AUTHOR

神生 六

道の駅「宇陀路大宇陀」から「宇陀松山」散策のち「室生寺」「龍穴神社」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○)

現在の宇陀松山は、近世(江戸時代)初頭に宇陀松山城と宇陀川との間の地域が整備された時の町割をもとに、当時の様子をよく残しています。 町には宇陀紙や吉野葛といった周辺地域の特産物が集まり、地域経済の中心として栄えました。宇陀松山には町屋が数多く建てられましたが、それらによる街並みは、宇陀松山城の城下町として栄えた様子を今に伝えています。 この町は、道の駅「宇陀路大宇陀」からほんの100mほど東。その […]

「三稜墓古墳群」から「弥勒磨崖仏」を見たくて「大野寺」へ。紛糾中の道の駅「針テラス」から(トイレ△仮眠✖️休憩○景観△食事○設備○立地○)

三稜墓古墳群は、奈良盆地東にある大和高原の都祁盆地に造られた、前方後円墳1基(東)・円墳2基(西・南)の計3基で構成されている古墳群です。 築造の時期は、発掘調査等により、西古墳は5世紀前半~中葉、東古墳は5世紀後半、南古墳は6世紀頃と推定され、被葬者は都祁盆地の首長と推測されています。 このうち、東古墳と西古墳は、古墳時代中期の大和高原において最大クラスの古墳である事から、県史跡に指定の上で史跡 […]

「金勝寺」の秋冬を楽しむついでに、道の駅「こんぜの里りっとう」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備△立地○)

「金勝(こんぜ)アルプス」は、アルプスといっても標高は一桁違って、標高605mの竜王山と鶏冠山491mが連なった山々のことで、稜線には奇岩が多く、眺望も抜群に良いことから「登山」というよりハイキングコースとして人気があります。 道の駅「こんぜの里りっとう」に車を置いて、ハイキングコースで金勝寺に行くこともできる。 その竜王山中に金勝寺(こんしょうじ)というお寺があるからでしょう、地元ではこの連山を […]

道の駅「草津」にて。「立命館」の大学拡大主義の時代錯誤に物申す(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事◎設備◎立地○)

受験シーズンということで、少子化と大学の在り方について思うところを書きました。最初に結論を申し上げておくと、国力低下と少子化の中、大学は「質的向上」こそ必要であり、立命館大学に代表される時代錯誤の「量的拡大主義」は補助金(税金)の無駄遣いであるとの問題提起です。 立命館大学の2023年度一般選抜の受験者数は88,849名、合格者数は33,404名、競争率は2.7倍でした。2024年度の一般選抜の志 […]

「骨肉の相続争い」なく三兄弟がうまくやっている「岡喜商店」と、すぐそばの道の駅「アグリパーク竜王」へ(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事◎設備◎立地○)

私は、経営コンサルタントの仕事を65歳で「現役引退」しました。元気だし、今も音楽関係とコピーライティングの仕事は少しやっていますが。 経営コンサルタントと言っても中小企業専門。中でも「3代で潰れる」という定説がある「世襲会社」の経営サポートが専門領域でした。世襲会社はだいたい恐ろしくケチ(笑)なので、能書き無用、「結果を出してナンボ」の業務委託契約を結んでの真剣勝負でした。 1つの会社に最低3年間 […]

近江聖人「中江藤樹」にあやかりたいと、「アドベリー」実る道の駅「藤樹の里あどがわ」へ(トイレ◎仮眠△休憩○景観△食事○設備◎立地○)

「私たち人間は、誰もが「愛敬」の心を持って生まれてきます。そのことを忘れず、常に意識して言動に現れるようにしていると、人は人らしく生きられる。そう思いませんか?」「私利私欲や個々のこだわりがあるのも人間です。だからこそ、謙虚に。和やかな顔で、思いやりのある言葉で、やさしく相手を見て、相手の気持ちに耳を傾け、そして思いやることを意識し、誠意をもって人と接することが大切です。そう思いませんか?」 そう […]

坂上田村麻呂を祀る田村神社、その向かいの道の駅「あいの土山」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事△設備✖️立地◎)  

