
こんな私でも、人様から人生相談を受けたことが何度かあるわけで。でも私はどんな相談であれ、その人の悩みを解決する自信がなかったので、決まって「映画・男はつらいよの寅さんでも観てみたら?」とだけ言うしかなかったわけで。
私自身が『男はつらいよ』を観た最初は、彼女にフラれた夏休みです。その後仕事を失った時やうまくいかなかった時に、失敗しながらも明るく前を向く寅さんや、それを支える周りの人の姿に、自分の今や家族を重ねて、その都度救われてきたのです。
全シリーズ、何度見ても、私は希望がもらえたので、私に悩みを打ち明けてくれた人たちの背中も、寅さんが押してくれないかなと。
「どうせフィクションでしょ?旅先で商売や恋をしながら放浪する寅さんの生き方なんて、現実的ではない」と言う人や、「ショバ代を地元のやくざに払ってのテキヤなので暴力団とのつながりがあるろくでなしだ」とか「あの人はいわゆるバッタ物、倒産品の万年筆やシャツなど嵩張らないもの鞄に詰めて売り歩く口上売り、アウトローだ」などと言って、批判的な人もいらっしゃいます。
しかし、はっきり申し上げますと、そんな批判する人たちよりも寅さんの人間性はずっとずっと素晴らしいのです。そして、スクリーンの中であろうとも、そこに生きていた車寅次郎は、間違いなくLife workerだったのです。
車寅次郎にも生き甲斐があった

前記事に引き続いて、有名な「生きがいの図」を引用させていただく。この図では、「好きなこと」「得意なこと」「お金になること」そして「世界が求めるもの」の4つが重なり合う中心に「生き甲斐」が存在するとしている。しかし私は、4つ目の「世界が求めるもの」というのは違うとした。
好きなこと、得意なこと、お金になること。この3つにあと一つ、寅さんが「生き甲斐」を感じて生きたのは、あるいは彼が「Life worker」であったのは、「世界が求めるもの」の代わりに、彼の「旅先に明日があった」からだった。
寅さんはライスワークに勤しむ勤労青年をどう見ていたか
「労働者諸君!」と寅さんがタコ社長の従業員たちに呼びかけるシーンが出てこない『男はつらいよ』はあまりない。その第一作(1969)でのセリフは「あいつは大学出のサラリーマンと結婚させるんだい。てめえらみたいな菜っぱ服職工には高嶺の花だい」「諸君!よっ残業か?けっこうけっこう!稼ぐに追いつく貧乏無しってね。ヘッヘッへ」。と言うもので、「労働者諸君」ではなく「(菜っぱ服)職工」「諸君」と寅さんは彼らに呼びかけていた。
ちなみにこの作品が封切られた1969年と言えば、日本のGNP(国民総生産)が西ドイツを抜いて世界第2位になった年だ。時はまさに高度経済成長の真っ只中だった。
「菜っぱ服」とは、製造現場でよく使用される薄みどり色(もしくは緑がかったグレー)の作業服のこと。劇中の寅さんのセリフのように、からかうように使用される言葉でもあるが、現場主義の象徴として誇らしく使われる場合も多い。タコ社長が経営する朝日印刷所の従業員も、上記のシーンでは着用していないものの第44~47作で博、第48作ではタコ社長、博、中村君の3人が着用している。
「労働者諸君!」で始まる寅さんのセリフ
では、フーテンの寅さんは、勤労青年をどう見ていたのか。「労働者諸君!」で始まる寅さんの台詞を振り返ってみる。
【第4作】(1970)「おーい、労働者諸君!今夜はオレのおごりだ。大いに飲もう!早く出てこい、野郎ども!」【第5作】(1970)「労働者諸君!やってるな!けっこう、けっこう、けっこう毛だらけ猫灰だらけ、お前のおしりはクソだらけってな。」」「立て万国の労働者~。労働者諸君!今日から僕は君たちの仲間だぞ!共に語らい共に働こう!」
【第6作】(1971)「ケーっ、上等だよタコ!労働者諸君!稼ぐに追いつく貧乏無しか!けっこうけっこう、けっこう毛だらけ猫灰だらけ、おしりのまわりはクソだらけか!」ちなみにさくらの夫・博が独立を計画したことが描かれているのはこの作品だった。
