♪あな〜たと〜、越え〜たい〜!「天城〜越〜え〜」♪は、道の駅「天城越え」から(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎)

私の弾き語りの十八番として愛してやまない、石川さゆりの“天城越え”。

伊豆半島の中心に位置する観光地・天城は、浄蓮の滝を始めとする数々の滝や、ワサビ、いのしし等でお馴染みだ。またこの天城は、伊豆半島の南北を結ぶ難所としても有名。さらに、川端康成の「伊豆の踊り子」でも、主人公の学生と踊り子が出会ったのも天城越えの最中だった。

“天城越え”とは、温泉街・湯ヶ島をスタートし、“浄蓮の滝”を経て、標高700mあたりにある天城峠を越えて、太平洋側の河津へ抜けるルートの事だ。

古くから交通の難所だった伊豆半島を北へ向かう人、南へ向かう人、その誰もが越えなければならなかったのが天城山だった。旅人を阻むのは、長く険しい峠道。かつて天城の峠越えは多くの旅人を苦しめた。地質がもろく、山崩れが多発し、道がたびたびふさがれたため、ルートも定まらなかった。

トンネル開通によって、天城越えは今でこそ伊豆の南北を結ぶ人気のドライブルートとなっているが、はるか昔から、伊豆を歩く旅人たちを悩ましてきた、とんでもない交通の難所だった。

「天城」という地名の由来は?

そもそもの話、この地になぜ「天城」という地名がついたのか。

地名の由来になったのは「お茶」。それも、なぜか砂糖を入れてもいないのに甘いお茶だという。

これが「天城甘茶(アマギアマチャ)」という甘茶の一種で、これが天城の名産物だった。

お茶なのになぜこんなに甘いのかと言えば、それはこれが「お茶」ではないからだった。

アマギアマチャは、お茶の仲間ではなく、ユキノシタ科アジサイ属の植物である。

この天城甘茶の「甘茶の木」が「甘木」になり、さらに「天城」になって、天城という地名の由来になったと考えられている(諸説あり)。

天城がワサビの名産となった理由

誰もが知っている天城の名産と言えば、やっぱりワサビだろう。

では、なぜ天城はワサビの名産地なのだろうか。

その理由を調べてみると、天城は水が豊富だからということに落ち着く。

実は、ワサビを育てるには、水が大量に必要なのだ。米1kgを収穫するために必要な水は約2トンなのに対し、ワサビ1kgを収穫するためには水が米の15倍、約31トンも必要だという。
実はワサビは、自分に含まれている辛味成分が他の植物を枯らしてしまうだけでなく、自分の成長も妨げてしまうため、大量の水で適度に辛味成分を洗い流す必要があるかららしい。
では、なぜ天城にはそれほど豊富な水があるのか。

これも調べてみると、天城の過去20年間の平均年間降水量は4,406mm。全国1283の観測点の中で第3位だった。そして、なんとも不思議なことに、降水量は伊豆全体が多いのではなく、なぜか天城だけが断トツに多いのだ。
その理由は、伊豆半島が海に突き出しているため、海からの湿った空気が天城連山にぶつかって雨雲ができ、雨や雪が降りやすくなるから。さらに、天城連山がU字というユニークな形をしているので、海風が東から吹いても、西から吹いても、南からも吹いても山にぶつかり、天城に雨雲を作ってしまうのである。

こうなると、次の疑問は、なぜ天城連山はユニークなU字の形になっているのだろうかということになるが、その理由はやはり伊豆半島の誕生そのものに秘密があった。
もともと伊豆半島は南にあった島で、フィリピン海プレートに乗って少しずつ移動し、今から500万年前、神奈川県の丹沢辺りで日本列島にぶつかりました。そしてさらに伊豆半島は、プレートの影響で本州に押しつけられて、天城連山が真ん中で折れ、U字のような形になってしまったという。

難所「天城」を超えなければならなかった理由

そもそも「天城越え」とは、湯ヶ島と河津の間にある、天城連山を越えることを言う。1000メートル級の天城連山を越える天城越えは、非常に大変なものだった。しかし、そこまでして人々はなぜ天城を越えたかったのだろうか? いや、なぜそんな高い山をわざわざ越えなくてはならなかったのだろう?
その理由はシンプルだ。
今も昔も、天城越え以外に、伊豆半島を南北に抜ける道は無かったから。

これも、U字型の天城連山に答えがあった。実は、山がU字に折れたことで、天城を中心に谷が出来、多くの雨が降ったことでその谷を川が通り、土砂を削ったことで、天城峠を通るたった1本の道が出来たのだった。
さらに伊豆半島の海沿いは切り立った崖が多く、海岸線を通ることができなかったので、人々は難所でも天城峠を越えるしかなかったのだ。

トンネルは、時空を超える表現

トンネルは、人やモノを運ぶのには欠かせないインフラの一つである。
しかしそこは閉鎖的な空間。だからこそ、そこを抜けたときの開放感は大きい。

多くの映画や文学では、トンネルをくぐることで時間や空間を超えることを表現してきた。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」。

トンネルから始まる作品として真っ先に思い浮かぶのは、ノーベル賞作家の川端康成の小説「雪国」だろう。

この「長いトンネル」とは、昭和6年(1931年)に開通した上越線の清水トンネルのことだ。全長9,702メートル。当時、東洋一を誇り、長野経由で11時間以上かかった上野ー新潟間が一気に7時間程度に短縮された。ちなみに川端が書いた「信号所」は、今では土樽駅として人が乗降する停車場になっている。冒頭の場面では、ここで芸者の駒子の妹が汽車の窓を開け「駅長さあん、駅長さあん」と叫ぶのだが、その情景を求めて途中下車する人は今なおいるという。

