「軍人将棋」でしか勝てなかった男が、「将棋」の聖地・道の駅「天童温泉」へ(トイレ◎仮眠△休憩◎景観○食事◎設備○立地○)

天童市は、将棋駒の生産量が日本一である。

天童温泉では毎年のように竜王戦などのプロ棋士のタイトル戦が開催され、将棋ファンが訪れる聖地のひとつとなっている。

そのため、将棋駒のモチーフにしたデザインが歩道・足湯・マンホール・橋など市街のあちらこちらに見られるので、将棋駒を探しながらユニークな温泉街散策が楽しめる。

駒工人の技が光る将棋駒がずらっと並ぶ天童市将棋史料館も必見だ。

なんて言ってるけど、私。

恥ずかしながら、将棋はからっきしダメなのである。

てか、今やほぼ指し方も忘れているという有様なのだ。

ただ、これにははっきりとした理由がある。

私が物心ついた頃「戦争将棋(正式名称は軍人将棋らしい)」が流行っていて、完全にハマった私はその専門家としての道を志向し(笑)気がつけば将棋を楽しむようになった友達の輪に入っていけなかったのだ。

今はもちろん戦争絶対反対だし、子どもとはいえ戦争をイメージして遊ぶなんて不謹慎だとも思う。

が、父の兄たち4人が戦死、母の父親が母0歳の時に戦死。みな靖国神社に眠っているので、毎年参拝を欠かさない私である。

そんな父母のもと、私は幼い頃からなかなか敗戦を受け入れられない大人にも囲まれて、彼らと一緒に戦争の敗北を心底悔しく思い、子供心に「戦争に強くなりたい」一心だったのだと思う。

「将棋」と「軍人将棋」

将棋は、「駒数が減らない」という特性、「コマが寝返る」という発想があって、チェスなどに比べても打ち手のパターンが非常に多い、それだけより複雑なゲームだと思う。

一方、軍人将棋とは、日清・日露戦争の影響を受けて「詰め将棋」を元に陸軍の組織を模して作られていて、元帥から歩兵までの駒を組み合わせて配置し、早く相手の陣地に侵入して大将を取った方が勝ちとなる。
まあ将棋に比べると比べ物にならない、とてもシンプルなゲームだ。

駒や盤の取り方などは時代によって(あるいは製造元によって)多少異なるが、第1次大戦後にはタンクや地雷が、第2次大戦後には毒ガスや飛行機、原爆が登場するなど、現実の戦争に応じてそれなりに進化を遂げてきた。

芥川龍之介の小説「少年」には「行軍将棋」と書かれていて、どうやら大正後期から昭和前期にかけて大流行したようだ。しかし敗戦後平和が続き、遊びも多様化。私が小学校5年生(1968)ごろには友達がやらないようになり、相手が見つからないので私もやめてしまった。1970年代前半ごろはまだ街のおもちゃ屋で購入できたようだが、いつの間にか「軍人将棋」は姿を消していた。

鮮やかに蘇る戦闘の記憶

私が持っていたのは、簡易版である「戦争将棋」と、本格的な「軍人将棋」の2種類。
簡易版の箱はすぐ捨てたので覚えていないが、本格的な方の箱には、白馬に跨った軍人の絵が描かれていた。
どちらも、盤は、折り畳まれた紙製。そこにマス目と陣地が描かれている。
総司令部は自陣の中央最下段中央にあって、陣地は横に8マス、縦に4マス。

総司令部が2マス分を占有しているので、駒の数はそれぞれ31駒で戦う。

その駒は、それぞれ階級や強弱が決められていて、少尉から大将まで、そしてタンクやヒコーキ、工兵、騎兵、軍旗、地雷、スパイまであった。
盤の中央部、通路の周辺にはゲームの説明が記されていた。

他のゲームなら盤と別に説明書がつけられていたり、箱の裏面に説明書きされていたりしたもものだが、盤が紙製だし、そこに一緒に書くことによって節約を考えていたのだろうか。

いや、多分、ルールのことでよく喧嘩が起こったので、すぐ解決できるように配慮してのことだろう(笑)。

盤は紙だが、駒は将棋駒と同じ形の五角形で、大半が木製。

将棋の駒よりチープな木で粗雑な作り。塗装もなく、やりすぎで手垢まみれになり、駒は欠けてボロボロになった。

戦争開始

軍人将棋は、駒の初期配置を自分と相手それぞれで決める。

自陣内であれば何をどこに置いても構わないが、陣地の中で通路への入口となるマス目には軍旗と地雷を置いてはいけない。

駒は、相手に見られないよう、伏せて配置する。

伏せて置くため、競技中頻繁に駒を取ったりめくったりして確認することになるが、誰もそれを面倒と思わなかったし、私などはやり過ぎなのだろう、どこに何のコマがあるか、学校で最強を誇った小4の頃には透視することができていたように思う(笑)。
まあ最強と言っても、ハマっていたのは学校で10人ぐらいだったが(笑)

さあ、駒を配置したら、「戦争」が始まる。
先攻より交互に一手ずつ指す。一回の手番では駒を一個動かす。パスは認められない。駒の移動は、縦横に空いているマス目に一歩である。特別な駒として、動けない駒と自由に動ける駒と一度に複数直進できる駒とがあった。

動けない駒は軍旗と地雷。地雷は使い捨てで移動できないが、ヒコーキ以外の駒を爆破することができるので、これを突入口の手前に置けばどんな駒が来ても駆逐できるのでは、と考えてしまう。後の駒と同じ力を与えられる軍旗も、後に地雷があれば同じ効果があるのでこの位置に地雷と軍旗を置くのは禁止である。

