
旅は群馬県に入っているが、この群馬県の認知度はとても低い。
私の知る限り、47都道府県の中で過去魅力度評価で確か40位以上になったことはないはずだ。
ただ、群馬県は知らないけれど、赤城山と国定忠治を知らない者は、今の若い人にはたくさんいるだろうが私の世代にはいなかった。
反論は多いだろうが、「国定忠治こそ群馬をPRした第一人者である」とする向きはかなりある。
「男ごころに 男が惚れて 意気がとけ合う 赤城山
澄んだ夜空の まんまる月に 浮世横笛 誰が吹く
意地の筋金 度胸のよさも いつか落目の 三度笠
云われまいぞえ やくざの果てと 悟る草鞋に 散る落葉
渡る雁がね 乱れて啼いて 明日はいずこの 塒やら
心しみじみ 吹く横笛に またも騒ぐか 夜半の風」
昭和14年に東海林太郎が国定忠治を歌ったこの「名月赤城山」が、その後三橋美智也、美空ひばり、五木ひろし、島津亜矢、氷川きよしなど多くの大物歌手に歌い継がれてきていること。死後の忠治は時代が閉塞状況となるたびに国家権力と戦う民衆のヒーローとして映画や芝居などを通して甦り、明治以降、歌舞伎を含めた舞台から講談、浪曲、映画と数え切れないほどの芸術作品に登場し続けてきたこと。国定忠治がモデルになったとされるテレビドラマ「木枯し紋次郎は1972年から夜10時台に放送開始となったが、何と視聴率30%超の驚異的な人気を博したことなどが、その根拠である。
旅で群馬県に入り、忠治が処刑された場所に向かった。
そこは深い山々に囲まれた群馬県北西部の東吾妻町の大戸地区。高崎から榛名山南麓を通る街道の宿場町である。関所跡近くに「国定忠治処刑場跡」という標柱があり、忠治地蔵が立っている。碑や柵には、なぜか関西の親分衆の名前が刻まれていた。
私は死に際してどういう態度でいるだろうか
何を隠そうハゲを隠そう私なども、「えいやっ!」と人生の転機で何度か覚悟を決めたが、その際にはいつも国定忠治のことを思い起こしてきた。
思い起こしたのは、彼の生き様ではなく、死に様である。
1850年、数え41歳の年に関所破りの罪で幕府に捕まった忠治。
磔の刑に処される前日。忠治は上州の地酒を一椀所望し、ほろ酔い加減で眠りにつくと、そのいびきは雷のようだったと伝えられている。己の死に直面し、普通だったら嘆き悲しみおろおろして、熟睡どころか寝ることすらできないだろうに。
さらに驚くのは翌日。いよいよ刑場に向かうとき、忠治は地酒をぐいっと飲み干した。だが2杯目は断る。「死に臨んで酔ってしまっては、死を恐れたことになってしまう」というのが理由だった。
天下のお尋ね者を見ようと集まった約1500人の群衆。忠治は従容として磔台にのぼり、刑吏に向かってまずは礼を述べたそうである。
そして一槍突かれるごとにカッと目を見開いて見物人を見回し、何と13回もそれを繰り返して、14回目にして息絶えたと史伝は記している。
幕府は見せしめを意図したが、希代のアウトロー忠治の世間の評価は、この磔の刑による死に様によってより高まったと言われている。
群馬伊勢崎代表・国定忠治V.S.静岡代表・清水次郎長
国定忠治は、上州(群馬県)は国定村の生まれ、江戸後期の博徒である。激変の時代を腕っ節の強さと度胸の良さで生き抜き、関東一円にその名を知られた親分だ。
そう、ただの、やくざ者だ。しかし義理人情に厚く、天保の飢饉の際は私財をなげうって貧しい人たちを救った俠客との評価もある。ただ、2010年5月、忠治生誕200年の記念イベント開催をめぐって前年就任した五十嵐清隆市長が「歴史的に評価が分かれている人物に税金をかけるのはいかがなものか」と難色を示したのをきっかけにイベントは中止となり、用意されていた携帯電話のストラップや冊子の配布も取りやめになった。
同じく生誕200年に際して、同じやくざ者であまりに好対照な扱いを受けたのが、清水次郎長だ。
数え49歳で警察署長に就任し、富士のすそ野の開墾など後半生を社会事業に尽くした清水次郎長は、生誕200年の際に故郷の静岡市は動画を作成。任俠を「chivalry(騎士道)」と訳した英語字幕版も作成して「ジロチョー」を世界に発信した。また、彼の生家は国の有形文化財ともなっている。
あまりに好対照なのは本人の生き様もそうだが、伊勢崎と静岡もである。
草葉の陰で忠治、次郎長は、それぞれどんな思いでいるのだろうか。
東京ドームが4個入る広大な道の駅「ぐりーんふらわー牧場・大胡」
道の駅「ぐりーんふらわー牧場・大胡」は、関越自動車道の渋川伊香保IC、或は赤城ICから東に約15キロ。 国道353号線を東に進んで、道の駅「ふじみ」を過ぎ、 その上を走るとチューリップの歌が聞こえるメロディーラインを越えると間もなく到着する。

この道の駅は、ぐりーんふらわー牧場を中心とした広大な道の駅で、月並みな表現だが「東京ドーム約4個分」の広さがある。
その広い敷地に、農作物直売所は西端に、レストランは東端に、動物ふれあい広場は南東端にと、道の駅の施設が園内各所に散らばっているため、 道の駅の施設内でも車での移動が必要だ。

駐車場もトイレも、各施設ごとにある。




この道の駅の売りは、とにかく、メチャクチャに広大な公園(牧場&緑地)。


公園の向こうに、伊勢崎の街並みが見え、そしてその一角に、国定忠治が生まれた国定村もある。
ということで、そのアピールのためにあえて選択した施設配置と思われるが、いずれにしてもこのデカさは道の駅としては珍しいだろう。
シンボルはオランダ風車
そんな広い道の駅のシンボルとなるのがオランダ風車。


旧大胡町が町のシンボルとしてふるさと創生事業により平成3年に作ったものである。
羽根は直径18.8m、風車塔の高さは22m、ただ風車と名が付いているものの風で回るのではなく、 モーターの機動力によってゆっくりと回転する。このため風が吹いていなくても一定の速度で風車が回るのだが、この日はかなりの強風、勢いよく回る風車を見てみたかった。
新鮮野菜が売り切れ続出の農産物直売

商業施設としては、農作物直売所とレストラン。
農作物直売所では地域の新鮮野菜を販売しているが、私が訪れた時間帯が遅かったのだろう、かなりの商品が売れてしまっていた。




レストランでは「もつ煮定食」が店の推しメニュー。
そば、うどん等のポピュラーな軽食?メニューもある。