【第7作】(1971)「労働者諸君!今日もまた残業かね。どうもごくろうさん。はぁ~こういう貧しい食物でごまかされて、奴隷のようにこき使われる君たちはかわいそうだな~」。これはあんパン強奪シーンでのひと言だった。寅さんの好物であるはずのあんパンを指して、「こういう貧しい食物」と言った寅さんのひねくれ感が実におかしかった。地方の新規中卒・高卒の若者が大都市の企業や店舗などへ集団で就職する「集団就職」は1954年頃に始まり、1970年代には下火になったが、本作冒頭では「元気でな!しっかりやるんだぞ!」と集団就職の学生達を励ます寅さんがいて、朝日印刷所での言動とのギャップがすごかった。
【第8作】(1971)「いよ!労働者諸君!折からのドルショックにもめげず、今日も労働に従事してますか?ごくろうさん。ははあ、秋のお楽しみセールスか、大変だねえ」。ドルショックという時事用語を新聞でも読んだのか、寅さんが使った。ドル・ショックとはニクソン・ショックとも言って、1971年8月15日(日本時間8月16日)にアメリカ政府が、それまでの固定比率による米ドル紙幣と金の兌換を一時停止したことによって、世界経済の枠組みが大きく変化したことを指す。
当時の日本経済にとって、最大の輸出先であったアメリカへの輸出が減少するのではないかという差し迫った現実問題ではあったが、内需100%のタコ社長の朝日印刷にどれだけ影響があったのかは定かではない。
【第9作】(1972)「労働者諸君!今日も1日、ご苦労様でした!明日はきっとカラッと晴れた日曜日だぞ!」【第10作】(1972)「労働者諸君、面倒掛けるねえ……」
【第12作】(1973)「あ、もし、労働者階級の皆さん、今日一日、労働ご苦労さん、ねえ」。肉親のありがた味を感じ、改心した寅さんが「労働者諸君!」の言い方を改めたが、すぐに元に戻った。
【第14作】(1974)「労働者諸君!おっ、一杯やってるか。今夜は僕も参加しよう!聞け万国の労働者~ハイッ!」
【第15作】(1975)「おい職工!なんだよ朝っぱらからガタガタガタガタ機械回しやがって!まだウチは客人が眠ってんだよ!ええ!タコに言って機械止めろ!このやろ。ったく。非常識な野郎だい。人の迷惑考えたことあんのか。いっぺんでも」。機嫌が悪いとき、激怒した時は「労働者諸君!」のフレーズさえも出てこない。
【第16作】(1975)「おい労働者諸君!君らもハンマーを捨ててペンを取れ!聞こえているのか?」。本作のテーマ「学問」「己れを知る」で、学問にハマった寅さんが発した名台詞。
【第17作】(1976)「てめえら、とっとと工場行って働け職工!」
【第22作】(1978)「おい、こら、おまえ、相変わらず貧しく働いているのか、労働者諸君は?」「“ハイ”じゃないよ。いいか、おまえすぐ労働者全員を集めて、一隊は京成線の踏切近く、残る一隊は江戸川の堤近く残らず探せ!早く行け、早く!」
「なんだ、てめえら労働者!団結して来やがったな!この野郎!来い!」「うるさいなあ。大きな声を出すんじゃないよ。バカだなあ労働者!」。本作はタコ社長失踪騒動をめぐって、職工たちとの絡みのシーンが多い。
【第23作】(1979)「よっ朝日印刷の労働者諸君!ささやかな憩いのときを過ごしておるか?よし、明日もまた労働に励んでくれ。」
【第25作】(1980)「労働者諸君!君たちの工場はいま倒産いたしました!」。ホントに倒産もあり得る時期(朝日印刷所暗黒期:1978~1981)だったので、当事者は笑えなかっただろう。
【第28作】(1981)「労働者諸君!今夜は残業です!文句を言うことはありません。仕事があるということに感謝しなさい。町に幾多の失業者があふれているか!」。1980〜81年の失業率は3%を突破していた。「体(てい)のいい失業者」(第44作 タコ社長評)である寅さんが言うからおかしかった。
【第34作】(1984)「労働者諸君!田舎のご両親は元気かな?たまには手紙書けよ!」。山田洋次監督自身が特にこのセリフだけを取り上げて、その思いを語っている。また、これは俳優 渥美清が劇中のセリフを借りて、労働者諸君役の俳優たちを労ったともされる。
