
母校愛が、群馬県を旅している途中、私の足を兵庫県北部・豊岡に向かわせた。
母校「明石高校」硬式野球部の、夏の甲子園大会兵庫県予選の初戦の応援だ。

高校への「母校愛」はそれほど強いわけだが、実は大学への「愛」はからっきしない。
なぜなら、大学運営当局が無能すぎて、「京都市立芸術大学」の代名詞「京都芸大」の名前を、歴史も中身も乏しい拝金主義私学に乗っ取られるというあり得ないことをやっちゃったから。
そして、その後もあまりに弱い「広報力」を高める努力を怠り、すっかり「京都芸大」は事実上瓜生山泥棒猫大学のものになった。
145年という日本最古の芸術の殿堂である事実も、先輩たちが累々と築いてきた創作のクオリティも摘み食いされ、盗人猛々しくのやりたい放題を許している体たらくなのだ。
そんな無能で非力な大学の卒業生であることが恥ずかしくなり、どうしても誇りに思えなくなったというわけだ。
「日本一不祥事多発大学」の略称が「日本大学」「日大」じゃないの?と揶揄されるぐらい大学不祥事の代名詞的存在となった日大OBの中にも、呆れるほど不祥事を重ねる大学当局や不出来な学生に愛想つかし、母校愛潰えた人は多いのではないだろうか。
いきなり話を逸らしたが、そもそも「母校愛」というものはなぜ生まれるのだろうか。
AIに聞いたら、「母校愛が生まれる理由は人それぞれだが、一般的に、在学中の充実した経験、友人との絆、学校への愛着、そして卒業後の母校への貢献意欲などが挙げられる。特に、青春時代を過ごした学校に対する特別な思い入れは、母校愛を育む重要な要素となる。」とした上で、「特に、伝統ある学校や、地域に根ざした学校には、より強い愛着が生まれる傾向がある」と答えた。
明石高校の伝統、母校愛、そして仲間
私が卒業した高校「明石高校」も、私が愛想つかした「京都市立芸術大学」の145年には及ばないが、創立100年を超える歴史と伝統を誇る。

私自身、誇れる理由はたくさんあって明石高校への母校愛は尽きないが、私の同級生「和田直樹」にはとても敵わなかった。
彼は高校時代にバスケットボールに打ち込んだが、私たちの在学中3年間で2度インタハイに出場。ハンドボールやソフトボールなど全国大会常連の部活も多い中で、公立高校としては兵庫県下屈指の進学校でもあり、文武両道を多くの生徒が旨としたが、彼はそんな「生徒像」の象徴だった。
彼は母校の100周年事業の先頭に立って自らの仕事もそこそこに、楽天の三木谷社長をはじめ社会で活躍する何十年にもわたる各学年の卒業生を訪ねた。
公立高校なので「金集め」は素人同然である。
彼はほぼ一人で、寄付金のお願いに日夜奔走。
自らの足で全国を駆け回っていた2年前の夏の夜、車にはねられて死んだ。

古田敦也氏の記念講演も実現した。
自ら中心となって企画し、数ヶ月後に実現した素晴らしい100周年記念事業は、彼の檜舞台ともなるはずだったが、そこに彼の姿はなかった。


これほど素晴らしい式典を作り上げた彼。
私は、彼ほど凄まじい「母校愛」を他に知らない。
彼は、建学の精神「自彊不息」、校訓「自治・協同・創造」を生涯貫き、自ら人生を切り拓いていくたくましい精神と、知・徳・体の素晴らしい調和を持って、生涯にわたって自らの夢や志の実現に努力する心豊かな人間だった。
改めて彼に感謝し、すでに鬼籍に入った同級生たちみんなの「ご冥福」を心より祈る次第だ。

中列右、クリーム色のブレザーがありし日の和田。
左に二人飛ばして、オレンジ色の服が、和田より一足早くあっちに逝った田中。
向こうで会えていればいいが。
甲子園に14度出場
さて「明石高校」で全国的知名度が最も高いのは、おそらく今年100周年を迎えた硬式野球部だろう。
大正13年創部。春6回、夏8回と甲子園に出場しており、あの桑田、清原のPL学園に挑んだ試合など、甲子園のスタンドで2度も母校愛を炸裂させてもらった。
また、中京商業学校(現・中京大学附属中京高等学校)との延長25回にわたる熱戦は高校野球史に残る記録として語り継がれている。
2024年5月には、昨年に行われる予定だった100周年記念試合が雨天中止になったため、1年越しで愛知県の中京大中京高校に赴いての「試合」が実現している。
試合と言っても、伝統の一戦である延長25回の続きをという趣旨。延長26回からのタイブレイクだった。26回は1点ずつを取り合ったが、27回に力尽きサヨナラ負けとなったそうだ。
現在の公式野球部はは3年生、2年生、1年生それぞれ10名に満たないが、平日は学校グランドで練習に打ち込み、休日は県内外の学校との練習試合。そして2025年7月11日午前11時、豊岡市営こうのとりスタジアムで、この夏の兵庫県大会「甲子園予選」の初戦を迎えた。
力は拮抗、息詰まる試合展開

