
鉄道が廃止されたのちに、線路を剝がされた路盤や用途を失った橋脚、トンネル、駅などが遺構となって残っている例は、全国各地でみられる。
こうした“廃線跡”ではなく、開業が計画され途中まで実際に建設工事が行われたが完成に至らず、その実現に至らなかった鉄道すなわち“未成線”において、一度も使われることがなかった鉄道の構造物が遺構となって残っている例がある。
その一つが、二俣線の遠江二俣駅(現在の天竜浜名湖線天竜二俣駅)と飯田線の中部天竜駅とを結ぼうとした鉄道「国鉄佐久間線」だ。
浜松市の天竜区内で計画され工事も進められていたが、途中まで建設されながら開業しなかった「国鉄佐久間線」。その計画ルートに位置した浜松市の天竜区内には、列車が走る日を夢見ながら鉄道が建設されていた、そのさまざまな「名残」をみることができる。
「国鉄佐久間線」の夢の跡
旧国鉄二俣線遠江二俣駅(現在の天竜浜名湖線天竜二俣駅)と、飯田線の中部天竜駅とを結ぶ延長約35㎞の路線として計画されていたのが、佐久間線だった。
1967(昭和42)年7月に着工された建設工事は、遠江二俣駅~遠江横山駅間、約13kmの区間で進められ、線路の路盤やトンネル、鉄橋の橋脚、架道橋などが姿を現しつつあったが、この区間の路盤工事が50%まで進んだ1980年(昭和55)、開業しても採算が見込めないとして国鉄再建法により工事は凍結された。その後、建設計画は正式に中止となり、「幻の鉄道」の跡地は国鉄清算事業団から天竜市(当時)に一括無償譲渡されたのだ。
実際に建設工事が進められたのは、旧天竜市内に相当する約13㎞の区間。山東(やまひがし)、船明(ふなぎら)、相津(そうづ)、遠江横山の4駅が設置される予定だった。
「国鉄佐久間線」の跡地を有効活用
撤去・原状復元費用の関係もあったのだろう、佐久間線の計画跡地には、今なお建設された当時の姿をとどめたままの構造物が少なくない。全く用途のない路盤やトンネル、架道橋、築堤などが放置されている光景は虚しさを感じさせるが、なかにはその構造を生かした用途が見出され、活用されているものもある。
その代表的な例が、船明ダム湖(天竜川)に架かる全長473.7mの遊歩道「夢のかけ橋」の橋脚だ。
もともとこの場所には、佐久間線の第二天竜川橋梁が架かる予定だったが、橋脚4基が完成しただけで鉄橋の完成までは至らなかった。
そのため、長年にわたって湖の中にコンクリートの橋脚だけが並ぶ異様な光景が、佐久間線建設計画中止の記憶をとどめる象徴的な存在となっていた。

世紀の変わり目の2000(平成14)年になって、コンクリートの橋脚を譲り受けていた当時の天竜市は、これらを活用し、五連の大きなアーチが印象的な遊歩道橋、その名も「夢の架け橋」として整備する。

そして、この橋の整備と併せ、そのたもとにあった相津駅の設置予定地に、「鉄道の駅」ならぬ「道の駅」を設置した。
それが、道の駅「天龍相津 花桃の里」である。
ボートと花桃の里として
道の駅「天龍相津 花桃の里」は、新東名自動車道の浜松浜北ICから国道152号線沿いを北に11キロ。 静岡県西部の旧天竜市(現浜松市天竜区)にある。
駅の横にある船明ダム湖は湖面が広く、また風や波が少なくボート競技に最適な湖で、国内の主要な大会が幾つも開催されている。
また、道の駅の北側の相津地区は「花桃の里」として有名だ。


毎年3月中旬から4月上旬にかけて、約500本の花桃が咲き乱れる。遺構を利用してつくられた船明ダム湖を横断する「夢のかけ橋」は、鉄道用としては日の目を見なかったが、歩行者・自転車利用者にとって絶景ポイントに生まれ変わり、多くの観光客を集めている。

佐久間線は夢に終わったが、鉄道の駅に代わって設置された道の駅が、相津地区活性化の役割を引き継いでいる。
小さいが人気の高い道の駅


道の駅には、物産館、農作物直売所、レストランがある。

いずれの施設も小さく、道の駅としては小規模な部類だ。
駐車場も、駐車可能台数は47台と少ない。ただ浜松市内、および旧天竜市中心街から近いので、平日でも多くの客が訪れて混み合う場合があるという。
私が訪れた日は天気があまり良くなかったのか、とても空いていたというかガラガラだった。

トイレを含めて、木造の素朴さが魅力。
施設規模なりの、小さなトイレだ。


休憩のためのベンチも、全て木であり、年季が入ってきていい味を出している。私はこういう雰囲気は大好きだ。
というか、休憩はぜひ「夢の架け橋」へ。絶景が楽しめる。





道の駅の人気商品は、物産館入り口で販売されている「花桃ソフトクリーム」、 レストランで味わうことが出来る「花桃カレー」、物産館で販売されている「小麦まんじゅう」の3品だ。

はっきりと、「一押し名物」として打ち出されている。
敷地内に、「はるのポーク」の無人販売所がある。

