
下呂温泉、有馬温泉、そして草津温泉。
草津温泉は言わずと知れた日本三名泉の1つである。
草津温泉の自然湧出量は日本一を誇り、毎分32,300リットル以上。1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しているということだ。草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのはこのおかげである。
そして、驚くべきはその泉質!
日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)。雑菌などの殺菌作用は抜群なのだ。
そんな草津温泉は、古くからたくさんの人々の心と体を癒し続けてきた。
エルヴィン・フォン・ベルツ
今でこそ「国際観光リゾート」という言葉は誰にも理解されるようになったが、明治の時代、日本のリゾート地が世界に紹介されるということは非常にまれであった。
その時代に、草津温泉は世界に「世界第1級の温泉保養地(リゾート)」として紹介されたことがある。
その紹介をした人物こそは草津の恩人と言われる、ベルツ博士=Erwin Von Balz(エルヴィン・フォン・ベルツ)であった。
ベルツ博士は明治9年に政府の招きで来日し、東大医学部の前身である東京医学校で26年間、生理病理、内科、婦人科の教壇に立ち、日本医学のために多大な貢献をした人である。
ベルツ博士は明治11年頃から草津温泉に数回訪れ、温泉を分析し、正しい入浴法を指導すると共に、世界に草津温泉の素晴らしさを発信した。
「草津は高原の保養地として最も適地である。草津には優れた温泉のほか、日本でも最上の山と空気と全く理想的な飲料水がある。こんな土地がもしヨーロッパにあったらどんなににぎわうだろう」と。

武士の「隠し湯」
ベルツ博士から時代は300年ほど遡る。
戦国時代に、信玄や謙信の「隠し湯」という言葉があった。
戦国の武将がいかに温泉好きであったかを表す言葉であるが、本来は「温泉を制する者は権力を手にする」という意味を持った。温泉は、刀傷を負い疲弊した兵士たちを治癒する「心身再生の場」、つまり野戦病院であったのだ。
そして“効く”温泉をもつことは、群雄割拠の乱世を制する武将の必須条件となっていく。
その流れの源には、さらに600年近く遡って、後に鎌倉幕府を開く源頼朝がいた。
頼朝は伊豆山神社のふもとの横穴式源泉「走り湯」の温泉パワ−に魅せられた。走り湯は頼朝が北条政子と忍び逢い結ばれた伊豆山神社の「神湯」として篤く信仰されるようになったが、頼朝は源氏再興の兵を挙げるに際して伊豆山に祈願し、走り湯で禊をしたのであった。
戦国武将の中で温泉好きの筆頭格は、上杉謙信だろう。
謙信は燕温泉、関温泉、貝掛温泉など現在の新潟県に多くの「隠し湯」を持っていた。武田信玄も、山梨・湯村温泉で戦の傷を癒した記録が残っている。この温泉は、当時は「島の湯」と呼ばれていた。
目立った温泉のなかった尾張三河の武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が外へ外へと勢力を拡大したのは、温泉地を手にしたい思いも強かったに違いない。
