上司を囲んでのゴルフ旅行以来ほぼ40年ぶりの「霧島」へ。道の駅「霧島」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)

1980年代も後半になると、日本はバブル景気に浮かれ始めていた。
私が社会人1年生の時からリクルート神戸で大変お世話になった上司・田中勝さんも、バブルの中心として無尽蔵にビジネスチャンスが拡大する東京へと引っ張られた。
田中勝さんを慕う私たちは、転勤されても1年に1度ぐらいはお会いしたいと願い、田中さんへの感謝を込めて「39(サンキュー)会」という同窓会を立ち上げた。
当時は社会人としてのたしなみ?の一つとして、ゴルフをしない者は少なく、その同窓会も田中勝さんを囲んで年に一度、秋にゴルフ旅行をする形をとった。
39会で、いろんなところへ行ってゴルフをし、酒を飲んだ。

開催場所は東京と関西の間がみんなの負担が少しでも軽いだろうと田中勝さんにはお気遣いいただいたが、バブルの勢いは凄まじく、同窓会の開催は場所を選ばなくなり、九州での開催が増えた。その一つが、鹿児島空港36カントリークラブ、高千穂カントリークラブ、霧島ゴルフクラブを連チャンした鹿児島ツアーだった。

あれからほぼ40年近くの歳月が流れたが、今年の春、私は田中勝さんの箱根別邸を訪ねている。

嫌いな人間にはクールだが、好きな人にはまったく本当にしつこい私である(笑)。

霧島ゴルフクラブをスルーして霧島神宮

いくら懐かしくても一人ではゴルフできないので、思い出の霧島ゴルフクラブからほんの数キロ東にある霧島神宮へと向かった。

霧島連山の美しい自然に囲まれた霧島神宮は、ご存じ「天孫降臨伝説」の地である。

創建は古代に遡り、神武天皇の祖先であるニニギノミコトが高千穂の峰、高天原から降臨して霧島山に降り立ち、ここで地上の国土を治めるための拠点としたというこの神話は、日本の古代史や信仰において非常に重要なものであり、霧島神宮はその象徴的な場所となっているのだ。

霧島神宮のはじまり

霧島神宮の歴史は、欽明天皇の御代(6世紀)に遡る。

僧侶である慶胤(けいいん)上人が高千穂峰と火常峰(御鉢)の間の「瀬多尾(せたお)」に社殿を建立したことが、神社の始まりとされているが、欽明天皇元年(540)の創建とする説もある。

いずれにしても高千穂峰が日本神話の天孫降臨の伝承地となって、当初は高千穂峰そのものが信仰の対象とされていた。

霧島神宮の祭神は、天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊を主祭神とし、木花開姫尊(このはなさくやひめのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)鵜鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)玉依姫尊(たまよりひめのみこと)神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)の6柱の神々が相殿に祀られている。

噴火と消失、移転、再建の歴史

元の社地である瀬多尾は火口に近い場所にあったため、度重なる噴火により社殿は度々焼失した。延暦7年(788)の火常峰の噴火では社殿が焼失し、その後、性空上人により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に再興された。

しかし、この場所でも噴火による被害を受け、文暦元年(1234)には社殿が完全に焼失。そのため、霧島市霧島田口の待世に「仮宮」を建てて、それから約250年間に渡ってここで祭祀が続けられた。

文明16年(1484)、島津忠昌の命により、兼慶上人が現在の霧島神宮を再興。この社殿もまた幾度となく炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715)、島津吉貴の奉納により再建されたものである。

以来、明治期の神仏分離令までは「西御在所霧島権現」と称し、霧島山を中心とした修験道の信仰の中心的存在となった。

霧島神宮の国宝、重要文化財

霧島神宮には、2022年(令和4年)に国宝に指定された本殿、幣殿、拝殿の1棟(附 棟札2枚)がある。

この建造物群は、正徳5年(1715)に島津吉貴が寄進したもので、実に豪華な装飾が施されている。特に本殿内部は、朱漆塗りと彩色文様、鍍金の飾り金具、極彩色の浮き彫りなど、細部にわたって贅が尽くされており、このため霧島神宮は「西の日光」とも称されている。

さらに登廊下や勅使殿、門守神社などの建造物も重要文化財として指定されていて、これら朱塗りの華麗な社殿はいずれも霧島神宮の歴史的価値を物語る重要な遺産となっている。

もともとは霧島山一帯が霧島神宮の境内だったが、明治4年(1871)の廃藩置県の際に霧島山の頂上に沿って県境が引かれ、宮崎県側は神宮境内から外された。

その後、祭典行事に必要な789ヘクタールが神宮に返還されて、現在の境内が形成された。

また、霧島神宮の境内には樹齢約800年と推定される神木の杉があり、これは南九州の杉の祖先といわれている。

道の駅「霧島」は、霧島高原の観光拠点

大小20以上の火山が連なって、霧島連山という大自然を成している。

この大自然の中に火山湖や温泉などを抱える霧島高原は、日本屈指の観光スポットの一つと言って過言ではないだろう。

道の駅「霧島」は、その霧島高原のほぼど真ん中にあって、「霧島神話の里公園」という名称でも親しまれている。

というか、この道の駅は「霧島神話の里公園」が道の駅として登録されたものなのだ。

およそ21haと、とにかく広い。

この駐車場の上が、ずっと公園になっている。

その中にスーパースライダー、ポッカールー、モーターカート、 パターゴルフ等の有料のアトラクションなどがある。

霧島黒豚が人気の物産館とレストラン

トイレ、物産館、レストランは公園の麓にある。

物産館の人気商品は、なんと言っても霧島黒豚。

霧島黒豚を用いた商品は「黒豚角煮」「黒豚豚骨みそ」など色々あるが、特に味噌の中にたっぷりの黒豚が入った「黒豚みそ」が物産館の売上No.1の人気商品である。

「赤猿」「薩摩維新」など鹿児島名物の芋焼酎も、もちろん人気の商品だ。

レストランでも霧島黒豚を使った「黒豚しゃぶ鍋定食」「黒豚とんかつ定食」「黒豚カツカレー」「霧島黒甘酢カツ丼」「黒豚肉うどん/そば」が人気だが、名物メニューは1日10食限定の「西郷どん御膳」。 霧島黒豚の軟骨味噌煮込み、自家製の薩摩揚げ、薩摩汁、山川漬けなどの鹿児島の郷土料理を満喫できる。