関東一円を制した名門「北条家」が滅亡したきっかけは「名胡桃城事件」。道の駅「中山盆地」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

槍一本、刀ひとつで下剋上を果たした武将もいれば。

かつて栄華を誇った超名門があれよあれよと滅亡したのが戦国時代である。
戦国時代にあって格が違った名門といえば、北条家だったろう。
初代・北条早雲から、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代に渡って勢力をどんどん拡大して関東一円を広く治め、我が世の春を謳歌した、名門中の名門だ。

その北条家が、こともあろうにチンケな男・真田昌幸の城「名胡桃城(なぐるみじょう)」を最悪のタイミングで奪ってしまったことが、あの「北条氏」が滅亡してしまう、その引き金になるとは。

いったい誰がそんな展開を予測できただろうか。

名胡桃城事件とは、「北条家が、真田家から名胡桃城を奪った」、それだけのこと。
戦国時代では日常茶飯事、いつもなら事件にもならない小さなことだったが…

本能寺の変で関東甲信越は大混乱

天正12年(1582年)3月。織田信長が武田家を滅亡させると、その年の6月、今度は「本能寺の変」で信長・信忠親子が死んだ。

主役信長が突然いなくなった後、秀吉の登場によって畿内周辺は一応収束したものの、関東甲信越は大混乱に陥った。

関東甲信越地方とは、当時の信濃(長野)甲斐(山梨)上野(群馬)の三カ国、旧武田領である。この武田家の所領をめぐる争いは「天正壬午の乱」と呼ばれるが、この地をめぐって徳川家康、北条氏政、上杉景勝たちが土地を奪い合い、その狭間に信濃や上野に影響力を持った真田昌幸がいた。

真田家は、徳川、上杉、北条を相手にした厳しい戦いの中でしぶとく生き残る。当主・真田昌幸は、自領を守るためには、北条、徳川、上杉らと手を組んだり離れたり。あまりにも節操なく立場をころころ変えるので「表裏比興の者」と軽蔑もされつつ、どうにか独立勢力としてのポジションを保っていた。

真田V.S.北条

ここで、真田と北条双方にとっての「沼田領問題」が発生する。

沼田領とは、現在の沼田市を中心とした群馬県北部一帯だが、関東から見れば越後や信濃へ通ずる分岐点で、北条にとっては絶対に確保しておきたい交通の要衝だったし、同地方に勢力を築いていた真田にとってはこの地を失うことはほぼ死を意味した。

この辺りは「沼田城(群馬県沼田市)」を中心に細かい城が乱立しており、利根川を挟んで西側、現在の群馬県利根郡みなかみ町に、真田の「名胡桃城」はあったのだ。

ややこしかったのが、この名胡桃城が、北条家の小川城、明徳寺城、沼田城に取り囲まれていたことだった。だから北条方にとっては、名胡桃城周辺も北条の領地という認識だった。なので北条家はこれを真田から強奪したのだ。

これが「名胡桃城事件」である。

名胡桃城はボクちゃんのもので〜す

真田昌幸は、何せ小頭の良い、しばしば卑怯者とされた「風見鶏男」である。

彼は、すかさず城を奪い返すなんて野暮なことはせずに、なんと秀吉に「言いつけた」。

「せんせ〜い、ぼくのお城をとった悪い子がいま〜す」てなもんである。

この頃、秀吉は「大名同士は勝手に合戦をしたらダメ」という「惣無事令」を出したばかりだった。このタイミングでの北条の名胡桃城強奪は、秀吉の命令に背いた行為。これを許せば秀吉のメンツは丸潰れである。
そのことをまんまと計算に入れて、昌幸は秀吉に訴えたのだった。

対して北条家は、「沼田領は1/3が真田で、2/3が北条と決められており、境界線にあった名胡桃城は北条のものである」と主張した。

しかし結果は、秀吉は真田の訴えを認めて、小田原征伐が決定する。

かくして関東で五代続いた戦国大名・北条氏は、小田原征伐の大軍に攻められ、滅びてしまったのである。

秀吉による小田原征伐の陣図/引用photo by R.FUJISE

道の駅「中山盆地」

道の駅「中山盆地」は、名胡桃城から南に5kmほどの場所にある。

関越自動車道の沼田ICから国道120号線→国道145号線を通って西に15km。

国道120号線と国道145号線は、長野県上田市から栃木県日光市まで繋ぐ「日本ロマンチック街道」の一部である。道中には利根川の大規模な河岸段丘やヨーロッパの古城を再現したロックハート城があって、「ああそれでロマンチック街道なのね」と私も納得した次第。

道の駅周辺も、景色はいい。

これは盆地ならではなのだろうか、山々と、田畑とが織りなす景色。

私は、日本には馴染まないものを無理くりつくったロックハート城などより、元々日本にある景色の方が、違和感なくとてもほっこりできるのである。

駐車場には、かなりの台数が。道の駅の立地は、昔ながらの交通の要衝。さすが。

トイレは、とても素晴らしい。

休憩環境としては、景色の良い屋外だけでなく、施設内の充実ぶりに目を見張った。

道の駅に付帯する温泉施設としてはハイレベル

道の駅の施設は、農作物直売所を兼ねた物産館、レストラン、温泉、カフェ、コテージ。
一番人気は、温泉だ。

泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物を含んだ低張性の弱アルカリ泉。

低張性温泉のため体への負担が少なく長湯をしても大丈夫。ゆったりと湯を楽しむことができる。

浴槽は御影石を使った高級感のある内湯と、大きな露天風呂が魅力。
週毎に男女入れ替わりの2つのサウナ(高温と低温)がいい。

特筆すべきは露天風呂から見る風景だ。

私が見た昼間の田園風景も素晴らしいのだが、夜に来れば星空が更に格別なのだとか。 周囲に街灯が無く、真っ暗な世界に星空が輝いて、まるでプラネタリウムのようなのだと。

温泉施設内では食事も提供している。

物産館では「高山きゅうり」と「ビーツ」に注目

温泉施設の横に、農作物直売所を兼ねた物産館がある。

注目したいのは高山村ならではの2つの高原野菜だ。

一つは「高山きゅうり」。

高山村で古くから受け継がれたキュウリで、直径は約10cm、長さは約30cm、色は白くてまるで瓜のようなインパクト抜群のきゅうりで、色々な加工品がある。

もう一つは「ビーツ」だ。

高山村では有機農園「kimidori farm&kitchen」で栽培されており、その加工品が本駅に出品されている。 ビーツには血圧降下やむくみ改善などの健康効果があり、道の駅の人気商品となっている。

その他にも高山村の食材は、とても美味しそうなものばかりだ。