京都ラーメン第4回「鶏こってり白湯系」のトップ3は、「天下一品」「麺屋 極鶏」「天々有一乗寺店」

私が子供の頃のラーメンのトップ3は、サンヨー食品の「サッポロ一番」エースコックの「ワンタン麺」日清の「チキンラーメン」。要するに、ラーメンといえばインスタントでした。
高校で学食のラーメンに目覚めてから、地元の江洋軒や一貫桜など街中華のラーメンに進み、大学生になって噂の「新福菜館」や「ますたに」も知り、「ふん、京都のラーメンもこんなもんか」とナメ始めた21歳の私のラーメン観を根底から破壊したのが、「天下一品」のラーメンでした。

今回の記事では「京都ラーメン」を、下記の5系統に分類し、系統ごとにご紹介していますが、今回書きます第4系統「鶏こってり白湯系」のラーメンは、その扉に天々有一乗寺店がそっと手をかけ、奇しくもそこに天下一品もいて、その扉をこじ開けた後一気に全国制覇を果たした、そんなストーリーを持っています。
1、濃口醬油味系・・・1位 新福菜館(昭和13年)、2位 第一旭(昭和31年)、3位 大豊ラーメン(平成組)
2、背脂こってり醤油系・・・1位 ますたに(昭和24年)、2位 ほそかわ(昭和60年)、3位 ラーメン中村屋

3、とんこつ・塩味系・・・1位 元祖らーめん大栄、2位 大栄ラーメン本店、3位 池田屋 一乗寺店
4、鶏こってり白湯系・・・1 天下一品(昭和46年)、2位 麺屋 極鶏、3位 天々有(昭和46年)

5、味噌味、つけ麺、その他・・・1位 恵那く(えなく)、2位 吟醸らーめん 久保田、3位 新新亭 

「天下一品」が制覇した京都ラーメンの第4系統は、そのあまりに突き抜けた味と存在感に、長く肩を並べる店は現れませんでした。
しかし、その「天下一品」の独壇場を脅かす存在ははっきり確認できます。

本能寺の味変、もとい「変」が起こる日は、そう遠くないと思われます。

鶏こってり白湯系

天下一品

京都ラーメン連載第4回は、いよいよ「第4系統」について。「鶏白湯ラーメン」は何も特別なジャンルではなかったが、その概念を「濃厚」を突き詰めることで打ち破った「色物独自路線」を論じることになる。

1971年に創業した『天下一品』は、その代表格だ。とりわけ創業期の総本店の味は今や伝説で、学生時代の私は、王将の餃子とヘビロテで通いまくったものである。チェーン展開で味が落ちたとはいえ、醤油ラーメンとは言い難い「独特の濃厚な鶏ガラスープ」の味は、第二系統より一足早く全国を制覇したかに見える。

天下一品は、創業者の木村勉氏(以下木村さん)が1971年11月、京都市左京区北白川の地でラーメン屋を始めたのがその起こりだ。

勤めていた画廊が経営破綻したので、木村さんは次の人生として、限られた資金(実際は到底足らなかったのだが)で開業できる「屋台でのスタート」を選択する。

ずっとボーイやバーテンダー、サラリーマンをやってきたが、今更木屋町や祇園で働いている同僚たちの店に行っても給料をもらうだけ。自分で店を持ちたいと思ったけど、お金がない。

それで木村さんは屋台を始めたのだ。

しかし、屋台を作るのにもお金がかかる。手元に3万7千円しかなかったが、木村さんはそれで鍋三つを買った。そして板金屋をしていた友人に『困ってんねん、助けてくれや』と縋る。『わし大工ちゃうし無理や』といったんは断られたが、木村さんは粘り、友人の無償の愛を勝ち取った。

屋台と鍋あるが、ラーメンを作るには材料が必要だ。市場でネギを買おうと思ったら一束ごと。でも一束を買うお金がないので1本だけ売ってと頼み込んで買ったという。麺の仕入れも同様の苦労をして、木村さんはついに「屋台の初日」を迎えた。
初日に売れたラーメンは、11杯だった。