初戦の相手は、「伊川谷高校」。
同じ兵庫県立高校、しかも、校区がダブっているお隣さんの学校だ。

パンフレットを見ると、伊川谷高校のクリーンアップの一角5番を打ってライトを守った松隈くんと、明石高校のエースとして力投した井上くん、ホームランを打った3番ファースト橋廣くん、4番セカンド丸山くんとは同じ中学校。3年前までは野球部で一緒に汗を流した仲間ではないか!
私は、彼らが互いに敵味方で対戦する「特別」な思いもあるだろう、「同窓の対戦」にも注目した。

さあ、試合開始!
後攻の明石高校、守りからだ。
初回の緊張からかトップバッターに振り逃げを許し、クリーンアップに痛打されていきなり3点のビハインドとなった。
ドンマイドンマイ、試合は始まったばかり。一点、一点、追いついていこう!

2回以降、エース井上くんは見事な立ち直りを見せて相手の追加点を阻む。
明石高校は4回に1点を返し、6回には橋廣くんがレフトオーバーの見事なホームランをかっ飛ばして1点差に追い上げた。
そして、勢いに乗ったラッキーセブンの攻撃。
先頭の井上くんがライト右に3塁打を放つ。
このノーアウト3塁で、私を含め、おそらく明石高校応援団が陣取る1塁側は誰もが同点を期待しただろう。
勝負は時の運、両方が勝者!
そして、次のバッターの打球は火の出るような会心の当たりで三塁線を襲う。
普通なら間違いなく三塁線を抜いて長打になる。それが、三塁ランナー牽制のためベース上にいた三塁手の真正面に飛んだことは、不運の極みだった。
井上君は少しだけリードをしていたのだが、三塁に戻れず三本間に挟まれてタッチアウト。井上くんが頑張って挟殺プレーの時間を稼いでいる間に、打ったバッターは二塁へ。
しかし、井上君をタッチした相手強肩捕手の、二塁への素晴らしい送球で間一髪のダブルプレー。
野球には不思議な「流れ」というものがあるが、これで「流れ」は伊川谷高校に行ってしまった。
皮肉だったのは、この攻撃の前の攻守交代時、1点差に追い上げられていた伊川谷高校応援団が太鼓のリズムに合わせて「流れ持って来い、流れ持って来い、流れ流れ流れ流れ流れ持ってこい!」と繰り返したことに、気転をきかした明石高校応援団が、「流れあげない」と何度も応酬。奇しくも「流れ」がどちらに行くかがことさらにクローズアップされたイニングだったこと。
この応援合戦はインターバルの間、延々と続き、伊川谷高校は、明石高校が応酬をやめるまでしつこく続けた(笑)。
昔は、時に「やじる」なんて高校野球にふさわしくないこともあったが、今の応援はマナーが素晴らしい。言葉が綺麗で、明石高校応援団の機転も実に素晴らしかった。
両校応援団同士の一風変わったエール交換に、スタンドは笑顔で溢れた。
とても爽やかな気持ちになった「新時代のエール交換」だった。

若者たちに幸あれ!さあ若者たちの未来をつくる参議院選挙だ
9回に追加点をとられ、最終回の攻撃は無得点で万事休す。
4対2のスコアで、我らが母校・明石高校は、伊川谷高校に敗れた。


いい試合、というか素晴らしい試合だった。
みんなよく打ち、よく守った。
ゲッツーもしっかりとり、ファインプレーも見せてくれた。
エラーは、プロでもよくある、プレーボール直後の最初のプレーだけ。
胸を張れる、素晴らしい試合だった。
さあ、井上くん、藤原くん、橋廣くん、丸山くん、津崎くん、阪口くん、舩本くん、田中くん、櫻井くん!君たち3年生は切り替えて、明日から自分の進路に向かって頑張ろう。
ただ一人の2年生・谷本くんは、長瀬くん、中倉くん、川上くん、山﨑くん、石飛くん、坂口くん、山﨑くん、岡林くん、松田くん、高橋くんたち1年生を引っ張って、新チームで春の甲子園「センバツ」を目指そう。
そして女子マネジャーたち、スタンドで応援した生徒たち、豊岡までは応援に来れなかった友人たち、若者たちみんなの未来に幸あれと願えば、私の涙腺は大崩壊。

選手、マネジャー、監督、スタッフの人たちが最後にスタンドに向かって「礼」をしてくれたが、その姿はもうちゃんと見えなかった。
こちらこそ、「ありがとう!」