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、今からおよそ1270年前に生まれた、平安時代初期の人物です。天性の才能に優れ、また兵を用いるに神の如くであったと伝えられ、 恒武天皇・平城天皇・嵯峨天皇の三代に仕えました。 当時、東北地方に住む人々は「異種な文化を持つ異民族」と大和朝廷に見なされて、「蝦夷」(えぞ/えみし)と呼ばれていました。奈良時代から平安時代にかけて朝廷は、彼らへの理解が及ばなかっただ […]

「御在所岳」「湯の山温泉」を両方楽しめる道の駅「菰野」(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事△設備△立地◎)  

49万人の受験生が頑張った「大学入学共通テスト」も終わり、受験シーズンもいよいよ佳境です。 三重県菰野(こもの)町の、標高1212mの御在所岳中腹にある奇岩「地蔵岩」には、「絶対落ちない」というご利益にあやかろうと、受験生を家族に持つ登山者たちがひっきりなしに現れては、手を合わせていきます。 写真の手前右に写っているのが地蔵岩ですが、5合目付近に突き出た高さ約2.5メートルの二つの岩の隙間に、1辺 […]

西近江路の途中、見るだけの道の駅「しんあさひ風車村」へ(トイレ✖️仮眠✖️休憩✖️景観◎食事✖️設備△立地○)  

西近江路(にしおうみじ)は、近江国(滋賀県)から越前国(福井県)へと通じる旧街道です。 起点は大津の札の辻。そこから琵琶湖岸を北上して海津町へ向かいますが、ここまでの距離は68km程度。そして海津からは七里半越えを経て、敦賀へと通じています。 近世の宿場としては大津宿・札の辻(大津市札の辻)~衣川宿(大津市衣川)~ 和邇宿(大津市和邇中)~木戸宿(大津市木戸)~北小松宿(大津市北小松)~河原市宿( […]

めっぽう喧嘩が強く、糖尿病とも最期までどつき合って逝った「たっちゃん」

私のようなお調子者の人間を、大阪では「いちびり」と言います。この言葉は、元をただせば語源は「市振る」で、商売が栄える様子を言っていました。小中同級生のたっちゃん(本名:永井達也は、明石では知らぬものはない「永楽堂」の社長として会社を「市振る」大活況へと導きました。そういう意味では、たっちゃんも、めちゃくちゃいちびりだったのです(笑) たっちゃんは、2020年4月、62歳で亡くなりました。彼との思い […]

ジョンもジョージもブーヤンもたっちゃんもニシキ屋楽器店もエレッセも、みんな死んだ。

私がこの世に生まれて、初めて「レコード盤」なるものを購入したのは、明石駅前交差点角の「ニシキヤ楽器店」でした。 当時はどこで買っても同じ値段でしか買えない「再販制度」というものを全く知らず、明石ステーション内のレコード屋とこの「ニシキヤ」を何度も何度も往復し、値段を見比べて(笑)、値段が同じなのは当たり前なのに、今度は目をサラのようにして、ちょっとでも綺麗な状態でビニールに入った方を買っていました […]

一丁23円の豆腐を売っていた大蔵市場の豆腐屋さんと、死んだドンキーが言いたかったこと

60年前、まだ小学校3年生の秋。私は「大蔵市場」の近所、歩いて1分、同じ大蔵中町にある借家に引っ越してきました。この大蔵市場には、学校から帰ると毎日のように「豆腐」を買いに行かされていたので、当時の市場の様子は、はっきり覚えています。 もちろん豆腐の値段も。その豆腐屋さんで、豆腐一丁は23円でした。記憶に間違いはありません、これが昭和40年(1965)の豆腐の値段だったのです。 ちなみに私は今も明 […]

阪神淡路大震災からの人生30年

9年ごとに大きな転機が訪れてきた私の人生。37歳から45歳までの9年間は、私の人生第五章でした。 この第五章は、忘れもしないあの阪神淡路大震災での「被災者」として幕を開け、食っていくための「ライスワーク」からせめて「ライクワーク」できれば「ナイスワーク」をしたいと経営コンサルタントに転じたアラフィフの第六章へ、さらには子育て中心の「愛すワーク」から「ライフワーク」を模索したアラカンの第七章へと、私 […]

大相撲史上最高の名勝負から52年、北の富士を偲んで相撲発祥の道の駅「かつらぎ」へ(トイレ△仮眠✖️休憩△景観△食事○設備○立地○) 