【第38作】(1987)「労働者諸君!ご苦労ご苦労、よく働いた!」(あけみ)。これはタコ社長の娘「あけみ」の口から出て、周囲は大爆笑。「労働者諸君!」や「労働運動」は時代錯誤となり笑い話や思い出に変わっていた。「おい!労働者諸君!相変わらず不幸せな毎日を送っているか?ハッハッハ」
「労働者諸君!」に潜んでいた寅さんの本音とは
そもそも「労働者諸君!」と言うフレーズは、労働運動での演説で使われた常套句だ。もちろん寅さんは自由なフーテン。労働者だとか雇用者だとか、貧乏人とか資本家とか、右翼とか左翼とか、政治的な考えが寅さんの「労働者諸君!」にはまるでない。
こうして全作品を振り返ってみても、職工たちを茶化し、からかうために使っていることがほとんどだった。しかし渥美清の名演技から、私は彼らを茶化しての言葉の裏に潜む、寅さんの心の奥にある一抹の羨ましさが汲んでとれた。
朝日印刷所はタコ社長の自宅が併設されて、2階には住み込みの寮を有する町工場。仕事も寝起きも一緒、余暇には仲間同士でギターやハモニカ鳴らして歌ったり、恋の行方を語り合ったりする。会社が家、社長が親、同僚が兄弟……そんなコミュニティだ。これは、「Always三丁目の夕日」の鈴木オートも同じである。
一方、寅さんは15の歳に理不尽な父親を殴って家を飛び出して以来、家や故郷を思い焦がれつつも、いつも家族愛と承認欲求に飢えている。テキヤ仲間は多くても、生い立ちゆえ旅商人、渡世人となった身。そんな寅さんにとって、日々ライスワークに励む朝日印刷所の職工たちは、実は「羨望の対象」ではなかったか。
朝日印刷所2階の寮では歌ったり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、故郷を思ったり…。素直に「仲間にして」なんてことは口が割けても言えない寅さんは、「労働者諸君!」とか言って、自分とは違う彼らを挑発してしまうことしかできなかった。
「人並みの生活」を「幸せ」と思えた時代のLife worker
「都会のデパートなら1万円のこの品を、工場倒産で泣く泣く3000円で売ってくれと頼まれた。話すも涙聞くも涙の物語、そこでおいらが人助けときたもんだ。さあさ かわいそうな工場長を助けると思ってどーんと買ってくれ ナに高い? あんたそれでも人間か?よし解った 助ついでだ俺も腹を切ろう 1本3000円の万年筆 これを2本5,000円 いや4000円でかまわねえ もってけ泥棒!」
これが、寅さんの口上売りだ。
車寅次郎という目が小さくて顔の四角い男が、日本各地の場末の映画館のスクリーンに、正月と盆には必ず現れて、私たちは映画館で彼の「つらさ」に泣き笑い、共感もした。
昭和の日本人の良き感性と心のありようを、平成へと繋いでくれた。
監督の山田洋次さんは、「おそらく寅さんが生きた時代が日本人が一番幸せだった時代じゃなかったか」と仰っていたが、私もそう思う一人である。淘汰進んだ平成を経て、今はすっかり格差広がる令和の社会。「一億総中流化」と言う言葉に象徴されるように、皆、「人並みの生活」を「幸せ」と捉え、そんな幸せを目指していた時代が戦後の昭和であり、日本人が最も幸せだった時代だったように思う。
寅さんや職工たちだけでなく、戦争を挟んでの昭和後半は、今の日本社会の“青春”と呼ばれる時代だったのかも知れない。
寅さんがLife workerであるもう一つの理由
劇中において繰り返される寅さんの啖呵売(たんかばい)は、実に見事なものである。啖呵売とは、ごくあたりまえの品物を、巧みな話術で客を楽しませ、いい気分にさせて売りさばく商売手法だ。
私の中では、「口上売り」とはまた別の存在だ。
基本パターンはこうだ。
さて、いいかねお客さん。角は一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)つけたお姐ちゃんから、ください頂戴で頂きますと、五千が六千、七千、八千、一万円はする品物だが今日はそれだけくださいとは言わない!
