道の駅「宇陀路大宇陀」から「宇陀松山」散策のち「室生寺」「龍穴神社」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○)

現在の宇陀松山は、近世(江戸時代)初頭に宇陀松山城と宇陀川との間の地域が整備された時の町割をもとに、当時の様子をよく残しています。

町には宇陀紙や吉野葛といった周辺地域の特産物が集まり、地域経済の中心として栄えました。宇陀松山には町屋が数多く建てられましたが、それらによる街並みは、宇陀松山城の城下町として栄えた様子を今に伝えています。

この町は、道の駅「宇陀路大宇陀」からほんの100mほど東。その場所から北の方向に約1kmにわたって、 江戸時代中期建築の「山邊家住宅(県指定文化財)」、江戸時代末期建築の「薬の館(市指定文化財)」など、 びっしりと歴史的建造物が並んでいます。

そこから東方面に、この町並みからは少し離れていますが、「室生寺」と「龍穴神社」があります。

今回の旅では、そのどちらにも足を伸ばしました。

安土桃山時代、宇陀松山城の城下町として

周囲の環境と一体をなした歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で、価値が高いと認められる地区は、市町村によって『伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)』に定められる。伝建地区のうち、国が特に価値が高いものであると判断したものは『重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)』に選定されるが、宇陀市の松山地区(宇陀市松山伝統的建造物群保存地区)17haが平成18年(2006年)にこの重伝建地区の選定を受け、保護対策が講じられている。

このあたりは安土桃山時代、豊臣秀吉の家臣が宇陀松山城の城下町として整備した。その際、建物の間口の広さによって課される税を免除するなどして有力な商人を誘致したため、「間口も奥行きも広い」というこの地区ならではの町家が生まれ、以降、宇陀地方の政治・経済の中心地として大いに発展した。江戸時代以降の様々な時代の建物も残る街並は、近世城下における商家町から在郷町としての発展ぶりを今に伝えている。

城山と宇陀川の間に南北に長く展開する平入りの町家群

今に残る町家群は、江戸後期から昭和初期にかけて建てられたものが多く、地区内に流れる宇陀川のせせらぎを聞きながら、遠近にみえる山々と調和して独特な景観を形成している。

意匠的に優れた町屋、土蔵や寺社などの建築群、石垣や水路などが一体となった歴史的風致は見応えがある。歩いていると、宇陀市大宇陀歴史文化館唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボルともされる建物があった。

宇陀松山はまた、昔から薬の町として知られており、町中に薬の古い看板が見られるなど、現在も薬の町としての面影が残っている。史跡「森野旧薬園」は、江戸時代中期(享保年間)に開設された江戸の「小石川薬草園」と並ぶ日本最古の薬草園だ。

また、町中には老舗の酒屋、醤油蔵、和菓子屋などのほか、最近では町家を生かしたカフェやレストラン等のお店も増え、おそらく若い方にとっても散策が楽しいエリアとなっている。

宇陀市松山の町並み
宇陀市松山の町並み

史跡「松山西口関門宇陀松山」の西門は、江戸時代初期の建築とされ、建築当時のままの位置にその姿を残している。

室生寺へ

奈良時代末期の宝亀年間(770年~781年)、東宮山部親王(とうぐうのやまべのしんのう・のちの桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延命の祈祷したところ龍神の力でみごとに回復したので、興福寺の僧・賢璟(けんけい)が朝廷の命を受けて寺院を造ることになり、現在の室生寺の寺観を整えたのは賢憬の弟子・修円といわれる。現存の室生寺の堂塔のうち、創建頃にまで遡ると見られるのは五重塔のみで、現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要したものと思われる。

室生寺は長らく興福寺との関係があったが、元禄7年(1694)、真言僧・隆光が興福寺に室生寺の分離を要求し、元禄11年(1698)には興福寺から独立して真言宗寺院となった。その後、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院の寄進によって山内の堂塔が修理された。このころから同じ真言宗で女人禁制だった高野山金剛峰寺に対して室生寺は女人の参詣を許可。女人高野と呼ばれ、女性の信仰を集めた。昭和39年(1964)には、真言宗豊山(ぶざん)派より独立して真言宗室生寺派の大本山となり、現在に至っている。

境内には柿葺きの金堂(国宝)や弥勒堂(重要文化財)、檜皮葺きの本堂(国宝)などが散在。金堂には、本尊釈迦如来立像(国宝)をはじめ、十一面観音立像(国宝)など木造の貞観仏5体が安置されている。このほか、弥勒堂の釈迦如来坐像(国宝)などの優れた貞観仏が伝わる。

屋外に立つ古塔としてはわが国最小の五重塔(国宝・高さ16m)は、1998年の台風で大きく損壊したが、現在は修復されている。

塔の左の道を登ると御影堂(重要文化財)のある奥の院がある。シャクナゲやモミジが境内を美しく彩ることは非常に有名。私は特に五重塔の雪景色が大変可愛らしくて大好きなのだが、紅葉、そしてシャクナゲの季節もやはり素晴らしい。

室生寺の四至には「門」を設けており、田口の長楽寺を東門、大野の大野寺を西門、赤埴の佛隆寺を南門、名張の丈六寺を北門としている。

平安時代前期の木造仏である国宝・十一面観音菩薩立像

十一面観音菩薩立像は少女のような優しい顔立ち、ふっくらとした輪郭、穏やかに伏した瞼の表情が、拝観する方の心を柔らかく受け止めて、特に女性の人気が高い。唇や光背に残る彩色、胸元の瓔珞(ようらく)と呼ばれる飾りなど細部まで美しさが溢れている。

