「石州口の戦い」跡から東へ、道の駅「サンエイト美都」から「美都温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事△設備△立地○)

岸静江は、第二次長州征討の際の石州口の戦いにおいて、単身で関門を守ろうとして討ち死にした幕末の浜田藩士です。名を国治といい、1836年、越智松平家に仕える岸家の長男として群馬県に生まれますが、その年の国替えで浜田の人となります。少年期は極めて優秀な成績で、江戸への遊学も経験した秀才でした。 1860年に浜田藩第4代藩主松平武聡の近習として召し出され、1866年には岸家の家督を継ぎ禄高110石の物頭 […]

道の駅「ごいせ仁摩」にて、尼子氏の盛衰を振り返る(トイレ◎仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地○)

尼子氏は、元を辿れば近江(滋賀県)の京極氏の流れで、出雲国守護代でした。応永二年(1395)、江州京極高詮の守護代として富田城に入り、出雲・隠岐両国を治めようと決意したのは尼子持久です。その後、持久の子・清貞が家督を相続して京極からの独立を図りますが、この時は失敗に終わりました。その二年後、富田城を攻め、乗っ取りに成功したのが清貞の嫡男・経久です。守護京極政経に対抗して戦国大名として独立を果たした […]

道の駅「サンピコ江津」から、中国地方の覇者・毛利元就の戦いの軌跡を辿る(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)

毛利元就は、互いに対立していた大内氏と尼子氏の双方に仕えながら、多くの戦いを経験しました。元就の時代は、まだ鉄砲の普及が無かった時代です。また、複雑な地形を利用した山城が多く、どれも攻略が難しいものばかりでした。元就の戦いでは、「調略」を用いて多くの戦いに勝利しています。人は、元就のことを「謀神」と呼ぶくらい、謀略に長けた武将でした。籠城戦でも、10倍の兵の尼子氏の大軍を打ち負かした戦いもありまし […]

道の駅「舞ロードIC千代田」はかつて「有田中井手の戦い」があった場所だが(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○)

のちに中国の覇者となった毛利元就の初陣は、永正14年(1517)の有田中井手の戦い(有田合戦)。時に元就21歳でした。この戦いは、圧倒的な大軍を少数で破った戦いとして、織田信長と今川義元が戦った「桶狭間の戦い」になぞらえて「西の桶狭間」などと言われることがあり、元就の指揮を絶賛する向きがありますが、実は元就が全軍の指揮をとっていたわけではありません。 毛利の当主である幸松丸は幼く、もちろん出陣はし […]

三原と言えば「三原城」、三原城と言えば「小早川隆景」。道の駅「みはら神明の里」で地方都市の未来を考えた(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地○)

小早川隆景は、毛利元就の三男として生まれました。隆景はわずか12歳で竹原小早川氏を相続し、天文19年には本家となる沼田小早川氏を相続。天文20年に沼田小早川家の高山城に入り、翌21年には沼田川を挟んだ向かいの新高山城へ。 そして、永禄10年に、海の交通に直結する三原城の築城を始めたと伝わります。沼田東町納所には小早川家の菩提寺である米山寺があり、初代実平から17代隆景までの宝篋印塔(国の重要文化財 […]

道の駅「たけはら」で、竹原市の行政無能と期待することの無理とを確信(トイレ✖️仮眠△休憩✖️景観✖️食事✖️設備✖️立地△)

広島県竹原市の人口は昭和55年の約3万7千人をピークに減少に転じ、令和2年度の国勢調査では約2万4千人。40年間で約1万3千人が減少しています。年齢構成でみるとやはり高齢人口の増加が著しく令和2年度の高齢化率は42.1%で、昭和55年から約19%増加。逆に進学期,就職期に若い世代(10代後半から20代前半)の年齢層が大幅な転出超過となっていて、少子高齢化が急速に進んでいるのです。 竹原市ではこの少 […]

道の駅「湖畔の里福富」で、湖面に映り込んだ紅葉狩りを堪能(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備◎立地○)