いいかい?はい、並んだ数字がまず一つ。もののはじまりが一ならば、国のはじまりが大和の国、島のはじまりが淡路島、泥棒のはじまりが石川五右衛門なら、スケベエのはじまりがこのおじさん!っての。笑っちゃいけないよスケベエってわかるんだから目つき見りゃ、ね?
続いた数字が二だほら、二冊こうやってまけちゃおう。兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、仁吉が通る東海道、日光 結構 東照宮、憎まれ小僧ができないように教育資料の一端としておまけしましょうもう一冊。
産で死んだが三島のおせん、おせんばかりがおなごじゃないよ?京都は極楽寺坂の門前で、かの有名な小野小町が、三日三晩飲まず食わずに野垂れ死んだのが三十三。とかく三という数字はあやが悪い、三三六歩で引け目がないというね。
どう?まかった数字が四つ!ほら四冊目。四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい。ね、どう?一度変われば二度変わる、三度変われば四度変わる、淀の川瀬の水車、誰(たれ)を待つやらクルクルと。ゴホンゴホンと浪さんが、磯の浜辺でねえあなた、わたしゃあなたの妻じゃもの妻は妻でも「ばんつま」よときやがった。
つづいた数字が六つ、ロクだ!昔、武士の位を禄という。後藤又兵衛が槍一本で六万石。ロクでもないガキができちゃいけないというんで教育資料の一端としておまけしましょうこの本。どう!七冊目。七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に茅の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ、信州信濃の新ソバよりもわたしゃあなたのそばがよい。あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまでってやつ。
どう、ね?ほら、これで買い手がなかったらあたし、浅野内匠頭じゃないけど腹切ったつもり!え、ダメか!?チキショウ!ったくねえ、今日はしょうがねえ、貧乏人の行列だあ!まあいいよ、いいっていいって、帰んなさい帰んなさい。
はあ~…ははは…。みんないなくなっちゃったねえ。どう、おじいちゃん。ええ?じっと見てっけど、お孫さんに持ってきたいんだろこれ、ね。いくら見てたってダメ、いくら見てたって、買わなきゃ。ね、そうでしょ?ね?いくら掘っても畑にゃハマグリ出てこないっていうじゃないの、どう?田へしたもんだよ蛙のしょんべん、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしってね。
はい、どう! はい、どうです、見ていただきましょう!先ほど説明しちゃったの、これだけお安くまけちゃうよ?なぜこんなにお安い品物のかというとね、本来ならばこれ輸出する品物なんですよあんた。なんで輸出ができないかというと、はっきり言っちゃおう今まで言わなかった!わたくしが知っている東京は花の都、神田は六法堂という大きな本屋さんが、わずか百五十万円の税金で泣きの涙で投げ出した品物!だからこんなに安い!
本来ならば文部省選定!衛生博覧会ご指定!大変な品物だこれ!これだけ安く売っちゃう。ね? 英語の本なんか見てごらんなさい英語。ずーっと買いてある。ね?もっともわかりやすいよ?この英語見てごらん、わたしだって読める。どう?エヌ・エイチ・ケイにマッカーサー、メンソレタームにデーデーテー、こういう、昔の古い英語から出てるんだから。買ってちょうだいよ、どーお?ね?
