関東地方の中心的な河岸(渡船場=川の港)の名残を見に、道の駅「さかい」へ(トイレ△仮眠△休憩○景観△食事◎設備○立地○) 

2024年11月だったか、アンタッチャブルのザキヤマがゲストと共に「日光東往還」をただひたすら歩いてゴールを目指す旅ロケ番組を観て、私は恥ずかしながら「日光東往還」という道の存在を初めて知った。 徳川家康の廟所が久能山(静岡)から日光東照宮に移され、大名の日光参詣が制度化されたことによって「日光街道」が整備されたことは知っていたが、日光へ通じる街道は他になんと5つもあるとは知らなかった。 その5つ […]

「クレヨンしんちゃん」と「大凧」で大いに盛り上がる道の駅「 庄和」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事◎設備◎立地◎)  

春日部市といえば、「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井義人氏が育った街、しんちゃんファミリーが住む?街として有名だ。そして道の駅「庄和」がある春日部市庄和町は、「大凧の里」である。 毎年5月3日と5月5日に開催され、10万人もの観光客を集める人気イベント「大凧あげ祭り」で盛り上がる。 縦15m、横11m。 畳に換算すると約100畳という巨大な凧を町民約100名がかりで揚げるのだが、大空に舞い上がった […]

「足柄山」といえば「金太郎」ということで、道の駅「金太郎のふるさと」へGo!(トイレ◎仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地○)  

「金太郎」と言えば、「足柄山の金太郎」。 そして「金太郎のふるさと」と言えば「南足柄」だ。「金太郎のふるさと・南足柄」の知名度はそれこそ全国区。「童謡・金太郎」、「金太郎飴」、そして「金時山」を知らない人はいないだろう。金時山は、神奈川県足柄下郡箱根町、神奈川県南足柄市、そして静岡県駿東郡小山町の境にあって、一帯は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。箱根山カルデラを囲む外輪山列で最も高い山であり […]

家臣の相次ぐ裏切りで武田勝頼が自刃した「天目山」の地、道の駅「 甲斐大和」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観△食事○設備△立地◎) 

天目山の戦いは、1582年(天正10)3月11日に、武田勝頼が織田信長・徳川家康の連合軍に追い詰められ、甲斐国の天目山で自害するに至った合戦である。武田勝頼は、家臣の相次ぐ裏切りの中、わずかな家臣と共に天目山を目指し、その地で最後を迎えた。 1582年、織田信長と徳川家康は、武田勝頼の領国である甲斐国(現在の山梨県)を攻め、滅ぼすことを目指して甲州征伐を開始する。織田軍に追い詰められた武田勝頼は新 […]

江戸時代には日光街道の宿場町「杉戸宿」、今は道の駅「 アグリパークゆめすぎと」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観△食事○設備◎立地○)  

日光道中または日光道と呼ばれた日光街道。 江戸日本橋を起点とし、日光日光東照宮までの総延長は約142kmにおよぶ。 江戸幕府によって整備された五街道のひとつである。 そこには21の宿場が設けられた。 大名が宿泊・休憩した本陣、脇本陣などが置かれ、旅籠、木賃、茶屋や商店が建ち並んで、町場はそれぞれ大変なにぎわいを見せたという。 そのうち、埼玉県内の草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿の6 […]

「高賀山」の清流と「瓢ヶ岳」のアカヤシオから、道の駅「ラステンほらど」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○) 

旅は岐阜県に入っている。 東海環状自動車道の関広見ICから国道418号線を北西に10キロ、その後国道256号線に入ると今度は北東へ7キロ。 国道256号線に入って桜も美しい森林風景を眺めながら車を北に走らせていくと、有名な2つの山にアクセスできる。 一つは、古くから山岳信仰の修験道が栄えた高賀山。もう一つは、「うなぎ伝説」が残る郡上の名峰、瓢ヶ岳である。 高賀街道は、長良川を利用した舟運の湊があっ […]

画に狂った暴走老人「葛飾北斎」のパワーに圧倒され、道の駅「オアシスおぶせ」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)  

葛飾北斎(1760~1849年)は、江戸時代後期の絵師にして、その画業がゴッホやセザンヌをも魅了した、日本が世界に誇るアーティストである。 北斎が北信州の小さなまち、小布施町を初めて訪れたのは1842年のこと。当時としては珍しく89歳まで生きた北斎だが、人生80路に入ってからの北信州への初旅だった。 北斎は、小布施町の豪農にして文化人だった髙井鴻山(たかいこうざん/1806~1883年)の居宅を訪 […]