それが、今や全国234店、年商約200億円のチェーン「天下一品」のスタートだった。

屋台の当初は普通のしょうゆラーメンを提供していた木村さんは、これではダメだと痛感した。

親子連れの来店者の、子どもさんが飲み残したラーメンのスープをこっそり飲んで、甘みが足りないと思えば玉ねぎやニンジンなど野菜を増やしたり、木村さんは屋台で3年以上、試行錯誤と繰り返した。

こうして木村さんが出した「本店」に行こうと、1978年(昭和53)の秋のある日、私はグルメ師匠・大学同級の榎本信之氏(以下・エノ)に誘われた。
「すごいラーメン屋があるねん」
乞食腹の私は、彼の誘いに「すぐ行こ」と応じる。
その1時間後、私は初めて「天下一品」の味を知ることになった。

(下の写真:前列右で横たわっているのがエノ、後列右から二人目が私である)

エノの運転するオンボロのカローラが着いた駐車場は、木村さんが屋台を営業していた場所だった。石材店を営む知人の好意で、空き地になっていた場所を木村さんは使わせてもらっていた。商いが軌道に乗って後、常設店として出したのが現在の総本店である。

私の記憶に間違いなければ、白川通を北上して、左手に店をやり過ごしてから左折して駐車場に入り、その駐車場に面して、つまりは白川通には背を向けて入り口があったように記憶しているのだが。

エノは、すでに常連だった。大きな顔をして、てか、彼の顔は実際すごく大きくて、顔立ちもあの大巨人・アンドレザジャイアントにそっくり。いやそんなことはどうでもいいが、とにかく大きな顔をして「いつものやつ」みたいな。どうやって注文したのかは覚えていない。

しばらくして、出てきたのは、これまでの人生で見たこともない、また、嗅いだことのない、強烈な臭いを放つ代物だった。

「いただきます」
そう言って、その「代物」をエノは食べ始めた。
私も遅れて「いただきます」と言い、その「代物」に手をつける。
エノは私が恐る恐る食べ始めたその様子を、ニヤニヤしながら見ていた。私は、麺を穿り出して少し食べ、恐々スープを啜った。

「どうや、すごいやろ?」
彼は、「美味いやろ?」という言葉ではなく、「すごいやろ?」という言葉を選んで、私に感想を求めた。

「す、すごいなあ。せやけどこれ、ラーメンか?」
エノは、その反応が不満だったのか、今度はこう言った。
「うまいやろ?」
「う、うまい!こんなん、初めてや。で、このドロドロ、一体何やねん?」と私。

エノは答えた。
「あのダシが入ってる鍋はな、洗ったことがないらしい。ずっと、残ったものに次の日のものを足して、どんどんドロドロになっていく、その繰り返しがこれや。メインは鶏らしいけど、いろんなものがブレンドされてるらしい。それはここの企業秘密や。でもな、こんなうまいもん、俺も知らんかったわ」

エノはそう言うと、本当に嬉しそうな顔をして笑った。

その日からしばらく、彼のオンボロのカローラに乗せてもらい、私たちは天下一品に通った。

やがて私が初めて経験する京都の冬がやってきた。北白川は底冷えがきつい。そんな冬、木村さんが店を出して3年目の天下一品1号店に、私は3週間ぶっ通しで通うことになった。

当時通っていた京都市立芸術大学の野球部の大先輩が、木村さんの天下一品の店の斜め前の京都芸術短期大学(現在の瓜芸)で講師をしていて、その研究室で制作しておられた個展用の大作制作の「ヘルプのバイト」に雇ってもらい、毎日通うようになったのだ。

深夜、朝まで続くそのバイトの途中、必ず「木村さんの店」に行く。1978年の真冬の3週間ほど、夜食は天下一品のラーメンだった。

エノが私に教えてくれた通りだった。
ダシが入ってる鍋は洗っていない。前日残ったスープに次の日のものを足して、どんどんドロドロになっていく、それを木村さんは繰り返していた。