この3人で言えば、志半ばで本能寺に散った信長以外、天下人となった秀吉は「有馬」を、家康は「熱海」を掌中に収め、ともにわが国を代表する温泉地に発展させている。
天下人が愛する温泉は、武将にとっては権力、庶民にとっても健康・元気の象徴となった。
湯治文化を広めた徳川家康
関ヶ原の戦いから4年後の1604(慶長9)年、徳川家康は熱海で湯治をした。
この瞬間、その歴史的事実をもって、「温泉大国熱海」の位置づけは決定したと言って過言ではないだろう。熱海は天下人家康によって、数ある名湯から選ばれた「温泉の中の温泉」となったのだ。しかも家康の湯治は、世界でも類を見ない温泉と庶民の濃厚な関係を形成する端緒ともなった。
熱海の湯に絶大な信頼を置いた家康は、関ヶ原で自分に忠勤した吉川広家のために伏見(京都)へ5桶の湯を運ばせたり、病気療養中の部下の立花宗茂にくみ湯を使わせている。
家康の熱烈な温泉好きが伝わって、歴代の将軍たちも温泉に執心した。8代吉宗などは1726(享保11)年からの8年間に、熱海の湯を3643樽も江戸城へ運ばせ湯治をしている。将軍への献上湯の湯元である熱海などにとって、「くみ湯」は格好の宣伝となった。「将軍さまがお城までわざわざ運ばせるほどだから、温泉は余程効くのである」と。
徳川家康は温泉ブームに火をつけたが、それを後押ししたのは江戸初期の学者、後藤艮山だった。彼が温泉の治癒力を称揚して以来、湯治は「治療医学」として、その後江戸時代の多くの学者の研究に根強く受け継がれていった。
温泉地が大きく発展した江戸時代、そしてベルツ…
それをベルツが認めたことは、今や日本一であるが海外からも観光客が押し寄せる「国際観光リゾート地・草津温泉」となった、その「世界への扉」を大きく開いたのであった。
ベルツは「持続性の温浴について」と題する論文を、1884年に『ベルリン臨床医学』に発表した。これは群馬・川中温泉のぬる湯での「長時間浴法」に関するもので、わが国の湯治を海外に報告した最初のものとなった。
さらにベルツを魅了したのは、草津の熱湯による「時間湯」の入浴法とその効能であった。
明治時代に来日したドイツ人の顧問、講師などは「お雇い外国人」と言われたが、その多くは数年間の契約で働きその後ドイツへ帰国したが、ベルツは実に 29年間にわたり日本で活躍した。そんなベルツは草津に約4haの土地を取得してまでして、自ら温泉保養地建設を目論むが、「外国人に温泉は供給できない」と拒否されている。
ベルツは長い日本滞在の間に、日露戦争を研究し、1904年、「Ueber den kriegerischen Geist und die Todesverachtung der Japaner」(日本人の戦士的精神、死を軽んずることについて)という小論をドイツの新聞に掲載。日本人の死活観を紹介した。
のちにナチス政権は、ドイツ人もこの同盟国日本の「死を恐れない」価値観を見習うべきだという趣旨でこの論文を拡大解釈して再販したが、これはこれベルツの死後相当年数を経てのことであり、何より独裁政治を嫌っていた彼の遺志とはとうてい相容れないことであった。
草津町では昭和9年、西の河原にベルツ博士の顕彰碑を建立し、博士の生地であるビーティッヒハイム・ビッシンゲン市と姉妹提携を結んでいる。
草津温泉街の入り口にある道の駅
道の駅「草津運動茶屋公園」は、群馬県北西部の草津町にある。