まじ通れないトンネル、3分裂の道の駅「宇津ケ谷峠」を経て「駿府城」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地◎) 

今川義元ゆかりの地、そして徳川家康の居城として知られる駿府城。「海道一の弓取り」の異名で知られる今川義元は、戦国時代に駿府城(現在の静岡市)を本拠とし、駿府城公園の一角に位置する「今川館」を居城としていた。のちに徳川家康は、家康自身が駿府城を居城とした後、今川館の跡地に駿府城を築き上げた。 往時の城郭建築の一部を復元した城と、その跡地にできている駿府城公園の桜を見に行った。城の見学は、有名な東御門 […]

世界農業遺産「川根の里」、そして「川根茶」の道の駅「フォーレなかかわね茶茗舘」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○) 

歳をとるにつれ、コーヒーよりも日本茶を飲みたくなることが増えてきた。 その日本茶の中でも、静岡県を流れる大井川の上流、南アルプスの下流にあたる、わずか数千人が暮らす川根本町の山里で育まれ、古来最高峰との誉を継ぐと言われているのが「川根茶」だ。 「ひときわ爽やかな香り」「爽やかさを感じさせる香気」「口にしたとき、そして茶が喉をゆく瞬間、鼻に抜ける香りの爽快感」「あたかも時を止めるような、優しく安堵感 […]

稀代の悪女「北条政子」がこの世に生まれた場所から、道の駅「伊豆ゲートウエイ函南」へ(トイレ◎仮眠○休憩○景観○食事○設備◎立地◎)  

ご存知源頼朝の妻・政子は、これまたご存知北条時政の長女であるが、彼女の生誕の地に向かう途中、東南方面からの富士山が見えたが、これが変な雲のかかり方をしていて気持ち悪い。それは、これから行こうとする場所に恐れを抱いている私の気持ちの表れのように見えた。 私が向かっていたのは、私が忌み嫌っていると言って過言ではない「稀代の悪女・北条政子」生誕の地である。 1157(保元2)年、現在の伊豆の国市の寺家の […]

道の駅「 伊豆のへそ」に車を停めて、レンタサイクルで修善寺エリアの多彩な桜を楽しむ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)  

温泉街としても知られる伊豆・修善寺だが、修善寺エリアは場所によってさまざまな品種の桜が植えられていて、長い期間桜を楽しめるという特徴がある。 修善寺は、「修善寺寒桜」でとても有名だ。 境内の6本の大木が開花して、このエリアにもっとも早く春の訪れを告げる。 「修善寺虹の郷」に足を伸ばせば、藤棚、花しょうぶ、しゃくなげなど四季折々の花美しく咲く日本庭園がある。園内各所にはいろいろな桜が植えられており、 […]

道の駅「富士」から、山部赤人が歌を詠んだ「田子の浦」へうち出てみた(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備○立地○)  

「田子の浦ゆ うち出てみれば真白にぞ 不尽(ふじ)の高嶺に雪はふりける」 万葉の歌人、山部赤人が富士を詠んだあまりにも有名な歌で、上記は万葉集の原歌である。 赤人は生没年、経歴ともに不詳だが、奈良時代の下級官人だったことは確かなようで、聖武天皇の紀伊、吉野、播磨などの行幸にお供して歌を詠んでおり、宮廷歌人として活躍。叙景歌に優れ、「万葉集」には彼の歌が長歌十三首、短歌三十六首が入っている。 さて  […]

露天風呂から大井川鐵道のSLが見える!絶景温泉をもつ人気の道の駅「川根温泉」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○) 

絶景で有名な温泉は数あれど、SLが通るのを間近に眺めながら露天風呂を楽しめる温泉となると、おそらくここ「岩根温泉」だけかもしれない。 鉄道ファンにはお馴染みだが、SLが走る大井川鐡道が道の駅の裏を走っているのだ。 そして道の駅付近に鉄橋があって、SLが大井川を渡る姿を見ることができるのである。 シーズンごとに運転本数が変わり、運休日もあるが、春のSL列車通過は12:39頃、15:15頃。また、ジジ […]

道の駅「風のマルシェ御前崎」から、151歳にして現役バリバリの「御前崎灯台」の夕景へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備◎立地○) 