だから、この3週間もの間、スープは同じ味ではなかった。木村さんなりに完成したと思っていたかもしれないが、まだブレていた。私はまだ1978年は、「天一のコッテリスープ」は試行錯誤の中にあったと考えている。

それにしても店主の木村さん、見事に「天下」をとった?なあ。

でも、今のお顔を拝見すると、やっぱり歳もとったなあと思う。若い頃の彼の顔は、天一のスープ同様、ドロドロの野望が漲っていた。

当時スマホなど影も形もなかったが、芸大の学生だった私は、カメラは持っていた。

でっかいニコンの一眼レフカメラをアホみたいにぶら下げて歩いていたのに、なぜ木村さんやラーメンを激写しなかったのか。当時は青年だった木村さんの姿も、当時の「実験的」で「試作品同様だった一杯?」の写真も、一枚も撮っていない。

つくづく私の、カメラマンとしてのセンスゼロに呆れるばかりだが、それにしても残念で仕方がない。

「天下一品総本店」は、ファンにとっては「聖地」のような存在らしい。
総本店の壁面には、「天下一品グループ 沿革」と題した年表が。

そして店の奥には、若き日の木村氏の写真、そして毛筆で書かれた「正しい努力」の文字。いくら汗を流しても、的外れでは結果が出ない。何事も、目標達成のためには適切な行動をとらなければムダであると言う意味だそうだ。私はこうした「標語」にあまり関心はない(笑)

天下一品の食レボなど、誰も必要としないと思うので割愛。
ただ、創業当時の「天一ラーメン」と、「こってり」のほか「あっさり」「屋台の味」など、いくつかの種類から選べるようになってからの「天下一品」とは、違う店のような気はする。

久々に訪れた「総本店」は、もちろん1970年台の面影は全くないし、当時とは味も違うから、懐かしさなどは感じない。
私はぼんやりと木村さんの言う「正しい努力」について考えながら、「初心忘るべからず」も大事だろうと、九条ネギを頭に乗せて、帰路についた。

「麺屋 極鶏」一乗寺

京都のラーメン激戦区・一乗寺でも、ここがおそらく1番人気だろうと思うのが、「麺屋 極鶏」だ。

一乗寺ラーメン街道にある店舗だが、他の一乗寺のラーメン店に比べるとやや小さ目な店構え。

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店内は、厨房前にカウンター5席、4人掛けテーブル席が1卓、奥に4人掛け小上がり席が1卓。

広さはないので、できる行列はやはり長くなる。

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雨の日でもこの程度の列が。ひどく混雑する時には整理券を配布したりしているので列を離れて時間待ちをする人もいて、見かけの行列が少なくてもすぐには食べられない場合もある。

「極鶏」がオープンしたのは2011年5月14日だ。

店主は京都市北区にある老舗店「タンポポ」で12年間勤務していた今江公一氏(以下・今江さん)。

前職は美容師だったが、大好きなラーメンで勝負する決意をして、名店『タンポポ』で修業を開始。タンポポでの9年目ぐらいから独立開業を考え始めたが、いい物件が見つからないなどオープンまでの道はなかなか険しかったらしい。屋号だけは、店をもちたいと思った時から「極鶏」と決めていた。

こちらが極鶏が放つ脅威の鶏白湯ラーメン、その名も『鶏だく』だ。
まず、今江さん渾身の『鶏だく』の提供プロセスから。

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液体というより半固形スープの生成は、門外不出の「3段階」。

一番奥にあるのは、おそらくまだ液体と呼べるスープの入った寸胴。ずっと弱火にかけられてスタンバイするスープの素が入っているはずだ。中央のズンドウにはもはや半固形化したスープ、そして手前に、出すラーメン用に加熱されるスープ。

「ありきたりではない、今までにないもの」「すべてのお客さんが想像したこともないもの」「他所では絶対食べられないもの」という事をコンセプトに、今江さんが10年の歳月をかけて作り上げた。

