「コイの町」と聞いて、まず広島カープの広島市を思い浮かべるのは凡人で、兵庫県の養父市を思い浮かべる人は相当の変人でしょう(失礼)。
江戸時代、宿場町として栄えていた現在の養父市は、コイの食の名物とするために養殖を始めました。 以後、目的は観賞用に変わりましたが、コイの養殖は現在も脈々と続いています。そう、養父はコイの町なのです。
道の駅「やぶ」は、そんな養父市の東端、農村風景が広がる円山川沿いの静かな場所にあります、というか「ありました」。 というのは、道の駅やぶは養父市(第一セクター)と民間企業(第二セクター)が共同出資して設立された法人である、つまり第三セクターの「養父市場開発」が1994年4月に開業し、運営してきました。
ところが北近畿豊岡自動車道が2012年に延伸されて以降、道の駅の前の県道を通る車の通行量がめっきり減少。年々営業不振が深刻になり、ついに2019年、四半世紀の歴史に幕を下ろしたのでした。
その後養父市は譲渡先を募集。ある奇特な民間企業が名乗り出て、2020年4月、油そば専門店、カフェ、レストランなどの複合型飲食店その名も『道の駅やぶ COINOBA VILLAGE(コイノバ・ビレッジ)』にとして生まれ変わったのです。
なんで「コイノバ」やねん?
私は、養父神社で紅葉狩りに行く途中、道の駅で腹ごしらえするに立ち寄ったのだが、到着してまず目に付いたのは大きな鯉のモニュメントだ。なんでも全長が5m、胴回りは4.5mもあるらしい。
もともと道の駅「やぶ」は、「コイの町」であることを広く知ってもらうためにつくられたという。市内には鯉を鑑賞できる場所が4ヵ所あって、その一つがこの道の駅だった、というか、現在も池にはでっかいコイが。
コイを鑑賞しろとおっしゃるが、人間が池に近づくや否や、我先にエサを求めて水面で大口を開けてひしめくコイは、これはもう鑑賞というよりホラー。そのガッつきぶりは実に凄まじく、かなりグロテスク。そんなに腹が減っているのかと、いたたまれなくなってコイのエサを買い求める。エサは、店内カフェカウンターで購入することができて1袋100円なのだが、こいつらが寄ってこなくなるまでやると何千円かかるかわからない。
というわけで、生まれ変わった「コイノバ」という施設の聞き慣れないネーミングは、どうやら「鯉の場」ということらしい。知らんけど。
なんで「油そば」やねん?
『道の駅やぶ COINOBA VILLAGE(コイノバ・ビレッジ)』の、2020年4月のグランドオープンに先駆けて、先行オープンしたのは、なぜか「油そば」専門店。なんで油そばやねん、と思うが、この道の駅を引き継いだ民間企業の本社は東京で油そばの店などを展開していて、2020年当時油そばは兵庫県にまだなかったから、兵庫県初のインパクト?を狙ったのだと思われる。
「油そば」は全然嫌いじゃないので、なんで油そばやねんの疑問は完全に消えないまま入店。
定番の「油そば」にしようと思っていたのだが、どうせなら辛いがいいと思い、「麻辣油そば」の大盛りを注文した。サイズは並盛(1玉)、中盛(1.5玉)、大盛り(2玉)がある。
釈迦に説法で恐縮だが、「油そば」というのは麺ダレと油を混ぜて食べる汁なし麺。大層に言うが、ここに限らずシンプルにタレと油と麺の三位一体が求められる。
で、到着した「麻辣油そば」!
私の場合は油そばには「酢」をガバッと入れて、グリングリンと混ぜるのだが、その酢が食欲を刺激する。
肝心の味はまあ、普通だった。
レストラン・カフェ・ベーカリーも
油そばの他にもレストラン・カフェ・ベーカリーがある。
レストランは単品メニューのほか、ランチメニューが6種類ほど。ランチプレートはどれも評判がいいらしい。
レストランとカフェは、女性ターゲットかな。
カフェには入らなかったが、こんな感じ。
道の駅らしく特産品販売も
道の駅ならではの、地元の野菜・特産品なども何気に販売されている。
ドレッシングや醤油(養父市の会社が製造)、地元の野菜などがたくさん売られていた。
美味しそうなパンが並んでいた。もちろん油そばで満腹なので、買わなかったが。
休憩施設として、駐車場、トイレなどは?
一応、道の駅を引き継いだ形なので、ドライバーの休憩場所としての道の駅利用を遠慮することはないようだ。
仮眠に適しているとは思わないが、駐車場も十分広く、トイレも問題なし。
道の駅としての施設関係には手を入れず(お金をかけず)、以前からほとんど変わっていないようだ。いわゆる居抜きのような形で経営が変わったということか。
さて、油そばで満腹になったところで、いざ目的地へ。
養父神社は目と鼻の先
今日の目的は紅葉狩りだ。養父神社は道の駅の目と鼻の先にあり、但馬(たじま)5社のひとつに数えられる。兵庫県下でも有数の紅葉の名所としても有名である。
この神社、天平9年(737)にはすでに古文書に名を残しており、以降「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として地元の人に親しまれてきた。また、農耕に必要な牛の売買を管理していたため、牛の神様も祀られている。土地の人からの信仰があつい田舎の神社だけに、初詣には但馬一円から参拝客が多数訪れるそうだ。