アレンジも巧みである。
物の始まりが1ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりが熊坂の長範。はじめばかりでは話にならない。続いた数字が二。兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、仁吉が通る東海道、憎まれ小僧が世に憚る。仁木の弾正は、お芝居の上での憎まれ役。
続いた数字が三つ。どう?曲がったこの本、ね?三、三、六歩で引け目がない、産で死んだが三島のおせん。おせんばかりが、おなごじゃないよ。京都は極楽寺坂の門前で、かの小野小町が三日三晩飲まず食わずに野垂れ死んだのが三十三。とかく三という数字は、あやが悪い。続いてまけちゃおう。この黒い本。色が黒いか黒いが色か、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよとくらぁ。色は黒いが味見ておくれ、味は大和の吊るし柿。色が黒くて貰い手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり。
続いた数字が四つ。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちしょんべん。白く咲いたが”ゆり”の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。一度変われば二度変わる、三度変われば四度変わる。ね? 淀の川瀬の水車、誰(たれ)を待つやらクルクルと。
続いた数字が五つ。ごほん、ごほんと波さんが、磯の浜辺で「ねぇあなた」。昔武士の位を禄(ろく)<六>と言う。かの後藤又兵衛が槍一本で六万石。ロクでもない子供ができちゃいけないというので、教育修行の一環としてお父さん、買って頂きましょう、この絵本。どうです?ね?真っ赤な表紙。
赤い赤いは何見て分る、赤いもの見て迷わぬものは、木仏金仏石仏。千里旅する汽車でさえ、赤い旗見てちょっと止まると言うやつ。
七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、手鍋さげてもわたしゃいとやせぬ。あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで。さぁー買い手がなかったら、わたくしこれで家業三年の患いと思って諦めます。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないが腹切ったつもりで負けましょう。
ね?これで買い手がなかったら、右に行って上野、左に行って御徒町、西と東の泣き別れというやつ。
ね?角は一流デパート赤木屋黒木屋白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)付けたお姉ちゃんに、下さい頂戴で願いますと、六百が七百くだらない品物だが、今日はそれだけ下さいとは言わない。
どう?タダでやっては義理が悪い。ね?はい、僅かの二百だ!!これで買い手がなかったら、しょうがない。今日はこじきの行列だ!ほら、持ってけこじき野郎!!
別バージョンには、こんなのもある。
天に軌道のあるごとく、人それぞれに運命と言うものを生まれ合わせております。とかく子の干支の方は終わり晩年が色情的関係において良くない。丙午(ひのえうま)の女は家に不幸をもたらす、羊の女は角にも立たすな、蛇の女は執念深い。
ほら、この眉と眉の間。これを印堂と言う。ここに陰りがあるということはこれはいけない。当たるも八卦当たらぬも八卦、人の運命などというものは誰にもわからない。そこに人生の悩みがあります。
結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけ。タコはイボイボ、にわとりゃハタチ(二十歳)、いもむし(芋虫)ゃ、ジュウク(十九)で嫁に行く。たいしたもんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。やけのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ。テキ屋殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。