金堂には他にも中尊の釈迦如来立像(国宝)を中心として、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)、文殊菩薩立像(重文)が安置されている。

室生寺の成り立ちに関わった龍穴神社

女人高野「室生寺」を拝観した後に向かったのは、室生川を1㎞ほどのぼった所にある「室生龍穴(むろうりゅうけつ)神社」。距離的に近いだけでなく、「室生寺」とは歴史的に大きなつながりがある。

「日本紀略」によれば、8世紀に、後に桓武天皇となる山部親王が病魔に冒されてしまったので、病気が治ることを祈願して、室生にある龍穴で祈祷が上げられたという記録が残っている。この龍穴こそ、古来からのスーパー・パワースポットとなっている「吉祥龍穴」である。

そして、無事に病気が治り天皇となった桓武天皇が、その後に命令して作らせたのが室生寺だ。つまり室生龍穴神社は室生寺が誕生する前からあり、奈良時代から平安時代にかけて、雨乞いの神事が頻繁に行われていたほど高い社格の神社だった。室生寺は、それを守る神宮寺として開かれたとも言われており、「龍王寺」と呼ばれていた時もあったと言われている。

さて そうした室生寺との関係を有する室生龍穴神社は、水の神、竜神を祀る古い歴史をもつ古社である。御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。平安時代には朝廷から雨乞いの使者が遣わされたといわれ、雨乞いの神として知られる。現在の「春日造り」の本殿は、奈良の春日大社若宮の社殿を江戸時代の寛文11年(1671)に移築されたもので、奈良県指定文化財となっている。


室生龍穴神社の境内には、2本の杉の木が根元の方で一体化している「連理の杉(夫婦杉)」がある。この杉は、夫婦や家庭円満、家運隆盛などのご利益があり、縁結びのパワースポットにもなっている。表から見るより裏側から見ると、2本の杉の木がつながっているのが良く分かる。

古来からのスーパー・パワースポット「吉祥龍穴」へ

室生龍穴神社の奥には、渓流の近くに竜神がすむと伝えられる「妙吉祥龍穴」がある。室生龍穴神社のご神体、古くから神聖な磐堺(いわさか)となっているのが、奥宮の「吉祥龍穴」だ。

龍穴神社から奥宮である吉祥龍穴へは徒歩でも行けるが、片道20分ほどはかかり、ずっと登り道なので、私にはハードルが高いと思い、車でのアクセスを選択した。

室生龍穴神社から県道28号を室生川上流に沿って500メートルほど走ると、左側に案内板が出ているので、そこを左折して林道に入って行く。この林道から急に道幅が狭くなって1車線に。この林道を登って500メートルくらい行った右手に「天の岩戸」があり、そこからさらに300メートルほど進むと今度は左側に「吉祥龍穴」の看板と白い鳥居がある。どちらの場所もそこだけ道幅が広めなので、車道端に大型車でなければ迷惑にならないよう車を停められる。

鳥居をくぐって100段ほどの階段を降りると、「龍穴」が見える「遥拝所」がある。「遥拝所」は土足厳禁なので、用意されているスリッパを履いてから中へあがり、遥拝所から見える龍穴に向かって祈願する。龍穴に向かって右の方に1枚岩の巨岩があって「招雨瀑(しょううばく)」という滝が流れており、その岩を伝って清流となっている速い流れの小川がある。

そして、遥拝所の左側には、まさに龍が口を開けたような(竜の口は見たことはないが)洞穴の大きな空間が。これが龍神の住処と伝わるご神体「吉祥龍穴」だ。招雨瀑から続く川は、奈良の木津川や大阪の淀川の水源にもなっていることから「吉祥龍穴」では古くから雨乞いの神事等が多く司られてきており、現在も行われている。

道の駅「宇陀路大宇陀」

今回の旅の起点としたのは、道の駅「宇陀路大宇陀」だ。

駐車場は、普通車で20台、大型車両が4台しか停められない。

未舗装ではあるが道の駅の向かい側の郵便局の横に第2駐車場があるので、混雑時はそこを利用するとなんとかなるだろう。

トイレは、かなり古風。でも、清掃をしっかりしていただいており、気持ちよく利用させていただいた。感謝!

本駅の施設としては、物産館、農作物直売所、レストラン、喫茶コーナー、足湯がある。足湯がある道の駅は、疲れが取れるだけでなく気分転換ができてとてもありがたい。

休憩スペースの雰囲気もしっとりと落ち着いた感じだ。

また、持ち帰って自宅で温泉を楽しめる、温泉スタンドがある。

地域色豊かな物産館、野菜が安い農産物直販所

物産館だが、規模はそれほど大きくないものの非常に特徴のある商品を販売している。

物産館から少し離れた場所に、小さな農作物直売所がある。

野菜の種類は決して多くは無いが、値段がびっくりするぐらい安い。

宇陀牛でちょっと贅沢したい道の駅レストラン

物産館の左横に、道の駅レストラン「甘羅(かむら)」がある。

高級メニューも大衆メニューも、しっかり揃ったレストランだ。 予算に応じて食事を楽しむことができる。

高級メニューは、宇陀牛を使った料理。 希少部位のシャトーブリアンを用いた「宇陀牛特選特上ヘレステーキ定食」「ヘレ焼肉定食」宇陀牛もも肉の「焼肉定食」宇陀牛のすき焼き肉を使った「焼肉定食」など。 奈良県郷土料理の「にゅうめん」を使った御膳料理として「かむら膳」「ひとまろ膳」がある。予算を抑えたければ「かつとじ定食」「とんかつ定)」「にゅうめん」「山菜なべやきうどん」などがオススメだ。

物産館には喫茶コーナーもある。