幕末の社会的・政治的混乱の象徴「下仁田の戦い」から161年。道の駅「しもにた」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地○)   

慶長8(1603)年から慶応3(1867)年にかけて260年以上も日本を統治していた徳川幕府の時代は、かっただけにその衰退期の社会的、政治的混乱も大きかった。

アメリカの海軍大佐ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀の沖に姿を見せたのは、今から172年前、嘉永6年(1853)のことだった。

船体は真っ黒で、黒い煙をあげる蒸気船「黒船」の姿に、人々はたちまちパニックに陥った。

もしペリーが江戸に向かってきたら、八百八町の半鐘を打ち鳴らし、町民に知らせるお触れが番所より出ると、今にも戦いが始まるという噂が町々に流れ、人々は恐怖におののき、気の早い者は家財道具を荷車に積んで田舎へ引っ越してしまう光景も見られたという。
東日本大震災で福島の原発事故が起こった直後の春、当時住んでいた京都の街が、東京から逃げてきた人たちで溢れかえったことを思い出す。

当時の世論は圧倒的に攘夷論者が多く、幕府は容易に開国できずに内憂外患の状態に陥った。

しかし、外国からの圧力に屈し、井伊直助らが条約を結んで開国したので、世の中はさらに騒然となった。

時代背景1(産業革命で世界が一変)

世界では18世紀後半のヨーロッパ世界が大きく変貌をとげ、産業革命と市民革命を起点とする波が、世界市場形成と植民地拡大という形で全世界に及んでいた。

欧米の船がしきりに到来する中で、東アジア世界の秩序が動揺をきたし、日本においても江戸幕府が対外関係の明確化と国防体制の確立を迫られたのは必然であった。

当時国内においては商品生産や流通の発展が進み、農村における貧富の差の拡大と都市への人口流入が進行していた。幕府や藩は、経済構造の変化に由来する社会変動に直面し、対策をとる必要が生じてもいた。

そんな中で天保期の飢饉が、社会の矛盾を浮き彫りにする。相続く一揆や打ちこわし、有効な対策を欠く中で幕臣までもが反乱を起こすに至ってしまう。

時代背景2(近世から近代へ)

こうした国内・国外の課題に対応するため、幕府においても諸藩においても「天保の改革」が行われた。幕府における水野忠邦の改革は、種々の統制強化と幕府権力伸長を図るものであったが、充分な基盤を得ることなく進められたため強い反発をうけて頓挫した。

一方、薩摩・長州などの諸藩においては、より弾力的な体制で経済と軍事を強化した結果、一定の成果を収め政局への発言力を獲得していったのである。

この幕府と諸藩の関係は、ペリーの黒船に代表される外圧に屈し開国せざるを得ない事態に陥ったタイミングで大きく変化する。

国際化する政治状況の中で国益を守る強力な中央政府が求められ、もはや徳川家独尊の幕藩体制では対応できないことは明らかで、井伊大老暗殺後の尊王攘夷運動は、公武合体運動から倒幕運動に進み、戊辰戦争の硝煙の中で近代日本が誕生したのであった。

天狗党挙兵と水戸藩

水戸藩においては、ペリー来航より29年前の文政7年(1824)に、イギリスの捕鯨船が薪や水を求めて上陸していた経験があった。
そんな水戸藩には攘夷論の急先鋒も多く存在しており、文武両道に優れた数名が『尊王攘夷』を旗印に筑波山にて挙兵し、その集団は「天狗党」と呼ばれる一派となった。

天狗党は、日本が外国からの開国要求を呑むのに対して、幕府に反対し天皇に権力を返還すべきという尊王攘夷を唱えていた。
挙兵当時は、わずか63名であったが、やがて発起人を慕う青年武士や諸国の浪人、農家の次男、三男等が続々と筑波にやってきた。同志が増えて総勢400人ほどとなると、水戸藩及び幕府もこれを憂慮。

本格的に筑波討伐を始めることになる。

幕府軍V.S.天狗党

幕府は高崎藩以下11藩に対し、天狗党討伐の命令を出した。
高崎藩は2,000人を出兵し、戦いが始まる。

天狗党と幕府軍の最初の交戦は幕府軍が勝利をおさめたが、天狗党はなんと、勝利に気を良くし祝杯に酔った幕府軍の寝込に夜襲をかけて総崩れさせたのであった。

その後、幕府軍は1万3,000人の討伐兵を送り込んで多勢に無勢、激しく攻め立て、7ヶ月にも及んだ戦いに勝利する。
しかし天狗党の残党920余名はしぶとかった。尊王攘夷の素志を貫徹すべしと、在京の徳川慶喜へ進言するために西上の途を決めたのである。上州へは太田宿から入り、藤岡、吉井、七日市、一ノ宮へと進んだ。

天狗党の行軍が一ノ宮(現:富岡市一ノ宮)に入ると、幕命を受けた高崎藩は藩兵3隊320人余りの追撃隊を下仁田に向かわせ、先回りし下仁田の先の下小坂に本陣を構えた。

下仁田戦争

江戸時代末、元治元年(1864)11月16日におきた下仁田戦争は、幕府軍(高崎藩)と、現在の茨城県で挙兵した天狗党と呼ばれる反乱軍との戦いで、天狗党が京都に着くまでの間の戦いで一番大きなものとなった。

元治元年(1864年)11月16日未明。

両軍の砲声が山々にこだまし、天狗党920余名と高崎藩の2隊により『下仁田戦争』がはじまった。
戦いは一進一退であったが、天狗党の三面奇襲が勝敗を分け、高崎藩は敗れ、残兵は中山道で高崎に敗走した。高崎藩本陣付近での激戦は午前4時から6時頃まで続き、この戦いで高崎藩は36名、天狗党4人の戦死者を出した。