さて、川端の雪国に並ぶ代表作といえば「伊豆の踊子」だろう。

この作品もトンネルから始まる。

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さでふもとから私を追って来た」。

舞台は伊豆半島の天城連山にある天城山隧道(旧天城トンネル)だ。

人々はトンネルを望んだ

明治時代に入って馬車などの陸上交通手段が一般的になるにつれ、地元の人々はトンネルの開通を望むようになる。当時の県会議員の矢田部強一郎が県議会で奮闘したこともあり、明治38年(1905年)にトンネルは遂に開通。南伊豆と北伊豆が接続されるようになった。

全長445.5メートル。日本初の石造道路トンネルで、日本に現存する最長の石造道路トンネルでもある。

天城山隧道は、川端以外にも松本清張や井上靖の作品に描かれた。

井上は小説「しろばんば」で「天城のずいどうは、洪作たちには何ともいえず魅力のあるものだった」と語っている。

旧天城トンネル

昭和45年(1970年)には、天城山隧道の南側に全長800メートルの新天城トンネルが完成する。

時は流れて交通での主役は降りてはいても、石川さゆりの演歌「天城越え」で歌われ、天城山のシンボルとしての存在感は揺らいではいない。平成13年(2001)年には国の重要文化財に指定されている。

120年の歴史とその重み

開通から120年が経ち、多くの文学作品に描かれてきた頃と天城山隧道を取り巻く環境も大きく変わった。昭和53年(1978年)の伊豆大島近海地震で隧道近くの道が崩れ、路線バスが埋まる死亡事故が発生したことを機にらせん状のループ橋が設けられた。

河津七滝ループ橋

これによって山道をなだらかに上り下りできるようになり、車での天城越えも、安全性が増した。

真っ暗だったトンネル内には小さな電灯もついた。道も舗装され、側溝は砂利で覆われた。文人たちは天井からしたたる水に魅了されたが、天井も整備され、たれる水滴の量も昔ほどではなくなっている。

重要文化財に指定されて以降は観光客も増え、車の往来も激しくなった。トンネルからは静寂が消え、車の乗り入れ規制なども実施された。

「トンネルの風情がなくなった」との声も一部ではでているが、苔むした入り口の外観や、壁からしたたる水のあやしい光などは一世紀以上前の姿をとどめ、トンネルは時間を超えた旅に人を誘い続けている。

今でも季節を問わず、石川さゆりの歌を口ずさみながら、天城山隧道を歩く観光客は少なくない。

もちろん私もその一人である。

道の駅「天城越え」

道の駅「天城越え」は、伊豆半島のほぼ中央部、当たり前だが、天城越えの途中にある。

北からでも南からでも、国道414号線に入ってからは民家が殆どない林間道路のドライブだ。

いきなり本駅を示す道の駅看板が現れ、案内標識に従って駐車場に入る。

駐車場は、道沿いに細長い。

トイレは、 駐車場から施設に向かう途中にある。

この道の駅に限ったことではないが、本当に綺麗に清掃していただいているおかげで、私たちは気持ちよく用を足せ、リフレッシュできる。ありがたいこと、感謝しかない。

また、ちょっとした休憩をするにも、室内外にベンチがしっかり備えられていて嬉しい限りだ。

道の駅の施設としては物産館(わさび直営店)、レストラン(山のレストラン)、惣菜店(竹の子かあさんの店)の3施設。

総菜店「竹の子かあさんの店」では椎茸コロッケが人気だ。

有料施設としては、伊豆近代文学博物館もあり、その横には天城越えオリジナル手拭いやオリジナルポーチを販売する土産店がある。

物産館「わさび直営店」は名のとおり伊豆地方の特産品のわさび販売を中心とする施設だ。

「わさび漬け」「わさび茶漬け」「わさびウインナー」「わさび煎餅」「椎茸わさび」「わさびキャラブキ」 「わさびチョコロール」等のわさび加工品がたくさん販売されている。

もちろん、「すりおろす前のわさび(葉付きの茎の状態)」も販売されている。

わさび以外にも、第22回全国菓子博覧会で内閣大臣賞を受賞した銘菓「伊豆の踊子」や「黒きんつば」「桜きんつば」「桜葉せんべい」「桜かりんとう」等も販売されている。

山のレストランでは、「わさび」と「カルボナーラ」をミックスしたオリジナルメニューの「わさポナーラ」が人気となっている。 「猪ラーメン」「猪丼」「とろろご飯セット」「わさび菜豚チャーハン」等、他では味わうことができないメニューが沢山あって迷ってしまう。

2種類のわさびソフト

さて、この道の駅で是非試して頂きたいのは「わさびソフトクリーム」だ。

山のレストランが提供する「元祖わさびソフトクリーム」と、 わさび直営店が提供する「オリジナルわさびソフトクリーム」の2つがあるのだが、 この2つのわさびソフトクリーム、全く別の食べ物と考えたほうがいい。

「元祖わさびソフト」はソフトクリームとわさびが完全に混ざり合ったもので、 わさびの辛さは抑えられていて意外と甘い。緑色の色さえ見なければ、ほぼバニラソフトクリームの味だ。

オリジナルわさびソフト

一方、写真の「オリジナルわさびソフト」は、白いバニラソフトの一部に磨り下ろしわさびを塗ったものだ。 こちらは、間違っても摩り下ろしたわさびにかぶりついてはいけない。あまりの辛さに飛び上がってしまうだろう。 適宜、上手にわさびとソフトクリームを混ぜ合わせながらいただく必要がある。