これが加熱されると、ターミネーター二でシュワちゃんが沈んでいった溶鉱炉のように、ボコッ、ボコッとスープが震え出す。これはもはや液体の加熱反応ではない。

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その間、今江さんは麺を茹でる。

麺は「麺屋棣鄂(ていがく)」に特注して作ってもらっている四角い麺。

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麵屋棣鄂と言えば昭和6年創業の、京都製麺所の雄である。

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普通の麺では、スープの力強さに負けてしまって、麺が口の中にいる事がわからないくらい頼りなくなってしまうという事で、特別存在感の強い、噛みごたえのある麺を作ってもらっていると言う。

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そうしながら、スープをお玉ですくってラーメンどんぶりへ。
我々は小さな鍋からそのままザーッとスープが流される光景は見慣れているが、ここのスープは「半固形物」なので、まさに左から右に、「移動させている」と言う表現が近い。

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鍋を傾けてもざーっとは流れないから、すくって「移動させる」ほかないのだろう。

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即座に、麺の湯切り。

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麺をスープに投入、ではなくて、スープの上に麺を乗せている。なかなか沈まない(笑)。麺から「I’ll be back.」とシュワちゃんの声が聞こえる気がした。

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そこへチャーシューが乗る。チャーシューも普通のチャーシューだとスープに完敗するので、大判で厚めになっている。

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大人気のメンマ。迫力満点。全てのパーツが、普通の物だとスープに負けてしまってまるで存在感がなくなって意味をなさないのだろう。

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白髪ねぎも同じ理由で、辛味が強いものが厳選されている。

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さぁ、出来上がり。全てのトッピングが、頑張ってはいるが、やはりスープの上に浮いている感じだ。

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まずは、スープから、と思ったが、お〜〜っと、レンゲが沈まない。そして、立ったああ〜〜。

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ここで一句。

「蓮華立つ メレンゲよりも レンゲ立つ」
鶏ガラと鶏肉をたっぷりと使用し、十数時間煮込むことで鶏の旨味をまるごと濃縮したスープ、もとい半固形物。これ程濃厚なスープを見たことがあるだろうか。いや、ない。天下一品の「こってり」を遥かに凌ぐ濃度である。

ここのスープは、すすれない。レンゲですくってパクッと食べる。

『オレたちひょうきん族』で、ウガンダ・トラが「カレーライスは飲み物」と豪語したが、私も言おう。「麵屋極鶏のスープは、食べ物だ」と。 

その証拠に、浮いてみる麺を掴んでみたところで、そこにスープは一滴たりとも絡まない。

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スープと一緒に麺をつかむ感覚でズボッと。掴んだらそのまま口に運ぶ。

こうして『麺屋棣鄂』謹製の中太ストレート麺と相まれば、それはまさに至福の味わいとなる。正に、鶏ラーメンの濃度の限界に挑んだ、唯一無二の「極鶏」ここにありだ。

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では、次に「赤だく」。

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見事な赤、「赤だく」の名称のまんまの見た目だ。

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映画「沈まぬ太陽」の、アフリカの大地の真赤な太陽。沈まぬ麺、沈まぬチャーシュー、沈まぬネギ、そして。

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沈まぬレンゲ。レンゲだって「沈まない」。

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何はともあれ、スープに唐辛子を混ぜてから。これがなかなか混ざらない。唐辛子を練り込む感じ。

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味は、見た目ほどは辛くない。私は辛さがあまり得意ではないので、完食は無理かと思ったが。

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唐辛子は、辛さ控え目で激辛ではなくピリ辛程度だというが、激辛苦手の私には十分辛い。

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赤身部分が多めのチャーシューが2枚。ほどよい弾力があり、厚めのカットでも食べやすい。

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この厚み。チャーシューは、スープをたっぷりつけて食べると最高。

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歯ごたえのある中太麺は濃厚スープに負けない存在感だが、辛さとの一体感があって、辛い「赤だく」にはより合う麺だと感じた。極太のメンマも、ポリポリと歯ごたえが良く、噛むほどに甘味が感じられていい仕事をする。

