大阪の豊能郡能勢町地黄476。いといと、いと愛おしい愛ちゃんの、最高の手料理がいただけるお店「ITO ITO」がある。

私は、ハゲを隠そう何を隠そう、1982年春から1991年秋までの9年半、リクルートという会社でメシを食わせていただいた。

もちろん当時は、「神生六」というペンネームではなく、「越生康之」という本名で勤務していた。

色々あったし、ろくでなしも多かったし、藤田洋を筆頭とするカスのような人間もたくさんいた。

しかしリクルートという会社には、江副浩正社長(当時)を筆頭に、上司・先輩・後輩・ブレーンさんも、カスやろくでなしを上回るほどにたくさんいて、私は彼ら彼女らに恵まれたから、そしてこの9年半があったからこそ、恥ずかしながら一人前の社会人にはならせていただくことができたのだと思っている。
そんな感謝すべき後輩の中に、当時営業で頑張っていた西野愛さん(当時小角愛=以下愛ちゃん)、制作のホープだった近藤昭彦くん(以下コンちゃん)もいた。
二人と出会った当時からはもう40年が経つ。今日はその時を戻して。

コンちゃんを誘って、愛ちゃんが今年のゴールデンウイークにオープンしたお店「ITO ITO」を訪ねた。

昭和100年びくともしない建物と蔵

お店の場所は、大阪の豊能郡能勢町地黄476。
「大阪」の二文字から連想されるイメージとはほぼ真逆。

自然豊かなロケーションに、400坪もの敷地、そして大正時代に建てられた、見事な木造建築を見るだけでも価値のある、ギャラリーandおばんざい。

それが「ITO ITO」だ。

今後、奥に建っている立派な蔵をどう活用されるかも、個人的には楽しみである。

これらの建物については、コンちゃんの家も、私が阪神大震災があってそのトラウマから建てた家も、共に「ヘーベルハウス」ということで大いに盛り上がったが、「結局、燃えないヘーベル(外壁)だけ残っても、中身が燃えるから一緒やで」と大笑い。
「ITO ITO」の建物は、柱も梁も、最高の木材、しかも異様に太いもので組み上げられていて、昭和からの100年を超えてなお全くびくともしない、大正当時ならではの見事な建築物なのである。

獲得すべき客層が来店

普通なら自分の店をオープンするとなると、大いに力みかえってしまって自分のできること以上の無理をしてしまうところだが、リクルート時代から聡明だった愛ちゃんは、この店を今年(2025)にオープンして以来、今の自分にできる範囲で、土日の11時オープンから夕方までの「ランチ中心」の営業で、お客様たちと見事に歩調を合わせた、確実な歩みを続けている。

そして今日などは、私たち(コンちゃんと私)が11時オープンと同時の一番客だったが、その後、相次いでのご来店があり、用意した食事は見事完売しておられた。

傍迷惑な大声で会話し、下品な笑い方をするような客は、今日は私とコンちゃんだけで、その後続々と来店されるお客様は皆、愛ちゃん渾身の手作り料理に惚れ込んで訪れるリピーターもしくは噂を聞きつけてやってくる人たち、「本当のお客様」だった(笑)。

甘えちゃいかんよRのOB

まあ、リクルート時代から多くの人に愛されていた愛ちゃんのこと。
「当時の上司、先輩、後輩たちも駆けつけてくれてありがたいことです」と謙虚に感謝していたが、リクルートOBOGの皆さんは、まさか真に受けてはならない。そんな愛ちゃんに甘えてちゃいかん。

皆さんはだいたい、私とこんちゃんと同じような人種なのだ。
品のない大声とバカ笑いが共通していることを忘れないでいただきたい。
ま、このお店の場所柄、リクルートOBOGの常連化がかろうじて防げていることが、この店にとってはもっとも良いことであるだろう(笑)。

元を糺せば、愛ちゃんは、私やコンちゃんや、上司の中から敢えて名前をあげさせていただくが「高嶋さん」などとは違って、由緒正しきご家庭で汚れなくお育ちになったご令嬢であらせられる。