北の富士勝昭さんが、2024年に82歳でこの世を去りました。最期までカッコよく、NHKでの名解説も人気でしたが、古い話で恐縮ですが私は彼の現役時代、玉の海、貴ノ花という足腰が素晴らしい両力士と繰り広げた名勝負、それだけが彼の思い出です。 まだ小学生、そして中学生になったばかりの頃の私は、ライバル横綱玉の海と北の富士の千秋楽の名勝負が大相撲を観戦する最大の「目当て」でした。 今も忘れられないのが、玉 […]

水の神「丹生川上神社下社」に参拝した後、道の駅「吉野路 黒滝」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○) 

日本書紀には、2600年以上前に神武天皇が神の教示を受けて八百万の神々を丹生川上の榊(さかき)に招いたのが「現代祭祀のはじまり」であると記されています。 それからおよそ1300年のち、今からは1350年前の白鳳4年(675)、その丹生川上の榊(さかき)に「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との神誨(しんかい=お告げ)があり […]

「熊野本宮大社」に参拝した後、道の駅「奥熊野古道ほんぐう」と「仙人風呂」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地○) 

本宮(現在の和歌山県田辺市本宮町)に神が祀られたのは、今からおよそ2000年前、第10代崇神天皇の世といわれていますから、ずいぶん昔のことです。 そして昔から、『伊勢へ七度、熊野へ三度』と言われてきました。熊野は、古くから人々の熱い信仰に支えられてきた「聖地」です。 熊野詣が盛んであったのは、平安時代の中期から鎌倉時代にかけてです。延喜7(907)年、宇多法皇以来、法皇上皇の御幸も盛んで白河上皇の […]

「郡里廃寺跡」「段の塚穴」を見学した後、リニューアルした道の駅「みまの里」へ(トイレ◎仮眠△休憩○景観△食事◎設備○立地○) 

道の駅「みまの里」すぐ南にある郡里廃寺跡は、白鳳時代(約1300年前)に創建された県内最古の寺院跡です。これまでの発掘調査で、塔跡、金堂跡や寺域が判明しており、塔と金堂を東西に並べた法起寺式伽藍配置であることが明らかとなっています。特に塔跡は、心礎が基壇下におかれる地下式の構造であり、これは古代寺院跡などでも古いタイプのものにみられる特徴です。 遺跡としての重要性は、創建年代の古さのみでなく、段の […]

「丸亀城」の石垣修復現場、道の駅「恋人の聖地うたづ臨海公園」で、おひとり様。それが何か?(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備○立地○) 

香川県丸亀市にある国の史跡、丸亀城は、本丸の周りを二の丸、その周りを三の丸が囲む輪郭式の平山城です。日本一小さな現存天守を持つ城として知られているほか、高さ日本一という石垣の美しさから「石垣の名城」「石の城」としても有名です。 その丸亀城の石垣が、2018年7月7日の西日本豪雨とその後の台風で、城の南西側の「帯曲輪」と「三の丸」の石垣が2度にわたって大崩落しました。6年以上が経ち、2024年8月か […]

香川氏が逃げ出した「天霧城」から、三豊市が投げ出した道の駅「ふれあいパークみの」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事△設備◎立地△) 

「天霧(あまぎり)城」は、香川県善通寺市・多度津町・三豊市にまたがる山城です。 14世紀後半に讃岐守護・細川氏の被官として入部した香川氏は、多度津・本台山に常の居館を構え、詰めの城として天霧城を築きました。香川氏は相模国香川荘出身の鎌倉景政の後裔ともいわれ、西讃岐に勢力を広げ、讃岐13郡のうち6郡を支配するまでになりました。 永禄元年(1558)香川之景が当主の時、天霧城は三好長慶の弟・実休により […]

中四国最大級の末っ子の道の駅がたった数kmの至近距離に。親である観音寺市に見捨てられる道の駅「とよはま」と道の駅「ことびき」

愛媛県観音寺市に今ある道の駅「とよはま」と、道の駅「ことひき」とは、10キロほどしか離れていません。そのちょうど中間点には「ちょうさ会館」という観音寺市の施設があるのですが、観音寺市はこの周辺の場所に、間近にある2つの道の駅に割り込むようにして、しかもなんと中四国最大級となる新しい道の駅「かんおんじ(仮称)」をおっ建てて、3年後の令和10年度中に開業する計画を進めています。 計画によりますと、「観 […]