駿河湾と遠州灘を二分して、太平洋に突出した岬の先端に立つ白亜の洋式灯台。「御前埼灯台」は、1874年にイギリス人技師の監督のもとに誕生して以来、150年を超える長きにわたって強風や地震等の被害にも屈せず、美しい姿を保ち今なお現役として海の安全を見守り続けている。 この御前埼灯台は、日本の登れる灯台16基のひとつである。 らせん階段を上って踊り場に出ると、大海原が広がる絶景を見ることができ、天気が良 […]

開通することなく終わった「幻の鉄道」の遺構を使った道の駅「天龍相津 花桃の里」へ(トイレ○仮眠△休憩△景観○食事○設備△立地△) 

鉄道が廃止されたのちに、線路を剝がされた路盤や用途を失った橋脚、トンネル、駅などが遺構となって残っている例は、全国各地でみられる。こうした“廃線跡”ではなく、開業が計画され途中まで実際に建設工事が行われたが完成に至らず、その実現に至らなかった鉄道すなわち“未成線”において、一度も使われることがなかった鉄道の構造物が遺構となって残っている例がある。 その一つが、二俣線の遠江二俣駅(現在の天竜浜名湖線 […]

「熊」と書いて「くんま」と呼ぶ、ローカル度日本一?「道の駅「くんま水車の里」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備△立地△)

浜松市天竜区の北西部に、「熊」と書いて「くんま」と読む地区がある。そして、そこに「回る水車も止まる」ほど静かで、「時間も止まっている」かのような古い道の駅があるという。 「くんま水車の里」だ。店内で接客を担当しているのは、地元・熊地区のかあさんたち。その接客の温かさや雰囲気等から、2022年9月に「所JAPANローカルな道の駅グランプリ」で見事?優勝した道の駅が、「くんま水車の里」である。 だいた […]

しらすしらすのうちにまるで獲れなくなったしらす、困惑の道の駅「潮見坂」へ(トイレ○仮眠×休憩△景観○食事△設備○立地○)

魚類の稚魚のことを「しらす」と呼ぶ。 一般的に「しらす」として直売所やスーパーなどで売られているものはイワシの稚魚であり、河口周辺に集まって日中群れをなしてえさを食べているため、そこを狙って、船で網をひいて漁獲する。「船びき網」と呼ばれる漁法で、「根こそぎさらう」というやり方だ。そして、人間一人が、たった一食で。この丼の上に乗せられたおびただしい数の「魚の子ども」を食ってしまうのだ。 「ご飯が見え […]

内藤昌秀が晩年に守っていた箕輪城から彼が散った長篠へ。道の駅「もっくる新城」で仮眠(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備○立地○)

内藤昌秀は、戦国時代の武田家臣団において「不死身の鬼美濃」こと馬場晴信とともに「武田四天王」と称される。 彼は4度にわたる川中島の激戦を潜り抜け、信玄亡き後は勝頼を支え、最期は長篠の戦いで散った「忠義の武将」としてその名を後世に残した。 昌秀は信玄の代表的な戦には全て参加し、常に武功を立てていたが、信玄からは一度として感状をもらうことがなかった。このことについて信玄は、「修理亮ほどの弓取りともなれ […]

グルメを極めた愛知県最大級の道の駅「とよはし」から、三河国の「一宮」と「総社」へ(トイレ○仮眠△休憩△景観△食事◎設備◎立地○)

一宮 (いちのみや、一之宮)とは、今の都道府県規模の、昔の地域区分旧国の地域内で最も格式が高いとされる神社である。 醜い争いは侵略戦争だけでたくさん。あまり見たくはないが、神社の社格を示す格式を「我こそは一番」と互いに譲らず、旧国地域内に複数の一宮がある場合もままあるようだ。 また、総社 (そうじゃ)とされる神社がある。 こちらは、旧国地域内の主要神社の神々を全て集めて祀る神社 […]

幻のトマトと言われる名倉高原の「ルネッサンストマト」を求めて、道の駅「アグリステーションなぐら」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備△立地△)

「ルネッサ〜ンス!」といえば、15年ほど前だったかテレビでよく見かけた髭男爵のギャグでしょ?お笑い好きの人はそうおっしゃるかもしれないが、本来は古期のフランス語で「再び生まれること」を意味する。そんなん知っとるわ、というご仁。もし、「ルネッサンストマト」という、キュートなハート型が特徴の「ルネッサンストマト」というすごいトマトがあって、その「誕生の地」が三河名倉高原であることを知っていたら、おそら […]