長野北東部から「中山道」旅。数ある名所を通って江戸時代の面影残す南西部へ。 道の駅「ほっとぱーく・浅科」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

「中山道」は、江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ街道である。
江戸幕府が1602年から時間をかけて他の五街道とともに整備していく過程では、「東参道」・「木曽街道」・「中山路」・「中仙道」など、地域ごとに様々な名称で呼ばれていたが、1716年に学者・新井白石の進言により「中山道」という名前に統一して、定着していく。

全長約530kmの険しい街道には69もの宿場町が点在し、交通と文化の発展において重要な役割を果たしてきた。

冒頭は中山道最大の難所「鳥居峠」からの絶景だが、幾つもの峠を越える険しい山道・渓谷が多い山岳地帯を通るルートというのが、他の街道と比べた時の最大の特徴であろう。

そして、風情ある宿場町が現代にもしっかりと受け継がれていることも中山道の大きな魅力となっている。

中山道六十九次の宿場マップ
中山道六十九次の宿場マップ(Good Luck Tripより)

中山道の歴史と役割

山間部を通る「中山道」は厳しい道のりではあるが、洪水や海路の危険を避けられるという利点もあって、江戸時代における交通の要所として重要な役割を果たした。
商人・旅人、大名行列が頻繁に行き交って地域経済の発展にも大きく寄与したが、明治時代に入ると鉄道網および新しい道路の整備が進んだことで、「中山道」の交通量は減少し、衰退の道をたどっていった。
近代になって歴史的価値が見直され、今も中山道の各地に江戸時代の歴史の面影が残るため、現在は観光地として注目されている。

諏訪大社の四社巡り

ずっと南下してきた中山道が、諏訪湖にぶつかるので一旦急激に東へと曲がる。

ここでぜひ寄りたいのが諏訪大社だ。

全国25,000か所もある諏訪神社の総本社、諏訪大社である。

ご存知、木落で有名な「御柱祭」を行う神社としてあまりにも有名だ。

諏訪湖を挟んで上社と下社に分かれていて、それぞれが2つのお宮を有している珍しい神社である。なので下社の2つにも参拝しようとすると、一旦中山道を大きく外れる。

諏訪大社4社は、基本的に同じ神様を祀り、それぞれに4本の御柱が建立されている。

共通点も多いが、それぞれに違った魅力があり、4社を順に巡る「四社めぐり」は、茅野市に位置する諏訪大社上社前宮をスタートし、上社本宮、下社秋宮、下社春宮の順に参拝するのがお約束だ。

諏訪大社については、ここでついでに、と言うような軽い扱いはできないので、別の記事で詳しく掘り下げたい。

ここから4つの宿と中山道・木曽路の醍醐味が続く

さて、諏訪大社からしばらく東へと進んだあと、再び中山道は南下する。

ここからは「木曽路(きそじ)」と呼ばれる、長野県南部の木曽地域を通るエリアに入っていき、中山道六十九次の中でも人気観光スポットとなっている宿場町と名所が続く。

このエリアには江戸時代の風情が今も残る11の宿場町が名を連ね、地域全体で歴史的な景観が守られている。

奈良井宿

「奈良井宿」は、中山道の34番目の宿場町で、現在の長野県塩尻市にある。
木曽路の中で最も高い標高940mの丘のもとで発展を遂げ、「奈良井千軒」とも呼ばれるほど多くの家々が立ち並び、旅人を受け入れる賑やかな宿場町であった。
奈良井宿の最大の魅力は、中山道沿いの南北約1kmにわたる日本最長の古い街並みだ。重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、南側から上町・中町・下町の3つのエリアに分かれていて、江戸時代の風情が漂う景観、情緒に満ちた宿場町の風景を求めてたくさんの観光客が足を運ぶ。

千本格子の家々や旅籠などが軒を連ねる江戸時代の情緒ただよう町並みを散策
千本格子の家々や旅籠などが軒を連ねる江戸時代の情緒ただよう町並みは実に素晴らしい。

鳥居峠

奈良井宿と、次の薮原宿の間にある「鳥居峠」は、中山道屈指の難所として知られる、およそ6kmの山道だ。険しい道だが、歴史の趣と美しい自然が交錯する峠からの絶景は圧巻で、標高約1,200mの頂上に行けば西に御嶽山、東に木曽駒ケ岳を望むことができる。

雲海もいいが、山肌を鮮やかに彩る春の桜・秋の紅葉は忘れられないほど美しいと評判だ。
道中には、江戸時代の道標・祠をはじめ、俳人・歌人の句碑や石仏などの歴史を感じさせる遺構が数多く点在。旅情を一段と盛り上げてくれる。