紅葉がピークを過ぎた11月16日、その赤に変わるように晩秋の下仁田を血で染めた「下仁田戦争」として、今も語り継がれている。

深手を負い捕えられた高崎藩士は青岩河原で天狗党に処刑され、翌日、戦死者と共に遺族に引き取られた。また天狗党の戦死者は村内の寺に厚く葬られ、重傷者の中には信州への峠を越えて絶命した者もあったという。

この戦いの後、天狗党はさらに信濃、美濃を戦をしながら通過して越前に入ったが、そこで幕府軍なんと3万人との戦いについに力尽きて降伏、処刑されてしまった。

下仁田の町には、外壁に銃弾の跡が残る蔵など、戦いの痕跡が残っており、戦を記録するために建てられた碑や戦死者の墓なども点在。関係する資料は下仁田町歴史館で展示されている。

2018年にリニューアルオープンした道の駅「しもにた」

道の駅「しもにた」は、上信越自動車道の下仁田ICから国道254号線を南西に2km、群馬県南西部の下仁田町、世界遺産の荒船風穴の玄関口にある。

2018年1月に大規模リニューアルして7年。 老朽化していた円弧状の建物はきれいに改築され、さらに円弧の一部を埋めるように建てられた新しい建物もまだまだピカピカだ。

バスステーションを利用する地元の方の集いの場としても、観光の拠点としても機能しているようだ。

駐車場は広く、静かで、仮眠がとりやすい。

トイレは円弧上の建物群の中にあって、駐車場から少し遠いのが難点だが、綺麗なトイレである。

休憩環境としては、申し分ない。

建物に沿ってぶらぶら歩きながら、ベンチに座ったりして、とても気分転換しやすくなっている。

下仁田ネギと、ネギ関連特産品が多数

道の駅の施設は、物産館、農作物直売所、レストラン、軽食堂、ミルクバー、観光案内所。

下仁田町と言えばやっぱり「下仁田ネギ」だろう。

直径3cmはありそうな太さ、鍋に入れるとトロっとした甘味を放つ下仁田ネギ。 思わず涎が出てくる方もいるのではないだろうか。
一般的なネギと違い下仁田ネギは11月から3月までしか収穫できないが、 旬の時期には農作物直売所の大半のスペースが下仁田ネギ売り場に変貌する。

今年も11月1日から、2025年度の下仁田ねぎの販売が始まっている。物産販売館の入り口脇、特設スペースが販売場所となっていて、営業開始は朝8時30分から。開店前に下仁田ねぎは入荷するので、開店と同時に購入できる。

2025年度の規格と値段は、・1㎏入り・太め 700円(税込)・1㎏入り・細め 600円(税込)・2~3本入り・太め 500円(税込)となっている。

下仁田葱箱

直売だけでなく、物産館でも下仁田ネギを使った商品は多彩だ。

JR東日本お土産グランプリで第1位の「下仁田ネギえびせん」を始めとして、「殿様ネギ煎餅」「下仁田ネギポテトチップス」「下仁田ネギ味噌ラーメン」「下仁田ネギカレー」 「下仁田ネギ佃煮」「下仁田ネギしぐれ」「下仁田ネギ焼酎」など、様々な商品が販売されている。

蒟蒻とジャージーミルクも美味しい

下仁田ネギがあまりにも有名なため、少し印象が薄くなるが、蒟蒻も下仁田町を代表する特産品だ。 丸蒟蒻、刺身蒟蒻、板蒟蒻、糸蒟蒻などの定番商品はもちろん、 小麦粉と蒟蒻をブレンドして焼いた「蒟蒻パン」や、総菜コーナーでは「生芋蒟蒻みそおでん」も販売されている。
ついでにもう一つ下仁田町の特産品を挙げるならば、神津牧場のジャージーミルクを推したい。

神津牧場は120年以上の歴史を持つ日本で一番古い西洋式の牧場で、 ジャージーミルク入りの「ジャージーミルクサンドクッキー」「神津牧場ビーフカリー」 「神津牧場バター飴」「ジャージー牛乳ジャム」等が非常に美味しい。

「下仁田コロッケ」はぜひ!

道の駅の「食」の施設としては、レストラン「御食事処おれんぢ」、軽食どう「しもにたキッチンまるも屋」、そして売店として 「神津牧場ミルクバー」の3つがある。
「御食事処おれんぢ」では定食類と麺類が主体。 群馬県産の柔らかい豚肉を使った「生姜焼きセット」が人気だ。

「しもにたキッチンまるも屋」では主に下仁田ネギを使った軽食を提供。「下仁田ネギ牛丼定食」は絶品だが、それほどお腹が空いていなくてもぜひ一番人気の「下仁田コロッケ」は食べてみる価値がある。
コロッケの中には下仁田ネギ、下仁田産の蒟蒻、椎茸が入っていて、下仁田の味を一気に味わうことができるのだが、ネギが好きな人には、まず下仁田ネギの甘い香りがたまらない。 食べると蒟蒻のぐにゃぐにゃした食感が楽しく、食べ終わった口の中には椎茸の味が残って、これがめちゃくちゃ美味しい。

道の駅 | しもにた | しもにたキッチン まるも屋

「神津牧場ミルクバー」は神津牧場が直営する店舗だ。

人気の「ジャージー牛ソフトクリーム」、「飲むヨーグルト」「ジャージーバウムクーヘン」等が楽しめる。