅が大きいという。同じ就業状況にあっても、家事・育児の負担は女性就業者の側に大きく偏っていることが推測される。

子どもの経済的自立まで続く「Aisu Work(愛すワーク)」

妊娠・出産を経て職場復帰した後、子供を保育施設に預けながら働く親が次なる大きな変化として直面するのは、子どもの小学校入学であろう。突然、それまで頼っていた保育サービスに頼れなくなるからだ。

学童こと「放課後児童健全育成事業」とは、小学校の授業が終わってから親が自宅に戻るまで子どもの支援を実施する事業である。

遊びを含めた「生活の場」を提供することが目的であり、おやつを提供したり宿題のサポートをしたりなど、子どもの健全な育成に寄与してくれるがは、それでも「Aisu Work(愛すワーク)」の時間的制約は生じる。

特に働く母親の多くにとって、学齢期の子どものために、学童以上の質の高いサービスを確保し、その費用を捻出するのは大変なことである。子どもが入学しても子育てに費用は予想外に重く、家計の見直しは継続的に必要だ。そして、子どもが中学、高校に入って親離れしていってもまだまだ世話は焼ける。教育費を試算すると、ゾッとするだろう。

親であることは絶え間なく進化する道のりであることだけは確かだが、その道のりは人それぞれで、親としての体験や試練の乗り越え方はそれぞれ異なるだろう。「Aisu Work(愛すワーク)」の目的は、子どもが経済的に自立した時にようやく終わるのかもしれないが、「親であること」に終わりはなく、ただ「子どものために働く」という必要がなくなるだけのことである。

「Aisu Work(愛すワーク)」を全うできなかった可能性

私は、「Aisu Work(愛すワーク)」の目的も責任も果たせないまま死んでしまうピンチが二度あった。
一度目の危機は、上の娘が3歳、下に息子ができたばかりだった。大量下血で血圧がほぼなくなりトイレで絶命寸前意識不明の43歳の私を、朝方に3歳の娘が発見してくれなかったなら、私は自分の命より大切だと考えていた、かけがえのない2人の乳幼児に何一つ父親らしいことをしないまま、不幸や負担だけを彼らに押し付けて、この世を退場していたのだった。

二度目は、上の子が東京で働き始めたが、下の子がまだ大学2回生だった春、私は心筋梗塞で斃れて死の淵を彷徨った。緊急手術で生還した後、4年間に6度の心臓カテーテル手術を受けて、なんとか健康を取り戻すことができた。

しかし病院に担ぎ込まれるタイミングが少し遅ければ、また、それまでに心臓が痛くてしゃがみ込むこともしばしばだったので、その際死に至る致命的な発作が起こっていたら、息子の社会人デビューを見ることはできなかった。経済的には私の生命保険でなんとかなったかもしれないが。

人は、死ぬのが早ければ早いほど、失うものが大きい。二度「死んでいた」私が奇跡的に生還し、なんとか「Aisu Work(愛すワーク)」を完了できたことは、私の人生でもっとも良かったことである。

(つづく)
この記事は、連載第11回です。まだまだ続きます。引き続きお読みいただければ嬉しいです。