薮原宿

鳥居峠を越えて、藪原宿(やぶはらじゅく)へ。
藪原宿は木曽谷の南北を結ぶ交通の要衝として賑わい、「木曽の玄関口」と呼ばれた宿である。
旧街道沿いには当時の面影を残す商家・旅籠が今も残っていて、無形文化財に指定された「お六櫛の里」の実演や、江戸時代の法令や布告を掲示した「高札場跡」が見られる。
また、400年以上の伝統を誇り、美しい艶が魅力の木曽漆器「木曽漆器」の生産地として知られ、手作りの工芸品・日用品を買い求めることができる。

美しい艶が魅力の木曽漆器

御嶽山里宮

11年前、2014年9月27日の噴火で60人以上が死亡した御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の山麓、長野県木曽郡王滝村の村民は、翌年から神社に鎮魂の明かりをともし、犠牲者の霊を慰め続けている。

薮原宿を過ぎると、右手に御嶽山が見えてくる。

少し道を外して御嶽山里宮に寄らせていただき、手を合わせた。

寝覚の床

「寝覚の床(ねざめのとこ)」は、浦島太郎伝説の舞台としても有名な、長野県木曽郡上松町に位置する国指定の名勝である。
木曽川の浸食によって形成された花崗岩の白い岩盤が特徴で、その美しい景観は「日本五大名峡」および「木曽八景」のひとつに数えられている。
川岸に広がる奇岩群と、それを縫うように流れる透き通った水流、それらと晴れた日の青空とのコントラストは最高。
早朝・夕暮れ時の光の角度によって岩肌や水面が刻々と変化していく光景は、まさに絶景だ。

奇岩群と澄んだ木曽川の絶景

赤沢自然休養林

寝覚めの床の南西方面、ここも長野県木曽郡上松町に位置するが、「赤沢自然休養林」がある。ここには、標高1,080~1,558m・約760haの広大な面積に日本三大美林のひとつである「木曽ヒノキ林」が広がっている。

江戸時代に城下町の発展に伴って木曽の山々の木が切り落とされていく中で、いち早く保護し、戦後は「国有林」のもと管理してきた「森林浴発祥の地」でもある。
樹齢300年を超えるヒノキの巨木が立ち並ぶ風景は圧巻で、木曽檜の美しさを間近で体感できる
遊歩道は7つのルートがあり、小川のせせらぎや鳥のさえずり、ヒノキの香りが心身を癒してくれる。

ハイキングと森林浴を楽しもう

阿寺渓谷

「阿寺渓谷(あてらけいこく)」は、長野県木曽郡大桑村にある全長約15kmにわたって続く美しい渓谷。木曽路の中でも有数の観光地である。
透明度の高い「阿寺ブルー」と称されるエメラルドグリーンの清流と滝が見もので、「狸ヶ淵」・「赤彦吊り橋」が絶景スポットとして有名だ。

阿寺ブルーの清流と吊り橋

柿其渓谷

阿寺渓谷のすぐ南、長野県木曽郡南木曽町にある「柿其渓谷(かきぞれけいこく)」は、柿其川が花崗岩を侵食して作り出した、約8kmにわたって続く渓谷だ。
ここも阿寺渓谷と似た透明度の高いエメラルドグリーンに輝く川と滝が美しい自然景観が魅力で、「木曽路随一の秘境」の呼び声が高い。
滝壺に水がまっすぐに落ちる「牛ヶ滝」は、その迫力と透明感に圧倒される。

神秘的な美しさを誇る滝壺

妻籠宿

「妻籠宿(つまごじゅく)」は、長野県南木曽町に位置する中山道の42番目の宿場町だ。
江戸時代末期と変わらない貴重な街並みを地域全体で保護しており、1976年に日本初の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた。
その歴史的な建物が整然と佇む光景はイギリス・BBC放送をはじめ、海外メディアで「サムライの道」と紹介され、世界でも有名な観光地となっている。
石畳の道や格子窓の家々が続く風景は宿場町の様子を今に伝え、民宿に泊まれば当時の暮らしを疑似体験できる。
また、周囲には渓流や山々が広がる自然豊かな環境で、都会の喧騒から離れてリラックスした時間を過ごせるのが魅力だ。
上述の馬籠宿とは歩いて3時間ほどの距離にあり、ハイキングコースとして人気なので挑戦するのもお勧め。
主な見どころとアクセスは以下の表の通り。人気スポット妻籠宿本陣、脇本陣奥谷、歴史資料館などご当地グルメ五平餅、おやき、朴葉(ほおば)巻きなど体験プログラム桧笠の手編みコースター作り、和紙すき体験、着物体験など宿泊施設旅館・民宿※全施設部屋にバス・トイレなしアクセスJR南木曽駅から路線バス・観光タクシーで約10分の妻籠から歩いてすぐ

馬籠宿と併せて楽しみたい妻籠宿

馬籠宿

「馬籠宿(まごめじゅく)」は、長野県との県境を越えて岐阜県中津川市に入ってすぐにある中山道の43番目の宿場町。妻籠宿から馬籠宿へは歩いて約3時間ほどの距離である。