汗はどんどん吹き出してくるが、とにかく美味い。白髪ねぎ、チャーシュー、メンマ、そして水。
激辛苦手の私でも問題なく完食できた。激辛好きなら、この「赤だく」は超オススメだ。

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では、最後の一品。

数量限定だが人気が沸騰している「かぶりつきメンマ」だ。これは、私はまだいただいていないが、同店で人気の高い「メンマ」が、写真のような特大かぶりつきサイズで楽しめる。
メンマ好きには堪らないというが、これほどでかいのを食べたいほどのめんま好きには、私はまだ出会ったことがないが(笑)。極鶏のすべてのラーメンに対応可能だそうである。

写真のように、完璧な形(長方形)のメンマは非常に希少らしく、こんなのが準備できるかどうかは不確定だというが、可能な限り準備する努力はしているという。私は、形はこんなにきっちりして工業製品に見えるより、というか、死んだ後に顔にそっとかけられてるみたいな。
だって、この下にチャーシューと麺が隠れてるわけでしょ?多少崩れた形の方が美味しそうに感じるのは私だけ?(笑)

「天天有 一乗寺店」一乗寺

京都市左京区の一乗寺・東大路通界隈は、「第二系統」の源泉である「ますたに」、その流れをくむ魁力屋の総本店、さらには今回紹介している「第四系統」の天下一品総本店など、我こそが「京都ラーメン」を標榜する店がひしめく「ラーメンストリート」だ。

「天天有 一乗寺店」は、ラーメン激戦区の一乗寺にあって天下一品とほぼ同じ1971年に創業。一乗寺店は今では珍しくない鶏白湯ラーメンを一貫して提供してきており、天下一品と並ぶ「第四系統」のパイオニア的存在だ。

現在の店長は2代目の漆畑嘉彦氏(以下・漆畑さん)。90歳で亡くなった父・忠芳さんが1971年、より北側の修学院エリアで「萬来軒」というラーメン屋台を始めたが、衛生上の理由で行政側から「屋台ではなく、店舗を持つように」促され、一乗寺での開店となったと説明してくれた。

一乗寺が良かったからではない。取引先の製麺業者が営んでいたラーメン店を閉めることになり、そこを居抜きで使える利点があったので名乗りを上げたという。店名の「天天有」も引き継いだ。当時の一乗寺にのラーメン店は「珍遊」など、ほんのわずかだった。

天天有の近くにある「中華そば 高安」は、唐揚げでも有名なラーメン店だが、経営する高安慶光氏は、京都での学生時代に天天有の行列を見て「いつか天天有を超える店をやりたい」と決意。独学でラーメン作りを学び、30歳だった98年に店を構えたというが、勝負するなら一乗寺で、と野心を燃やす店主を数多く増やしてきた功績も大きい。

こうして漆畑さん親子が2代にわたって、同じ場所で54年間、天下一品の木村さんのようなチェーン展開はそこそこに、愚直に一乗寺本店で頑張ってきた親子のラーメン道一筋の生き方と、一乗寺ラーメン街道の発展に貢献されたことに敬意を表する意味もあって、京都ラーメン「第4系統」のトップ3に「天天有 一乗寺店」を選んだ次第である。

ここで伝えるべきことは、「天天有」の歴史を辿ると、実は4系統に分かれるということだ。
「中華そば 天天有 一乗寺本店」「天天有ひるまや」「天天,有」「京都ラーメン 天天有」の4つは、それぞれ全く違う店である。

この中で、京都市左京区の一乗寺にある「中華そば 天天有 一乗寺本店」が最も古い。

「天天有ひるまや」は、かつて一乗寺の天天有の場所で「天天有」と「ひるまや」とが同じ店舗で時間を変えて営業していて、昼はその名の通り「ひるまや」が営業、夜は「天天有」が営業していた。

2014年頃に「ひるまや」が京都の久御山町に移転して「天天有ひるまや」という店名になり、ラーメンは豚骨と煮干豚骨となっていて、他の天天有とはかなり異なる味わいのラーメンを提供している。