草津温泉への入り口と言える場所だ。
私は中部地方からアクセスしたが、上信越自動車道の信州中野ICから国道292号線を通って南東に57km走って到着した。関東地方からアクセスする場合は関越自動車道の渋川伊香保ICから国道353号線→国道145号線→国道292号線を通って北西に54km走る必要がある。
最寄りインターからの距離が示す通り、道の駅へのアクセスはさほど便利ではない。しかしこの道の駅の利用者は多く、しかも国際色豊かである。
理由はもちろん、近くにある草津温泉郷の存在だ。
日本を代表する温泉地であり、今では日本一人気があるだろう草津温泉郷は、国内外から多くの観光客が訪れる。
駐車場は、天気最悪のこの日だからこそ空いていたが、天気の良い日はこうはいかない。




トイレは道の駅らしい、とてもオーソドックスなもの。



休憩環境としては、道路の両側ともに申し分ないだろう。



道の駅は、国道292号線を挟んで道の両側にそれぞれ施設がある。

草津温泉街行きの路線側には、物産館、レストラン、観光案内所。

逆側の路線側にある建物の1階は物産館、2階はベルツ記念館になっている。


道路の両側に各々存在する物産館だが、商品のダブりがそんなになくて、両方の物産館に行く価値は十分にあるだろう。
温泉街行きの路線側にある物産館には、草津温泉伝統の商品が多い。「草津温泉饅頭」「草津湯の華饅頭」「草津ごまだれきな粉餅」「草津栗大納言(栗羊羹)」など。 「湯美人ワイン」「軽井沢ビール」等の酒類もこちらの物産館の品添えが充実している。
一方、温泉街行き路線とは反対側の車線にある物産館は、「花豆ロールケーキ」「かりんとう饅頭」「草津温泉プリン」「草津温泉サイダー」等、草津の比較的新しい?名物を中心に販売している。
人気の「湯もみちゃんグッズ」もこちらで。湯もみちゃんがデザインされたステッカー、ソックス、タオル、Tシャツ等、色々ある。
「しゃくなげ」というレストランでは、「上州もち豚のひもかわうどん」がオススメ。 群馬名物の「上州もち豚」と「上州地鶏スープ」に、群馬郷土料理の「ひもかわうどん」がよく合っている。
さて 3つしかない日帰り温泉の「どこを」「いつ」狙うか
さて、道の駅を訪れたのなら、やっぱり日本一の温泉街・草津温泉を満喫しなくては、「クリープを入れないコーヒー」である。え?古すぎるって?
しかし何せ今や草津温泉は日本一、いや世界的な人気なのである。ちゃんと予約していない人間がいい目をできるほど甘くはない(笑)。
圧倒的規模の草津温泉郷なのに、日帰り利用できる温泉は、大滝乃湯、草津温泉館・テルメテルメ・ベルツ温泉センター、そして西の河原露天風呂の、たったの3つしかないのだ。
その中で、私のようないい加減な旅人でもなんとか楽しめる「穴場」は、おそらく、雨を狙って行く西の河原(さいのかわら)露天風呂なのである。
理由は単純、とにかくでかい。そして露天風呂しかないので雨が降れば降るほど人は少なくなるのである。
だから、天気が最悪の日を選ぶことが重要だ。土砂降りだと最高だ。流石に露天風呂に浸かったままの人は一気に減る。
私は、天気予報最悪の日時を選んだ。
もちろん雨が降れば、いわゆる「加水」をした状態になってしまうので、温泉は薄まるのだが、そんなことを気にしていたら、予約もしないで、しかも大した金も払わないで草津温泉を楽しむなんて甘い考えでの満足なんてあり得ないのである!(笑)
西の河原露天風呂を雨の日に!
西の河原露天風呂には駐車場がないので、ちょっと遠いけれど道の駅の駐車場、長く歩くのが嫌な人は天狗山駐車場に車を置いて向かう。
道の駅の駐車場からは2kmほどの距離があるが、天狗山駐車場に車を停めることができれば、約200m歩くと西の河原露天風呂に行ける。
この駐車場は無料で、駐車可能台数は300台だ。

駐車場から、この小径をまっすぐ進む。
すると、見えてくる。


ここには、シャワーもなければ、内湯もない。ドライヤーもない。
私には関係ないがw
ただ、無茶苦茶に大きな露天風呂があるだけである。
源泉は、草津温泉でも一番湧出量が多い「万代鉱源泉」。この「万代鉱源泉」の特徴としては「ピリピリする刺激」、草津温泉の中でも特にインパクトの強い泉質だ。
源泉は97度もある塩化物硫酸塩泉で、pHが1.7の強酸性泉。ちょっと傷があっても痛いし、目に入ろうものならものすごく痛い。

土砂降りの中でカメラをダメにするのは嫌なので、上の写真は西の河原露天風呂提供。天気のいい日はこんな感じみたい。
風呂はとにかく広い。500㎡というから150坪、畳300枚分の広さで、これを男女別に仕切ってある。
広い上に風呂は深め。端から端まで歩くのも大変なほど、深くて広い。
源泉は風呂の一番奥から投入されているようで、入口近くがぬるく奥に行くにしたがって熱くなってくる。
草津温泉街の散策
温泉を満喫した後は、東に600mほど歩いていく。



距離は長いけれど、温泉街ならではの匂い、賑わいは、さすが草津温泉ならでは。 雨のなか歩いていても、とても楽しい。
やがて草津名物の「湯畑」が見えてくる。


湯畑は、黙々と湯煙が挙がる圧倒的な景観だ。
湯畑の横には無料で利用可能な足湯がある。 雨の中なので、流石に空いていた。
そして、草津と言えば「温泉たまご」。湯畑の近くには温泉たまごを販売する店がいくつもあった。