元気な方は、江戸時代の面影を残す中山道を当時の人々と同じように歩いて移動すれば、より江戸時代の風情や雰囲気、当時の人々の営みをより身近に感じられるだろう。

街全体に江戸時代の風情が色濃く漂うが、最大の見どころは、斜面に沿って続く石畳の街並み。

馬籠宿観光ガイド

600m以上続く坂道の両脇には、古い木造建築が立ち並ぶ。
また、ここは島崎藤村の生誕地であり、彼の記念館や作品「夜明け前」ゆかりの地としても知られていて、「中山道 馬籠宿場まつり」「馬籠 木曽路氷雪の灯祭り」といった伝統行事を多く開催していることも魅力となっている。

江戸時代の面影を残す宿場町

道の駅「ほっとぱーく・浅科」

道の駅「ほっとぱーく・浅科」は、長野県の北東部、中山道23番目の「塩名田宿」、24番目の「八幡宿」、25番目の「望月宿」のちょうど真ん中、「八幡宿」のすぐ南。

中部横断自動車道の佐久南ICからは国道142号線を北西に4km。 長野県東部の旧浅科村(現佐久市)にある。

群馬県から入ってきて長野県を北東から南西へ抜けて岐阜県に至る中山道の道中で、ここから南西に向かう道はちょうど中山道の中程にあたる道のり。今回はこの道の駅「ほっとぱーく・浅科」を、諏訪大社を皮切りに名所絶景が連続するホットな区間を巡る行程の出発点とした。

佐久市は最近、高校駅伝で「佐久長聖高校」が活躍してより知られるようになったが、実は日本で最も海から遠い街。 夏の涼しさ、冬の寒さは、北海道並である。

道の駅「ほっとぱーく・浅科」は1998年の開駅以来、佐久市内で唯一の道の駅として存在感を放ってきたが、 2017年7月に佐久南ICのすぐ近くに佐久市2つ目の道の駅「ヘルシーテラス佐久南」がオープンしてからは主役の座を奪われ、施設規模、集客力、利便性で「後輩」に相当劣るため、今はやむなくとても地味な存在になっている。

駐車場は

トイレは

休憩環境としては

「鯉のうま煮」「長門牧場のアイスクリーム」「りんごジュース」「佐久平生そば」など、 道の駅「ほっとぱーく・浅科」で販売されている大抵の佐久市の特産品は、新駅「ヘルシーテラス佐久南」にてより充実した品揃えで販売されているので、特産品の紹介はそちらに譲るが、人混みと混雑が苦手な私にとっては、客が少ないというのはメリットだ。

レジに並ぶ行列もなく、レストランの待ち時間もなく、ゆっくりと買い物、食事を満喫できるこの道の駅は、私的には好みである。

何よりこの道の駅「ほっとぱーく・浅科」では、周辺の旧浅科村地区のみで生産されている高級米「五郎兵衛米」と「信州地刃物」を買い求めることができる。これは、この道の駅の最大の強みである。
「五郎兵衛米」は、蓼科山の湧き水を引いた@五郎兵衛用水」を使って生産されている。

お米の美味しさは水の美味しさに比例するとよく言われるが、 五郎兵衛米は他の一般的な米とは次元が異なる甘味があり、保水性の強い粘土質の土地で栽培されているため粘りもある。 

そのため冷めても美味しく、おにぎり用の米として人気が高い。 遠方からはるばる本駅まで買い付けに来る客も多いらしい。レストランでも五郎兵衛米

レストラン「あさしな亭」でも、五郎兵衛米を使った御膳類、丼物を楽しめる。それほど空腹でなくても半ライスと麺類とのセットメニューなどがあり、せっかくならぜひ、五郎兵衛米を味わいたいものだ。

刀作りの鍛造技術が息づく「信州地刃物」

「信州地刃物」は、今からおよそ450年ほど前、戦国時代の頃、川中島の合戦に伴い武具の修理のために多くの刀鍛冶がここ北信濃の地へと移住してきたことに端を発する。

鍛冶職人たちの技は、里人が鍛治の業を彼らに習得ことで、包丁や農具、山林用具作りにも生かされてきたのだ。

信州打刃物は、鉄を熱し、ハンマーで繰り返し叩いて形成していく鍛造刃物である。一人一人の職人さんが、手打ちで一枚一枚、一丁一丁鍛え上げて製品を作っていくため大量生産はできない。

信州鎌は他の産地の鎌に比べ鎌身の幅が広く大きく、ずっしりとした重量感を備えていつつ手にとってみると意外と軽い。その秘密は丹念に打たれた薄刃にある。“かみそり鎌”と呼ばれるほどの切れ味の良さ、使いやすさ、耐久性など他産地には見られない特徴が魅力である。