これらの見事な啖呵売のセリフ=セールストークというものは、ものすごいレベルのスキルである。
寅さんが生きていくためにはものを買ってもらわねばならないし、いくばくかの利益がなければメシが食えない。そのために寅さんはこのスキルを身につけた。
お金のため、必要だったのだろうが、寅さんはもともと人に喋るのが好き、そして得意ということがあったろう。だから「凄技」に昇華されて、寅さんのライフワークを支えたのだ。
そんな寅さんは、アドリブもきいた。
『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』にこんなシーンがあった。
靴の会社で営業をしているおいっ子の満男が、仕事がつまらないと愚痴をこぼす。それを聞いた寅さんは、そのへんにあった鉛筆を満男に渡して「オレに売ってみな」と言った。
満男はしぶしぶと「この鉛筆を買ってください」と寅さんにセールスをする。「消しゴム付きですよ」と特長をアピールするが、「僕は字を書かないから鉛筆なんて必要ありません」と寅さんにすげなく断られてしまう。満男が「こんな鉛筆は売りようがない」とさじを投げると、寅さんは満男から鉛筆を取り上げた。
「この鉛筆を見るとな、おふくろのことを思い出してしょうがねぇんだ」
と、鉛筆にまつわる話をしみじみと語り始めた。もちろん即興の作り話なのだが、これが実にうまい。細い目をもっと細めて、本当に懐かしそうに鉛筆を見ながら情感たっぷりにあの名調子で語ると、その場にいた家族全員が寅さんの話に心を奪われ、みんなその鉛筆が欲しくなってしまったのだ。
鉛筆を「モノ」として売ろうとした満男と、鉛筆の「ストーリー」であり「プライスレスの価値」を伝えた寅さん。寅さんは、物を売るとはどういうことかを満男に実演して見せたのだ。
私の心を打った寅さんの名言
私が寅さんをLife workerであるとする3つ目の理由が、アドリブがアドリブではなく、自分の人生経験だけでなく、出会った人の人生ストーリーが全て自分の引き出しに入っていて、そこから自由自在にアドリブトークを繰り出す(もちろん脚本にセリフはあるのだが)域に達しているからだ。
生きづらさを抱えて今を生きる我々に映画『男はつらいよ』はなぜ響くのか、それは、名ゼリフににじむ寅さんの生き方、生き様から放たれる彼の言葉が聞く人の腑に落ちるからに他ならない。
気持ちのほうが、そうついてきちゃくれないんだよ
第6作(1971年)。柴又に帰った寅さんは、自分の部屋を間借りする美人の夕子(若尾文子)に熱を上げる。しかし、やがて別居中の夕子の夫が迎えにやってきたことで、寅の恋は終わったのだった。この名言は、周りの大人から色々言われ、進路に悩んでいた私に「気持ちがついてこないことを自覚できれば、他人に流されず自分らしい生き方から外れず、また人の道だって踏み外さないで済む」ということを伝えてくれた。何気ない言葉だが、私はハッとさせられ、ストンと腑に落ちた。
姉ちゃんは、何のために勉強をしているんだい?
第16作(1975年)。寅さんの娘だと名乗る順子(桜田淳子)が上京してきた。誤解は解けたが、その後、考古学を研究する礼子(樫山文枝)と出会ってたちまち熱を上げた寅さんは学問を志す。「おい労働者諸君!君らもハンマーを捨ててペンを取れ!聞こえているのか?」と、タコ社長の朝日印刷で働く若者に放った言葉には、自分がインテリになった気がしている寅さんらしくて大笑い。「なんのために勉強しているんだい?」は、学のない寅さんが、大学助手の礼子(樫山文枝)を戸惑わせるあまりに素朴な問いかけだが、当たり前の言葉の裏に本質を突く鋭さがあった。私は当時高校生、勉強に目的意識を持てていなかった私の心に、ダイレクトに刺さった。
誰を怨むってわけにはいかないんだよなこういうことは。そりゃ、こっちが惚れてる分、向こうもこっちに惚れてくれりゃぁ、世の中に失恋なんていうのはなくなっちゃうからな。そうはいかないんだよ