逆に自由に動ける駒の代表は飛行機だ。工兵も、縦横にまっすぐなら複数マス進めたと記憶している。非常に弱い駒なので、特殊能力を与えたもうたのだろう。

戦闘と勝敗

戦闘は駒と駒との強さの比較で、負けた方が盤上から取り除かれる。
敵駒の前後左右のマス目に入った時を戦闘とみなし、勝敗を判定するというルールもあったようだが、私たちは、攻め手の駒が相手の駒のいるところに入り、そこにいた駒の上に置く
ことにより戦闘とみなし、2つの駒を比較して強い駒を残した。
勝敗の判定は、例えば、工兵は地雷に勝つがその他には負け。

スパイは大将だけに勝ち、その他には負け。

タンクは大佐以下を駆逐できるが将官とヒコーキと地雷には負ける。

大将は最強だが地雷とスパイに当たればやられてしまう、等々。

敵の本部に駒が入ることによって勝ちというルールもあったようだが、これは面白くない。
私たちのグループは、大将を討ち取るか相手本部を占拠することで勝敗を決していたように思う。迂闊に大将を敵陣に入れるようなことはできないので、私は中将と少将を最前線で戦わせた。

また、軍人将棋に勝つためには、子どもながらにブラフをかけなくてはやられてしまう。
たとえばヒコーキは前方になら何マスでも進むことができるが、私は敢えて1マスのみの移動で済ませると、相手はこの駒をヒコーキとは気づかないといった具合だ。

あ、すっかり本物の「将棋」、そして「天童」から話が逸れてしまった。

道の駅「天童温泉」

道の駅「天童温泉」は、東北中央自動車道の天童ICから県道23号線、途中から県道13号線を東に合計4km、山形県東部の天童市にある。

一般的に道の駅は土地の安い市街地の外れに建設されるのが大半だが、道の駅「天童温泉」は人口6万2千人の天童市の中心街にある。

周辺は商店や住宅が立ち並んでおり、およそ道の駅らしくない雰囲気。

ただ温泉街の雰囲気は多分に感じられる。

と言うのも、 1912年に開湯した県内最大規模の「天童温泉」がそこにあるからだ。

泉質は硫酸塩泉、切り傷や火傷などに効用があるとされている。 道の駅には入浴施設は無いものの、足湯はあるし、近くには立ち寄り湯可能な温泉施設が多数ある。

もう一つ、天童市で有名なものは「将棋」だ。

将棋駒の生産のシェアが、なんと95%を誇るという将棋のまちで、市内には将棋博物館など将棋に関する展示が多数ある。

駐車場は、施設に近いところはほぼ満車。

広いので、施設から遠いところには停めることができた。

大規模な施設なので、トイレはいくつかある。「質」「量」ともに充実している。

休憩環境としては、屋内外ともに申し分ない。

「米」と「さくらんぼ」!

道の駅には、農作物直売所、物産館、フードコーナー、足湯施設、観光案内所、ベーカリーやカフェ、キッチンカーなどがある。

農産物販売所は、なんと言っても「米」と「さくらんぼ」の存在感がすごい。

山形は味覚の宝庫の呼び声が高いが、まさにその通り。農産物のパワーは想像以上だった。

では物産館はどうだろうか。

物産館で一番人気の商品は、やはり山形名物の「さくらんぼ」と「ラフランス」を使った特産品だ。

さくらんぼとラフランスそのものは旬の時期しか販売されないが、これらを使った加工品は年間を通して販売されている。

特に「山形さくらんぼきらら」と「山形ラフランスきらら」は観光客の人気商品。「さくらんぼタルト」「さくらんぼゼリー」「ラフランス・ラスク」「ラフランス・プリン」など、さくらんぼ、ラフランス関連の商品はとても多い。

「ラフランスジュース」とともに、忘れちゃならない「リンゴジュース」「ももジュース」も大人気だ。

こちらは大きな王将の文字が入った、将棋の駒の形状の「王将最中」。餡の量が多く、質もかなり高いと評判だ。

「おしどりミルクケーキ」、山形の郷土料理の「いも煮」「肉そば」なども販売されている。

やまがたは、酒も美味しい。

物産館の奥にあるフードコーナーは、麺類が中心のメニュー。

長い木箱に盛りつけられた山形名物の「板そば」も味わうことができる。

そして、コーナー全体を見渡して圧倒的に目立つのが、贅沢に使用されている「木」である。

ちなみに将棋盤に使われる木といったら榧(かや)だ。

日本各地に生えている常緑針葉樹で、針葉樹としては硬めの材質。この硬さが将棋盤に使われるようになった要因だ。榧の将棋盤は、音が良いとされています。バチンと響く音が最高だが、さらに弾力があって長い対局でも疲れにくいそうだ。

油分が多く含まれているので、長年使用していても艶がなくならず、使えば使うほど艶のある飴色になっていくのがなんとも言えない魅力だという。
天童の特産は、盤ではなく「駒」の方。

将棋駒で使われる木は、ツゲだ。漢字だと柘植や黄楊。櫛にもよく使われる木材だ。

ツゲは常緑広葉樹で、硬くて緻密で滑らかな肌ざわりが特徴。また、光沢があるので仕上がりがとても綺麗なのだと。将棋の駒に使用されるのは伊豆諸島の御蔵島のツゲが多いらしい。

御蔵島のツゲで作られた将棋駒セットは、安いものでも数万円する。

ツゲ以外にはカエデやオノオレカンバの将棋駒もある。カエデやオノオレカンバはとても硬い木で、彫るのが大変だが、やはり耐久性を考えると硬い木がいいのだろう。

ということで、道の駅「天童温泉」のフードコーナーの木は、おそらくツゲだと思われるが。
スタッフに聞いても、ご存知ではなかった。

ベーカリー、カフェ、そしてキッチンカー。
山形のグルメパワー、恐るべし!