日本列島のほぼ中心、静岡県の中部に位置する「駿河湾」。
伊豆半島南端の石廊崎と西側の御前崎の端と端を線で結んだ海域が湾口になっていて、開口部は約56キロメートル、奥行きは約60キロメートル、表面積は約2300平方キロメートルにおよぶ。
湾内はフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界「駿河トラフ」に位置していることから、最深部は水深2500メートルにも達し、“日本一深い湾”として知られている。
沼津市戸田地区は、その駿河湾に向けて独特な形で延びる御浜岬に囲まれた戸田港を中心に古くから漁業のまちとして栄えてきた。
エリア内の各地から海ごしに望む世界遺産・富士山の絶景や、四季豊かな景観の数々、そして駿河湾から水揚げされる世界最大のタカアシガニをはじめ、他の地域ではめったに食べられない深海魚料理の数々を楽しむことができるということで、深海魚の聖地・戸田に行ってきた。
富士山からの湧き水が注ぐ“日本一深い湾”
富士山に降る雨や雪は、年間約25億トンともいわれている。
雨や溶けた雪はやがて大地に染みこみ、地下水脈を通じて豊富な湧き水となって駿河湾に注ぐ。湾内には約1000種の魚介類が生息しており、周辺の漁港ではイワシ、アジ、サバを中心にメダイ、ムツ、ヒラメなどが水揚げされる。
深海部が三種の海洋深層水で構成されている点も駿河湾の特徴だ。
海洋深層水とは、水深200メートルから300メートルより深い海域にある海水のことで、海の表層から沈んできた生物や有機物などの死骸から溶けだした栄養素が多く含まれている。水深数百メートルということもあり、その栄養素を利用する植物プランクトンも少ない。
また、海面に近い表層水と異なり産業排水や生活排水などの影響を受けないため、清浄も保たれる。
静岡県の発表によると、細菌数は表層の1/10～1/100ともいわれている。
表層の海水と交わらないため、水温は一年を通して10℃以下で安定しているそうだ。
このことから海洋深層水は、高栄養性、清浄性、低温安定性に優れるといわれている。さらに駿河湾は水深によって「黒潮系深層水」「亜寒帯系深層水」「太平洋深層水」の三種に分かれており、より特殊な環境になっている。
このような地形、水質もあり、駿河湾では昔から深海魚がよく獲れた。
水深の深い場所に面した沼津市戸田地区は「深海魚の聖地」を標榜。
戸田漁港で水揚げされたメギスやメヒカリ、アカムツ（ノドグロ）、アブラボウズといった深海魚を活用した「深海魚料理」で町おこしに取り組んでいる。
なかでも、手長エビ（アカザエビ）とタカアシガニは、地区を代表する食材だ。
深海で撮れる手長エビ、タカアシガニが名物
手長エビは深海に生息する体長20センチほどのエビで、その名の通り、体長ほどもある長いハサミが特長。身は甘くやわらかで、地元では刺身や塩焼きにして食べることが多い。頭部で出汁をとった味噌汁は、旨みがギュっと凝縮されて風味豊かな絶品に。
一方、タカアシガニは世界最大級のカニだ。ごつごつとした甲羅をもち、胴体から生えた細長い五対の脚はまるでクモのよう。大きいものだと、脚を広げて約4メートル、重さは20キロ近くまでになる。
大きさの割に身が少ないことから、食材に適さないと思われていたが、1960年ごろに戸田の旅館で提供し始めたところ人気を呼び、たちまち地元の名物になったという。
一風変わった見た目に反して、味わいはちゃんとカニ。香りと甘みが楽しめるという。塩ゆでや蒸して食べるのが地元の一般的な食べ方らしい。
手長エビとタカアシガニの漁が始まるのは同時期で、毎年9月半ば。
解禁日を迎えると、戸田の漁師たちは漁船を駆ってトロール漁を行う。
トロール漁とは、小学校で習ってすっかり忘れていたが、1500メートルほどのロープの先に付けた網で、深海の底をさらうように引く漁法のことだ。ロープの長さやおもりの重さなどは漁師によってさまざまで、各々が門外不出のテクニックを駆使して、禁漁を迎える5月まで漁に精を出す。
静岡海区漁業調整委員の調査によると、タカアシガニの漁獲量はここ数年20トンほどで推移している。希少性の高さに加え、乱獲防止のための漁獲規制もあることから、取り引き価格の相場も高い。
タカアシガニや手長エビの大半は、地区内の飲食店や宿泊施設へ供給されるが、まれに直売所や市場に卸されるという。
市販されているものは、たいていボイルや冷蔵されたもの。生きたものは鮮度の問題もあって手に入れるのは難しいそうだ。
冷凍ものは水で解凍するのがおすすめ。1、2日で食べきれるようなら冷蔵保存で充分。それ以上かかりそうなら冷凍保存するといい。タカアシガニ、手長エビの“旬”は2〜3月頃だ。
タカアシガニの旨みをとじこめる「まるごと蒸しあげ」
地元の飲食店ではカワヤッコやカガミダイ、トロボッチなどを使った深海魚料理も目移りするが、一番の目玉はやはりタカアシガニと手長エビ。