もうひとつの「天天有」は本店の親戚筋の方がされていたラーメン店で、「天天,有」という屋号だ。「モーニング娘。」に「。」を忘れるとバカにされるが、「天天,有」の「,」は重要だ。「天天,有」は今大阪にあって、本店先代の弟さんの店である。福岡にも「天天,有」があって、そちらは大阪の「天天,有」の創業者の娘さんの嫁ぎ先が経営しているという。

もうひとつ、「京都ラーメン 天天有」という店があるのだが、一乗寺の本店で修業された方が本店の許可を得てフランチャイズ本部を設立(株式会社未来)。COCON烏丸の地下一階に「天天有 四条烏丸店」を開業したのが始まりである。

ということで、私が京都ラーメン「第四系統」の第3位にランクインさせたのは、一つ目の「中華そば 天天有 一乗寺本店」のことである。2つ目と3つ目は場所も全然違って間違えようがないだろうが、4つ目の「京都ラーメン 天天有」は京都市内COCON烏丸の地下一階という好立地にあるので間違う人もいるだろう。こちらのラーメンは、好みもあるだろうから「まずい」とは言わないが、あくまで私的には「天天有」を名乗って欲しくない味だ。

さて ようやく「中華そば 天天有 一乗寺本店」のラーメンの話である。

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スープに甘みを感じるとろりとした食感の鶏白湯でポタ系で、ベースは「鶏ガラ・野菜・豚ガラ白湯(脱脂)」。実は、先代から代替わりするタイミングで、スープの味を少し変えて、この味に行き着いている。
先代の時はカエシにやや醤油感というか辛さがあったが、二代目漆畑さんは甘さが表立った味わいに変えていて、現在はこのスープが一種類で勝負しているのだ。

ややとろみのあるスープの鶏白湯ラーメンは、くどさはなくて自然な美味しさに進化していると思う。

チャーシューメンの並を頼んだ場合、チャーシューを少し減らして、煮卵も入れることもできるし、ねぎの量を調節することもできる。漆畑さんがそうした微調整をしてくださるのも、この店の魅力の一つである。

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トロトロの半熟煮玉子と、ジューシーなチャーシューがよく合って美味しい。
チャーシューは、味がしっかりついて柔らかい、古典的なチャーシュー、これも王道だ。

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麺も、ストレートか平麺かを選べるが、私はストレートが好きだ。あくまで、好みの話だ。

濃厚な鶏白湯スープは、鶏の旨味が最大限に引き出されて、程よいとろみがあり、そして2代目の漆畑さんになってからだが、これにほのかに甘みが加わって、まろやかスープに仕上がっている。

漆畑さん自慢の鶏白湯スープは、昔より濃度がやや増したように思う。先に紹介した「天下一品」「極鶏」とはまた違った味わいで、「中華そば 天天有 一乗寺本店」が一番好きという人がいてもおかしくない、こってりラーメン好きにはたまらない美味しさがちゃんとある。

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メニューにも書いてあるが、このラーメンには紅しょうががとても合う。紅しょうがを足しながらいただくと、味も自然に変わっていく。また、途中で卓上のニンニク唐辛子などを入れると、味の変化が感じやすいスープなのか、かなり味が変わって何度か違うスープの味を楽しめる。

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ベースは中華そば一本、チャーシューや煮玉子などのトッピング、一品はキムチ、豚の細切れ、餃子など。

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店内はカウンター席、テーブル席、小あがりの座敷席になっています。

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テーブル・小あがりの席が多めで、学生さんなどグループで使いやすいラーメン店でもある。

漆畑さんは2代目だが、とうに還暦を超えている。

学生たちの元気を吸い取っていつまでもお元気で、一乗寺ラーメン街道の「主」であり続けていただきたい。

(つづく)
この記事は、連載第4回です。次回が京都ラーメンの連載最中回。ラーメン激戦区のニューウエーブと、老舗との激戦をお伝えします。