聡明で機転も効くから、当時から我々に合わせて大阪のノリツッコミは難なくできたし、一切気取ったところもなかったし、ゆえに今、どなた様にも気持ちよく接することができる素晴らしい人間であり店主としてここにあるわけだが、本来は「お嬢様」であること、そしてリクルートのノリでは一切ないお店であることを、お店を訪ねるリクルート関係者は特にくれぐれもお忘れなきようお願いしたい。

わかったな、騒ぐんじゃねえぞ、たかんど。

素材の良さもすごいが、料理の腕もすごい

愛ちゃんは実は、関西の台所「大阪」の、スーパーマーケットの経営者。

今日いただいた料理の一つ「豚しゃぶ」も、今日ベストの仕入れによるものだったし、レンコンや枝豆をはじめとする野菜類は、明らかに主力食材として地元食材を活かし切っておられ、さすがである。

私は、愛ちゃんが食材に関してはプロだとわかっていたのだが、料理がこんなに凄腕とは知らなかった。驚いた。実に美味いのだ。

地産の地元食材を活かし切っての創作料理の数々。それだけではない、私が追加で注文したカレーなどには、時にはミャンマーなど海外からの意表をついた仕入れも。

臨機応変に楽しませてくれるというお茶目な一面が光る。

愛ちゃんのセレクトショップでもある

広い店内には、食事を楽しむだけではない楽しみもある。

「ITO ITO」は、趣味の良い愛ちゃんならではのセレクトショップでもあり、なので私は、愛すべき後輩の一人、田原幸浩くんのアーティストTシャツも購入させていただくことができた。

実は、田原くんは私の大学の後輩で、私が大学の教授に「面白い自在がいたらぜひ!」とお願いしたこともあってリクルートに入社してきた男だが、これが薄汚れた私などとは真逆ともいえる、あまりにピュアでまともな人間で、リクルートに引っ張り込むべき人間では絶対になかった。

幸い、人間が壊れる前に会社をやめてくれて、その後、沖縄でアーティストとして成長してくれて、本当によかった。そして何より、彼のアーティストグッズを店で扱ってくれている愛ちゃんはじめ、お亡くなりになったが彼の異能を見出していたカメラマンの原さんがいて、コンちゃん、宮崎秀敏くんなど彼の良き理解者、サポーターがいて、今も繋がりがあることは本当によかった。救われる。

彼にしか描けない、伸びやかな作品を見るたびに、そう思う。

彼=田原幸浩は今、沖縄本島南部にあるバナナの木に囲まれた工房で、型染め、手描き染めなどの手法を使って、Tシャツをプリントしたり手ぬぐいや生地を染めたり、バック、ワンピース、シャツなどを製作・販売している。

私が買ったTシャツにも入っているDoucattyという名前は、沖縄の言葉「ドゥーカッティー」。自分勝手という意味だが、素晴らしいではないか。そう、人間は自分勝手なのだ!
彼は好きなものを自由に作りたいという気持ちでつけたらしいが、まさにそういう彼の下考え方生き方そのままが、表現されていて、素敵すぎる。
好きなことを自由に自分勝手にやって、自分もみんなも幸せになる。そんな仕事ができたら最高だなと思って生きている田原くん(中央)。

彼と一緒に頑張っているスタッフさんたちも、みんな幸せそう、いい顔してる。かっこいい!

いや、Tシャツ一枚買ったぐらいで、許してもらおうなんて思ってないよ。
旅先が沖縄に入った時には、田原くんを直々に訪ね、心から先輩として至らなかった日々を謝罪するつもりだ。

許せ田原、もとい、許してくれ田原、もとい、許してください田原さん!!

そして田原くんだけでなく、塗園みどり、角前庸道など、リクルートを早々に去っていった、私よりよっぽどまともな人間だった、そして愛すべき後輩たちみんなに。
懺悔だ(涙)