手長エビは直前までいけすで生きていたものを捌いて鮮度のいいうちに刺身で食べるのが一番らしい。タカアシガニも生きたままいけすで管理されているお店で、注文してから大きな網でざぶんとすくって、そのまま厨房で調理してもらうと最高なのだとか。
ゆでてしまうとカニの旨みやミソが流れ出てしまうので、蒸す方が良いという。
自然に恵まれ、豊かな生態系をつくりだす駿河湾。
戸田には、日本一深い「深海魚の聖地」で育まれた美味、珍味があった。
安政大地震がもたらした、戸田とロシアの熱い友好。
「伊豆、四日、地大に震フ、箱根山大イニ震ヒ、（中略）下田港ハ殊ニ甚シク、家屋倒レ。
火起リ、海潮大ニ溢レ、市街是ニ由リテ、悉ク原野トナル。死スル者八十五、海上ノ船舶モ亦大ニ損壊ス」（『日本災異史』より）
安政元年、秋。全国の広い範囲を襲うマグニチュード８クラスの大地震が、11月４日から５日にかけて発生した。
後に安政の地震と呼ばれるこの大災害で、家屋倒壊と焼失は数万件、死者は数千人を数えたが、同時に発生した津波は、伊豆半島はもとより広く太平洋沿岸一帯にさらに壊滅的な被害をもたらした。
しかし、この津波の被害を受けたのは日本だけではなかった。
折しも下田の地で日露通好条約締結の交渉に当たっていたロシア使節、プチャーチンの乗艦ディアナ号も、この津波の被害を受け船底が破損したのだ。
伊豆地域の被害への対応に東奔西走していた時の代官、江川太郎左衛門英龍は、この座礁したディアナ号の処置にも当たり、ひとまず修理のため、船を戸田に回航することとしたが、戸田に向かったディアナ号は再び予想外の悪天候に逢い、戸田に入港すること叶わず富士市沖まで流されてまたも座礁、今度は沈没してしまった。
幸いロシア人乗組員およそ400人は地域住民の手によって救助されたが、ディアナ号が再び就航することはできなくなった。
そこで立ち上がったのが、ディアナ号の代船の建造計画だった。ロシア人乗組員によって設計され、戸田と周辺地域の船大工によって製造されたこの日本初の本格西洋式帆船は｢戸田号｣と名付けられ、プチャーチンを始めとする乗組員がこの戸田号に乗って、無事にロシアへの帰国が実現したのだった。
以降、ロシアと戸田との間には、親密な交流が続いている。
戸田峠を越えて、戸田の港へ
戸田地区は、伊豆半島の北西部にあって駿河湾に面している。
私は国道136号線で修善寺方面まで進み、その後、県道18号線を西に進んで戸田峠を越えてきた。
地図を見ると戸田峠を越える県道18号線は、道幅が狭くカーブが多い危険な道という感じがするが、 実際に走ってみると、全区間で２車線（片側１車線）が確保されていて、案外走りやすかった。
途中、戸田を一望できる戸田峠（愛称・霧香峠）の先端にある瞽女（ごぜ）展望地で車を降りて眺望を楽しんだが、観音像があったので拝ませていただいた。
なんでも、かつてこの戸田峠の山道で大雪に遭い亡くなった瞽女の冥福を祈るため建てられたのが，この観音像だという。瞽女とは三味線を弾き語る盲目の女旅芸人だ。
遥か駿河の海を望む景勝地にたつ観音像は、芸道の祖として知られる瞽女を象徴するものとして、古くからこれを拝むと芸事が上達するものとして伝えられている。
今後も芸事を極めようと思っている私には、ちょうど良い観音さんとの出会いであった。
駿河湾と深海魚を深く学べる駅施設
道の駅「くるら戸田」は、2015年4月1日にオープンしてちょうど10年を迎えていた。
道の駅は、物産館、軽食堂、温泉施設、歴史資料館で構成されている。
駐車場は施設の前に、写真のような程よいスペースがあるが、混雑時用に第二駐車場が確保されていた。
トイレは駐車場の正面。とても綺麗に清掃していただき、気持ちよく使わせていただいた。
深海魚の聖地、ということで、正体不明の深海魚になってみた。
施設内は、特に駿河湾の地形、深海魚に関する展示にすごく力を入れていて、大変勉強になった。
物産館で目についたのは、高足ガニの炊き込みごはん、高足ガニしゅうまい、高足ガニせんべいなど、駿河湾の代表的な幸である「高足ガニ」の関連商品だ。
同じく駿河湾の幸である桜えびの関連商品で、炊き込みごはん、せんべいなども目立っていた。
戸田村の伝統料理の「戸田はんぺん」、海の塩から製塩した「戸田塩」、 農作物では赤野茶、乾燥椎茸などが販売されていた。
深海の幸各種を楽しめるおにぎり、キンメコロッケは、ここならではの軽食だ。
天然温泉が道の駅の目玉
天然温泉の「壱の湯」は、この道の駅の目玉らしい。
私は開店前に写真を撮らせていただいたので、空いているように写っているが、営業開始時間の直前位はおそらく地元民だろう、たくさんの人が入浴に押しかけていた。
この天然温泉は、元々道の駅から少し離れた場所にあったらしいが、 道の駅オープンに伴って道の駅施設内に移動してリニューアルオープンしたそうだ。
泉質はナトリウム・カルシウム硫酸塩温泉。低張性、アルカリ性で源泉温度51.8℃の高温泉で神経痛、筋肉痛、関節痛に特に効果があるらしい。
道の駅の駐車場のそばに「足湯」があったので、私はそれを利用させていただいた。
足湯でほっこりした後は、自販機でコーヒーを買い、道の駅「くるら戸田」を後にした。