福富ダムは、広島県の沼田川総合開発事業により建設されたもので、流域の洪水調整、既得取水の安定化、河川環境保全のための流量確保、水道用水の確保を担う、流域2つ目の多目的ダムです。ちなみに1つ目は、沼田川支流の椋梨川に建設された椋梨ダム。集水域160㎢を有し、昭和44年に完成しています。このダムも多目的ですが、水力発電用水の役割も担っています。 福富だむは、1968(昭和43)年の予備調査着手から20 […]

道の駅「よがんす白竜」から、椋梨ダム55年ぶりの常時満水位を見物(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事◎設備○立地○)

「椋梨ダム」は、山陽自動車道の河内ICから国道432号線を北に20km弱、 もしくは山陽自動車道の三原久井ICから国道486号線→国道432号線を北西にこれも20km弱走って到着する、 広島県南部の旧大和町(現三原市大和町)に昭和44年に完成した多目的ダムで、「白竜湖」はこのダムによって出来た湖です。 椋梨ダムでは現在、水力発電設備の試験運転のため、一時的に貯水位が「常時満水位」と呼ばれる最高水位 […]

道の駅「豊平どんぐり村」のトップシーズンは、やはり秋(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○)

私もかつてそうでしたが、落ちているどんぐりを見つけては、その木を無邪気に「ドングリの木だ」などと言っていました。しかし「ドングリ」とは、実の形状を表しているに過ぎず ドングリという名前の木はありません。 たとえば、これは「コナラ」の木です。 ドングリがなるのはブナ科の樹木で、ブナ科はさらにブナ属、コナラ属、シイノキ属、マテバシイ属、クリ属に分かれます。落葉樹だろうと決めつけていましたが、常緑樹もあ […]

「郡山合戦」と「郡山城」を道の駅「北の関宿安芸高田」から高みの見物!(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事◎設備○立地○) 

尼子晴久が三万の大軍を率いて吉田郡山に侵攻してきたのは、天文九年(1540)のことです。最初、尼子軍は「風越山」というところに本陣を置きました。風越山は郡山城からやや遠い上、標高も555メートルと高く、大軍の収容には向かないところでした。ここを本拠に郡山攻撃をするつもりというよりは、ここは単なる「着陣地」。「後方兵站基地」のような役割と多少の「防御機能」を整えるためだったようです。 尼子軍はほどな […]

「毛利元就」の「謀略に明け暮れた処世術」について、道の駅「三矢の里あきたかた」で考える(トイレ◎仮眠△休憩○景観○食事○設備◎立地○) 

サッカーJ-1サンフレッチェ広島は、1992年4月24日に広島市をホームタウンとして誕生したプロサッカーチームで、言わずと知れたJリーグ創設期からの「オリジナル10」のひとつ、名門中の名門です。今シーズンも非常に強く、最終節で惜しくも優勝は逃したものの、J−1最多得点の攻撃力は本当に素晴らしいものでした。 私は、幼少期の数年、広島県(福山市)で育ったということから、このチームのファンであってもおか […]

中世の名城「三隅城」へ。道の駅「ゆうひパーク三隅」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

三隅城は、この地の豪族・三隅氏の初代兼信が、三隅の町並みの東方にそびえる標高362mの高城山(たかじょうざん)の頂上に寛喜元年(1229)に築いたもので、三隅氏代々の居城でした。中世の石見における代表的名城の一つで、十指に余る支城を持ち、難攻不落を誇っていました。 南北朝の頃には、南朝方にくみした三隅氏四代兼連(かねつら)が、暦応5年(興国3年、1342)周辺の諸城を落として攻め寄せた上野頼兼の軍 […]

浜田藩の「浜田城」と「浜田港」。道の駅「ゆうひパーク浜田」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)

石見国(島根県)浜田藩(松平右近将監家 石高六万一千石)は、江戸時代末期の長州征伐(幕長戦争)において長州軍と交戦したことで知られています。幕長戦争は、江戸幕府が倒幕の急先鋒であった長州藩を攻撃した戦いで、元治1年(1864年)と慶応2年(1866年)の2回にわたって行われました。浜田藩は、第二次幕長戦争の「石州口の戦い」に参加し、長州藩と戦っています。 この第二次幕長戦争に際して、浜田藩は幕府軍 […]