第29作(1982年)。長いシリーズで、かがり(いしだあゆみ)ほど清楚な美しさに溢れた女性はそうそういない。そんな彼女が、夫には死に別れてしまうわ、恋人の陶芸家には裏切られるわで、可哀想な運命にさらされていた。

そんなかがりのことを寅さんは気にするようになっていき、かがりもまた寅さんに惹かれたが、いつものように相思相愛になった途端、寅さんは逃げてしまい、かがりは失意のまま故郷の丹後、伊根に帰ってしまった。そんなかがりに、寅さんは遠く峠を越え会いに行き、そっとこう言う言ったのが、冒頭の名言だ。静かに頷くかがり。
寅さんの生い立ちに似た苦労を経験したかがりよりもさらに低い、人としてこれ以上ないと思われるほど低い寅次郎の自己肯定感が、二人の恋愛成就を阻む。そのあまりのせつなさに涙が止まらない。
男の子はね、おやじと喧嘩して家を出るくらいでなきゃ一人前とは言えません
第32作(1983年)。住職(松村達雄)の娘・朋子(竹下景子)に気に入られようと、寅さんは僧侶の真似事を始めた。博の父の法要で読経をする寅さんの姿に、博もさくらも気が気でなかった。
このセリフは朋子(竹下景子)に対して発するのですが、まんま寅さん自身のことなので観客は爆笑。就職して社会の厳しさを感じ始めていた頃に観て、自分の生い立ちに後ろ向きにならず、明るく人生を全肯定して生きる寅さんの姿に励まされた。
まだやってんのかいこんなこと
第33作(1984年)。社会人3年目のお盆に観た作品だ。「東京ララバイ」を皮切りに一斉を風靡していた中原理恵がマドンナ役、私と同郷の淡路島が生んだスター・渡瀬恒彦演じるトニーと寅さんが対峙する名作中の名作だ。
実は冒頭のセリフは、唯一寅さんのセリフではなく、寅さんの弟分である登(秋野大作)が寅さんと再開した瞬間に寅さんに対して発した一言だ。「まだやってんのかいこんなこと」。寅さんと10年ぶりに再会した登はこう言った。確かに寅さんのの商売も外見はほとんど変わらない。しかし寅さんの内面は大きく変化している。主題歌の歌詞にあるように、ヤクザな自分を変えようとする涙ぐましい奮闘努力の甲斐もなく、次第に色あせ、本作ではついにその努力すらしていない状態での、登との再会だった。
さくらの説教を反芻できるほどに覚えていながら、相変わらずのテキ屋稼業に身をやつす暗い表情の寅さんには、変われない自分への諦念すら垣間見える。初期作品の準レギュラーだった登との再会そして意気投合は過去何度も繰り返されたおなじみのパターンでだったが、登がいまや「堅気」になったと見るや、寅さんは過去の友情とは冷徹に一線を引く。せっかく堅気になれた登の足を万が一にも引っ張るわけにはいかない。二人の昔を知っていればなおさら際立つ寅さんのダンディズムに胸を打たれる。
その後、寅さんはフーテンを名乗るマドンナ風子(中原理恵)と出会う。風子は寅さんと一緒に旅をしたいとせがむが、寅さんは風子に「定職につき真面目に暮らせ」と諭す。このシーン、熱心なファンなら寅さんが妹さくらに説教される第5作のシーンを想起することだろう。そこには、若くて、ギラギラして、やぶれかぶれだった昔の寅さんがいる。あれから10年が経ち、悔恨とともに我が人生を振り返る寅さんにしみじみとしてしまう。
本作最大の見どころは、同業者であるトニー(渡瀬恒彦)との対峙シーンだ。風子から手を引けと穏やかに凄む寅さんは、これまでの32作品で一度も見たことのない、裏社会に生きる男の顔を初めてスクリーンに見せている。
俺とお前はお風呂のおならだ…
第37作(1986年)。寅さんを訪ねて上京した美保(志穂美悦子)は看板職人の健吾(長渕剛)と知り合う。寅に紹介されてラーメン屋で働くことになった美保は、健吾と交際することになるが……。
ここまで自分を無価値なものとして笑って言える寅さん。当時、仕事が好調で傲慢な振る舞いが多かった私に、「所詮自分はちっぽけな存在だと、卑下することなく認めることができれば、もっと人を赦せるようにもなるんじゃない?」と、そう教えられた気がした。
男が女に惚れるのに歳なんかあるかい
第38作(1987年)。ひょんなことから知り合った獣医の順吉(三船敏郎)の家に居候する寅さん。惚れているのに思わず悦子(淡路恵子)に毒舌をはく順吉を、寅さんは黙って見ていられなかった。