道の駅「大社ご縁広場」から、「出雲大社」に参拝(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

山陰自動車道の出雲ICから国道431号線及び一般道を通って北に9km、 島根県北東部の旧大社町(現出雲市大社町)に「道の駅 大社ご縁広場」があります。ここからは出雲大社の一の鳥居がはっきりと見えます。 参拝前に立ち寄ると、無料で利用できる足湯でスッキリしてから参拝できたり、大社参りが初めての方は出雲大社の情報を仕入れたりできて便利です。 以前は道の駅とは言うものの、物産館もレストランも無く観光案内 […]

道の駅「キララ多岐」から日本海を見ていると「温泉津」まで足を伸ばしたくなった(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備◎立地◎) 

道の駅「キララ多伎」は、島根県の日本海沿いのほぼ中央に位置する多伎町(出雲市)にあります。松江方面から国道9号線を西にひたすら走ります。山林風景が続きますが、やがて右手(北側)に海が開け、前方にキラキラと輝く海岸の景色が見えるのですが、まさにそこに道の駅「キララ多伎」はあります。 施設の外観は北欧風のレンガ造りで、とても温かみのある建物です。建物の中に入る前に、道の駅キララ多伎から、海への階段を降 […]

「三段峡」へ。道の駅「来夢とごうち」から(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備△立地○)

「三段峡」とは、広島県の北西部に位置する安芸太田町を流れる柴木川の上流にあり、1953年(昭和28年)には国の特別名勝に指定された由緒ある峡谷です。全長16kmにもおよび峡内には、100mもある絶壁に囲まれた「黒淵」や、切り立った断崖の上を猿が飛び交ったことに由来する「猿飛」など数多くの名所が存在します(写真は猿飛に向かう道中の絶壁)。 また、三段峡には非常に多くの植生物が生息しているので、危険な […]

道の駅「ロード銀山」から、世界遺産「石見銀山」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備○立地○) 

「石見銀山(いわみぎんざん)」とは、島根県の中心部、大田市にある日本最大級の銀山のことで、現在は廃鉱になっています。石見銀山の最盛期には、世界にある銀のうち、3分の1が日本で産出したものだと言われていましたが、その大部分が石見銀山で産出されたものだったという程です。 なお、世界遺産には「石見銀山」として登録されていますが、日本では時代によって「大森銀山(おおもりぎんざん)」「佐摩銀山(さまぎんざん […]

道の駅「広瀬・富田城」にて難攻不落の「月山富田城」と下剋上尼子氏を偲ぶ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地○)

月山富田城は標高190mの月山を中心に、飯梨川に向かって馬蹄形に伸びる広大な山城です。一見しただけでは、山の頂に点々と石垣と土塁が残るだけのシンプルな景観。ですが実は、歴史好きの間で日本随一とも評される山城。周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことのできない立地条件を備えてもいて、中国地方における中世城郭の代表的な城跡とされています。 山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複 […]

道の駅「本庄」なら、「日本海」と「中海」の両方が近い(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地◎)

宍道湖と並んで山陰を代表する湖「中海」の北側の湖畔に「道の駅 本庄」はあります。ここに向かう際に高速道路(山陰自動車道)を利用する場合は、米子ICもしくは松江ICを降りることになりますが、どちらかと言うと、山陰自動車道の松江JCTで降りる方が近いでしょう。高速を降りたら北東に13km走るだけです。走行距離最短で行きたい方はこの松江JCTからのアクセスの方が良いと思います。 もう一つ、山陰自動車道の […]

国宝「松江城」へは、宍道湖畔の道の駅「秋鹿なぎさ公園」からが一粒で2度美味しい(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

昔から人間は争いごとが大好きで、日本だけでなく世界中で、人の財産だけでなく命が奪われるという歴史が繰り返されてきました、いや、今も繰り返されています。そこでこの国においては、大事な財を守るため、敵から身を守るための建造物や土木施設ができるようになりました。それが城のはじまりです。 つまりお城は防衛施設であり軍事基地です。お城と聞いて石垣や天守を想像するかもしれませんが、これらは中世から近世城郭の歴 […]