「老獣医・順吉(三船敏郎)の恋を応援する寅さんが、『もう歳よ』と話す娘・りん子(竹下景子)に放った究極の名セリフ。
「恋愛に年齢は関係なく、若者にはできない愛の形があるのだ」と。
決してうまくいかない自分の恋愛だが、経験だけは豊富だけに説得力があった。
あぁ、生まれて来てよかったな、って思う事が何べんかあるんじゃない。そのために生きてんじゃねぇか
第39作(1987年)。父が亡くなって寅さんを頼ってきた少年を連れて、少年の母親を探す旅に出た寅さん。その道中で寅さんは隆子(秋吉久美子)と出会う。まるで家族のように行動をともにする3人だったが……。この作品中で「満男(吉岡秀隆)に『人間は何のために生きているのか』と聞かれるシーンがある。寅さんのカバンを代わりに持って見送りに来た満男に、参考書でも買えと千円札数枚を渡し、カバンを受け取る寅さん。
満男 「伯父さん」
寅 「何だ?」
満男 「人間てさ」
寅 「人間? 人間どうした?」
満男 「人間は何のために生きてんのかな?」
寅 「何だお前、難しいこと聞くなあ、ええ?」
寅、しばし考える。
寅 「うーん、何て言うかな。ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねえのか」
満男 「ふーん」
寅 「そのうちお前にもそういう時が来るよ、うん。まあ、がんばれ、なっ」
寅さんの妥協のないリアリズムに衝撃を受けた。作品を観たその場でストンと腑に落ち、泣いてしまったことを思い出す。今なお私の心に残り続けている、究極の名言だ。67歳となった今になっても噛み締めればその意味はなお深まるばかりだ。

お帰り 寅さん
2019年、国民的名作「男はつらいよ」がシリーズ開始50周年を迎えた。シリーズ50作目にあたる22年ぶりの新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、その記念作品だ。
1969年に第1作が劇場公開されてから50周年を迎え、97年の「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」以来、22年ぶりに製作された。倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆らに加え、シリーズの看板俳優であり、96年に亡くなった渥美清もCGの技術を駆使した結果、出演。さらに、歴代マドンナからは後藤久美子、浅丘ルリ子と「男はつらいよ」でおなじみのキャストが顔をそろえている。
柴又の帝釈天の参道にかつてあった団子屋「くるまや」は、現在はカフェに生まれ変わっていた。その裏手にある住居では車寅次郎の甥である満男(吉岡秀隆)の妻の7回忌の法事で集まった人たちが昔話に花を咲かせていた。サラリーマンから小説家に転進した満男の最新作のサイン会の行列の中に、満男の初恋の人で結婚の約束までしたイズミ(後藤久美子)の姿があった。
イズミに再会した満男は「会わせたい人がいる」とイズミを小さなジャズ喫茶に連れて行く。その店はかつて寅次郎の恋人だったリリー(浅丘ルリ子)が経営する喫茶店だった…。
この作品の設定、脚本も素晴らしいが、何より1969年からの実に50年間、車寅次郎をスクリーンに生かし続けた山田洋次監督のLife workに心から拍手を送りたい。
私はこう思っている。
寅さんは、経済的には貧しいのに、メシを食いかねているのに、それなのにライスワーカーの対局にいて、生涯をライフワーカーとて生きた。
根幹にあるはずの「幸せになるために働く=Well worker」という意識も、おそらくなかった。
私の心の中だけにあるシリーズ第「51作目」の寅さんは、リリーと結ばれ、国民年金や厚生年金の掛け金など払ったこともないものだから年金はゼロなのだが、時折Life workの啖呵売をやって、なんとかかんとか二人で「幸せな老後」を送っているのだった。
(つづく)
この記事は、連載第21回目です。いよいよ佳境に入ってきました。
引き続きお読みいただければ嬉しいです。